ポール・オースターのレビュー一覧
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ネタバレポストモダニズムがどうとか、巻末にあった文章のようなことは難しくてわからない。作家たちの歴史を学ぶ必要がある。
ただ単純に、読んで、構造的な面白さが印象深かった。前衛アートのように構造を楽しむものなのかな、と思った。
主人公たる探偵ブルーは、ホワイトに「ブラックという男を監視してほしい」と依頼される。しかしブラックは日がな一日机に向かっていて、外出は散歩程度のものだ。依頼の意図も知らないブルーは焦れて、飽き、やがてホワイトとブラックについて物語を妄想したり、自己について深く考え込んだりする。ついにブラックと接触したブルーは、ブラックもまた誰かを監視するよう依頼された探偵だと知る。
監視する者と監視される者という立場があって、そして監視される者は監視する者でもある。この多層構造が面白い。読みながらここで「読者である私もまた、ブルーを監視している」と気づいた。そして私もまたブルーの小さな考えや変化について想像したり自分を顧みたりするのだ。
この本は章立てがなく、初めから終わりまでずっと続いていく。その作りも面白かった。それに登場人物の名前に個性がないから、私の頭の中の彼らはほとんど同じ顔だ。そういう奇妙さが楽しかった。
あとがき等を読むに、現在形で書くなど、原語では文章の作りも工夫してあるようだ。そのあたりは英語が苦手な自分としてはわからないので勿体無い。それにこれはニューヨーク三部作の2冊目らしく、他を読むと受け取り方が少し変わるらしい。機会があれば読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
非常に起伏に富んだ鮮やかなストーリー展開で一気に読ませる力がある。所々に出てくる現実の出来事への評価を含めて政治的にも旗幟鮮明であり、「多様性とその敵」とばかりに定義される善悪の構図は、寛容がベースとなる本書の筋書きの中では怒と憎悪の感情が顕になる貴重なアクセントでもある。
小説の舞台から四半世紀、出版から20年が経過した現在から見ると、ポリティカル・コレクトネスが高らかに歌い上げられている光景には当時の熱気と未完の革命への期待感のようなものが感じられる。その明るさが、結末部分に迫る非常に暗い影と対照的に浮かび上がる仕掛けには思わず唸らされた。 -
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あとわずかで60歳のネイサン。
妻イーディスとの結婚生活は破綻し、娘のレイチェルともうまくいかない。
そこへガンにかかり、治療はなされ小康状態になってはいるが、仕事も失った。
死までの時間を過ごすため、幼少期を過ごしたニューヨークのブルックリンに移り住むところから物語が始まる。
こちらとてキラキラした物語を期待しているわけじゃない。
それでも、序盤からこんなんでついていけるか不安になってくる。
が、そんな不安は次第に払拭される。
その後のネイサンの人生は、実に魅力的なものになっていくからだ。
それには、やはりネイサンのキャラクターが大きな要素になっているのかな、と思う。
彼は自分の人生を振り返って「人間愚行の書」を書く。
自分の愚かさ、他人も含め人間の持つ愚かさを客観視し、受け入れることができる人のようだ。
しかし、悟りきった、達観した人というわけではない。
彼自身、向こう見ずだったり、おせっかいだったりするふるまいをし続けるからだ。
けれど、そういう彼が、人生の中で残酷な目に遭っている甥のトム、もっとひどい目に遭っているトムの妹オーロラを助け出していく。
トムの勤め先の古書店主、悪党とも言えなくもないハリーとも親しくなり、その窮地を救い、死後の始末にまで関わることになる。
人生の中で深く傷ついた人々と、ゆるやかにつながる力を彼は持っている。
物語の終盤で、ネイサン自身もジョイスというパートナーを得る。
彼女の娘、ナンシーがオーロラと恋愛関係にあることを知って取り乱し、二人を家からただき出すと息巻く場面で、ネイサンがかける言葉がとてもいい。
「でもそうしたら、君は生涯ずっと、後悔することになると思うね。やめておけよ、ジョイス。パンチにパンチを返すのはよせ。あごをしっかり引けよ。気楽に行けって。選挙は毎回民主党に入れろよ。公園で自転車に乗れよ。私の完璧な、黄金の肉体を夢に見ろよ。ビタミン剤を飲めよ。一日コップ八杯水を飲めよ。メッツを応援しろよ。映画をたっぷり見ろよ。仕事、無理するなよ。私と二人でパリに旅行しよう。レイチェルの子供が生まれたら病院に行って私の孫を抱いてやってくれ。毎食後かならず歯を磨けよ。赤信号の道を渡るなよ。弱い者に味方しろよ。自分の権利を守れよ。自分がどれだけ美しいかを忘れるなよ。私がどれだけ君を愛しているかを忘れるなよ。毎日スコッチをオンザロックで一杯飲めよ。大きく息を吸えよ。目を開いていろよ。脂っこい食べ物は避けろよ。正しき者の眠りを眠れよ。私がどれだけ君を愛しているかを忘れるなよ。」(pp.433-434)
ジョイスへの愛が表れた言葉だが…。
それだけではなく、彼がごたごた続きの人生をまるごと愛していることが分かる言葉だ。
この言葉が読めただけでも、報われた気がする。
オースターは残念なことに、今年の春の末亡くなってしまった。
ネイサンと同じ肺がんだったという。
アメリカの作家で複数作品を読んでいるのは、この人くらいだ。
作品を長きにわたって翻訳し、紹介し続けた柴田元幸さんにも感謝したい。 -
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面白くてたまらなくて、
がっしがしに読み進めた!
