カート・ヴォネガットのレビュー一覧

  • ヴォネガット、大いに語る

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    ファンは絶対に読むべき1冊。
    作品に共通する彼の考えや向き合い方がより理解出来た。ただユーモアだけを語るのではなく、そのユーモアはどういう思考の中で形成されているのかが垣間見えた。

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    2026年08月17日
  • はい、チーズ

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    カート・ヴォネガットの初期の未発表作品を集めた短編集。
    ショートショートのような作品から、中編に近いくらいのものまで、SFっぽいのからミステリーっぽいのまで、多様なバリエーションがつまった1冊。
    軽快でユーモアのある文章のなかに、どこか多面的でさまざまな解釈ができる作品が多く、とても面白かった。

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    2026年03月09日
  • パームサンデー―自伝的コラージュ―

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    原著は1981年刊。副題に「自伝的コラージュ」とあるように、自伝的エッセイ風の18の章、そこに講演会等で話したトランスクリプトがコラージュ風に貼り付けられている。
    トークも緩急がついていて、実にうまい。作品だけの人ではなかったのだ。家族や親族のおもしろエピソードもたくさん登場する。
    5章は「自己インタビュー」、全51ページ。もとは1977年にParis Reviewに掲載されたもの。これが鮮烈、ふつうのインタビューではない。なにしろ、intervieweeもinterviewerもカート自身。質問も、合いの手も、自分で入れてるんだもの。

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    2026年01月13日
  • 猫のゆりかご

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    最初に出会ったのはペンギン版、“Cat’s cradle”。まずは書名に感嘆した。どうしたらこんなタイトルを思いつけるのか。
    短いエピソードが127、その積み重ね。エピソード間の一瞬の空白が絶妙な効果を生み出している。インディアナ出身、コーネルで学び、ドイツにて戦争の悲惨さを体験し、一時期ゼネラル・エレクトリックにいたという経験も効いている。ウィットたっぷりの会話とひねりのきいた展開。そしてそれらを包むのがボコノン教だもの。
    ジュニアの頃のヴォネガットの最高傑作。訳もいい。伊藤典夫、26歳の時の訳業。
    (p.s. ボコマルという儀式、soul to soul ならぬsole to sole。どうしたらこんなことを思いつけるのか。シカゴで人類学を学んだからか。)

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    2026年01月05日
  • 青ひげ

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    読んでいるときの感覚は星4くらいだったのだが、そのあとに思考を整理するために感想を長々と書いていたら、とてもよい小説だったなと思い改めた。
    以下、感想。

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    「青ひげ」の主人公・ラボー・カラべキアンは元画家の老人で、海辺の屋敷で大量の美術品を抱えながら独り暮らしている。コックやその子供、使用人もいるが独りである。彼が二番目の妻と長年暮らしたその屋敷は今ではコックの娘が友達を連れてきて好き勝手に遊んでいる。そして妻にさえ見せなかったジャガイモの納屋が建っている。
     そこにサーシ・バーマンという女性がやってくる。彼女はアメリカで大活躍中の作家であるが、彼にその姿は明かさず、海辺でカラべキアンがひとり佇んでいるところにやってきて、
    「ねえ、あなたのご両親はどんな死にかたをしたの?」
     と訊ねる。
     彼女はカラべキアンの屋敷にしばらくの間、住むことになる。そして彼女の登場をきっかけに、彼は自分の半生を振り返る自伝的小説を書き始める。

