戸谷洋志のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ウクライナ戦争であらためて核兵器の脅威への恐怖が蘇るなか、哲学者が核兵器、そして原子力技術をどう考えたかという観点でまとめた本。
でてくる哲学者は、ハイデガー、ヤスパース、アンダース、アーレント、ヨナス、デリダ、デュピュイと豪華。
なにか人間の力を超えたところにある原子力というもの。単純に反原子力といっていればいいわけでもない。哲学者ならではの見解、別の言い方をすると、形而上学的な議論が展開される。
だが、そうした極端な議論を通じて、自分の思考が大きく揺さぶられる感じがした。
原子力が人間の意思というものを超えて、独自の進化をとげていくものであることが実感できた。
そして核兵器は、憎しみ、敵意、悪意から利用されるというより、ある種の規則に準じる形で一定の条件をみたせば、淡々と使用されるようなものかもしれない。
つまり、官僚的なシステムがうみだす「悪の凡庸さ」なのだ。アーレントが全体主義のなかにみた「無思考性」が核兵器にもあって、それはいわゆる全体主義国家ではなく、民酒主義の国においても変わらないものかもしれない。
この辺りは、かなり目から鱗が落ちる感覚があった。 -
Posted by ブクログ
スマートなデバイス、サービスが生み出すスマートなシステム、スマートな社会。スマートさがもたらす悪の可能性を探求する本。
そこで登場するのが、アイヒマンというわけで、アーレントの議論を軸にしながら展開していく哲学的な技術・社会論、という感じかな?
一つひとつのスマートなサービスは、便利で、使い始めるとそれなしには生きていけないのだが、全体して、それが人の幸福、社会の幸福につながっているのかは心配な気持ちになる。
著者は、スマートの語源にある痛みといったところを確認しつつ、スマートが目指す一人一人への最適化という概念をロジスティックスの問題と関連づける。で、ロジといえばということで、ユダヤ人の強制収容所への移送のロジスティックスの専門家としてアイヒマンがでてきて、アーレントやアンダースの議論が紹介されるという流れ。
では、人々が全体がわからないうちにシステムの歯車になってしまうスマートな悪から逃れようとしても、人間はシステムの外にでることはできない。外に出たつもりが、他のシステムに移る、絡め取られるだけである、というのもそうだろうなと思う。
そういう八方塞がりのなかで、著者は、自分のいるシステムがすべてと思って、違う可能性を考えなくなることをさけるという観点で、ガジェットという概念をもちだす。
ガジェットは、もともとの用途とは違う形で、使う器具のようなもので、つまり、あるシステムと違うシステムをつなぐような技術、人の生き方の比喩である。
この先の議論がもう少し具体的に展開してほしかった気はするが、比喩としてはなかなか面白いかな。(あとがきで、「ずっと真夜中でいいのに。」というバンドの話しがでてくるが。)
ちなみに、アーレンとのいわゆるアイヒマン論争を通じた議論で、アーレントは、「普通の人」がナティスを支持したということを前提としつつ、「凡庸な悪」はそれとはちょっと違う種類の悪の性質を論じているみたいで、著者の「だれでも悪のシステムに加担する可能性がある」という議論とは微妙に違う気はするが、アーレントの議論も結局のところ「考えないこと」に収束していくので、その意味では、著者の議論は、アーレント理解としても適切なものかと思った。 -
Posted by ブクログ
「スマート」という言葉は非常に聞こえの良い言葉であるが、本書では主にネガティブな側面に注目している。テクノロジーの発達により生活は最適化され「スマートな社会」へ進歩すると考えられているが、一方で最適化が悪への加担を引き起こしうるということを認識しなければならない。最適化には暴力性を孕んでいることを本書では「スマートな悪」と呼んでいる。
「スマートな悪」が暴走したらどうなるのか?ここではナチズムとアイヒマンを事例に出しながらその末路を論じている。まさに全体主義は最適化の負の側面であり、アーレントやアンダースによる全体主義の起源の考察は現代においても、とりわけ超スマート社会化おいては通ずる点が少なくない。