これまで読んだポール・オースターは、
もっと複雑で、言葉の迷宮に入り込み、
冷たさや悲観的な部分があるからこそだった気がするが、
とてもあたたかくて、優しくて、
楽観的で、希望がある。
もちろん人生なので悲痛な痛みや別れはあるのだけれど。
街角で巡り合う人々や、
家族の繋がりの中で、
名もなき人々の物語が照らし出されてきたからこそ、
ラストの2段落に、
はっと息を呑むのだった。
すべての人々に、
他にはない特別な物語があったのだということを、
ブルックリンへの愛を込めて、
ポール・オースターは全力で言いたかったのだな。 -
Posted by ブクログ
還暦目前、自身の身の錆で離婚をすることになり、さらには肺ガンにもかかり、残りの余生は静かに暮らしたいと故郷であるブルックリンに一人戻ってきたネイサン。
幸いガンは予後が良いようで、もうしばらく人生を楽しめるというなか、新生活を始めるやいなやわきおこる数々の騒動。
騒動の中で登場するネイサンの甥であるトム、トムが働く古書店の(怪しげな)主人のハリー、通りすがりに出会った完璧に美しい母親(PBM)ナンシー、トムとネイサンのもとに突然現れた少女ルーシー。
その他、ネイサンが行動する範囲で現れる数々の人々を群像劇的に描いていく。
騒動がおこり、それが収束していくなかで変わり、そして深まっていく人間関係。深まっていく人生。
60という老齢にさしかかり、かなりの人生経験と達観を身につけている一方、恋愛や性といったことにはまだたくさんの執着を持っている年齢の主人公から記述される世界。
どうしようもないおっさんだな、と思う場面もある一方で、その年代でしかもてない胆力を遺憾なく発揮し猛烈にかっこいい側面も見せる。
群像劇の中で様々な人間が詳細に記述されていく中で、「60歳のネイサン」というのがとりわけ輪郭を持って浮かび上がってくる。
老いを生きるということがテーマとしてあるのだろうということが良く伝わってくるし、オースターの、そしてオースターのフィルターを通したネイサンの洒脱な語り口で彼の生き方を見ると、こういう老後は悪くないなと思わせてくれる。
最終ページを読んだらわかると思うけど、ただの普通の平和な物語として終えないところもオースターらしい。
(すごい考えさせられた)
オースターの柴田訳ということで、読んでいて辛いなんてことはありえない。
小憎らしいくらい軽快なリズム、韻律で物語りは進んでいく。
このコンビに関しては、私はストーリーが云々というのはあまり気にしていない。彼らの文章が読めるだけで満足。 -
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突然のポール・オースターの訃報を聞き、長年積読状態だった本書を手に取りました。難解と思い込み本棚で眠っていましたが、オースターってこんなに面白かった?と思わせる小説。10ページ弱のエピソードが怒涛に展開してとても読みやすい。「アメリカ文学」って高尚に構えるのではなく、日本の小説ではないアメリカ的な「物語」を読んでいる、引き込まれて行く感覚。
結局、人は一人では生きられない。誰かとの繋がりを求めている。オースターの小説の登場人物は、高度資本主義かつ大量消費社会に馴染めないインテリの男が多い。本書もしかり。人間は愚かな生き物だけれども、だからこそ魅力的でもあり愛すべき存在。
もちろん読みやすいのは柴田元幸氏の翻訳のおかげ。感謝したい。出版されて12年も経ってからの初読。是非多くの人に読んでもらいたいオースターの物語の魅力が満載の傑作。 -
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自分の人生を肉体と精神のそれぞれの側面から振り返った本。
ただの自叙伝ではなく、構成がかなりユニークで面白いと思った。時系列順に並んでなかったり、各章でアプローチ方法が全然違ったりなど。あんまり詳しく書くとネタバレになってしまうけど、私は本を書く人間ではないのに思わずこういう書き方もあるんだって感嘆するようなものだった。
全く違う国と時代と性別に生まれた人だから、情景を上手くイメージできないこともあったけど、それでも筆者の人生を一緒に辿るのが楽しかった。
恥ずかしながらポール・オースターのことは知らなくてこの本をたまたま書店で目についたからなんとなく買っただけなんだけど、文章がとにかく面白くて買ってよかったと思ったし他の作品を読んだりこの本をまたじっくりと読み直したくなった。 -
