戸谷洋志のレビュー一覧

  • 悪いことはなぜ楽しいのか

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    タイトルに惹かれて読み始めた。
    目次を見ると、
    1 自己チューはなぜ楽しいのか
    2 意地悪(以下同じ)
    3 復讐すること(同)
    4 自傷行為(同)
    5 空気を読まない(同)
    6 反逆する(同)
    となる。一見するとどれも悪いことだし、基本的に筆者も悪いこととする立場ではある。だが、筆者のガイドによって古今東西の哲学者のもとに連れて行かれ、その考えを簡潔に伝えられて、読んでいくうちに「これは悪いことではないのかも」とも思えてくる。
    ルールを守るのは、他の人もルールを守るから。

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    2025年01月13日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    久々に良い本に出会えた。
    元から気になっていた著者の本だが。
    ここから著書の中の話とは違い、私の考えだが。
    自己責任という言葉は、随分勝手な言い訳の様に感じる。
    財源、特に社会保障費には限りがある。
    社会とは、生きている全ての人たちが対象となる。
    障害があるから、高齢者だから、貧困だから、等々、
    何かしら生活に支障を来たしている人たちの為の費用でもなく、本来なら日本に住んでいる人全ての人への生活を保障すべき費用。
    サッチャーは、全ての人に回す為公正な支給を目指しただけ、
    日本の場合は、強者が弱者の生活に目を向けることもせず、自らの仕事を放棄して支給を制限したいが為に、自己責任という便利な言葉で逃げているとしか思えないのだ。
    自己責任という言葉は便利な言葉だが、社会保障費を制限したがる日本国政府には守らなければならない国民との約束を放棄しようとすることと同じことだと気付かない。
    日本国憲法第25条には、すべての国民は、健康で文化的な最適度の生活を送る権利を有する、と書かれているが、日本国政府はそのお約束を守れているのだろうか?
    守っているならば、国民に対して自己責任を問うても良い、
    しかし、大学生の一部には三食食事が摂れず一食しか食べれない人がいたり、
    病気で働けないため、生活保護を申請しに行っても申請する権利はあるのに、申請すらさせず餓死させたり、私が知っているだけでも2件はある。
    これで国は、義務を果たしているというのか?
    それなのに、軽々しく自己責任を問う。

    安倍が暗殺された時も、日本は民主主義国家、法治国家とマスコミは言うが、約90%の人が女性天皇、また女系天皇容認しているのに民意を無視する。
    それでも民主主義国家か?
    民主主義という概念、定義を政府は知らないのか、知っていて放置なのか?
    法治国家ではなくただの放置国家、
    民主主義国家という概念を知らしめるため、血を流させないと政府は分からないのか?
    今感じるのは、国民支払い者に一切財源を使わせないで自分たちだけ。

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    2024年12月23日
  • 哲学のはじまり

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    存在。
    認識。
    価値。
    地図。
    何者。

    *

    そこから見えるものを
    男は記録する

    写真を撮っても
    うつらない

    録音しても
    きこえない

    言葉にすると
    消えてなくなる

    ほとんど全部
    こぼれていく世界で

    小さな音楽と詩は
    静かに息をする

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    2024年12月20日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    新自由主義に代表される自己責任論に基づく責任を「強い責任」と定義し、その対比の概念として「弱い責任」を提唱していく。
    他人に迷惑をかけてはいけない。誰にも頼らず自立すること。
    私たちはこのように教わってきたし、日本では現在もその考えが広く社会にいきわたっている。
    しかし、本当に誰にも頼らず自立している人など一人もいない。
    だから「弱い責任」で責任を押し付けるのではなく、頼ったり引き継いだりしていこうというのが、本書の主張。

    たとえば、農家がいなければ、流通してくれる人がいなければ、どんなにお金持ちでもお米を食べられない。
    お金があれば何でもやってもらえるという考えは、「自立の勘違い」を生む。
    たくさんお金があれば自立している、ということではない。お金は誰かを頼った時に「これ(お金)を使って、あなたも誰かを頼ってください」としてつかう道具、なのだから。