     この小説は、彼の書く自伝的小説の部分と現実でのバーマンとのやり取りが交互に展開されてながら進んでゆく。
     自伝的部分では、アルメニア人の父母のもとで育っていた彼が、彼を目にかけるマリリーと出会ってパリにゆくまでの経緯が語られ、現実ではバーマンの登場によってそれまで化石のように動かなかった彼のうちの時間が次々に塗りかえられてゆく様子がわかる。
     読んでゆくうちに、現在のカラべキアンと過去のダン・グレゴリーが重なり、彼をパリに呼んだマリリーがバーマンと重なるようにも見える。これは抑圧的に他者を抑え込もうとする父性的な象徴と、男性にとっての母性的な象徴を映すものとしてそれぞれがよく重なって見えたのであって、実際の彼らには少なからず差異がある。だがカラべキアンの視点を通して語られると、どうしてもそれが重なっているように見える。
     ダン・グレゴリーの家での数年間は、十代のカラべキアンにとって苦痛の滲むものであった。カラべキアンが来た時点でマリリーは階段の上から突き落とされて片足にびっこを引くような状態に陥っている。話がちがう。悲惨的な状況と言えるだろう。彼を呼んだ人間がいない中で彼はパリでの暮らしをはじめる。現在のカラべキアンの陰鬱な性格を形づくった日々とも言えるかもしれない。後に彼は自虐的に自らのことをこう表す。

      カラべキアン[名](二十世紀のアメリカ画家、ラボー・カラべキアンより)。ある人物が愚鈍さか不注意、またはその両方で、自分の業績と評判に泥を塗るような大失敗を演じること。
     
     画家だったときの知り合いはことごとく自殺を遂げている。たとえばキッチンは、父親に拳銃を向け、一発撃った後に(弾は頭をそれて肩に当たっていた)、拳銃の銃口を口にくわえてそのまま死んだ。
     ほら、また自殺だ。フォークナー、アーヴィング、そしてヴォネガット。
     彼らにとっての自殺は、という問いが自ずと浮かんでくる。その秘密に近づくためには、スローターハウス5の彼らみたいにヴォネガットの時代にまで遡らなければならないのかもしれない。その地点で生きてみる必要がある。ただひとつ明らかであるのは彼らの自殺と、日本文学における三浦哲郎が描いた兄姉の死や、芥川、太宰、三島が自らの身体をもって体現した死とは根本的に何かが違う。
     人が死を選ぶのはおおよそ、自身の生きる「自身」か「環境」に絶望するためだと思う。死は完全なる休符であり、そこから先に音やリズムを繋がないための唯一の方法である。それはある種の美しさとして捉えることもできるだろう。それを身体の劣化というような自然的要因に身を任せて遂げるのか、事故や殺人のような偶発的な事故として他者によって定められるのか。はたまた自殺のように、自らの理性をもって自らの生を決めようという意思なのか。恐ろしいことに、理性によって本能のベクトルを定めようとし構築されたこの社会では、自殺の周辺に薫るこの静けさを、ある種の美しさとも捉えることができる。ヴォネガット、フォークナーらが描いた自殺と、日本文学において重要な産物である自殺。自殺する理由が、客観的にはっきりと説明づけられるのはアメリカ文学に置いて描かれてきた「自殺」の方である。
     
     この小説は終盤にかけて、静かでまたドラマチックなあらすじに向かってゆく。ひどく緩慢な速さで。
     その終着点はどこかというと、ジャガイモの納屋がついに開けられて、その中にある絵をカラべキアンとバーマンが眺めるシーンだ。タイトルは「こんどは女性の番だ」。カラべキアンが戦争の終わった直後に見た谷での光景を描いた絵。とても長い絵で、どこから見ようとしても一目で全貌を見渡すのは不可能なほど大きい。
    「第二次世界大戦がヨーロッパで終わった日に、太陽が昇ってきたとき、ぼくがいた場所だ」
     と彼はバーマンに伝える。
     絵には戦争時には殺し合った人種たちが入り混じって描かれている。強制収容所の囚人、奴隷労働者、捕虜、ドイツ軍の兵士、地元の農夫とその家族。誰もが救いを待ち受けている。絵にはカラべキアンも描かれていて、画面のいちばん下の床すれすれのところにいる。
     これは戦争の話だ。読み終えたときには自然とそうわかる。戦争は、いつまでも語られるべきなのだ。語られながら、いつまでも起こされないものとして伝承されるべきものである。

