霊媒探偵として警視庁と連携して捜査にあたる権限を持つ城塚翡翠の活躍を描く連作中編ミステリー。
『城塚翡翠』シリーズ3作目だが、翡翠の連作倒叙集『invert』シリーズとしては2作目となる。
なお物語は主に、翡翠と対峙することになる犯人側の視点で描かれる。
◇
夏木蒼汰は呆
...続きを読む然としていた。
目の前には悠斗の母親らしい女性が倒れている。彼女の腹部のあたりには血溜まりができていて、もう息絶えているのがわかる状態だ。そして、自分の手は血まみれの包丁を握りしめていた。
外は嵐のような豪雨で、まさに風雲急を告げるかのようだ。
蒼汰は15歳にして人生に絶望してしまった。学校ではいじめの対象にされ、家では母親から虐待される日々。
どこにも安らぎの場所を見出だせない蒼汰は、ある決心をして家出を決行。悠斗という友だちの親が所有する別荘に忍び込んだのである。
蒼汰の計画を実行する場所を探すには山奥にあるこの別荘は最適だ。別荘への行き方や合鍵の置き場所は悠斗から聞いて知っている。そして何より、今の時期は別荘を使う予定がないことも聞いていた。
だから無事に忍び込めたあとは安心したのか、蒼汰は2階のゲストルームで少し眠ってしまっていたらしい。
目覚めたのは階下の物音に気づいたからだった。蒼汰は慌てて隠れようとして派手に転倒。その音を聞いて駆けつけた悠斗の母親と揉み合いになったところまでは覚えている。
そして我に返った蒼汰の前には、その悠斗の母親の死体が横たわっていた。
とにかく、どうするかは手についた血を洗ってから考えようと蒼汰が階下に降りたとき、玄関のインターフォンが鳴った。続いてモニターから窮状を訴える若い女性の声が、甘くて可愛らしい響きをもって聞こえてきたのだった。
(第1話「生者の言伝」) 全2話。
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倒叙形式ですが、謎が最後まで明かされない作りになっていて、なかなか読み応えがありました。収録2話の概要を紹介しておきます。
第1話「生者の言伝」
舞台は山中の別荘。人生に絶望した15歳の少年がひとり向き合うのは女性の刺殺死体。外では日が落ち吹き荒れる嵐。
と、なかなかハードなサスペンスミステリーの雰囲気たっぷりの出だしです。
しかも、主人公の蒼汰の置かれた状況は同情に耐えないほど悲惨です。
学校でも家庭でも虐げられ、一大決心をして逃げ出せば友だちの母親を死なせてしまったという悔恨に苛まれる。
うわー、これはつらい話になりそうだなあと覚悟しましたが、翡翠の登場で風向きが変わってきます。
いつものブリブリ全開で純情な少年を惑わし籠絡する翡翠。そのやりとりはコメディそのもので笑えます。
キレイなお姉さんに翻弄されながら真っ赤になって照れ、鼻の下を伸ばしてデレと忙しい蒼汰。そしてウブな少年をもて遊びつつ蒼汰のプロファイリングをする翡翠。
最終的には、蒼汰が懸命になって隠そうとしていた事件ばかりか彼の計画まで見抜いた翡翠が、驚きの真相を解明します。
胸がすっきりの第1話でした。
第2話「覗き窓ファインダーの死角」
ある日の午後。カフェでティータイムを楽しんでいた翡翠は、1人の女性に声をかけられます。その女性の名は江刺詢子。プロのフォトグラファーです。
詢子は翡翠の自然な佇まいから放たれる美しさに惹かれ、さらに翡翠が読んでいたミステリーのファンでもあったことで、つい話しかけてしまったのでした。
意気投合した2人は名前や職業、連絡先等の情報を交換するまでになります。
翡翠にとって仕事絡みでない、生まれて初めての友人でした。
ところが、詢子はかねて練っていた殺人計画に翡翠を利用しようとします。具体的には翡翠にアリバイの証人になってもらおうとするのですが……。
本作は翡翠ファンにとって、かなり読む価値があると思います。
理由の1つ目は、翡翠の素顔がかなり明かされるということです。
超然とした感じがする翡翠ですが、同性に嫌われることや、そのため友だちができないことを気に病んでいることがわかります。詢子を信頼し心のうちを見せてしまう場面は、これまでの翡翠像とは明らかに異なります。
そして初めてできた友だちを追い詰めねばならないことに動揺し、葛藤する翡翠の様子は痛々しいほどでした。
他には、真に対する甘えや依存心は素から出たものであり、ともすれば無防備に思えるようなところも素の翡翠であって、微笑ましく感じました。
理由の2つ目は、翡翠の生い立ちの一端が明かされるということです。
幼い頃に両親を亡くしていること。
その後、弟とともにロンドンで育ったこと。
弟はロンドンで亡くなり天涯孤独になったこと。
さらにこれらプライベートの事情は真でさえ知らないこと。
きっと続編以降で、翡翠と警察官僚との関係や、翡翠が殺人に対して見せる厳しい拒絶姿勢、さらに真との出会いのいきさつなども、徐々に明らかになっていくのでしょうね。(早く読みたいです。)
翡翠の背景が見え始めたことで、1人の人間としての存在感を感じるようになってきました。その意味では、謎解き以上に楽しめる作品だったと思います。