    「強い責任」が自己責任を果たしてこそ人間としての存在価値が認められるという考えに基づくのに対し、「弱い責任」の前提には、誰もが弱い存在であり、責任を分かち合って生きているという思想がある。

    本文にドキッとする文章があった。
    ”自立性こそが人間の条件とみなされるとき、誰かに依存し、誰かに依存されている人の存在は、社会から覆い隠され、あたかもそんな人はそんな人は存在しないかのように扱われてしまう。そうした状況が、ケアに追われることでボロボロになったひとを、さらに追い詰めることになる。”
    ケアを必要としている人だけでなく、ケアをしている人の存在まで覆い隠されてしまう。これは今の日本で本当に起きている問題かもしれない。
    介護や認知症の話は、テレビの中、もしくは家族の中、専門職の中だけに存在し、それ以外の現実社会には存在しないことになっているのではないか。
    自己責任という名の大いなる無関心が、社会からケアする人、ケアされる人を排除している可能性を感じた。

    だれもが誰かの助けを必要とし、誰もが誰かの助けになるという考え方を説明するのに「弱い責任」論は大いに役立つと思うので、さらに理解を深めていきたい。

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    2024年11月28日
  • 悪いことはなぜ楽しいのか

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    タイトルから、不道徳な行いをする際の快楽的な要素について心理学の視点からアプローチする本かと思っていましたが、実際には「いわゆる不道徳とされる行為を行う人の思考回路や、それらの行為がなぜ不道徳とされるのか」というところを倫理学・哲学の視点から解説した本でした。

    よくある哲学書のように「かくあるべき」という切り口てはなく、「自己中」「意地悪」「嫉妬」「自傷行為」といったネガティブな側面を哲学的にどう説明するか、ということをカントやルソー、アーレントなど主要な哲学思想家の論を用いて丁寧に解析しています。

    読み物、としては(テーマ的にも)やや硬い印象がありますか、西洋哲学史の入門書としては手に取りやすい思います。

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    2024年11月17日
  • 友情を哲学する~七人の哲学者たちの友情観~

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    ポッドキャストでお話されているのと、面白そうな本いっぱい出しているんだなーと思い、興味があった戸谷洋志さん。
    とりあえずタイトルに惹かれて目についたこちらを購入してみた。

    古代から現代までの哲学者たちの考えた「友情とは」を、現代の漫画を補助線にしながら紹介していく、ふわっとやさしく哲学に触れる内容。

    そもそも友情とはなんなのか?

    私は友達が多い方ではないし、(なんならあんまりいない方だと思う…)幸運なことに若い頃から友達同士のトラブルや悩みなど、あまりなかったので、友情について深く考えたことはなかった。

    プロローグから毎日一章ずつ、スラスラ面白く読みながら、自分の友情観に照らし合わせたり、好きな漫画のシーンを自分なりに当てはめて楽しんだ。

    特に第六章のフーコー、友情と恋愛の違いは何か、は、今まで自分が見知ってきたのとは全然違う角度から友情について語られており、自分の基礎となる土台をそもそもの力で揺るがす、これぞ哲学だなぁと目が開かれる感覚を味わった。

    全編本当に面白くて、なんならこの本について読んだ人とめちゃくちゃ語りたい!とか無邪気に楽しんでいたのだが、エピローグの下記の文章が思いがけず胸に迫り、自分でもよく分からないうちに涙腺が決壊していた。

     私たちは一人では生きていけない。私たちは弱く、傷つきやすい。しかし、だからといって、他者から支配され、他者に保護され、他者の言いなりにならざるをえないわけではない。私たちは不完全で、無力で、失敗を繰り返す。それでも、他者から対等な存在として認められ、誰かの-友達の-力になることもできる。
    そうした可能性は誰にでもあるのだ。
    (264頁)

    いったん通読して本を閉じるまで、どこで涙が出てきたのか、そもそもなんで泣きたい気持ちになったのか、全然分からなかった。もう一度読み返して、たぶんここだな、と思ったのがこのくだり。