歴史的な出来事から日常的な事象と幅広い具体例を交えながら、「スマートな悪」が持つ危険性が分かりやすく説明されており、テクノロジーの発達に対する危機感、さらには日本政府が提唱する「Society 5.0」への警鐘として示唆に富む良書だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
第1章 自分
第2章 恋愛
第3章 時間
第4章 死
第5章 人生
<内容>
文庫書下ろし。学生による出版コンペティション「出版甲子園」での企画が原案(2015年の第11回)。大阪大助教によるもの。先生と助手の女子大生の会話形式で、目次の5つのテーマを、それぞれ3つのJ-POP(計15曲)の歌詞から読み解いていく。セカオワ・RADからいきものがかり・ミスチル・東京事変・AIKO・宇多田ヒカルまで多彩。軽い感じで読み通せるが、言っていることは深い。ニーチェやパスカル、キルケゴールまで出てくるが、そのあたりの扱いは軽い。高校生から大学生を読者層に想定しているのではないか?高校の「倫理」の授業で使えそう。 -
Posted by ブクログ
本書のタイトル「原子力の哲学」とあるように、代表的な哲学者の原子力に対する哲学を書籍である。
筆者は哲学の専門であるが原子力の専門ではない。というか解説されている哲学者も原子力の専門家ではない(哲学の専門家だ!)。
ということを念頭に置いて本書は読むべきである。
筆者の解説は分かりやすいので、登場している哲学者の論旨は理解することができる。この部分は本書の良いところである。
一方で、哲学者の原子力の哲学のほうであるが、哲学者よろしく難解な表現を使用して読者を混乱させてわかったようでわからない論法である。というか、原子力という言葉は原子爆弾と原子力発電で全く違うだろう。
哲学者さん、ここは間違っちゃいけないよ。
カールヤスパース(Karl Jaspers)が一番まともかな。
しかしどの哲学者も(哲学の最悪なところだけれど)答えを出さない。自分の哲学を述べて、じゃあどうすんねん!がまったくない。
強いて挙げるのであれば
・世界中の人々が原子力について考える
・オープンな議論を実施し、合意形成を得る
という現在やっていることと同じじゃん。
とは言いつつ、新しい観点は読めばいくつかは発見できる。この手の書籍はあまり多くないので、一読の価値はあると思う。本書がきっかけなって、原子力=怖い=なくしたほうが良いという短絡的な発想を脱却して、もう1歩先に進んでくれれば、と思う。
なお、本書に登場する哲学者は以下の通り;
ハイデガー
カールヤスパース
ギュンターアンダース
ハンナアーレント
ハンスヨナス
ジャックデリダ
ジャンピエールデュピュイ -
Posted by ブクログ
ネタバレ個人的に哲学は近寄りがたい&自分には縁のない学問だと思っていたが、非常に身近なJ-POPの歌詞から哲学を考えていくスタイルは自分に合っていた。
非常にはっとさせられたのは、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」の考察で出てきた「共同性の暴力」である。いくら恋人同士だとしても、「私」と「他人」の関係性からは抜け出せないし、恋人の他社性を否定することは暴力的なことであるとのことだったが、過去の恋人とうまくいかなかったのはコレだわ…と大反省した(笑)
ちなみに私の場合は、恋人なんだから私が考えていること分かるよね?と期待しては勝手に落ち込む、ということを繰り返し、もういい!別れる!みたいな感じのパターンだった。今考えるとめちゃんこ子どもだし相手に申し訳なさすぎる。。。
一方で「誰かの願いが叶うころ」の「私」は相手を尊重しており幸せを願っているからこそ、動けない…のだそう。ちなみに「私」は相手が自分に関心がなくなっていることを分かっている。切ない。 -
Posted by ブクログ
先生と麻衣さんの対談形式で、Jポップの歌詞を引用しながら、哲学のテーマである「自分」「恋愛」「時間」「死」「人生」について考えていくという本。各テーマについて3つの小テーマを考えるので、全部で15曲が引用されています。
Jポップは90年代後半の頃から好きで聴いていましたが、どっちかというとメロディーにばかり意識がいってしまって、歌詞にはほとんど注意を払っていませんでした。こうして改めて歌詞について考える機会があると、存外深い意味をもったものなんだなと気づかされました。特に、一番最後に出てくる、いきものがかりのYELLはすごいですね。