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    2025年12月27日
  • ガラパゴスの箱舟

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     大きいことはいいことだ。人間は生物の中でもとりわけ大きな脳を持ち、またそれを鼻に掛けてきた。だが、脳が大きいことはそんなにすごいのか? 大きいことは、本当にいいことなのだろうか?
     本書は「人間の脳は大きくなりすぎた欠陥品で、しかも危険きわまりない邪悪な機械である」という洞察のもとに書かれたサイエンス・フィクションである。私はこの本を大学生のときに知り、以来作者のファンとなった。
     ご存じのようにヴォネガットは、未来を戯画的に描くことで現実世界の歪みを浮き彫りにする手法をよく用いる。本作もまたその好例で、われわれの脳の大きさは実際には一五〇〇グラム程度だが、この小説ではそれがさらに進化し、三キログラムという設定になっている。そして人類は大きくなりすぎた脳のせいで、破滅の道を歩み始める。
     彼一流のユーモアに溢れた表現をいくつか紹介しよう。

    ──当時の人間のおとなの大部分が、三キログラムもの重さの脳を持っていたのだ! それほどふくれあがった思考機械が想像し実行できる邪悪な計画には、およそ限界というものがなかった。
    ──いくら人間がふえたといっても、この惑星にはまだすべての人間にたっぷりいきわたるだけの食料や燃料などがあったが、いまや何百万人もの人びとが飢えで死にかけていた。
    ──そして、この飢饉は、ベートーヴェンの第九交響曲とおなじく、純然たる巨大脳の産物だった。
    ──だから、こういうしかない。当時の人間の脳は、生命をどこまで粗末に扱えるかについて、ひどく口数の多い、無責任な発案者になっていたため、未来の世代の利益のために行動することまでが、ちょうど限られた範囲の愛好家がたのしむゲームのように扱われた──たとえば、ポーカーや、ポロや、証券市場や、SF小説の執筆のようなゲームのように。

    いかがだろうか。本作は構成の緻密さという点でもヴォネガットの作品群の中でとりわけ優れた部類に入るが、作品のいたるところに散りばめられた痛烈な批判の数々を眺めるだけでも一読の価値がある。
     ところで、この物語では人類は絶滅してしまうわけではない。しかし、ある意味ではそれよりももっと皮肉な結末といえる。過酷な自然選択の法則は大きすぎる脳を無用と宣告し、人類から取り上げた。われわれの子孫は小さな流線型の頭とひれを持ち、和毛に覆われた体へと「進化」して、ガラパゴス諸島の片隅にあるサンタ・ロサリア島という架空の楽園でひっそりと暮らしていくのだ。
     この物語における現在、すなわちいまから百万年後の人類には、もはやベートーヴェンの第九は書けない。だが、そんなものが何になる? ここでわれわれは再び冒頭の疑問に戻る。巨大な脳を持つことがそんなに偉いのか。人間は本当に賢いのだろうか。

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    2025年02月12日
  • 猫のゆりかご

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    装丁が見えなくされたままに、この本を偶然ーボコノン教的に言うのであれば"定められたとおり"ー手に取ったわけだけれど、これまた素敵なものに出会えた。

    荒廃的であるのに、ず一っと痛快。
    なんなら終末が近づけは近づくほど笑えてくる。

    「本書には真実はいっさいない。<フォーマ(無害な非真実)〉を生きるよるべとしなさい。」

    このことばに救われた。
    いつだってカルチャーは孤独でいさせてくれる、
    孤独を受け入れてくれる。
    この本はそんなカルチャーのすべてだった。

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    2025年02月02日
  • 猫のゆりかご

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    一つひとつのフレーズを、時間をかけてゆっくり読み解くのが楽しい本。疲れるけど、たまに浸りたくなる世界観だった。現実逃避しているように思えながら、実は現実の問題と真っ向から対峙しているような不思議な感覚。読み終わった後、「?」ってなっていろいろ考えるのが楽しい。SFが気になりすぎる!

