大企業に雇用された使い捨てとも言える非正規労働者が、従業員の労働条件改善のために御用組合を頼るのではなく、自分たちでユニオンをつくり労働者の心をつかんでまとめていく。
社会派のハードな主題でありながら、ラストでは心を揺さぶる場面が登場する小説だ。
600ページ近くあり、なかなかまとまった時間を取れ
...続きを読むない中、数日にまたがってしまったが、読み始めると引き込まれてしまった。
労働者の権利・法律、テロ等準備罪(所謂共謀罪)と公安、政治と官僚、民主主義と国家権力等々、未だに超大企業で労働者を使い捨てにしているところはないと思うが、まさに現在の日本の暗部をついた内容だと感じた。
パーティー券という名の個人献金と、裏金・キックバックの蔓延した自浄作用のない○○党の政治家の方々。
そう言えば「自助」を真っ先に挙げていた総理もいたな。
肩書きだけで集金できる人たちは、一生懸命働いても最低の生活すら営めない人たちの実態を理解出来ていないのだろうな。
この時期に、期せずしてタイミング良く読むことができた。
文句なしの★5。
共感した内容は次。
労組の要職に就いているのが経営側の尖兵である幹部候補生では、労働者を守るなどという発想自体あるはずがない。
労使紛争は、労働者がまとまることが前提。だが勤務査定をするに際し、人物力という個人評価を設け可能なかぎり待遇を細かく差別化しておけば、この国の人間は互いにいがみ合うことに全精力を注ぎ、まとまることは出来ない。
民主主義は人間の長い歴史の中で、民衆が王や宗主国などの巨大な権力と闘い、革命や戦争による犠牲も厭わずもぎ取ってきたもだ。しかし、この国はそうではない。広島、長崎と原爆を投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。
その結果、ひとりひとりの人権が保障され、女性に参政権が与えられ、労働組合法が作られ、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するまでになった。しかし、投下された民主主義が根づくことはついになかった。
すでに選挙制度すらまともに機能していない。主権者の責任を果たしている者は半数そこそこで、結果として国の行き先を決めているのは無関心な者らなのだ。政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある。
この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。
そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。
社会とは空気のようなものだ。生きるためには呼吸せねばならず、体のどこかは常に空気に触れている。だがこの国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても、世の中はそんなものだと呟きながらどこまでも慣れていく。コロナ禍でいわれたようにこまめに手洗いするなど身体的な衛生観念は高いのだろうが、自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。
この国にある規範は、〈自己責任〉と〈迷惑〉の二つだけではないか。
現在、衰退途上にあるこの国では、これから先、いつ助けを必要とする境遇に陥るかわからない人々が急速に増えていく。ところが実際に自分がそうなるまでは、どのような人生を歩んできた人が、どのような事情で助けを必要とするようになったのか、考えようとすらしない。
自分に仕事と食べ物と住み家があるのは、自分が努力したからだと信じて疑わない。だから、年貢のように取り立てられた税金を地位の高い人々やそのお仲間が湯水のように使うのは気にしないが、自分より〈努力の足りない〉貧しい人間のためにそれが使われるのはどうにも我慢ならないのだ。
この社会の意識では、命は救えない。このままでは犠牲が出るのをとめられない。
政府の偉い人間は不正を働いても嘘をついても、周りがみんな口裏を合わせてくれて罪には問われない、黒を白にも変えられる。
そんな世の中では、力のない者たちは、たとえ無実でも、力のある者たちが望めば罪に問われる。
この国の政治家の多くは、いわば家業を継いだ坊ちゃんかタレント。官僚は、政治経済に関しておよそ何の知識もない〈先生〉に、ひたすら低姿勢で手取り足取り教えて答弁書に仮名まで振ってあげなければならない。
今に官僚になる優秀な人材はいなくなるだろう。
私たちは事の善し悪しよりも、波風を立てずに和を守ることが大切だとしつけられてきた。今ある状況をまず受け入れる。それが不当な状況であっても、とにかく我慢して辛抱して頑張ることが大事だと教えられてきた。同時に、抵抗しても何ひとつ変わりはしないと叩き込まれてきた。
力のある人とその近くにいる人たちだけがより豊かになるのではなく、大勢の普通の人たちが生きやすい世界へと変えていくためには、力を持たない者たちが声をあげるところから始めるほかはない。