戸谷洋志のレビュー一覧
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以前に著者と棋士の糸谷哲郎八段の対談本を読んだことがあり、名前を知っていたので手に取ってみた。当時は糸谷八段が目当てだったんですけどね。
親ガチャという言葉の流行から現在の社会問題を哲学的な視点を交えて紐解いていくといった内容。
親ガチャという言葉は知っていたけれど、あまり深く考えたことはなかったので新鮮だった。今まで日常から哲学を考えようといった本をいくつか読んできた。それぞれが工夫を凝らして書いてあるので身近に感じる部分もあったが、それでも想定している事象が「そんなことある?」と感じるようなものだったり「そこまで細かく考えなくともよくない?」となるような展開が多かった。やはり私にとっては哲学というとトロッコ問題だったりなんだか崇高で雲の上の話というイメージだった。本著はネットスラングや漫画(ワンピースやポケモン)から話が展開されており、それが流行する理由を社会問題や哲学の視点から考えていく。哲学を身近に感じるという意味では頭一つ抜けて良かったと思う。
自己肯定感という言葉の意味に関しても気づきがあった。最近よく聞く言葉だが、詰まるところどういった意味なのかいまいちわかっていなかった。肯定するとはAがBであると認識する(イエスと言える)という意味だと私は理解した。つまり良い部分も悪い部分もすべてを自分であると認めることが自己肯定感である。自己肯定感が本著でメインテーマのひとつである自分の人生を引き受けることに繋がるというのがよくわかった。
追記:
他の方の感想で親ガチャ的厭世観で苦しんでいる人=社会的格差で苦しんでいるという決めつけが過ぎるのではないかとあった。この等式は概ね事実なのかもしれないが、明確な根拠が本著では提示されていないことも併せて、鋭い指摘だと感じた。確かに私の中にもそういった決めつけがあった。本を読んでいるとそこに書かれていることはすべて正しいと思ってしまいがちだ。ある程度の批判的な視点の必要性を改めて感じた。 -
Posted by ブクログ
本書は、帯に「知識ゼロからはじめる哲学入門の王道」とあるように、哲学の入門編です。冒頭からしばらくはワクワクして読み進めましたが、2~4章はいくら嚙み砕いてくださっているにしても、難解でした。本書を入門として、より多くの書籍を読み進めていかないと、理解は難しいのだろうと感じました。
【はじめに】(P5-8)
・『当たり前』を問い直す学問こそ、哲学に他ならない
・人間は、『当たり前』に疑いを持つと、ついつい『本当はどうなんだろう?』と考えてしまう生き物だし、そしてそれはめちゃくちゃ楽しい
・そんな昔から、どう考えても日常生活の邪魔でしかない哲学がいまだに生き残っているのは、結局、考えることの楽しさが決して色褪せないから
・哲学は自由でなくてはならない
【第1章哲学とはどんな学問か】
・哲学が「当たり前」―つまり常識を問い直すという特徴をもっている(P15)
・常識について問い直すことで、私たちはその常識がなぜ正しいのか、なぜそのように考えられるのかを、自分の力で理解できるようになる(P17)
・哲学をするためには、一定の知識が必要。その知識を手がかりにしながら自分の力で思考する。①自分の言葉で説明し直すことができる。②自分自身で考えついた、適切な具体例で説明することができる。③どんな質問に対しても首尾一貫した回答ができる。(P22~24)
・哲学は、あらゆる学問の基礎について考える学問(P26)
・概念は一つだけで機能するものではなく、様々な概念との繋がりのなかで、はじめて意味を持つ(P27)
・学ぶべき3つの領域 存在論・認識論・価値論(P30―32)
【第2章存在とは何か】
・哲学の最も基礎的な分野が存在論。植物の根のようなもの。(P36)
・本質存在「〇○である」、事実存在「○○がある」(P37―38)
・本質の中でも、それが欠けていたとしても、ある事物がある事物であるための支障にならない性質を「偶有性」という(P41)
・プラトン:イデア(事物のあるべき姿を示す本質)、イデア界(イデアが完全な形で存在する領域)、想起説(私たちは地上の世界にいながらイデアと関係する(P45-46)
・アリストテレス:形相(その事物のあるべき姿、それが実現するべき完全な形)、質量(その事物を構成している物質)(P48)
・ジャン⁼ポール・サルトル:実存は本質に先立つ(P55-56)
・マルティン・ハイデガー:敬意性(自分自身の偶有性を受け入れること)(P59)
【第3章認識とは何か】
・知識の正しさを問う領域を、哲学では「認識論」という(P64)