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    2026年02月09日
  • 猫のゆりかご

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    ネタバレ

    序文
    本書には真実はいっさいない。
    「〈フォーマ(無害な非真実)〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」
    ー『ボコノンの書』第一の書第五節

    p32
    "実験だよ"

    p34
    人間は父の専門ではなかったからです。

    "今や科学は罪を知った"
    "罪とは何だ?"

    p37
    「これは私事です。たんなる恋愛事件です。ぼくは後悔してはいません。何が起ころうと、それはぼくとズィンカとのことで、みなさんには関係ありません」

    p88
    「おかしな旅の誘いは、神の授けるダンス・レッスンである」

    p157
     自分の本に索引をつけるのは素人作家のすることだ、とも言った。

    p219
    真実は民衆の敵だ。

    p233
    「わたしが何かしたのですか?」
    「これからするんだ」

    p251
    「成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものは強いてあげるとすれば、笑いだろう」

    p300
    「過去の正確な記録がなかったら、人間はどうやって将来起こすかもしれない重大な過失を避けるというのか?」

    p301
    "よし、世界を滅ぼしてやる"



    初ヴォネガット。超好き。
    村上春樹やたくさんの作家に多大な影響を与えたヴォネガット。敷居が異様に高くなっていたことを反省せざるを得ないくらい軽やかで面白い。
    うまくは言えないけれど、この作品の持つどこか荒廃とした雰囲気がこれまで読んだいくつかの作家作品、映画などにあったような錯覚を覚える。不思議な体験。この本に全部詰まってるのでは、とも。

    ここ最近、宗教についてよく考えるので、本作にある角度で読むと逆に新鮮にも感じる。パワーワードの連発は好みが分かれるところもあるかもだけど、端的に詩的に読み取れるそれらの言葉は皮肉と風刺に満ちていて、それが読んでいるときの爽快感にもなっている、と私は感じました。
    他の作品もちびちび読み進めたいと思った次第。

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    2024年08月31日
  • 猫のゆりかご

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    人間の本質が詰まった一作。バカバカしさもありながら、あまりに鋭い政治と宗教への洞察もありながら、最終的には人間への愛しさで胸が一杯になった。

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    2023年12月16日
  • 猫のゆりかご

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    スローターハウス5は読んだことあったけど面白くなくて苦手意識を持ってたけどこれは普通に面白いし好きだった

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    2023年04月27日
  • 猫のゆりかご

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    ネタバレ

    好きだ〜〜
    ボコノン教の宇宙からの視点が皮肉が効きまくってて最高だったな

    私が好きなのは戦闘機が墜落して宮殿が壊れてアイス・ナインで世界が凍結するシーンです

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    2023年03月15日
  • 読者に憐れみを

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     カート・ヴォネガットによる「書くことについて」の本。冒頭の7つのアドバイスだけでも十分読む価値があるが、570ページ相当の本文は校正から、生活、稼ぐことについてまで、小説家としての人生への示唆は多岐にわたって網羅されている。がんばったら3日で読めた。

     個人的な関心事は「この本で語られるアドバイスが、近代以降の日本の私小説にも当てはまるだろうか」という部分なのだが、私小説を書くことのコアに「目的を持つこと」「誰か他者にも伝えるべき情報であること」という要素があるのであれば、日本のシーンにも十分援用が可能であると判断する。

     座右の書として置いておくにはちとぶ厚すぎると思うが、いちど、自分のやり方と照会するために目を通すという意味では、けっして無駄な時間にはならないはずだ。

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    2022年08月15日
  • はい、チーズ

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    全編すごく面白い。落語のようなテンポの良さ、それぞれのオチの意外さ、ハッピーエンドもバッドエンドもありつつどこか優しさに満ちた雰囲気も全てがよかった。
    特に小さな水の一滴がかなり良い、まさかの大逆転にニヤリとした。

