あらすじ
ある問題について対話や議論をするにしても、前提や土台を共有できない、軽く受け流し冷笑・嘲笑する、傾向が強まっている。特にSNSやネット上で幅を利かせる「論破」。人はなぜ言葉を交わすのか──人間と対話の本質的な関係を哲学の視点から解き明かす。
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Posted by ブクログ
ハーバーマスをちゃんと読まねば、となる。
社交について、カント→ジンメル→ヤスパースと繋げていくのも勉強になったが、さてそれぞれを読むかとなるとハードルが高い……。
Posted by ブクログ
「論破」といえば、やはりひろゆき氏。
本書では、この人の論のスタイルにしばしば批判的に言及する。
しかし、本書は単にひろゆき氏をモンスター扱いせず、彼のような存在がなぜ社会で喝采を浴びるのかから分析する。
本書の論旨は「おわりに」にまとめられている。
こういうところは、お若い研究者らしい、読者にやさしい配慮でうれしい。
4章までの前半は、おおざっぱに言ってしまえば背景としてのポストモダニズム。
権威が失われ、あらゆる価値が流動化して、社会の共通基盤が失われる。
ポスト・トゥルースの話も出てくるが、「真実」の価値も顧みられなくなる。
人々は「集団分極化」(キャス・サンスティーンによる概念)し、自分の関わる集団で共有される情報にしか価値を見出ださなくなる。
そんな中、自分をうまくコンテンツ化する技術をもった人がもてはやされ、過激な言説が支持される状況になる…。
…という話は、割とよく聞く話。
本書は、このような状況を変えるための提言を行う。
ひとつは単純な自己言語化ではなく、ゆらぐ自己を言語化することで、新しい思考を生み出す可能性を残すこと。
それから「社交」である。
正直、びっくりした。
「社交」という言葉が、自分の生活ではまず生きた語彙として認識されることはない。
せいぜい性格を形容する際、「社交的な」を使うくらいか。
「社交界」なんて、実感をもった言葉ではない。
で、どうして「社交」か。
市民的公共性(ハーバーマスのトピック)が資本主義の発展の中で崩壊する。
議論はそうした流れの中で商業化され、ショーアップされたものとなる(ひろゆき氏はそういう場にいる)。
「社交」は、全ての人に開かれ、対話によって議論をする場を育むために、必要なのだという。
できるのかなあ、と、どうしてもペシミスティックになってしまう自分にとっては、こういう態度だけで十分価値があると感じる。
一つ、自分の中でひっかかりを覚える内容があった。
集団分極化したメディアの中での暴力的コンテンツの分析のあたり。
過激な表現の方がインプレッションを稼げるために、より好まれるというところはわかるのだが。
見ている側は暴力をふるう側に同一化する、と戸谷さんは言っていたが、そういう人は多いのだろうか?
私なぞ、どちらかというと暴力を振るわれている側に意識が行ってしまう。
痛々しくて見ていられなくなるのだが…。
Posted by ブクログ
論破王から論を起こし、最終的には現代において求められているコミュニケーション能力は社交的に対話する能力だと結論している。
クーンのパラダイム論やハーバーマスの『公共性の構造転換』などを援用しながら、わかりやすく、説得的に論を展開している。
「おわりに」に各章の結論がまとめられており、まずはそこだけを読んでも良いだろう。
章末の註に参考文献が示されているが、巻末に参考文献表と読書案内を付けて欲しかった。
個人的には、ハーバーマスの高名な著には、そんなことが書かれていたのかとたいへん勉強になった。
Posted by ブクログ
ひろゆきのような相手を詭弁によって論破するような議論は人々を啓蒙することは難しい上にある種の嘘が蔓延してしまう恐れがあると思う。したがってこれはあくまでエンターテイメントとして楽しむべきであり、議論によって本当に大事なことは相手を敵としてではなく議論を進めていく仲間としてみて、自分たちの意見や見解を深めていくことだと思う。
Posted by ブクログ
