カート・ヴォネガットのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ヴォネガットの作品中でもこれが一番好きっていう人は、多いのか少ないのか。どうなんだろう。
わたしが思うのは、ヴォネガットの愛情深くセンチメンタルな一面がもっとも強く(あるいはもっともストレートに)出ている作品なんじゃないかなということです。
ストレートって言っても、まあ本当の意味でストレートじゃ当然ないのですが、自分の心には直球で届いた言葉がいくつもあった。
読んでいて、線を引きたい!って思う気持ちに何度かなった。これまでほとんどそういうことはなかったのだけど・・・
手元に本がないので、はっきりと引用できないけど、
勉強にしろスポーツにしろ、才能を周囲から認められている地方在住の少年少女は故郷から出るな、そうしている限り幸せでいられる
…というような趣旨の一文があって、なんかもう深くうなずいたものです。
才能ということについて、あれこれ考えていた時期だったので。
買わなきゃいけない、何度も読み返さなきゃいけない本です。 -
Posted by ブクログ
1991年に出版され、93年に邦訳・上製判として出版された幻の一冊がこのたび初の文庫化となった。カバーは原著の写真を和田誠氏の手でイラスト化されたもので、とても軽やかで好感度がアップしていると思う。また、上製版では割愛されていた「付録の扉のイラスト」が収録されているなど、細かな点でチューンナップが図られていて楽しい。
肝心の本編はヴォネガット節全開で、ところどころにジョークや軽口も見られ、とても読みやすい。本文中では、15,16章あたりが特に力が入っていると感じた。しかし、全体の内容が重いので、読みはじめればページを繰る手は軽快でも、一度本を閉じると次に開くのに少々のためらいを感じる。
たとえば、筆者が自殺を図ったくだりや、ナイジェリア訪問記がどうにもつらい。自殺云々のくだりは、その直前まで結構楽しい話題になって、重苦しい話題からやっと開放されたとほっとしていた読者は急転直下の展開にうろたえることになる。これには結構堪えた。また、ナイジェリア訪問については、彼の著書「スローターハウス5」でビリーが無感覚になる描写があるが、それを体現している、とでもいおうか。淡々としている故に恐ろしさが際立っている。リアルだ。
全体を通していえることは、アメリカ国民に向けて書かれたメッセージを外国人(日本人のわたし)が受け取ることの居心地の悪さのようなものがぬぐえない、の一点に尽きる。そこを意識した上で読む必要がある。まず価値観が違う。習慣も違う。そもそもヴォネガットのエッセイは全部そうなんだけど、いつものヴォネガット節ゆえに油断しないほうがいいかも、と思った。
とはいうものの、ドイツ系アメリカ人の老作家が16年前に発したこの警告は、21世紀の今なお有効である。耳障りが悪くとも、気持ちが重くなろうとも、そしてアメリカ人でなくとも、読まなければならない本であることには変わりがない。 -
Posted by ブクログ
ヴォネガット 1990年の作品。
90年代に入ったヴォネガットは、もうおとぎ話を書けないほど、
母国に対する怒りと悲しみが深くなってしまったようだ。
これまでのヴォネガットには、どんな内容のものであれファンタジーがあった。
偶然の産物があった。涙を誘うペーソスあふれる愛の対象があった。
ところが、「ホーカス・ポーカス」にはそれがあまりない。
登場人物はすべて架空だし、設定も奇想天外なのに、シリアスで、絵空事になっていない。
どちらかといえば、その翌年書かれたエッセイ「死よりも悪い運命」や「国のない男」のテイストに近い。
ヴォネガットのエッセイを読むと思い出すのがマイケル・ムーアの映画だ。
確かに面白いし、皮肉が利いている。痛快で、どこか悲しい。
けれど、ムーアにしてもヴォネガットにしても、これらの作品は自国民のために発表しているのだ。
アメリカ人による、アメリカ人のための、アメリカ人のエッセイであり、映画である。
日本人であるわたしは、そこに少々居心地の悪さを感じる。
これを壮大なたとえ話として、自分の置かれた境遇……日本の問題に置き換え、
それらを眺めることはできる。けれども、やっぱりどこか違う気がする。
「ホーカス・ポーカス」が、ヴォネガットのエッセイに近いと思ったのは、
ストレートすぎるほと、差別に対して訴えてくるからだ。
これまでも彼が作品を通じて訴えたかったことが、フィクションというオブラートに包んでいては、
もう自国民に伝わらないと思ったからかもしれない。
彼が次回作の「タイムクエイク」を最後に、物語を綴るのをやめてしまったのもうなづける気がする。
ただし。この作品では、ラスト20ページくらいにヴォネガットらしいしみじみした味わいがようやくやってくる。