・ルネ・デカルト:方法的懐疑(疑ってかかることで知識の正しさを確かめる。明晰であり判明であることが基準)(P67-68)
・デイヴィッド・ヒューム:恒常的随伴(2つの出来事が連続して起こることを眺め続ける結果として形成される因果律)(P73-74)
・イマヌエル・カント:認識能力(人間が何かを認識する能力)―①感官(感覚)、②悟性(認識の論理的な構造を成り立たせる能力)、③理性(P75-78)
・エトムント・フッサール:現象学(科学的な認識を成り立たせているのは、人間のなかに備わっているメカニズムであり、そしてそのメカニズムそのものは、科学では解明できない)(P83-85)
【第4章価値とは何か】
・哲学において価値をめぐる議論を「価値論」といい、倫理学と美学に区別される。(P90)
・「倫理学」善悪や正義といった概念に従って、どちらの方が重要かを見抜く。(P91-93)
・ジェレミー・ベンサム:「功利主義」ある行為が倫理的に正しいのは、それが世界において人々が経験する幸福を増大させるとき、あるいは苦痛を減少させるとき。双方にメリットとデメリットがある選択肢から、より正しいものを選び出すことが得意。⇔「義務論」カント(P93-101)
・「美学」美的な価値について考える領域。「自然美」と「芸術美」(P101-104)
・「自然美」(カント)普遍性がある。美に関する判断力は鍛えることができる=趣味
・「芸術美」(ヘーゲル)芸術こそが普遍的。作者が表現しようとするもの=精神=芸術の本質。美しさは精神の表現、精神は絶対的なもの。
【おわりに】(P112-117)
・哲学的な思考=風(ソクラテス)
・哲学は「当たり前」を問い直す営みであり、それはもう少し堅い言い方をすれば、概念のネットワークを解体し、相対化し、検証する営み。
・哲学者が何を言ったのかよりも、その言葉から自分が何を考えたのか、ということの方が、哲学にとってははるかに重要。
・書かれていることに対して問いを連想しながら読むことが大切。
・「当たり前」に従って生きていくことの方が、色々な意味で合理的。しかし、「当たり前」は同調圧力となって、私たちから選択肢を奪い、可能性を制限する。哲学はそうした制限から私たちを解放し、そこに哲学の最大の価値がある。 -
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親ガチャというある意味ネットスラングとして用いられている言葉をキーワードとして様々な近代的な事象を紐解いていく、かなり易しい哲学書だと思いました。
人には思想や価値観が人それぞれに有していて、それを否定することは許されない。
自分の価値観が絶対に正しい、別の価値観は間違っているから否定してよいという態度を「残酷さ」という。
もちろん間違ってる価値観はあるかもしれないがこの態度という言葉に着目すると、揺るぎない確信さえあれば何を否定しても構わないと読み取りました。
自身の価値観も他人の価値観と同じように揺らぐものだと認識し、対話をするということが親ガチャ的厭世観を持つ彼らを救う唯一の方法ではないのでしょうか。
対話とは私が私であるという感覚、つまり自己肯定感を意識できる方法だと紹介していたと思います。
自己を肯定するとは何か、例えてみるとすれば「計算が苦手な自分」「身長が低い自分」「足が速い自分」など自分という存在を認識して受け入れることと私は理解しました。
自己肯定感感というものは何か他人と比べて優れていたり、劣っていたりするものだと我々は勘違いしていましたが、それはただの優越感や劣等感であり、自己肯定感とは異なるものでした。
私が私であるためには他者と対話をし、自己肯定感を高め、対話によってさまざまな価値観と向き合うこと。
我々が求める生活を続ける方法だと私は思います。 -
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親ガチャの関して様々な議論をまとめた本書には、哲学的な示唆に富む考察がふんだんに出てくるが、一般の人間にとって哲学的なことを考察するチャンスは非常に少ないと感じている.自分の責任と他者との関わりの中で生きていく人間が連帯を確立していくことで一つの解決策を見出して行けると提案している部分が気になった.p201: すでの存在している<われわれ>へと帰属させるのではなく、人々がすでに所属している<われわれ>のなかに、それまで<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>ではなかった人々を含めていく、そうして<われわれ>の外縁を拡張していく.