    確かに著者の書き方は多少エモーショナルなんだが、何故だかよく分からないけどこの文章に、自分だけではなく多くの人間の悩みや苦しみ、孤独感もろとも、まるっと肯定されたような気持ちになったからなのかなと思う。
    自分の心の琴線にこういう言説がグイグイ触れてくるんだという事実にも驚いたし、新しい自分を知ったような気持ちにもなった。

    …こう言うのがあるから読書は面白いんだよなぁ。

    戸谷洋志さんの本は本当にたくさん出ているので、他のも読んでみよう。


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    2024年11月12日
  • シリーズ「あいだで考える」 SNSの哲学 リアルとオンラインのあいだ

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    若者よ、対話しよう。
    哲学にタッチする話題であっても、
    難しいと毛嫌いせずに(むずかしいんだけどね)
    思考してみよう。

    わたしたちの生活に刺さっている
    SNSが私達にもたらす影響のあれやこれやを
    想像してみよう。

    …… そういうことを言いたかった本だと思います。
    自分、不器用なんで(笑)
    うまく言えないですが、著者さんに
    ありがとうございます、って言いたいです。

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    2024年11月11日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    アーレントの見捨てられると思考能力を失ってしまう話からの展開とヨハスの責任の代理可能性が印象に残った。弱いことが未来の可能性を開くものだと感じれた。

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    2024年10月27日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    「ケアの倫理」に関してキティに関する言及があり、一読してみた。「自己責任論」への言及より、その背景に「強い責任」があり、それに対置するものとして「弱い責任」について説明するために、中動態、キティ、おそらく著者の専門であるヨナス、そしてバトラーを用いて説明。最後に著者がまとめているが、「弱い責任とは、自分自身も傷つきやすさを抱えた『弱い』主体が、連帯しながら、他者の傷付きやすさを想像し、それを気遣うことである。そうした責任を果たすために、私たちは誰かを、何かを頼らざるをえない。責任を果たすことと、多雨よることは、完全に両立する」。若い哲学者で具体例も分かりやすい。今後の著者の活躍に期待したい。

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    2024年10月10日
  • 悪いことはなぜ楽しいのか

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    全体的にもう一歩踏み込んで説明してほしいな、という感じで、倫理学に関する本を曲がりなりにも色々と読んだことがある人には、少し物足りない感じがあると思う。が、最後の第六章「反逆することはなぜ楽しいのか」の最後の最後、ハンナ・アーレントの話は、ものすごく印象的で、ちょっと唸ってしまった。

    「一つのルールですべての人間を納得させることなんてできない。もしもそれができたら、人間は一つのルールでカバーできてしまうような、単一の存在になってしまう。それに対して、人間には複数性が備わっていて、誰もが他者と異なる存在であり、今まで考えられなかったような新しいことを始めることができる。私たちには、どんなときでも、既存のルールに異を唱え、それを刷新することができる。だから、人間は反逆するーアーレントはそのように考えました。」(p149)

    人間の「複数性」を大切にするアーレントは、人間を単一の一塊のような人間と捉えることを批判した。だからこそ、個別の人間の違いに根差したルールの変更が絶えず行われることが大切だとした。
    その後の反逆が起きたときの秩序の部分が面白かった。そういった絶えず行われる反逆のたび、どのようなルールにも正当化されない、ある種の無秩序になる。そういった無秩序状態のときに、秩序を保つものを、アーレントは「約束」だとしている。
    拍子抜けするような単純な答えだけれども、いやに納得した。ルールも一つの約束である。とすれば、逆に言うと害を成すルールは、もはや一つの約束だったことを忘れ去られた約束である。誰が作ったのか、何のために作られたのか。伝統のまま、放置されたブラックルールは、そういった作られた経緯を誰も知らないまま残り続けて、誰かに不都合を生む。
    そこにいる人たちと、再び約束を結び直す。悪しき慣習を変えていくことは、そういうことなのだという結論に、すごく心動かされた。