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ある人の人生から誰かが去り、新たな誰かが現れ、そしてまた去っていく。誰にとっても人生は出会いと別れのつづら折りであり、本人を含めそこに登場し退場していく人物の大半が、名もなき人間たちだ。
2005年に発刊された、2000年のブルックリンを舞台に始まるこの小説は、その舞台設定から予想されるゴールに確かに到達してしまうが、それでも、あるいはだからこそ、名もなき人間たちの、ジェットコースターめいた涙と笑いの日々を描く朗らかで彩度の高い作品となっている。人生の終着点を探すつもりで生まれ故郷のブルックリンに戻ってきた60歳目前の男・ネイサン。彼がふとしたことで再会する、失意の中にいる甥にして元・秀才文学研究者、トム。強烈な個性と訳アリの過去を持つ、トムが勤める古書店のオーナー・ハリー。トムが毎朝あこがれを持って見つめるBPM(ビューティフル・パーフェクト・マザー)ことナンシー。一つの出会いが新たな一つの出会いを呼び寄せ、時折そこから抜け落ち消えていく人たちもありながら、いつしかネイサンを起点に、鎖のように人の輪が繋がっていく。あたたかな居場所を生み出す出会いは偶然か、運命か。少なくとも、一歩を踏み出すことでしかつかめないものではあり、人生の終末に備えるつもりでありながら、終末までは「生きなくては」「何かしなくては」と腰を上げたネイサンだからこそたどれた道筋だと思う。
ネイサンが始めたものとは、『人類愚行の書』プロジェクト。過去から現在にわたる、自分、知人、知人の知人、歴史上の人物等々の失態や恥ずべきドジなど『愚行(フォリーズ)』を記録し、編纂するという計画だった。名もなき人間たちの、伝記や公的記録には決して残らない小さな、けれどその瞬間には強烈なインパクトを残した人生の断片。そこに目を向けた時から、ネイサンはすでに人の輪の中に、未知の人々に繋がる鎖の一端に結び付けられていて、そこから物語は季節と共に場所や登場人物の顔ぶれを変えながら、進んでいく。
名もなき人間たちの、記録に残されるほどでもない人生たち。
笑い、泣き、困難に立ち向かい、挫折し、悲しみに沈み、それでも予想外なタイミングで喜びが舞い込むこともある。一言で言えば、「平凡だけど幸せだった」と表現できるであろう、あまたの人生。
記録に残されなくても、無数の中の一つに過ぎなくても、その一つ一つの生にどれだけの感情が、人の輪が繋がっていることか。
アップダウンの激しい、けれど最終的に明るく幸福な、テンポの良いこの作品を読み通したラストページ、ラストセンテンスに、そのことが万感の思いをもって胸に迫ってくる。 -
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「一九六七年の春、私は彼と初めて握手した。そのころ私はコロンビア大学の二年生で、何も知らない、書物に飢えた、いつの日か自分を詩人と呼べるようになるんだという信念(あるいは思い込み)を抱えた若者だった。」という主人公アダムの書き出しで、オースター読者ならピンと来る。本作も、ここ最近のオースター小説のベースになっている内省的自叙伝の色合いが濃いのではないかと。(1967年、オースターはコロンビア大学の二年生) もうこの時点でオースター・ファンとしては期待値が一段階アップする。
語り手がアダムになったり、彼の友人のジムになったり、そして、ジムの語りの中でアダムの残した手紙を読んだり。こうしてアダム像が立体的に浮かび上がって…と書きたいところだが、そこはオースター。浮かび上がるどころか、アダム像はますますぼんやりと曖昧になっていく。事実と記憶、そして願望がない混ぜになり、アダムは少しずつ読者から遠ざかるような感覚にとらわれる。
そして、本書の題名が「インヴィジブル」であること、そして人はいるのに鏡には何も写っていない写真が装丁になっていることに思い至る。オースターに連れ出された我々読者が見たものは何だったのか。ふと気がつけば、読後に想像をかき立てるいつものオースター・マジックに罹っていた。 -
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Sturm und Drang.
