戸谷洋志のレビュー一覧
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友情は多様な形があるという前提のもと、7人の哲学者がそれぞれ思う「友情」について説明がされている。その中で共感できるものとできないものがあった。共感できたものを書いておく。
⭐︎カント
カントは、友情は、引力としての愛と斥力としての尊敬が均衡することによって成立すると考える。愛とは、「他者の目的を自分の目的とする感情、一つになろうとする感情」で、尊敬とは「他者が思い通りにならないということを認識し、自分の目的のために利用せず、自律性を尊重すること」。この均衡を保つことに関しては、友情だけでなく、家族や恋人との関係においても重要だと思う。
友情には、秘密を打ち明けられることが1つの条件として考えられるというのもしっくりきた。人はそもそも自分の抱える秘密を聞いてもらいたい欲望があり、それを果たすには、容易に他人に秘密を漏らさないと分かっている、バラしてしまいたい欲を律することができる人(=尊敬の関係がある)であることが大事。
自律的である人しか、友情を構築することができないという厳しい主張でもある。
実際、秘密を守ってくれる友人が何人もいるので、私は居心地よく自分の考えや経験を話して共有できる。それに私もこれは言ってほしくなさそうだということは、他の人に言わない。
⭐︎ボーヴォワール
女性同士の友情に関し、男性といかに違うかが論じられていた。
女性は、社会的に女らしさを求められていて、その道徳規範を強く意識している。その道徳規範を確かめるために、考え出すために、他の女性を批判したり論評するようなことが起こってしまいがちである。
→だから、女性同士の方が友情がドロドロしがちなのか(規範と評価が過剰に介入する関係になりやすい)。女らしさを求めるこの社会がそうさせている。
男性中心社会にどのように対処するかや、打ち明け話をしあうことで女性同士は結束し、男の価値に優る価値を備えた世界を作り出そうとする。
一方男性は男らしさという一つの規範にまとめられることなく、それぞれが違った理念や夢を掲げているので、それぞれの生き様を語り合うことができるという。その資格が最初から与えられている。
⭐︎マッキンタイヤ
友人との対話が重要だと説いている。対話をたくさんして助言を求めることが大切。
対話を通して人生が少し整っていく感じ!!
もう会わないような人も友人だと定義できると考えるニーチェも印象的だった。「星の友情」と表現しているのが美しい。私と友達が、太陽系の惑星だと考えると、決して会うことはできなくても太陽系という大きな秩序のなかに属しているといい関係性は残る。惑星同士は並走するような時期も、離れるような時期もある。
そのある種の繋がりも、また友情の一つ。
私も海外に住んでいる友達で、きっともう会わないだろう人はいるけれど、その人たちが地球のどこかで生きているということが、力になる!
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読みやすい、それぞれの哲学者から引用して友情の形を推定、定義していく
一番しっくりきたのは、ニーチェとマッキンタイアで、
ニーチェは、人間は友人を理解しきれずむしろ理解していると誤解することは友人の未知な部分を既知なものに置き換えてしまう失礼なこと、理想なのはそれぞれが苦悩に打ち克てるようになる関係にあること(支え合うイメージでもいいしライバルでもいい)
マッキンタイアは、自律性を大事にする他哲学者と異なり、障碍者を例に、人は少なからず依存しあっており、依存でも善を開花させるような依存は問題ないと。
筆者の言うとおり色んな形があるため厳密な定義は必要ないと思うが、理想的な人間関係を言語化して列挙してもらうのは気持ちいいし面白かった -
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今まで、わたしの嫌いな言葉ランキング1位は「親ガチャ」だった。それは、「生まれる環境によって不利益を被ることはたくさんある、だが、それでもなお自分の人生を投げ捨てずに戦い抜くことにこそ意味がある」という私の価値観を揺るがす言葉だと思っていたからだ。
そのように思うのは、親ガチャという言葉が流布する前に、わたしも同じようなことを考えていたからだ。
過去の自分が抱き、自分の人生から逃げる言い訳にしていた概念に、「ガチャ」という比喩ではっきりとした輪郭が与えられた。
この言葉を初めて聞いたときは、絶対にこれを拒絶しなくてはいけない、これについて語る人がいたら耳を閉じなくてはいけない、と本気で思っていた。
もし、この概念がわたしの中に入り込んできたら、今の自分がガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまうから。
そういった点については、著者の戸谷洋志も「親ガチャ的厭世観の本質」とは、「『自分がこの人生を歩んでいるのは、自分のせいではないんだ』という、自分自身からの逃避」であると指摘している。
しかし、だからこそ戸谷は、「親ガチャ的厭世観を引き起こす苦しみと、親ガチャ的厭世観が引き起こす苦しみは、区別されるべき」どと強調している。
わたしにとって、こういった視点を得られただけでもこの本を読んだ価値があったと思えた一節だった。 -
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哲学・倫理学が専門である戸谷洋志さんの著書。戸谷さんは、2015年に第31回暁鳥敏賞を受賞されています。
本著を通じて、「人を頼る」という行為についての疑問を解きほぐすことができました。社会福祉にも親和性がある一冊です。
本著は人を頼るということについて、「責任」という観点から分析しています。
「SOSを出していいんだけど、でも出せない」。多くの人は、困っていることを言えないことに困っていると思います。
なぜ、SOSを出せないか。それは、他者を頼りづらくする自己責任の風土があるからとあり、
目から鱗だったのは、戸谷さんは自己責任論における責任を『強い責任』と定義し