肝心の哲学について言うと、まあ正直ふわふわした理解しか得られませんでした。とっかかりを与えてくれるものなのかなという理解です。それぞれの小テーマごとに関連する哲学者が紹介されているので、自分の興味をもったところについて、さらにその哲学者に関する本を読み進めるなど、深堀するとよさそうです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【きっかけ】
本屋で見つけた。中高生には難しいか。
【内容】取り上げられた歌と歌手と哲学者
①ミスチル『名もなき詩』カント
②ゲスの極み『私以外私じゃないの』フィヒテ
③乃木坂46『君の名は希望』ヘーゲル
④AI『STORY』ブーバー
⑤西野カナ『会いたくて会いたくて』メルロ・ポンティ
⑥宇多田ヒカル『誰かの願いが叶うころ』レヴィナス
⑦バンプ『天体観測』ベルクソン
⑧Aiko『キラキラ』ヴェーユ
⑨東京事変『閃光少女』バタイユ
⑩ラッド『おしゃかしゃま』キルケゴール
⑪浜崎あゆみ『dearest』ハイデガー
⑫ワンオク『a new one for all,All for the new one』サルトル
⑬嵐『Believe』パスカル
⑭セカオワ『RPG』ヤスパース
⑮いきものがかり『YELL』ニーチェ
【感想】
齋藤孝『大人の読解力を鍛える』でもJPOPの歌詞が取り上げられていたが、こちらはより本格的。哲学が絡んでくるので抽象的で難解な部分もある。先生と女子大生・麻衣の対話形式で読みやすくはあるが。
①名もなき詩
「自分らしさ」を意識して周囲と接していると、結果的に「自分らしさの檻」の中に閉じ込められ、息苦しくなるという逆説的な現象。「自分らしさ」とは何だろうと考えるとき、その対象「自分」と主体「自分」は一体となっている。他者について考えるとき、対象とは主体は別々。自分について考えることは、それ自体がおかしい行為。テレビを見ている自分の映像をテレビで見ると、そのテレビの中ではテレビを見ている自分が延々と移り続けているという入れ子構造。
②私以外私じゃないの
「私」を考えるとき、「これが私自身だ」と確実に言えるのは、「私ではないもの」。「私」はリンゴやA君ではない。フィヒテによると、非我により「私自身」が分かっていく。「私は~ではない。~でもない」と限定していくと、「私自身」が分かってくる。
③君の名は希望
透明人間だった僕を君が照らしてくれたことにより、僕は自分の存在を自分自身で認識できた。相互承認にはほどよい距離感が必要。そのバランスが崩れると支配や相互依存になってしまう。
④ストーリー
他者のうち、恋人が最も他者性を帯びている。他者(恋人)は明確に言葉で説明できない。リンゴなどの一般的なものは言葉で説明できる(赤くて、丸いものなど)。言葉で説明できるということは、一般化できるということである。一般化できるかできないかに、他者とそれ以外のものの違いがある。私と物事の関係性は「私―もの」「私―君」の2種類に分けられる。他者、特に恋人は相互的かつ直接的な関係。
⑤会いたくて会いたくて
他者(恋人)と自分が一体になっている。その一体になっている恋人と会えなくて「震える」というのである。「震える」とは生命の危機。一体になっている恋人と別れることは、体の一部をもぎ取られることに等しい。従って、「震える」という表現には強いインパクトがあり、自分の生命を脅かすような意味合いを帯びている。ポンティによると、これは人間の癒合性。私と他者の共同性。
⑥誰かの願いが叶うころ
自分の幸せはあなたと一緒になること。あなたの幸せ(願い)は私と別れること。自分と他者の関係の限界を示している。他者との共同性を突き詰めるとそれは暴力になる。みんなの願いは同時には叶わない。
⑦天体観測
記憶の想起、過去を題材としている。日常的な記憶と非日常的な記憶。日常的な記憶は、履歴書に書かれるように情報化される(履歴書的な記憶)。対して、非日常的な記憶は、純粋記憶(ベルクソンによれば)。非日常的な純粋記憶から、日常生活に必要な分の記憶を捨象したものが日常記憶になる。非日常的な記憶(=純粋記憶)こそが、その人の本来の記憶。しかし、人は非日常的な記憶に浸っていたら、まともに日常生活を送れないというジレンマに陥る。天体観測の歌詞は、過去の自分が経験した純粋記憶を思い起こしている場面を描いている。