具体的には、ヒロシ・マツモトの描写をもっと早い段階で掘り下げてほしかった。
また、息子との対面が、この物語の中では一番よかった。 -
Posted by ブクログ
2000年に上製本として発売されていた、ヴォネガットの短編集がこのほどようやく文庫化された。
書かれたのは1950〜60年代で、半世紀も前のもの。
ヴォネガットが短編を生活の糧として量産していた時期があり、
その大半はスリック雑誌に掲載された。
かつて、短編集「モンキー・ハウスへようこそ」が編まれたが、
そこから漏れてしまった23篇がここに収録され、短編の大方が網羅されたことになる。めでたい。
ここに収録されているのは短編で、しかもアーリー・ヴォネガットと言うべき作品群。
彼一流の文明批判や、どうしようもない人への「諦めと愛情いっぱいのまなざし」はすでに健在、
さすがというべき。ただ、長編に見られるようなあの独特の味わいはほとんどないので注意が必要。
短編としての出来は決して悪くないが、やはりヴォネガットは
長編でユニークな存在になったと思う。圧倒的に。 -
Posted by ブクログ
1980年代当時のヴォネガットが、いかに人類に
絶望していたかがわかります。
どうしたってなくならない大量殺戮兵器。
どうしたってなくならない戦争。
どうしたってなくならない貧困や格差。
それらすべては巨大脳のせいだ、これは自然淘汰なんだ。
そう結論付けて笑い飛ばすしかない。
だってそれ以外に思いつく理由がどう考えたって見つからないもの。
広島や長崎も、ベトナムも、すべては百万年後の
新人類への進化のための布石だったのだと思うしかない。
そうにちがいない。(ヒロシマは「にこ毛」のための布石なのだ!)
……痛烈です。
しかし、ユーモアもたっぷりあります。そこがいいところ。
ヴォネガットの読者であれば、この百万年の年月を俯瞰して
語った人物が誰なのかは、おそらく読んでいるうちに
察しがついたことでしょう。私自身も察しがつきました。
ラストで、スウェーデン人医師に尋ねられたことで
号泣してしまうくだりにほろっときてしまいました。
本編にはあまり関係ないけれど。
それから、これまた本編には関係がないけれど、
キルゴア・トラウトはいつ死んだことになっているのだろう?
その他いろいろ。
わたしが読んだのは、ハードカバー版ですが、
95年に文庫化された際に、訳文に手を入れているそうです。
「カンガルーに出会ったころ」の『ガラパゴスの箱舟』に
その旨が書いてありました。
もしかしたらちょっと雰囲気が違うのかなぁ。
どうちがうのだろうか。
やっぱ文庫版も読まなきゃいけないかしら。
現在、正規で入手可能な数少ないヴォネガットの著書のひとつです。
読んだあとに、じわりじわりときます。
これこそ、まさにヴォネガットだなぁ…と再認識しました。
人類必読の一冊なのではないかと、あれから20年がたった今、
改めて思います。 -
Posted by ブクログ
「こうした偶然の一致をいちいち真剣にとっていたら、
だれでも気が狂ってしまう。この宇宙には、
自分にかいもく理解のできないことがわんさと進行中らしい、
と疑いを抱くようになる」(本文より)
1987年のヴォネガットの長編です。
戦争体験をベースに、しっちゃかめっちゃかになった
人生の回顧録である点においては、いつものヴォネガット。
「青ひげ」にはラストにオチが用意されているので、
いつもよりもちょっとわかりやすいヴォネガットかなと思います。
わたしがヴォネガットを好きな理由は、
奇跡的な出来事が、それが幸運であれ、その真逆であれ
いつ起きても、「ひとつの事実」として受け止める姿勢が
貫かれているからです。
登場人物がどんなに自分勝手でも自己中心的でも、
どんなにはた迷惑な存在でも、「存在」として尊重しているところかな。 -
Posted by ブクログ
本を読むのなら、とりわけ「小説」を読むのなら、あなたは自分自身がひっくり返っても書けないと思える本を読むべきだ。結末の予想や著者の思想・背景を探るような余裕さえ無い程、自分を振り回してくれるような本を読むべきだ。
そういった本を見つけるために本屋に行くべきだ。その際は出版社別ではなく、著者別にあらゆる出版社の文庫が雑然と並ぶ本屋を選ぶのが好ましい。あ行からわ行までくまなく検分するうちに、きっと心に引っかかったまま忘れかけていた作家の名前が見つかるからそれを手に取ってみるのが良い。そんな名前が見つからないなら、題名の良い本を引っ張り出して背表紙のあらすじを読むと良い。そんな題名が見つからないなら、装丁の優れたものを探して読むと良い(ただしこれははずれも多い)。
そこまでしても読みたい本が一冊も見つからなかったなら、ヴォネガットを読みなさい。