戸谷洋志のレビュー一覧
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この本で追求するのは自己責任を失い責任を他者に押し付ける決定論じみた親ガチャ的厭世観を持つことに関しての正悪ではなく、より生きやすくする為の考え方。という善良的な本なので、若干綺麗事じみたところはあったし、親ガチャそのものを徹底的に掘り下げてるわけではなかったが、社会情勢、哲学、アニメ、色々交えてて面白かった!
親ガチャ的自己決定論を肯定すると努力が評価されず、逆に親ガチャを度外視して自己責任論を肯定すると親ガチャが外れて苦しんでる人は努力不足の自己責任つまり自分のせいということになってしまう。というジレンマ。
ただ実際には親ガチャは存在してる。しかしそれを肯定することにより自己責任論を度外 -
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裏表紙にこうある。
「2時間で読める教養の入口」
確かに!と思う。
知的好奇心を満たしたい為に読んでみたのだが哲学という学問を、入門として系統的に図式化できる形で提示してくれているというのが私の理解。ここを発端にさらに深掘りするための導入にとても良いテキストだと思う。実に解りにくくて難解な学問を、具体的例をもって噛み砕いて説明してくれてる。それでも、全然わからんっはありましたが。
哲学とは「当たり前」を問い直す学問。ざーっと読んで何度も頭に浮かんだのは、「それって屁理屈なのでは、、、。」なので私は普段何にも考えず、長いものには巻かれろな現代人なんだと自覚した。
哲学は深掘りすると面白い -
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メタバースについての理解はあまり進むわけではないが、メタバースが生活における比重を増した時にどんな影響が我々にあるかなどを理解できる。また、メタバースを考えることで物理世界を見直す試みでもあるだろう。
後半、メタバースと共同体からはコミュニティというものに関心ある方すべてに参考になる議論が行われている。また、デジタルによる最適化による政治の経営化の試みが進むと、全体主義化するという危険性については意識していくべきだと思う。
ティール組織という方向性と、手段としてホラクラシーやDAOもこの文脈に関連するようにも感じた。
まだまだ腑に落ちない点や反論を許すところが多くあるが、このテーマは法律 -
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本書は哲学的な側面だけでなく、社会情勢から親ガチャを取り巻く状況を細かく記載してくれており、とても読み応えありました。
人は生まれてくる時代や場所、環境を選べないからこそ、親ガチャと言う言葉は事実であり、当事者にとって人生を苦しませる事象の一つなんだと思いました。虐待など家族に苦しんでいる人程、親ガチャは深刻で、その価値観に囚われているし、そう言った人に自己責任論を説くのはあまりに暴力的なのも納得。
あらゆる人に文化的で最低限度の生活を保証する上で、社会保障やコミュニティ、連帯感をどれだけ構築できるのかも重要なのだと知れた事も良かった。
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ネタバレ親ガチャとはアメリカンドリームの対義語である。
社会学者土井隆義「親ガチャ的な決定論的人生観に囚われているから、新しい居場所を形成できなくなっている」
ひろゆきによる無敵の人の定義は
1.社会的信用がない
2.インターネットによって大きな社会的影響を与えることができる
ことで、「厳罰化しない限り対処できない」とするが、彼らが未来永劫、本質的にこれらの条件を満たすわけではない。社会的信用を回復させることで、無敵の人の犯罪と再犯を抑止できる。
そのためにも、
1.社会保障の充実による、社会的信用がなくても生きていけるようにする 例)竹中平蔵「ベーシックインカム」
2.社会的包摂を促進し、人々に -
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本書の要点をまとめれば「弱い主体が連帯し、他者を気遣うこと」となる。
新自由主義が蔓延し、人々の心の中までつかんでしまった現代において、そしてその集大成ともいえるトランプ復権が現実になってしまった時代にあって、強さとか責任という高所からのマジックワードを根本から見つめ直さないといけない。そのためには本書が重要な手掛かりになる。
「強い責任」が称揚される社会とは、ナチスドイツにみられるように、実はシステムに好都合で、実は無責任で無思考な、危ない社会だ。だから「弱い責任」へと目を向けるべきだ。
それは、目の前の傷つきやすい他者に対して、守る力を持つ者が引き受ける気遣い(ヨナスの思想)であり、 -
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「親ガチャ」を、与えられる環境だけに限定して語っている。
「親ガチャ」の最も、大きな影響は、主体の全てが、意思の主体が、所与のものであること。
肉体が神経が頭脳が、それらが生み出す思考が、与えられたものであり、主体が自ら選び、論理的には責任を負いうるものではないものと言えることに、充分に配慮していると思えない書き出しに違和感。
デザイナーズベイビー、の説明では、遺伝子操作においては、出生前の意思を認めるが、そうでない場合は偶然、となんの留保もなく語る。
結婚、子供を持つこと、遺伝的形質に無関心な親がいるだろうか。
決定論と責任。
やはり決定論について語り始めた。
ハイデガーの議論を用いて説 -
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SNSを、ひとつ、承認欲求の問題として考えています。
自分が何者か知りたい、自分とは、を断言できる確信を得たい、そんな側面が、SNSにはある、と。
とくに、そこで有害にもなってくる3点として、
依存、不安、疎外。
依存は、自分が満たされるために、外部の行為に依存しているということ。SNSでいいねをもらったり、注目を得たりすることは、フォロワーや他者の選択によるので、自分ではどうしようもない。けれど気にさせるのがSNS。
不安は、絶え間ない、終わりのない、欲求であること。そう、SNSを続ける限り、投稿をし続ける限り、満たされることはない。毎回、気になるし、期待を抱えて使用する。
疎外は、