⑧キラキラ
未来を題材としている。目的:手段=未来:現在という関係。目的は未来のことであり、手段は現在のこと。人は目的:手段という関係の中で生きている。目的(=未来)に早く達したいがために、いろいろな行動=手段をとる。その意味で人は目的や未来に縛られている。ただ、「待つ」という行為は来るべき未来を予感しながらも、現在を直視する行為である。本歌の歌詞はそういう意味合いが読み取れる。一刻も早く未来を実現したいという欲望に囚われることない、「待つ」ことの精神的な強さ。
⑨閃光少女
現在を題材としている。目的と手段に囚われた日常、また、過去と未来に囚われた日常から脱却するには、蕩尽することが必要だ。今という一瞬を全力で生きることが、今という現在と向き合うことになる。いろいろな柵から逃れて、過去や未来に囚われず、現在と向き合うには、遊ぶことが有効である。遊びは目的:手段の関係に囚われず、今遊んでいることに夢中になること=過去や未来のことを忘れること=現在を生きること。
⑩おしゃかしゃま
人間が作った絶対的な権威である「神様」を否定して、「神様」をつくった人間を批判する。神様が人間をつくったであると同時に、人間が神様という概念をつくった。ここに矛盾が生じる。そして、その矛盾から目を背けようとする人間を自己欺瞞だとして批判する。「神様」が人間の創造物なら、「死後の世界」も同様ではないか。本当に死後の世界は存在するのか?肉体的な死と魂の死。宗教=神様は魂の死を絶対的な恐れだとした。しかし、神様=宗教は人間がつくった産物だと気づいたとき(キルケゴールによると絶望したとき)、人間は初めて本当の死というものを意識する。本当の死を意識することで、逆にどう生きるかということに目を向けるようになる。
⑪dearest(意味:親愛なる人、いとしい人、あなた、おまえ)
日常生活において死は覆い隠されている(公共の場所では死体はすぐに撤去されるなど)。ハイデガーによると「非本来性」。「非本来性」とは本来の生き方から目を逸らすこと。逆に、死に直面することで明らかになる自分自分の本来の生き方を「本来性」と呼び、「本来性」を自覚することを「先駆的覚悟性」と呼んだ。
⑫a new one for all,All for the new one
死を大切な人の死とその他大勢の死に分けたとき、本歌は前者のことを歌っている。大切な人が死んだあとも日常生活を送れるようになることが、その人の死を受け入れたということ。サルトルによると、その人の死を意味づけするのは、その死んだ人自身ではなく、後に残された人。「他有化」。
⑬Believe
前進しなければいけないが、どこに進めばいいのか分からない逼迫感。目先のことで精一杯で、最終的な到達点がどこか分からない不安感。自分の人生についても分からない不安。情報過多、低成長などの現代の社会状況が明確な目標を見渡せなくしている。世界の相対化。パスカルによると「広漠たる中間」。相対化された社会「広漠たる中間」の中での人間の生き方は「気晴らし」「虚しさ」「倦怠」に分けられる。パスカルによると、戦争でさえも国王が自分の不安から目を背けるための「気晴らし」らしい。「気晴らし」はあくまで「気晴らし」に過ぎないので、「虚しさ」が次にわき起こる。「虚しさ」のまま何もしないでいると「倦怠」に陥る。このスパイラル。
⑭RPG
決断をしない人生=「方法」的かつ「世間」的に生きること。世間と同じように生きていれば、自分だけが苦しんでいるわけではないと慰められる。孤独ではないという安心感を得られる。決断するとはこれとは逆のこと。ヤスパースによれば、決断(=飛躍)が人間の人生を表現する。決断するとき、人はもはや世間に囚われていない。「無制約性」
⑮YELL