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    2022年01月13日
  • スラップスティック

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    狂気や暴力を描いた前作とは打って変わって、落ち着いた作品になっている。相変わらずまえがきが素晴らしく、設定は少しSF風味。物語は題名ほどのドタバタ劇ではないが、その意味は読めばわかる。作者は奇形児でもなければ大統領でもないはずだが、どのあたりが自伝要素だったのだろう。ヴォネガットの中ではかなり好きな作品で、特に双子のキャラクターが良かった。決して明るい話ではないが、なんとも言えない著者の優しさが伝わってくる良作。

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    2021年04月04日
  • 猫のゆりかご

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    ネタバレ

    甚だ奇っ怪な小説。

    まえがき

    「本書には真実はいっさいない。」「〈フォーマ〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを (略) 幸福な人間にする。」(p4)
    ※フォーマ=無害な非真実

    これがこの物語を端的に表している。

    ジョークやユーモアが私たちを豊かにしてくれる。


    中身は荒唐無稽の極み。
    「世界が終末をむかえた日」について、謎の宗教・ボコノン教徒の男、自称ジョーナが語る。その述懐が人を食ったような、あまりにもヘン。

    原爆研究者、フォーニクス・ハニカー博士が開発した究極兵器‘アイス・ナイン’を巡り、カリブの小国サン・ロレンゾ共和国を舞台に破茶滅茶が巻き起こる。

    世の中に意味が無いものがあっても良いではないか。私はそんな風に捉えたが、無理して意味を求めなくても良いように思うのであまり考えないようにする。

    猛烈に好きな作品。


    23刷
    2021.2.8

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    2021年02月08日
  • 猫のゆりかご

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    カート・ヴォネガット・ジュニアは、スローターハウス5以下、沢山の本を出版しているが、彼の作品として一番最初に読んだこの本が強烈な印象を残している。ハインラインやハーバートのSFとは全く違っているが、カルト的な魅力に溢れた作品だと思う。映画界の「2001年宇宙の旅」や「天井桟敷の人々」、「ドクトルジバゴ」のように、読書士としては必読書の1冊だと思う。

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    2018年12月11日
  • バゴンボの嗅ぎタバコ入れ

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    「貧しくてゆたかな町」に喝采、ブラヴォー!
    初カート・ヴォネガットである。一編一編が一筋縄でいかず読むのに時間がかかった。高校のマーチングバンドの指揮者ものはとびとびに数編入っていて、そんな構成もおもしろかった。

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    2018年11月01日
  • 人みな眠りて

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    シニカルな表現に、ブラックなオチを予想するのに、物語は全部とても優しい。
    憤り悲しむのは、人が持つ優しさ、純粋さ、繊細さを愛おしみ信じているからこそなのだろうと思う。
    怒りんぼやニヒリストが実は誰よりモラリストだったりロマンチストだったりするのと同じですね。

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    2018年09月18日
  • はい、チーズ

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    2018年47冊目。

    これまでで一番好きな短編集になった。毎晩一つお話を読むのが楽しみだった。

    特に「セルマに捧げる歌」は至福の23ページ。ユーモア溢れる展開から、音まで聴こえてきそうなクライマックスの盛り上がり、そして「...ジャンッ!!」という感じの完璧な終え方。にやけが止まらなかった。

    ブラックな作品も少なくはないけど、基本的に終え方が本当に優しい。長編『タイタンの幼女』でもそうだったけど、終盤の一言にすっと救われる。

    ヴォネガットの魅力にすっかりはまってしまった。来週から、全4巻の短編全集が発売するということで、絶対に買って読もうと思っている。長編作品も全部読みたい。

    村上春樹さんも強く影響を受けている作家のようで、確かにどことなくその感じを受けた。

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    2018年09月15日