各章のテーマ立てが明確で、読みやすかった。近年とみに人との対話が難しくなっている気がする。ともすれば相手を言い負かしたり、罵倒して怒らせることで対話を不可能にする態度も多く見られる。また「人それぞれだよね」という態度にもモヤモヤしていたので、気になって手に取ってみた。
Posted by ブクログ
結論はなんだか青臭いが、この限定されたテーマの中で広く思想を拾い上げるスタイルは、気になるような新書を多く手掛けている筆者によるもの。焦点が絞られているものでもないため、次にこれを手に取りたいという架け橋には本著はそれほどならなかった。
Posted by ブクログ
現代の議論の形をテーマに、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね?」を起点にし、どのような議論が今後求められるのかを論述されていた。
過去の歴史や議論形態が引き合いにだされており、どの章も興味深く読めた。
Posted by ブクログ
後半はほとんど理解できてない。知識不足だと実感した。哲学において学術的な訓練をとおした人には簡単なのかも知れないが。終始ひろゆきの論破芸には批判的。ディベートは第三者の納得感で勝敗が決まるが、その構造自体も批判的に検討されるのが面白かった。
Posted by ブクログ
「論破王」と呼ばているらしい西村ひろゆき氏や「ポスト・トゥルース(事実より感情を大切にする概念)」を象徴するトランプ大統領を念頭に、議論において「論破しようとする」態度ではなく会話を成立させる心がけを啓蒙するという本。哲学の領域なので面倒くさくなる話をなるべく分かりやすく描いている。
時代の風潮に対する危機感から本書を書いたと思われる。ひろゆき氏の手法に対する言及が多い。私自身はその手法は「眉をひそめたくなる」もので、本書で述べられる通り論破自体が目的化しており、会話とは別の種類のものとしか受け止められない。
トランプ氏の言説も同様で「支持する人は支持する」のであって、支持する人の声が大きめになるだけで、大多数の人がその思想に感化されているとは思えない。分断はあるだろうが。
自分自身は論破されない理論武装はしても、相手を論破しようと考えることは若い頃に比べてめっきり減った。良いのか良くないのかは分からない。でも、論破自体か目的化し、独善的になって結果が悪い方に行かないようにだけはしたい。
Posted by ブクログ
詭弁も論破も、あまり印象のよい言葉ではない。詭弁を弄して相手を論破することは、本人は爽快かもしれないが、相手は納得いくものでないだろう。
その意味で、ひろゆきの論破芸は相手が理屈に合わないことを認めさせるというよりは、第三者に相手を論破したと認めさせるという要素がある、という著者の見立てには納得感がある。国会の議論もそんなものだろうし、SNSに至っては論破もへちまもなく、議論の体もなさずに主張や中傷が繰り広げられているようなことが多いようにも思う。
では、建設的な議論をするにはどうしたらよいか。著者は近代民主主義の成立過程において各自が読書体験などを自由に論じ合う公共的体験=社交に焦点を当て、社交が集団の分極化を防ぐ鍵になると指摘する。
しかし、果たしてそうだろうか。このデジタル時代に、17世紀や18世紀のイギリスやフランスの市民よろしく社交という概念を広く浸透させることなどできるのだろうか。また論破芸を得意とする面々が今さらに社交的な議論などに立ち返るものだろうか・・。
と思うものの、少なくとも、自分の周りではこのあたりは意識してみたいと思う。
Posted by ブクログ
論破ではなく、緩やかな対話をする姿勢を。
ひろゆき氏の論破に端を発して、彼はなぜ論破ができるのか、その問題点から、ポストトルース時代の議論へと話は発展していく。
自分として特定の主張は持たず、第三者を納得させることを意識するから論破できるというのは、納得感があった。エビデンスの捉え方について、理系的に考えようとする自分でも最近そのエビデンスがそもそも正しいか?それはエビデンスになるのかという事例に触れるにつけ、使うことの難しさを感じている。
哲学的な議論も踏まえて、最後のまとめの中でひろゆき氏と論破(を前提とした討論)ではなく、対話を目指していこうというのは、そう来たかという感じで新鮮だった。