19世紀末から20世紀初頭の英国作家アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)によるシャーロック・ホームズ・シリーズの最初の短篇集。19世紀ヴィクトリア朝末期――それはちょうどシャーロック・ホームズの世界観に対する一般的なイメージと合致している時期であるが――の1891-1892年に大衆雑誌「ストランド」に発表されたもの。
ホームズ物と云えば、小学生の頃に読んだ児童向けの翻訳以外にはアニメ「名探偵ホームズ」やジェレミー・ブレットのドラマをテレビで観てきたくらいで、原作を読んだのは今回が初めて。古典的な作品ということもあり、トリックもどこかで聞いたことのあるようなものが殆どだが、あまりに有名なシャーロック・ホームズの世界を手軽に楽しむことができてよかった。最も印象に残ったのは「赤毛組合」で、一般の推理物とはどこか趣の異なる不気味さというか奇妙なおかしみがあるように思う。「オレンジの種五つ」「青いガーネット」も面白かった。
"名探偵"としてのシャーロック・ホームズの性格造形は、ポーが半世紀前の1841年に「モルグ街の殺人」の冒頭で描出したデュパンのそれと概ね一致している。「・・・、分析的知性はその持ち主にとって、つねに、このうえなく溌剌とした楽しみの源泉である・・・。・・・、分析家は錯綜した物事を解明する知的活動を喜ぶのである。彼は、自分の才能を発揮することができるものなら、どんなつまらないことにでも快楽を見出す。彼は謎を好み、判じ物を好み、秘密文字を好む。そしてそれらの解明において、凡庸な人間の眼には超自然的とさえ映ずるような鋭利さを示す。実際、彼の結論は、方法それ自体によってもたらされるのだけれども、直観としか思えないような雰囲気を漂わせているのだ」。"名探偵"を推理に駆り立てる動機は、純粋に知的遊戯に付随する快楽それ自体のためであり、正義のためだとか名誉のためだとか経済的利益のためだとか恋愛の成就のためだとかまして信仰のためだとか、そうした"外部"に根拠を求められるものではない。これはとても近代的な人間像であると云えないか。大衆向けの物語としてこうした知的遊戯に興じる人物が登場するということは、それだけ教育やメディアの普及・発達により社会全体の知的水準が向上したということの徴だろうか。自己の知的快楽に没入する志向は現代的な「おたく」にも通じるように思う。
「・・・、人間は頭脳という屋根裏部屋に使いそうな道具だけをそろえていき、あとは書斎の物置にでも放り込んでおけばいいのさ。必要になったら、物置に取りにいけばいいんだから」(「オレンジの種五つ」)
「ぼくの人生というのは、平凡な生活から逃れようとする果てしない努力の連続だ。こうしたささやかな事件があるので、いくらか助かるがね」(「赤毛組合」)
更に興味深いのは、シャーロック・ホームズ作品が随伴的に生み出したシャーロキアンと呼ばれる愛好家集団の感性である。コナン・ドイルの原作を"聖典"として、外部世界から独立した自律的な虚構世界についての果てしない"お喋り"に興ずることに知的快楽を覚える彼らの美的感性もまた、現代的な「おたく」の先駆であると云える。シャーロキアンと20世紀末以降のアニメやゲームその他の「おたく」との間の、感性や行動様式に於ける共通点/相違点を調べてみるのも、こうした現代的な感性の系譜を考えるうえで面白いのではないだろうか。シャーロック・ホームズ以上に、シャーロキアンという存在に興味が湧くことになってしまった。なお、最初のシャーロキアン団体は1934年にニューヨークで誕生しているという。