カート・ヴォネガットのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
たくさんの買い物袋を提げているホームレスを見かけることがあるが、女性の場合はshopping bag lady と呼ぶ。20年前字辞書を引き引き読んだこの作品で知った単語だが、なるほどと思ったのを思い出した。
ショッピングバッグ・レディーとして登場するメアリー・キャスリーン・オルーニーの存在は、わたしにとっては「タイタンの妖女」の主人公マラカイ・コンスタントと同じぐらい衝撃的。よくこんなキャラクターを作り出せるもんだ。
ヴォネガットらしい何とも言えないエンディングで、ある意味ハッピーエンドといっていいのだろう。読者はなぜか不思議な満足感を得られるのだが、これは最高度の離れ業ではないだろうか。
ヴォネガットの冴えを見せてくれる最後の作品。 -
Posted by ブクログ
アメリカの文化なりキリスト教についての知識なりがないため、ニュアンスがわからないところもありつつ、糸井重里氏の「目と心にしみる」と解説の円城塔氏の「声」の概念は読んで腑に落ちる感じがした。
読む人によって心に残るところは違うだろうが、自分は「私も生まれたばかりだ」という考え方、「これで駄目なら、どうしろって」と物事がうまくいっている時に声に出してみること、の2つ。
後者は英語のニュアンスを完全には理解できてないが、日本語でこれはこういうことだと書くのも違う気がする。
ヴォネガットの「声」によってなんとなくわかる気がしていればいいのだと思う。 -
Posted by ブクログ
人類の発達した巨大脳のために地球は危機に瀕していた。人類の未来はどうなるのか。エクアドルの港を出た観光船は無能な船長のため迷走を続けやっとガラパゴスに辿りついた、ここは何処だ、アララテ山か、と彼は呟く
※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。
読んでみたかった、ヴォネガットとイーガンだったが、ヴォネガットの「ガラパゴスの箱舟」が積んであったので、海外小説フェアの機会に読んでみた。
SF好きのオススメどおり面白かった。でもレビューを書くのが難しい。
ヴォネガット のユーモアとウイット、引用文についつい笑いを誘われるが、テーマは人類の進化である。
そこに着くまでに設定した百万年という時の流れは、大きな不安を孕んでいる。巨大化した脳は残酷さに寛容であり、心の痛みを転嫁し、過ちを進化と勘違いした。
西暦1986年、ヴォネガットの描く巨大脳を持つようになった人類の性が、本能に導かれて到達した環境といえば、反抗する隙もない、人間性という言葉の影もない、独自に進化を遂げた世界だった。どこか今に通じる現代世界の姿がかいま見える。煉りに煉られた物語で、その緻密さ巧みさは面白い、登場人物の狂気までも気の利いたジョーク交じりで進行していく。人々の狂っていく姿は喜劇的でさえある。
現実の1986年をググってみると、アメリカは世界の指導者を自認し、レーガンはリビアに経済制裁を加え、戦艦ミズーリを再就役、ソビエトではチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、日本車はどんどん売れ、各社こぞって新モデルを発売していた。
作中、経済危機に瀕し、恐慌に陥る各国は次々に破綻していくが、富豪たちは強いドルと日本円を保有し経済的にはなんら影響がなかった。そして富豪の兄弟が広告宣伝も兼ねて、所有のホテルと豪華客船バイア・デ・ダーウィン号を使いガラパゴスの自然観察を目的に「世紀の大自然クルーズ」を計画する。
語り部は時を越えて人々を描写する。その実態は百万年前にベトナム戦争で死んだ兵士だが、彼は死後の世界に行かず、ガラパゴス行きの観光船に乗り組み、目に見えない姿で人々に付き従っていく。百万年後まで彼の語りは続き、人類がなぜ船に乗り、どうなっていったか、どんな形に進化をとげたか、彼の目を通して見ることになる。
まず初めて読む構成で、過去から現在を振り返る、結果を元に、クルーズに参加した人たちの運命を振り返り、その間に世界の変貌をみる。国際ブックフェアから人間の卵子を食う微生物が世界に広がっていった。さながらダビデとゴリアテの物語の繰り返しのように。人類はここで滅びようとしていた。
ストーリーは二部に分かれている。一部は船に乗るまでの人々の運命。旅の途中で亡くなった人は名前の前に*印をつけている。彼はもうすぐ船の出航を待たずに死ぬ、というように未来の出来事を語る部分が何度もある。このあたりヴォネガットの遊びだろうかという感じがする。
第一部 そのむかし
今から百万年前の西暦1986年、グアヤキルはエクアドルという南米の小さな民主国が持つ最大の貿易港だった。
人類の発達した巨大脳が生み出した結果は、産業の危機、経済の破綻、飢餓、常にどこかで戦争をしているという世界は末期状態になっていた。
そのころグアヤキルからガラパゴスに向けて「世紀の大自然クルーズ」の旅が計画された.