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恋愛という不確かなものを
色んな角度から分解した見方を知りたくて読んだ一冊。
恋愛哲学というタイトルでこそあるけど、
親しい間柄の人間関係に対しても応用出来ることが多く書かれてて、思いもよらない所で
(うわ〜こうする人ってこういう心理なのかな?)(自分もこれやってたかもな〜)とか
思い返すきっかけになったし、結構腑に落ちる部分も多かった。
この本は7人の哲学者が提唱した恋愛論?を軸に進むんだけど、そのおかげでより多角的に立体的にイメージが膨らんだし、
答えのない題だからこそ、現象で満足して受け身になるんじゃなくて、考え続けることって大事だよなって痛感。
自分の中では結構ヒット。 -
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親ガチャ的厭世観が現代日本社会で流行したのは、苦境に陥った人々が、自らの苦しみへの対処として選び取られたからではないか、というところから考察が始まる。
一時の安らぎはあるだろう。しかしどんなに努力しても希望はない、という絶望から救われることがない。
▶︎子どもが親に「生んでくれなんて頼んでない」「生まれたくて生まれたのではない」と言う時、子どもは傷つき、自分の力ではどうにもならない苦しみを抱えている
このことに思い至らなかった。自分の力ではどうにもならない苦しみに自暴自棄になっていたのか。
私は今までも、今でも反出生主義に魅力を感じてしまう。
でもそれは、生まれてしまったからには、こう生きねばならない、こうあらねばならない、というmust思考と、現実との乖離が自分の力ではどうにもならなかったからだろうと思う。
筆者は自己責任論を否定しながらも、個人が幸福に生きるためには自分を引き受けることも必要だと説く。
「私」が「私」であることの責任を引き受けられるようになるにはどうしたらよいか、ハイデガーから展開する「自由意志を前提としない責任」を理解すること、アーレントの「現れの空間」の必要性を論じる。
私も反出生主義に魅力を感じながらも、自分を引き受けたくて、でも引き受け方が分からなかった。
すべては偶然と説いた九鬼に立ち返りたい。
対話の場がもっとあればいいのに。 -
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恋愛を考えることは人について考えることと同義。有名な哲学者らが恋愛をどう捉えていたのか、具体的でとても面白かった。
恋愛から結婚し子供を育てて幸せな家庭を育むという現代のイメージはロマンティックラブ。古代から語られた恋愛はロマンティックラブだけでなくいろんな形があったとのことで、7種類の恋愛のあり方が紹介されている。
1番印象的だったのは、ヘーゲルの「なぜ人は愛されたいのか」の章で、互いの自己意識が衝突し承認を巡る戦いが勃発した時、一方が自身のアイデンティティを失うことを恐れて敗北を認めてやっと戦いが終わるというところ。「恋人を失いたくないから負けてあげる」という感情をどちらかが持てば、主従関係つまり負けた側が尻に敷かれる形で恋愛関係が存続していく。歪だが、こういうカップルが世の中には多いし、俗に美女と野獣と言われるカップルは大体このパターンなんだろうな、と。 -
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恋愛・結婚と聞いて思い浮かぶのは、白馬の王子とお姫様の物語のように見目麗しくエレガントな異性とドキドキするような恋愛をして結婚するという、いわゆるロマンティックラブ。
しかしながら現実世界ではむしろそのような「完璧」な人はごく少数で(見目麗しき人も人格まで優れている事は多くない)、ロマティックラブが出来ない人も多い。
また恋愛初期にはロマンティックラブでうまくいってもすぐに別れるような事はいくらでもある。
と、現実基準で恋愛を考えるとロマンティックラブだけを切り口に語る事は限界がある。では他にどんな見方があるだろうか?
恋愛を欲求による熱情と捉えるのでなく、人と人との関りであると捉えなおして、過去の偉大な哲学者に聞いてみた。
というお話。
思ったより様々な視点が平易な言葉で語られ、わかりやすく面白かった。
登場した哲学者
・プラトン
決して相手を道具扱いせず、互いを大切なパートナーとして尊重する
・デカルト
恋人を第二の自己として理解する
・ヘーゲル
相互承認の帰結として愛を捉えた
・キルケゴール
愛は選択の連続である
・サルトル
愛は必ず挫折する
・ボーヴォワール
女性は客体である
・レヴィナス
理解しつくせない他者を求めることが愛である -
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ネタバレ他者から承認されようとすることは、「他者から承認されるような自分」になろうとすることで、必然的に頑張ることを強要されてしまう。
SNSで他者から承認を得ようとすると、
①私の生きやすさが他者に依存する
②絶え間ない承認を求めることで、常に不安を喚起する
③承認を求めるほど自分自身を見失う(疎外)
ことにつながる。
SNSネイティブにとって、人間関係の開始はインスタの相互フォローなどを指し、リアルとSNS上の関係性の区別はできない。
自律性は他者に頼らないでいられることで、他律性は他者に頼らないではいられないことである。一般的に自律ばかり求められるが、アイデンティティの形成には他律(他者)も必要で、かつ自立は他律の中からしか生まれない。
ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」によると、問題に直面した時、「問題が難しい」のではなく、「問題を考えるために適した言葉を使えていない」だけ。この考えによると、相手のルールや文脈が読めないSNSは、ベリーハードな言語ゲームである。
アルゴリズムは偶然性を排除し、それはすなわち「賭け」(はずれ)と選択による「責任」の排除である。