戸谷洋志のレビュー一覧
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詭弁も論破も、あまり印象のよい言葉ではない。詭弁を弄して相手を論破することは、本人は爽快かもしれないが、相手は納得いくものでないだろう。
その意味で、ひろゆきの論破芸は相手が理屈に合わないことを認めさせるというよりは、第三者に相手を論破したと認めさせるという要素がある、という著者の見立てには納得感がある。国会の議論もそんなものだろうし、SNSに至っては論破もへちまもなく、議論の体もなさずに主張や中傷が繰り広げられているようなことが多いようにも思う。
では、建設的な議論をするにはどうしたらよいか。著者は近代民主主義の成立過程において各自が読書体験などを自由に論じ合う公共的体験=社交に焦点を当て、 -
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論破ではなく、緩やかな対話をする姿勢を。
ひろゆき氏の論破に端を発して、彼はなぜ論破ができるのか、その問題点から、ポストトルース時代の議論へと話は発展していく。
自分として特定の主張は持たず、第三者を納得させることを意識するから論破できるというのは、納得感があった。エビデンスの捉え方について、理系的に考えようとする自分でも最近そのエビデンスがそもそも正しいか?それはエビデンスになるのかという事例に触れるにつけ、使うことの難しさを感じている。
哲学的な議論も踏まえて、最後のまとめの中でひろゆき氏と論破(を前提とした討論)ではなく、対話を目指していこうというのは、そう来たかという感じで新鮮だ -
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この本では、「なぜ未来世代に対して責任を負わなければならないのか」という問いに対して、さまざまな倫理理論からの答えが紹介されていて、倫理の多様な考え方を知ることができた。中でも印象に残ったのはロールズの契約説の考え方だった。私たちは生まれてくる時代を選べないのだから、自分がどの時代に生まれても納得できるように資源を残すべきだという、公正さを重視した考え方がとても納得できた。
福島の原発事故については、ハンス・ヨナスの責任原理の考え方が深く関わっていると感じた。津波の予見可能性があったにも関わらず、リスクを軽視して十分な対策を行わなかったことは、未来世代に取り返しのつかない被害を与える可能性があ -
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この本で追求するのは自己責任を失い責任を他者に押し付ける決定論じみた親ガチャ的厭世観を持つことに関しての正悪ではなく、より生きやすくする為の考え方。という善良的な本なので、若干綺麗事じみたところはあったし、親ガチャそのものを徹底的に掘り下げてるわけではなかったが、社会情勢、哲学、アニメ、色々交えてて面白かった!
親ガチャ的自己決定論を肯定すると努力が評価されず、逆に親ガチャを度外視して自己責任論を肯定すると親ガチャが外れて苦しんでる人は努力不足の自己責任つまり自分のせいということになってしまう。というジレンマ。
ただ実際には親ガチャは存在してる。しかしそれを肯定することにより自己責任論を度外 -
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裏表紙にこうある。
「2時間で読める教養の入口」
確かに!と思う。
知的好奇心を満たしたい為に読んでみたのだが哲学という学問を、入門として系統的に図式化できる形で提示してくれているというのが私の理解。ここを発端にさらに深掘りするための導入にとても良いテキストだと思う。実に解りにくくて難解な学問を、具体的例をもって噛み砕いて説明してくれてる。それでも、全然わからんっはありましたが。
哲学とは「当たり前」を問い直す学問。ざーっと読んで何度も頭に浮かんだのは、「それって屁理屈なのでは、、、。」なので私は普段何にも考えず、長いものには巻かれろな現代人なんだと自覚した。
哲学は深掘りすると面白い -
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メタバースについての理解はあまり進むわけではないが、メタバースが生活における比重を増した時にどんな影響が我々にあるかなどを理解できる。また、メタバースを考えることで物理世界を見直す試みでもあるだろう。
後半、メタバースと共同体からはコミュニティというものに関心ある方すべてに参考になる議論が行われている。また、デジタルによる最適化による政治の経営化の試みが進むと、全体主義化するという危険性については意識していくべきだと思う。
ティール組織という方向性と、手段としてホラクラシーやDAOもこの文脈に関連するようにも感じた。
まだまだ腑に落ちない点や反論を許すところが多くあるが、このテーマは法律 -
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本書は哲学的な側面だけでなく、社会情勢から親ガチャを取り巻く状況を細かく記載してくれており、とても読み応えありました。
人は生まれてくる時代や場所、環境を選べないからこそ、親ガチャと言う言葉は事実であり、当事者にとって人生を苦しませる事象の一つなんだと思いました。虐待など家族に苦しんでいる人程、親ガチャは深刻で、その価値観に囚われているし、そう言った人に自己責任論を説くのはあまりに暴力的なのも納得。
あらゆる人に文化的で最低限度の生活を保証する上で、社会保障やコミュニティ、連帯感をどれだけ構築できるのかも重要なのだと知れた事も良かった。
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「悪いことは楽しい」(場合が多くある)という前提を認めた上で、善悪とは何か?を考える本。
小中高生向きな内容でわかりやすかった。
「自己中はなぜ楽しいのか」「意地悪はなぜ楽しいのか」など、
お題はとても興味をそそられるものの、中身が哲学者の論の紹介で終わっている箇所もあり、もう少し深堀って考えたかった。
自己中が楽しいのは本能に従っているから。現在は皆が社会生活を安心して送れるようルールが至るところにあるが、「自己中」は一人だけそれを無視している状態。まぁそれは楽しいよなと思う。大事な人との暗黙ルールは守った方が良いが、その辺の人とかもう会わない人達の顔色気にするなら自己中に生きた方が良い -
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ネタバレ親ガチャとはアメリカンドリームの対義語である。
社会学者土井隆義「親ガチャ的な決定論的人生観に囚われているから、新しい居場所を形成できなくなっている」
ひろゆきによる無敵の人の定義は
1.社会的信用がない
2.インターネットによって大きな社会的影響を与えることができる
ことで、「厳罰化しない限り対処できない」とするが、彼らが未来永劫、本質的にこれらの条件を満たすわけではない。社会的信用を回復させることで、無敵の人の犯罪と再犯を抑止できる。
そのためにも、
1.社会保障の充実による、社会的信用がなくても生きていけるようにする 例)竹中平蔵「ベーシックインカム」
2.社会的包摂を促進し、人々に