戸谷洋志のレビュー一覧
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うーん なんか思ってたのと違ったかも
子供向けに「概念」っていうのがあるよってわかりやすく書いただけの本だった
ところどころ出てくる「AはBだからCである」みたいな話が、結構本当にそうかな?みたいな弱さを感じてしまい 全体的に何が言いたいのかもよくわからなかった
最後のAIのくだりも「AIはすでにあるデータのアウトプットしかできない=概念思考はできない」って話だけど、実際AIと話してると嘘やバグみたいなのめちゃめちゃあるし、AIが概念で思考してると言えなくても人間からみたら概念思考(新しい概念で考える)してるって言えること絶対あると思うんだけど
人間も結局すでにあるデータから思考をしてるし、その辺の違いを語れるほどその分野に精通していなそうだなと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ表題が面白そうで読んでみた。
自己中、意地悪、復讐、自傷行為、空気を読まないこと、反逆はなぜ楽しいのか?楽しさの原因はあまり書かれていなかったように感じた。
ただ人間は、以下のような欲求があるということを再認識できた。
エゴイズム=自分の快楽を求めること
悪意=他人の苦痛を求めること
同情=他人の快楽を求めること(苦痛を減らす)
通常悪意は良いものとされないし、自分はそんな酷い考えはしないと思っていたりする。
だけど、ゲームや物語では悪役がぐぬぬとなることを求めてたりするよね?と。
悪役や犯罪者がスッと死のうが苦しんで死のうが私にはなんの影響もないのに、被害者と同じ痛みを味わって欲しいと、苦しむことを求める感情がある。他人の苦痛を求める欲求は人間に先天的にあるんだろうなと思い、これからの自分の言動をこの観点で見つめ直そうと思った。
それは自分に影響しない、他人の苦痛を求める言動になってはいないかと。
そういった意味で読んで良かったかな。
ただ私自身はリストカットをしたことはないが、自傷行為をする理由は自分を罰したいとか自分を蔑ろにして傷つけることだけが目的ではないのでは?と思った。例えばどうしようもない怒りや苦しみに苛まれているときに、気を紛らわす手段として使っていた場合、それは自分を蔑ろにしたり罰している訳ではなく、自分を救うためだったりして後ろ向きな訳ではなかったりするのかなーと。 -
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ハンナ・アーレントは知ってはいるもののその思想や主張といわれると全く知らない…という訳で購入してみました。
薄くて字が大きくて読みやすいです。
『人間の条件』というアーレントの著書を中心としてアーレントの思想を解説した本です。
アーレントは全体主義を強く批判しました。それはなぜかというと、人間を画一化し複数性を奪うからです。また、資本主義社会も人間を画一的する点や無限の勢力拡大志向において全体主義とよく似ているといいます。では、いつから複数性は失われたのか…ということを古代ギリシャまで遡って考えていきます。
現代では、労働こそがもっとも重要な活動だと考えられていますが、それは歴史的に形成されてきた思想に過ぎないのだということが分かりました。
そうした考え方が押し付けられることをアーレントは批判しています。
ただ、やっぱりこの本だけでは全然物足りないというか、もっと詳しく知りたいなと思いました。
『人間の条件』は複数の翻訳書が出版されているようですが、かなり難しそうなので、参考文献に挙げられていたアーレント関連の本の中で読みやすそうなものを読んでみたいです。 -
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「論破王」と呼ばているらしい西村ひろゆき氏や「ポスト・トゥルース(事実より感情を大切にする概念)」を象徴するトランプ大統領を念頭に、議論において「論破しようとする」態度ではなく会話を成立させる心がけを啓蒙するという本。哲学の領域なので面倒くさくなる話をなるべく分かりやすく描いている。
時代の風潮に対する危機感から本書を書いたと思われる。ひろゆき氏の手法に対する言及が多い。私自身はその手法は「眉をひそめたくなる」もので、本書で述べられる通り論破自体が目的化しており、会話とは別の種類のものとしか受け止められない。
トランプ氏の言説も同様で「支持する人は支持する」のであって、支持する人の声が大きめになるだけで、大多数の人がその思想に感化されているとは思えない。分断はあるだろうが。
自分自身は論破されない理論武装はしても、相手を論破しようと考えることは若い頃に比べてめっきり減った。良いのか良くないのかは分からない。でも、論破自体か目的化し、独善的になって結果が悪い方に行かないようにだけはしたい。 -
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詭弁も論破も、あまり印象のよい言葉ではない。詭弁を弄して相手を論破することは、本人は爽快かもしれないが、相手は納得いくものでないだろう。
その意味で、ひろゆきの論破芸は相手が理屈に合わないことを認めさせるというよりは、第三者に相手を論破したと認めさせるという要素がある、という著者の見立てには納得感がある。国会の議論もそんなものだろうし、SNSに至っては論破もへちまもなく、議論の体もなさずに主張や中傷が繰り広げられているようなことが多いようにも思う。
では、建設的な議論をするにはどうしたらよいか。著者は近代民主主義の成立過程において各自が読書体験などを自由に論じ合う公共的体験=社交に焦点を当て、社交が集団の分極化を防ぐ鍵になると指摘する。
しかし、果たしてそうだろうか。このデジタル時代に、17世紀や18世紀のイギリスやフランスの市民よろしく社交という概念を広く浸透させることなどできるのだろうか。また論破芸を得意とする面々が今さらに社交的な議論などに立ち返るものだろうか・・。
と思うものの、少なくとも、自分の周りではこのあたりは意識してみたいと思う。 -
Posted by ブクログ
論破ではなく、緩やかな対話をする姿勢を。
ひろゆき氏の論破に端を発して、彼はなぜ論破ができるのか、その問題点から、ポストトルース時代の議論へと話は発展していく。
自分として特定の主張は持たず、第三者を納得させることを意識するから論破できるというのは、納得感があった。エビデンスの捉え方について、理系的に考えようとする自分でも最近そのエビデンスがそもそも正しいか?それはエビデンスになるのかという事例に触れるにつけ、使うことの難しさを感じている。
哲学的な議論も踏まえて、最後のまとめの中でひろゆき氏と論破(を前提とした討論)ではなく、対話を目指していこうというのは、そう来たかという感じで新鮮だった。 -
Posted by ブクログ
この本では、「なぜ未来世代に対して責任を負わなければならないのか」という問いに対して、さまざまな倫理理論からの答えが紹介されていて、倫理の多様な考え方を知ることができた。中でも印象に残ったのはロールズの契約説の考え方だった。私たちは生まれてくる時代を選べないのだから、自分がどの時代に生まれても納得できるように資源を残すべきだという、公正さを重視した考え方がとても納得できた。
福島の原発事故については、ハンス・ヨナスの責任原理の考え方が深く関わっていると感じた。津波の予見可能性があったにも関わらず、リスクを軽視して十分な対策を行わなかったことは、未来世代に取り返しのつかない被害を与える可能性がある場合、明らかな責任放棄にあたると思う。目先の経済性やたぶん大丈夫という思い込みで未来を軽んじたことは、ヨナスの言う責任からの逃走だと感じた。
あとがきに書かれていた焼肉のタレのたとえも印象に残った。日常の判断のためには、基本的な知識を調味料のように持っておくことが大切で、それをどう応用するかが自分の倫理になる。たくさんの本を読むことで、自分の判断基準がだんだんできていくのだと改めて気づかされた。