「強い責任は、むしろ責任を引き受けた人を壊してしまうことになりかねない」
と述べていることです。
責任感が社会を保っていると思い(込まされていた)続けていたので、この考え方には興味をそそられます。
責任の在り方を工夫することで、社会福祉においては当事者、そして関わりに悩んでいた支援者も救われる社会が作れるのではないかと、重要な視点を知ることができました。
福祉業界では、どこか「本人を育てるために、あえて手を差し伸べない」ということが、環境や状況、本人のことを考慮せずあらゆる場面で正しいとしているような思考不足があるように感じています。「SOSを出す力をつけてほしい」という支援者の突き放した関りや、社会性を強制する関りによって、たとえば本人の病状を悪化させる要因になってしまうことは、あってはならないことです。
ただ、こうした支援手法がいかなる場合でも有害無益とは限らず、一部でうまくいってしまうことが、支援者が自身の行いを失敗と捉えることができない要因になっていると思います。当事者に寄り添えない人でも、対人支援はできるんです。一部の成功事例の陰に、こうした支援手法に被害を受けている人がいることは問題です。さながら『支援という名の暴力』です(精神科医-斎藤環さんの言葉)。
共生社会を推進することが日本社会の一つの方向性ですが、現場で推進を図る主体が、例えば「人を頼る」ということについて、深く検討することができていないかもしれません。
社会を良くするための根本的な課題を見出し、思索したいという気持ちの芽生えを満たすことができ、社会が目指すべき確かな将来の材料となる書物は、価値があると感じます。
おすすめです。 -
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責任を親や出生の偶然生に委ねる考えを否定的に考えているが、私は偶然のせいにするという考えも必要なのではないかと考える。もちろん全てを他人や偶然のせいにしてしまえば責任が成り立たなくなってしまう。しかし自分の力では変えられないものはどんな人生を生きていても必ずあるので、そういう時に偶然のせいにしてしまえば気が楽になると思う。全てを自分のものとして引き受ける訳ではなく、一部では偶然のせいにしてしまうのもありじゃないかなと思った。もちろん最終的には全て自分の人生を自分で引き受けることが求められるのでバランスが重要だと思う。
また、責任の話で決定論について触れられており、その考え方に興味をそそられた。全ての物事はあらかじめ決定されており、人間の自由な意思というものは存在しない。今この瞬間の私の行動も宇宙が誕生した瞬間から決められていた出来事であると考えたら不思議な気持ちになった。本当に自分に自由な意思など存在していないのだろうか。決定論についてもっと詳しく知りたい思った。 -
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とても面白かった。
序盤では、親ガチャという言葉の本質的な問題と著者の提案。(本書の一貫したテーマである”自分の人生を引き受ける”の提示)
中盤では、関連する幾つかの引用で、問題を多角的に捉えられるようになっている。
終盤では、親ガチャの問題(出生の偶然性)を否定せずに、肯定的に捉えることで結論を導く。
一冊を通して論理の組み立てが丁寧で、最後に導かれる結論が鮮やかだし納得感がある。親ガチャというと、家庭環境に問題があった人がターゲットかと思うが、出生の偶然性という点で見れば、人間が誰しも関係があることだし、本書の主張も普遍的なものだと思う。 -
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ネタバレ■概要
「責任」という言葉に厚みを持たせる本。
■問いかけ
通勤途中、駅のホームで泣いている子ども。あなたはどうする?
①その子の親を自分が探す(自己責任で責任を果たす。見つからない場合は②へ)
②放っておく(自己責任で責任を果たさない。ちょっと後味わるいなら③へ)
③駅員を探す(弱い責任を果たす。これができると嬉しいと思う方は、本書を手に取ってくれ)
■感想
2025/02/09現在時点、「ケガしたのはそいつの自己責任でしょ」「家族を養うのはハードモードだから結婚しない」「責任を持って育てられないなら子どもなんか生むな」という言葉を、Youtubeのコメント欄やXのポストで私はよく見かける。
こういった責任を「強い責任」と呼び、「強い責任」は排他性を含む危険性を持つと紹介される。自分が責任を果たせそうにないなら一切関わらないという選択を取りがちだと思った。
本書では「弱い責任」という概念を導入し、責任を果たすことと人を頼ることが矛盾しない考え方を提案する。 -
Posted by ブクログ
ネタバレずっと責任ということばが嫌いだった。連帯責任も嫌い。その理由がわかった。誰が責任を取るかというイメージしかなかったからだと思う。まず考えるべきは、誰に対して責任を取らなければいけないのかということ。大学生の頃から自己責任論に興味があって、それに関する本を少しずつ読んできたけど、なんだか初めて救われた気がした。この視点が大事だと思うし、こう考えられる大人でありたい。
依存労働というワード、初めて知った。自分の母に対して思っていたことだった。家庭に入っている人は、一度は思ったことがあるんじゃないかと思う。子どもと親の愛着関係に関しても興味があるけど、依存労働はこのあたりとも関わっていそうだと思った。キテイの理論にちまちま触れてみたい。
とにかく気になったのは、理論的には理解できるのだけど、じゃあ実際今ってどうなんだろうということ。日本の社会保障ってどうなってるんだろう。ネットでは、さまざまな立場から政府への不満が叫ばれていて、じゃあダメなのか…と短絡的に捉えていたけど、まずは事実を知ることが先かもしれない。今後調べてみる。
筆者のいうような助け合える世界にしたい。でも同時に、それってファンタジーなんじゃないかと思ってしまった。みんなが理想とするけど、実際にはありえない世界。そんなことない、実現できると信じたい。今日感じた絶望は忘れずに、でも諦めないで自分ができることを一つずつしていく。