戸谷洋志のレビュー一覧
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「親ガチャ」は少なからず意識する人生でした。
市場経済における自己責任論とか自己啓発ムキムキの雰囲気とかほんと胃もたれしていて、幾度となく共同体から爪弾きにされている私である。
他責で自暴自棄な思考から解き放たれるためには、以外にも「他者」の存在が必要不可欠。他者がただ聴いてくれるという信頼の上で、自己の人生に責任を持つという態度を取ることができる。なるほど、確かに自分の殻に引きこもっている時代はその引っ込み思案で人とうまくコミュニケーションが取れない自分を、ある一面では家庭環境のせいにしていた青い時代を思い出す。
でも、「親ガチャ」的厭世観に陥っている人に「他者」を信頼しろというだけではそこから抜け出せないのでは?そこは自己責任論に陥らず、ジョン・ロールズの「無知のヴェール」を援用し一番苦境に立つであろう立場が最低限度の自尊心と生活を送れるような社会制度設計を目指さねばならない。そういった社会は他社との連帯がある社会であり、その実現には「想像力」が必要なのだという結論。
「親ガチャ」を契機として、過去の哲学的思考を用いた論理の筋道は読み応えあり。個人的には「反出生主義」という概念も基礎的な点だけではあるが理解を深めることができ、最後には多種多様な事柄を絡め幅広い思想間の関連の気付きを得ることができた。
親しみやすい話題提供(ミュウツーの辛み・・)と本格的な哲学的思考のいい塩梅で、思想系読書の初心者におすすめできる書籍です。 -
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学びのきほん 哲学のはじまりのレビューです。
哲学はビジネスの役に立つ、社会人の教養、などと嘯かずに、哲学は「日常生活の邪魔」と認める潔さが清々しいです。
哲学は当たり前を問い直す営みですが、あらゆる概念とのつながりをすべて考慮して考えようとすると難しくなります。そこで、哲学の学び方として、存在論、認識論、価値論の三つの領域に分けるのが良いとして、それぞれの基本を紹介しています。
ごく簡単に解説しているからこそ、それぞれの理論の違いのエッセンスがわかりやすくなっていると思います。
1. 存在論
・プラトン:本質はイデアとして、イデア界にある。
・アリストテレス:本質は形相として、そのものに内在している。
・サルトル:人間の実存は本質に先立つ。
・ハイデガー:人間の偶然性を受け入れる決意性により、自由になれる。
2. 認識論
・デカルト:方法的懐疑によって正しい知識が得られる。
・ヒューム:科学が前提にしている因果律は、恒常的随伴による思い込み。
・カント:因果律は人間の「悟性」によって可能になる。
・フッサール:科学的な認識を成り立たせている人間のメカニズムは、科学では解明できない。
3. 価値論
3-1. 倫理学
・ベンサム:幸福が最大化させるべきという功利主義。
・カント:全員が同じことをしても成り立つかという義務論。
3-2. 美学
・カント:自然美。自然の中にある幾何学的な普遍性が美しい。
・ヘーゲル:芸術美。芸術が表現しようとする精神の普遍性が美しい。
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『恋愛の哲学』を読んだ後、これを読む。
いろんな考えがあるけど、2冊読んで、ひとつ大事だと思ったことは、
「私」は自立した人でないといけない。
自立して、基本的には何でもかんでも人に依存しないこと。
(ただし、いつ何時でもというわけではない。状況による)
悪い依存とは、片方がもう片方の人の時間や気持ちを搾取することだと思う。
とにかく、釣り合わない関係はよくない。
愛するということについて、まだわからない。
まだ、これだという答えは出ないけれど、死ぬまでに答えが見つけられたらいいなぁと思う。
ただ、自分がこうだと思ったところで、自分以外の人が別の考えだったり、特に何も考えてなかったら、結局のところ、うまくいかない。
とりあえず、最も興味があるのは、ボーヴォワールの『第二の性』で、購入したので、読みたい。 -
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聡明で若い友達2人の対談という感じ。
たまにただの若者の馴れ合いみたいな。
後半ちゃんと哲学のパートになった時難しくて、今後少し哲学を追うのは諦めようと思った。
糸谷さんは思ってた「生粋の本能派」とは少し違って、色んな人間的葛藤を理性で理解してしまうことにより
人生や将棋の意思決定をシンプルにしてしまえてる人なのかな?と仮定。
(思ってたより楽観的で冷静で、世界を良い距離感で楽しめているような。)
だとしたら、確かにそのように「世界の”分からない”という不安に立ち向かい克服すること」が哲学の意義の一つなのだろうし、それを体現してくれてる気もする。
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Posted by ブクログ
☆☆☆2025年3月☆☆☆
『生きることは頼ること』―このタイトルに惹かれて手に取った。誰かに迷惑をかけることは悪徳であり、他人を頼るのは恥ずべき事、すべては自己責任でという風潮は根強い。その事に違和感を感じているところで出会った本書は実に参考になる部分が多かった。
本書では「強い責任」「弱い責任」「守られるべき他者に対する責任」「能動的責任」「受動的責任」「中道的責任」など、様々に責任が定義されており、それぞれに興味深いが、僕がまず重視したいのは「強い責任」=「自己責任」だ。
「自己責任」という響きからは、何となく自分でしっかり責任をもって・・・というニュアンスが感じられるが、「自己責任、自己責任」と世の中が言い始めると、他人に対して「お前の自己責任だろ」と、誰かに責任を押し付けるための言葉として動き出す。2004年のイラク日本人人質事件では、政府や社会の責任を回避するため、人質となった人を「自己責任」といって切り捨てるような風潮が現れた。このような状況は現在も続いており、精神科医の片田氏の著作より「一億総他責社会」である、と論じる。
一方で「弱い責任」論によれば、なんでも自己責任で片づける、というのは逆に無責任だと論じる。例えば親一人、子一人の家庭で心身ともに疲弊しているときに、「自己責任」だからとすべてを一人で片づけようとするのは結果として子供のためにならず、無責任だと論じる。僕はこの論に賛成だ。
「生きることは頼ること」
というタイトルは正にこの本にふさわしい。「自己責任」と困っている人、他人を切り捨てる風潮に一石を投じる内容だと思う。 -
Posted by ブクログ
自己責任と言う言葉に対する違和感がもやもやとあったのですが、もやもやの正体は自己責任と言う言葉が、『それは私の責任です』と言う文脈ではなく、『それはお前の責任だろう』と言う文脈で使われているからと言う事が分かりました。
政府が国民に自己責任を言う時には政府が国民に対する責任を放棄しているのでは?と言う考えは、自分が家族や友人や同僚に対して無責任にならないための意味でも忘れずにいたい考えです。
筆者の言う弱い責任や人々の連帯など、頭では何となく分かりますが、常にその考えでいられるかと言われると自信がありません。
赤の他人同士で連帯するべきと言われても、やっぱり損得勘定が働いてしまいますし、家族や友人や同僚と言った手の届く範囲の人が、困っていたら出来る範囲で助けてあげて、自分がしてもらって嬉しいことはしてあげて、自分が嫌な事はしない、くらいではダメでしょうか。