参加者には各国の著名人を招待していた、だが地球上は危機的状況になり通信も断絶してしまった。先にホテルに到着していた、アメリカ人4人と日本人夫婦だけになる。偶然、グアヤキルの奥地、熱帯雨林の民であった、カンカ・ボノ族の飢えた少女たちが乗り込んできたことで、百万年後の人種の子孫は大きな影響を受ける。
招待客にキッシンジャー、ピカソ、ジャクリーン・オナシスやヌレエフ、ミックジャガーなどの名前があるのも愛嬌か。国務省が警告を発し、彼らは船に乗ることは出来なかったが。
第二部 そして、それから
百万年後、ガラパゴスの白い砂浜、青い礁湖、そこに人類はたどり着いている。
語り部の過去と現在も明かされる。
ここでヴォネガット の夢は、美しい穏やかな世界であることが分かる。
紆余曲折を経てガラパゴスに着いた人たちが、ひとりの女性の特殊な生殖技術で、新しい種が生まれ、島に生存していた生き物たちと共生していくのに適した形にしだいに変化する。人類の体の形は、食料を得るためにだけ適したものなり、もちろんその形では脳はごく小さなものでなくてはならず、両手はひれの形になって海の中でも陸でもお穏やかに静かに暮らしていけるようになっていく。
1986年からまた時が過ぎ2016年末にこの本を読んだ私。ヴォネガットの世界より今の人類は脳の形は小さいかもしれない、地球は災厄をこうむっているかもしれないが、テクノロジーの進歩は人類にとって災厄だけでなく人類を生かすことも含まれ、貢献しているのではないだろうか。楽観的過ぎるのは危険だとヴォネガットは言うだろう。
SFといえばスパースオペラと思うような初心者からすればSFらしくない世界だったが、人の狂気と底知れない欲望がむき出しになった巨大脳の作り出すものは、宗教や社会常識を超えたものに変わる恐れがある。そこここに展開する人々の運命が、わが身にいつ起きるかもしれないと感じさせるような力のある興味深い作品だった。 -
Posted by ブクログ
さー、久々にハードSFでも読んでみるか!と手に取ってみたら全然違った、という本。
むかしSFはよく読んだけど、この著者は初めて読む。
なぜハードSFだと思ったかというと、別件で調べものをしていて「アイス・ナイン」という物理学方面の単語に出合ったからだ。
9番目の氷? なんか素敵じゃん。と。
ところが、開いてみたらこれはそういった科学的興味の本ではなく、著者自身が冒頭で示唆している通り虚妄の大伽藍で、平たく言えば偉大なるホラ話だったのである。
さて、作中でいうアイス・ナインは、常温・常圧で水を凍りつかせる「種」なのである。
たとえばコップの水にそれを落としたら、その水はたちまち凍ってしまう。「種」に口をつけ、体の水分に触れさせたら、体がすぐに凍ってしまう。その遺体がもし海に落ちたら、海すらもあっという間に固体と化してしまうのだ。
そうした世界の救いなき終末までを、この小説は描き上げる。
猫のゆりかごとは、この本によるとあやとりのX字が重なったもので、指をほどけば解けてなくなってしまう象徴。すなわち絢なる世界もひと皮むけばすべて無意味で虚しいのだ、ということが主題らしい。
たいへん面白かった。
結末は、わたくし的には非常に納得の行かないものだったけどね。 -
Posted by ブクログ
過去、ヴォネガットは3作品を読んでいる
『プレーヤー・ピアノ』
『猫のゆりかご』
『スローターハウス5』
いま、このブログにある自分の感想を見てみると、どれも好もしくよろしい感触
さもありなん、このもう最後の作品になるのかという、作者73歳か74歳発表の
『タイムクエイク』
やはり、なかなかの作物なり
創作あり、随筆風あり、思い出あり、文学紹介あり
幾層にも複雑化した構成の中に、いい年輪を感じさせる、その気持ち
わたしたち年寄り(この本では「古手」といっている 笑)にはよくわかるのである
タイムクエイク(時空連続体)によってある時、詳しくは2001年2月23日、
10年前逆戻りして1991年2月17日に戻ってしまい、
やり直しできるのではなく、繰り返さなければならない日常になって
いざ、タイムクエイクがストップしても、何をしていいか戸惑う設定
人間繰り返しが続くと自分の頭で考えることを無くす
しかも、随筆風の部分の2001年は作者の将来で、長生きするつもりで
「そんな風に自分はこの世にいる」と想像するのであって
これもわたしがよくやる手(笑)
いろいろ文学的な思い出やら、薀蓄もわたしにはおもしろかったですね -
Posted by ブクログ
彼は「芸術家の社会的機能は、人々が以前にも増して人生を好きになるようにすることだ」と書いている。たとえばと訊かれて、「ビートルズがやったことだね」と答えた。
ミルクよりクリームが高価なわけを知っているかね? 聴衆:いいえ。 牛はちっちゃいボトルにまたがるのが嫌だからさ。
本を読むことをやめてはいけない。本はいいものだ──ちょうどいい感じの重さがある。指先でやさしくページをめくるときのためらい。わたしたちの脳の大部分は手が触れているものが自分にとっていいものなのか悪いものなのかを見定めるのに使われている。どんなちっちゃな脳でも、本はいいものだとわかるんだ。
彼は他にもおそらく正しいことを語った。ブルースは抑鬱を家から掃き出してくれるんじゃなく、部屋の隅に追いやってくれる。