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    2024年09月29日
  • 哲学のはじまり

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    【哲学の三大テーマが、この1冊で理解できる!】とあるけれど、、、あれ?私全然理解できてないぞ。なるほどなー、そういうことね。と わかるところもある。が、何度読み返しても頭に入ってこなくてただただ文字を追っているだけの部分もあり、哲学って難しいなってちょっと腰が引けてしまったような。
    巻末にあるオススメの哲学の本が気になるところ。こんな私にもわかりやすく読める本はあるだろうか。

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    2024年09月28日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    ネタバレ

    助けを求めることは「無責任」ではない。
    新自由主義を下支えする思想として日本に導入された「自己責任論」。しかしこれは人々を分断し、孤立させる。
    誰かに責任を押し付けるのではなく、別の誰かに頼ったり、引き継いだりすることで責任が全うされる社会へ。
    「利他」の礎となる「弱い責任」の理論を構築する。

    ・国民は経済システムを成り立たせるための手段として、自己責任を課せられている
    ・そもそも自己責任という概念が、他者への責任転嫁を含意している
    ・能動態、受動態、中動態
    ・たとえ中動態になされた行為であっても、それをあとから能動的な行為として事後的に修正してしまう(意思の事後遡及的成立)
    ・責任とは「傷つきやすい他者」への気遣いであり、憂慮である。
    ・自分の利害関係を超えて愛しているわけでもない他者に対して、それでもその他者を守らなければならないと思えるときにこそ、人間は自らの自由を発揮している
    ・哀悼可能性の認知は常に差別におちいる可能性を有している。あるとき、ある条件が重なると「この人は傷ついても仕方がない」と思う。しかしそれは差別であり、不正であり、暴力なのだ
    ・弱い責任における「保証」と「信頼」の実践

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    2024年09月28日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    講談社ポットキャストから書籍情報を入手。
    普段何気なく使ってしまう「自己責任」という言葉が持つ暴力性について考えるきっかけとなった。
    中動態に関する章は些か専門性が高く、少々異質な感覚はあるものの、全体として非常にまとまりのある内容。

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    2024年09月23日
  • 友情を哲学する~七人の哲学者たちの友情観~

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    アリストテレス、カント、ニーチェ、ヴェイユ、ボーヴォワール、フーコー、マッキンタイアそれぞれの友情観を辿りながら、コミックのセリフ、設定を援用し、裕次上について考察していく。

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    2024年09月17日
  • 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ

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    私には難しい内容でしたが、とても勉強になりました。

    強い責任には、自己責任論があり、社会構造や生きづらい理由を知ることができました。
    必要なとき気軽に頼ることのできる社会を目指したいと思います。

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    2024年09月15日
  • 親ガチャの哲学(新潮新書)

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    以前に著者と棋士の糸谷哲郎八段の対談本を読んだことがあり、名前を知っていたので手に取ってみた。当時は糸谷八段が目当てだったんですけどね。

    親ガチャという言葉の流行から現在の社会問題を哲学的な視点を交えて紐解いていくといった内容。

    親ガチャという言葉は知っていたけれど、あまり深く考えたことはなかったので新鮮だった。今まで日常から哲学を考えようといった本をいくつか読んできた。それぞれが工夫を凝らして書いてあるので身近に感じる部分もあったが、それでも想定している事象が「そんなことある?」と感じるようなものだったり「そこまで細かく考えなくともよくない?」となるような展開が多かった。やはり私にとっては哲学というとトロッコ問題だったりなんだか崇高で雲の上の話というイメージだった。本著はネットスラングや漫画(ワンピースやポケモン)から話が展開されており、それが流行する理由を社会問題や哲学の視点から考えていく。哲学を身近に感じるという意味では頭一つ抜けて良かったと思う。

    自己肯定感という言葉の意味に関しても気づきがあった。最近よく聞く言葉だが、詰まるところどういった意味なのかいまいちわかっていなかった。肯定するとはAがBであると認識する(イエスと言える)という意味だと私は理解した。つまり良い部分も悪い部分もすべてを自分であると認めることが自己肯定感である。自己肯定感が本著でメインテーマのひとつである自分の人生を引き受けることに繋がるというのがよくわかった。