本書を読み終えた直後の私の心境は、まさのこの一言であった。暴力的なまでの物語の持つ力を見せつけられ、数分の間、茫然自失としてしまう自分がそこにはいた。
私にとって、現存する作家の中で新作をチェックしてほぼ読むようにしている数少ない一人がポール・オースターである。これまで彼の最高傑作は多くの人々も認めるように1989年の『ムーン・パレス』だと思っていたが、その認識を改めた。本作こそ最高傑作といって良いのではないか。
物語は1967年、文学を志す20歳のコロンビア大学の男子学生を主人公に幕を開ける。彼が突然巻き込まれる暴力と恋愛をトリガーにして、彼の一生が劇的に変化していくのだが、その模様は彼が死の間際になって記した小説内小説というメタ的な技法を取り、3つの章で語られる。この小説内小説を大学時代の友人である彼から受け取るのが、もう一人の主人公であるポール・オースター自身と思しき作家である(彼が本作の中で語る初期の自らの作品とは明らかに1982年にオースターが発表した『孤独の発明』そのものとなっている)。
しかしながら、本書の広範では小説内小説という形で描かれる男子学生の一生の変化が本当に真実なのか、作家は疑義を持ち、その謎について独自の検証を行うことになる。このあたりで、一体どこまでが真実なのか、信頼できる語り手は男子学生なのか、作家なのか、次第に混迷する中で物語はさらなる謎と共に唐突の終わりを告げる・・・。
タイトルであるInvisible=不可視という言葉は、こうした謎自体を暗示しているように見えるし、また別の何かを明らかに暗示している。本書で数回登場するInvisible=不可視、という単語はいずれも象徴的な場面で用いられているのが一つの証跡であり、見えなくなってしまっているものは何なのかを確認するために、改めて本書を再度読み直したくなる気持ちに駆られた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ旧友から送られた回顧録の体裁を取ってるとはいえ、倫理的にも社会的にも結構エグい話。オースターと訳者の品格ある文章に抑えられているのを差し引かなかったら、かなりドン引きしていたのは間違いない。またその話が複雑で流動的な枠構造に彩られ、ドンドン物語世界の深みにさらわれる。読み終わりたくない、と久々に思った。
主人公アダムはオースターの主人公としては定番なタイプとは言え、美しく聡明な姉グウィンとの関係は、何故かサリンジャーのグラース家を彷彿とさせる。
更に、一応インテリながら歪んだエゴ炸裂で一皮剥けば変人どころか剣呑なルドルフは、偏執狂気質を露呈するとどうもイマイチ魅力に乏しい一方で、「王妃マルゴ」よりは寧ろ(同じフレンス女性だからか)自堕落で主体性のない乾いた妖艶さが「テレーゼ・デスケルー」を連想させるマルゴは、個人的にツボ。
コロンビア大の学生(アダム・ウォーカー)がフランスからの客員教授(ルドルフ・ボルン)とその恋人マルゴとNYのパーティで出会う。マルゴの口添えで、アダムはボルン出資の雑誌を作るチャンスを得るが、殺人事件がボルンとアダムの本性を暴き、話は立ち消えに…って、充分面白そうな話だが、コレが40年後、アダムの回顧録のサワリとして大学時代の友人(ジムこと作家ジェームズ・フリーマン)へ届く。オマケにアダムは病気で死にかけ。結局再会は果たせず、コレは未完のままジムの手元に残る…で、サワリの回顧録は更にこじれて舞台はパリへ移る。またもや狂気一歩手前の一悶着あり、話は現代へ。トドメの舞台は西インド諸島、学者になったセシルがルドルフに呼び出され、あわや倒錯か、的な。 -
Posted by ブクログ
癌宣告され、終の住処にブルックリンに帰ったネイサンが、甥っ子のトムと再会し物語が進む。
ネイサンが愚行書(愚行が英語でフォリーズという意味)を人生の最後に仕上げるのが目的なのだが、年の差の離れたトムとの会話に男はいつまでも阿呆なんだなと笑えるところが多い。
20代〜30代後半の人が読むならトムにむしろ共感出来る部分がたくさん出来て、個人的には好きになった。
若いころに夢を見て、立派な大人になれるもんだと疑わない時期があって、いつかいつかと先延ばしにしていくと気が付けば何にもない理想とはかけ離れた現実の自分がいる。
そんな自分にこんな人生も悪くないよなあって諦めるように言い聞かせてしまう人には、ネイサンのような人生の先輩が近くにいると変われるきっかけになるのかもしれないと感じた。
ポールオースターがそこら辺にいる有名人ではない一般人にも人生の物語があって、それを誰かに残したいと願っているような作品だと。