「自分が物語の主人公だったら」
対象者が物語の主人公になるようにするフラッガーシステム。
1か月間、フラッガーシステムのデバッガーとしてフラグを管理していくことになった東條君の物語。
コメディ調で明るいテイストの中、フラッガーシステムは無慈悲に機械的に世界をどんどん改変して物語を紡いでいく。
前半のコメディパートで起こった荒唐無稽な出来事たち。
一見何のつながりもないそれらが後半にすべて結末に向けたフラグとなる。
その物語の外側であるはずの「終わりに」すらフラグの一つとなり結末に向かっていく。
後半にかけての勢いが強く、「次はあの時の出来事が回収されるのでは」「あれはどう回収されるのか」「確かにこんなこともあった」と思い返して読んでいく展開はジェットコースターのようだった。
コメディな展開はライトノベルや深夜アニメのようで、フラグにより攻略ルートを考えていくさまはギャルゲーのようだった。
だが、この物語の中の人物たちは本来深夜アニメの人物ではない。
深夜アニメの登場人物にされた人物たちには、それぞれに本来の生き方があったはずである。
コメディな展開とは対照的に本来とは異なるがゆえに生まれる歪みが見えたり、この1か月が終わったら彼らはどうなるのかといった疑問が浮かんだりと一筋縄ではいかない物語。
自分はライトノベルにもアニメにもゲームにも親しみがあるので、東條君のフラグ管理によりフラッガーシステムが引き寄せてしまう展開を予想しながら読んでいくのが楽しかった。
フラッガーシステムにより本来とは違う生き方をすることになった人物たちが、本来の生き方に戻ったときに少しでも良い方向に向かっていますように。
読んでいて思い出したことのひとつに、いわゆる5億円ボタンの亜種のひとつがある。
「目の前にあるボタンを押したら世界中の人に良いことが起こるとしたら、押すか」
デメリットはない。ただ、自分にそのボタンを押す権利があるというだけ。
押して悪いことがないのに自分はただ単純に押せばよいとは思えなかった。
自分はその時どうするかといったら、「ボタンを押したうえで自分はこの世から退場する」と思った記憶がある。
ほんとうにみんなのためになるなら押したほうが良い。
けれど、全世界に自分が何かしら道理に反する影響を与えてしまうと思うと果てしなく怖い。責任が持てない。
自分の手の届かないくらいの強さで世界が変わってしまって、その責任が自分にあるなんて耐えられない。
一体誰の視点から見る「良いこと」なのかもわからないのに。
フラッガーシステムの目指す結末(勝利、幸福、感動)も誰にとってのものなのかが分からない。
今回の物語の結末が幸福であったとして、例えば主人公が誰かの不幸を喜ぶタイプなら幸福な物語になるのか?
好きな食べ物を好きなだけ得ることができる物語になって設定された期間は幸福で終わったとして、物語の後にそれが原因で病気になっても物語の外側は知らんぷりではないのか?
実際には現実に存在しないような強い力のことを考えるとどうしても怖い。
フラッガーシステムはこの物語の後も改良され開発が続くようだが、絶対にもっと大きな過ちを引き起こすからやめたほうが良い。
このフラッガーシステムに、深夜アニメファンの大きな夢が詰まっているのだろうが…。
現実はフィクションではないから、自分は物語の主人公ではない。
東條君のように言葉にするだけで現実を変えていく力はない。
何もしなければ何にも起こらないまま。
けれど、目的に向けて言葉にして行動にしていけば現実だって少しは何かが引き起こせるはずである。
フラグ管理していくみたいに、凡庸な自分の物語を少しずつ作っていきたい。