    追記:
    他の方の感想で親ガチャ的厭世観で苦しんでいる人=社会的格差で苦しんでいるという決めつけが過ぎるのではないかとあった。この等式は概ね事実なのかもしれないが、明確な根拠が本著では提示されていないことも併せて、鋭い指摘だと感じた。確かに私の中にもそういった決めつけがあった。本を読んでいるとそこに書かれていることはすべて正しいと思ってしまいがちだ。ある程度の批判的な視点の必要性を改めて感じた。

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    2024年09月11日
  • スマートな悪 技術と暴力について

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    最適化されたシステムが生み出す暴力について論じられた書。そこに無意識に加担することで、我々も明確に加害者になりうる。
    それを回避するために、外部との橋渡しをする何か(ガジェット)が重要になってくる。

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    2024年09月07日
  • 哲学のはじまり

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    本書は、帯に「知識ゼロからはじめる哲学入門の王道」とあるように、哲学の入門編です。冒頭からしばらくはワクワクして読み進めましたが、2~4章はいくら嚙み砕いてくださっているにしても、難解でした。本書を入門として、より多くの書籍を読み進めていかないと、理解は難しいのだろうと感じました。

    【はじめに】(P5-8)
    ・『当たり前』を問い直す学問こそ、哲学に他ならない
    ・人間は、『当たり前』に疑いを持つと、ついつい『本当はどうなんだろう?』と考えてしまう生き物だし、そしてそれはめちゃくちゃ楽しい
    ・そんな昔から、どう考えても日常生活の邪魔でしかない哲学がいまだに生き残っているのは、結局、考えることの楽しさが決して色褪せないから
    ・哲学は自由でなくてはならない
    【第1章哲学とはどんな学問か】
    ・哲学が「当たり前」―つまり常識を問い直すという特徴をもっている(P15)
    ・常識について問い直すことで、私たちはその常識がなぜ正しいのか、なぜそのように考えられるのかを、自分の力で理解できるようになる(P17)
    ・哲学をするためには、一定の知識が必要。その知識を手がかりにしながら自分の力で思考する。①自分の言葉で説明し直すことができる。②自分自身で考えついた、適切な具体例で説明することができる。③どんな質問に対しても首尾一貫した回答ができる。(P22~24)
    ・哲学は、あらゆる学問の基礎について考える学問(P26)
    ・概念は一つだけで機能するものではなく、様々な概念との繋がりのなかで、はじめて意味を持つ(P27)
    ・学ぶべき3つの領域 存在論・認識論・価値論(P30―32)
    【第2章存在とは何か】
    ・哲学の最も基礎的な分野が存在論。植物の根のようなもの。(P36)
    ・本質存在「〇○である」、事実存在「○○がある」(P37―38)
    ・本質の中でも、それが欠けていたとしても、ある事物がある事物であるための支障にならない性質を「偶有性」という(P41)
    ・プラトン:イデア(事物のあるべき姿を示す本質)、イデア界(イデアが完全な形で存在する領域)、想起説(私たちは地上の世界にいながらイデアと関係する(P45-46)
    ・アリストテレス:形相(その事物のあるべき姿、それが実現するべき完全な形)、質量(その事物を構成している物質)(P48)
    ・ジャン⁼ポール・サルトル:実存は本質に先立つ(P55-56)
    ・マルティン・ハイデガー:敬意性(自分自身の偶有性を受け入れること)(P59)
    【第3章認識とは何か】
    ・知識の正しさを問う領域を、哲学では「認識論」という(P64)
    ・ルネ・デカルト:方法的懐疑(疑ってかかることで知識の正しさを確かめる。明晰であり判明であることが基準)(P67-68)
    ・デイヴィッド・ヒューム:恒常的随伴(2つの出来事が連続して起こることを眺め続ける結果として形成される因果律)(P73-74)
    ・イマヌエル・カント:認識能力(人間が何かを認識する能力)―①感官(感覚)、②悟性(認識の論理的な構造を成り立たせる能力)、③理性(P75-78)
    ・エトムント・フッサール:現象学(科学的な認識を成り立たせているのは、人間のなかに備わっているメカニズムであり、そしてそのメカニズムそのものは、科学では解明できない)(P83-85)
    【第4章価値とは何か】
    ・哲学において価値をめぐる議論を「価値論」といい、倫理学と美学に区別される。(P90)
    ・「倫理学」善悪や正義といった概念に従って、どちらの方が重要かを見抜く。(P91-93)
    ・ジェレミー・ベンサム:「功利主義」ある行為が倫理的に正しいのは、それが世界において人々が経験する幸福を増大させるとき、あるいは苦痛を減少させるとき。双方にメリットとデメリットがある選択肢から、より正しいものを選び出すことが得意。⇔「義務論」カント(P93-101)
    ・「美学」美的な価値について考える領域。「自然美」と「芸術美」(P101-104)
    ・「自然美」(カント)普遍性がある。美に関する判断力は鍛えることができる=趣味
    ・「芸術美」(ヘーゲル)芸術こそが普遍的。作者が表現しようとするもの=精神=芸術の本質。美しさは精神の表現、精神は絶対的なもの。
    【おわりに】(P112-117)
    ・哲学的な思考=風(ソクラテス)
    ・哲学は「当たり前」を問い直す営みであり、それはもう少し堅い言い方をすれば、概念のネットワークを解体し、相対化し、検証する営み。
    ・哲学者が何を言ったのかよりも、その言葉から自分が何を考えたのか、ということの方が、哲学にとってははるかに重要。
    ・書かれていることに対して問いを連想しながら読むことが大切。
    ・「当たり前」に従って生きていくことの方が、色々な意味で合理的。しかし、「当たり前」は同調圧力となって、私たちから選択肢を奪い、可能性を制限する。哲学はそうした制限から私たちを解放し、そこに哲学の最大の価値がある。