「翼はあるのに飛べずにいる」自分の人生を決断しきれない。まだ世間に囚われている状態。ニーチェによるとそのような人は「畜群」。人は「畜群」になることで、自分を助けてほしい、自分は有害ではないと示したいと思っている。こう思うのは、人が一人では生きていけない弱い存在であり、孤独を恐れているから。しかし「畜群」を演じ続けることは、他の人々から迫害を受けはしないこものの、疲労が蓄積してくる。孤独でもあってもニーチェによる「星の友情」があれば問題ない。「サヨナラはかなしい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL」という部分は「星の友情」の本質を表している。「畜群」というのは世間に同調し、孤独を恐れ、周りにびくびくしている存在で、皆と一緒がいいと思う存在であるが、自らそう望んでいるのなら、「畜群」ではないのでは? 「畜群」かそうでないかの分かれ目は、「自分と違う生き方をしている人を尊敬できるか」「自分を誇りに思えるか」の有無。
終わりに
哲学は散歩に似ている。 -
Posted by ブクログ
自己責任という言葉が1人歩きしだしたのは、かつて世間を騒がせた「イラク3馬鹿」なのだとか。これは国のでっち上げで、あの3馬鹿は悪くない。。。といった主張かあったがそこは腹落ちしかねる部分はある。
が、なんでもかんでも自己責任とバッサリやるのは確かに違うのかもしれない。
自分は責任の辛さというよりは、責任の曖昧さ(会社で問題が起きても誰も責任とらず、経営状況は悪化して会社が弱っていく様子)に嫌気をさして本書を手にとったんだが、、、
頼っていいんだよ。連帯責任だよ。
みたいな話だけでは救えない現実があると思う。
「イラク3馬鹿」を自己責任じゃないから許すというなら、そのケツは誰が拭くんですか?
会社に穴開けてるヤツを許すというなら、その穴は誰が塞ぐんですか?
責任を曖昧にして戯言のままにして、誰が幸せになるのですか? -
Posted by ブクログ
付録にあるハンナ・アーレントの略年譜を見て若い時に戦争、強制収容所を体験し、労働とは一体なんなのかと強く問わざるを得ないようなご経験をされた上で『人間の条件』を書き上げたのかもしれないと、感じた。
地獄を体現したような強制収容所で、報われることなく殺される人々働かざるをえない人々をハンナ・アーレントは目撃しているはずだから。
彼らの無念さという沈黙と、戦争の冷徹な時代の沈黙を、ハンナ・アーレントは赤子が誕生した時一息吸って大声で力強く泣き叫ぶように、突き破るために『人間の条件』を書いて世界へ生み出したのではないかとわたしは想像する。
強制収容所の言葉で“働く”という意味と、ハンナ・アーレントが生きた時代の言葉で“働く”という意味、歴史上で人々が粛々とつむいできた“働く”という意味を、ねじり合わせさらに昇華しようとした『人間の条件』の言葉で“働く”なのかもしれないと、わたしは個人的に思った。
だとしたら、重い手触りの“働く”だと思う。
本書は、ナチスに翻弄され、それでも思索をあきらめなかった人生を歩んだ思想家ハンナ・アーレントが書いた『人間の条件』をわかりやすく入門編として紹介し解説している本。
ご自身の労働観をかえりみたくなったらぜひ読んでみてほしい。
ハンナ・アーレントの『人間の条件』へももちろん扉は開かれている本なのでその手がかりという意味合いでもおすすめ。
働くは、働きかける。
本書に書いてあった言葉だ。
お金をいただく。
イコール働くだろうか。
何かをしてあげた。
イコール働くだろうか。
食べるため、生きるために働くって本当に当たり前?それはみんなにとって自分にとって、本当に幸せなこと?
働くとはなんなのかを徹底して考えたハンナ・アーレント。
働くとは社会にとって、自分自身にとってどういったことだろう。
考えたくなったら本書を手に取ってみたい。
-
Posted by ブクログ
「人間の条件」は私にとって、何度もチャレンジしたけれども途中で挫折する難解な著作でした。岡本太郎が、この本を激賞していて、夢中で読んだということだが、自分の頭では少しも面白く思えなかった。そこで2時間あれば読めるこのすごい古典入門を読んだわけですが、やっぱりよくわかりませんでした。結局のところ、アンナ・アーレントが人間の活動を労働と仕事と活動の3つに分ける考え方そのものに同意できないのです。そして労働は自然に強制されて行う毎日の生命活動を維持するための活動でそこには自由はないのだという。そして人と連携しなければできない活動こそが、個人の複雑性は生かされるので価値があるのだという。
なんのこっちゃって思うので、もう「人間の条件」にチャレンジしても無駄だということがわかったのは成果です。