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    2024年08月16日
  • 親ガチャの哲学(新潮新書)

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    親ガチャというある意味ネットスラングとして用いられている言葉をキーワードとして様々な近代的な事象を紐解いていく、かなり易しい哲学書だと思いました。
    人には思想や価値観が人それぞれに有していて、それを否定することは許されない。
    自分の価値観が絶対に正しい、別の価値観は間違っているから否定してよいという態度を「残酷さ」という。
    もちろん間違ってる価値観はあるかもしれないがこの態度という言葉に着目すると、揺るぎない確信さえあれば何を否定しても構わないと読み取りました。
    自身の価値観も他人の価値観と同じように揺らぐものだと認識し、対話をするということが親ガチャ的厭世観を持つ彼らを救う唯一の方法ではないのでしょうか。
    対話とは私が私であるという感覚、つまり自己肯定感を意識できる方法だと紹介していたと思います。
    自己を肯定するとは何か、例えてみるとすれば「計算が苦手な自分」「身長が低い自分」「足が速い自分」など自分という存在を認識して受け入れることと私は理解しました。
    自己肯定感感というものは何か他人と比べて優れていたり、劣っていたりするものだと我々は勘違いしていましたが、それはただの優越感や劣等感であり、自己肯定感とは異なるものでした。

    私が私であるためには他者と対話をし、自己肯定感を高め、対話によってさまざまな価値観と向き合うこと。
    我々が求める生活を続ける方法だと私は思います。

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    2024年08月16日
  • 親ガチャの哲学(新潮新書)

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    親ガチャの関して様々な議論をまとめた本書には、哲学的な示唆に富む考察がふんだんに出てくるが、一般の人間にとって哲学的なことを考察するチャンスは非常に少ないと感じている.自分の責任と他者との関わりの中で生きていく人間が連帯を確立していくことで一つの解決策を見出して行けると提案している部分が気になった.p201: すでの存在している<われわれ>へと帰属させるのではなく、人々がすでに所属している<われわれ>のなかに、それまで<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>の外縁を拡張していく.

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    2024年08月08日