あらすじ
S・T・バウムガートナーは九年前に先立った妻アンナの不在を今も受け容れられずにいる。書斎で彼女のタイプ原稿を読み耽り、物忘れがひどいなか、ルーツの地ウクライナを旅したときの摩訶不思議な出来事を書き残す。そんな彼に恩寵が……来るべき日を意識していたとしか思えない、オースター作品のエッセンスが宿る名作。
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Posted by ブクログ
作品紹介・あらすじ
ここではない、どこかから電話が鳴る。ポール・オースター最後の長篇小説。S・T・バウムガートナーは九年前に先立った妻アンナの不在を今も受け容れられずにいる。書斎で彼女のタイプ原稿を読み耽り、物忘れがひどいなか、ルーツの地ウクライナを旅したときの摩訶不思議な出来事を書き残す。そんな彼に恩寵が……来るべき日を意識していたとしか思えない、オースター作品のエッセンスが宿る名作
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ポール・オースターの遺作。
本当は「4321」を読んでから本書に取り掛かろうとしたのだけれど、「4321」の分厚さに慄いてしまい、半分以下の分量の本書に手を付けた次第。
主人公は、哲学者で大学教授でもある男性で、詩人で翻訳者であった妻のアンナとの出会いから死別、妻の死をきちんと受け入れることができず、かつ自身の老いや死についても見つめざるを得ない状態にいる70歳になるS・T・バウムガートナー。
作品中にはアンナの詩やバウムガートナー著による短篇作品などが挿入されている。
ドラマティックな出来事が起きる訳でもなく、謎解きやストーリーの面白さを味わうような作品でもないのに、一度読み始めるとやめることができなくなる。それは僕が(まだ70歳にはなっていないけれど)既に人生の3分の2を費やしてしまったことで、バウムガートナーに感情移入しやすくなっているのかもしれないし、ポールの文章、あるいは翻訳者の柴田元幸氏の訳文に人を惹きつける何かがあるからかもしれない。元々大好きな作家だったポールの遺作、ということも要素として挙げてもいいのかもしれない。
最後をどう受け取るべきなのだろう。バウムガートナーに対する皮肉ともとれるし、どこか不穏な気配の始まりのようにも感じられる。あるいはバウムガートナーとポール・オースターを重ね合わせることによってポール自身のことを言っているのかもしれない。もっと最新作を読みたかった作家だけに、彼の死は本当に残念でならない。幸いにも未読の彼の作品があるので、少しずつ読んでいこうと思っている。
Posted by ブクログ
『ペンを手に、キェルケゴールの一連の筆名を論じた著書の第三章の一文を途中まで書いたところで、文を終えるにはある本を引用する必要があり、その本を昨夜寝る前リビングルームに置いてきたことに思いあたる。取りに行こうと階段を降りていく最中、今朝十時に妹に電話する約束をしたことに今度は思いあたり、もうほぼ十時なので、本を取りにリビングルームへ行く前にキッチンに行って電話をかけることにする。ところがキッチンに入っていくと、鋭い、刺すような匂いがして彼は思わず立ち止まる』
思わずニコルソン・ベイカーの「中二階」を思い出してしまうような書き出しのポール・オースターの遺作は、予約の順番待ちで長く待たされることもほぼなく手許に届く。この後の予約も一件入っているのみ。どうやらこの界隈ではオースター読みはそれ程多くないのかも知れない。
ポール・オースターの小説はほぼ全て読んできているけれど、「写字室の旅」辺りからの小説では少し息苦しくなるような思いを強いられていた気がする。そんな思いが払拭されたのが「4・3・2・1」であったし、翻訳の柴田さんがオースターは常に新境地を切り開いていると言っていたので、この遺作はどんな小説なのだろうと読む前から期待していた。
個人的には(そして多くのオースター読みの人々もそうだと思うが)ポール・オースターと言えばニュー・ヨーク三部作に尽きるような気がする。それは正に稀代のストーリーテラーという修辞が相応しい、ある意味オースターらしい作品群だと思う。そこに登場する主人公が時折オースター自身を思わせることもあるにはあるけれど、自伝的という物語では決してなかった。それに比して2000年代以降の作品は主人公が老人ということもあり自省的な物語という雰囲気だったし、「4・3・2・1」もやや自伝的な物語であると読みながら思ってしまった。それに増して本書「バウムガートナー」は自伝的な雰囲気の強い小説だと思う。それはどういうことかというと、小説を読んでいるような気分に中々浸れない、作家の言葉として聞いてしまいがち、ということでもある。
主人公は老境に達した作家。妻を事故で失くしている(という点はオースターの私生活とは異なる)。しかし、若い頃のフランスでの恋人との生活の下りや活発な人物像はともすると最初の妻であるリディア・デイヴィスを彷彿とさせるし、翻訳などで生活を支えていた若い頃の話や詩作をこの妻の話として語っているようにも見える。そして終盤に出て来る父や母の話や移民としての来し方を語る下りは、ほとんど自伝とも言える口ぶりだ。父に関して言うなら、作家として世に出した一作目「孤独の発明」は父の死に触れて書いたものだという。その死により遺産を得て作家として専念するという辺りの話は「4・3・2・1」で散々聞いた話。本作でも同じような話の展開が披露される。
『高校時代から始まって、溺死する三週間前までに至る詩の分厚い束。未完に終わった二つの長篇小説、何篇かの短篇、十あまりの書評等々の、手書きで直しが入ったタイプ原稿。そして、一番下の引出しにぽつんと一つ、自伝的な文章を集めた中くらいの大きさの箱。バウムガートナーはその箱を手にとり、彼女の机に持っていって、彼女の椅子に座り、蓋を開けてみた。山の一番上に置いた束は錆びかけたクリップで留めてあった。つまり古いということだ。もう何年も前、ひょっとすると結婚当初、いやもっと前かもしれない。彼はそれを両手で持って、読みはじめた。
フランキー・ボイル
夜明け前の幼い日々、五、六、七、八歳の嘴の黄色い年月、野球こそ私のスポーツだった』
ああ、こういう展開の仕方はポール・オースター的だな、と思う。むしろ、本書の中に挿入された、劇中劇とも言える文章はストリーテラーとしてのオースターの魅力を素直に感じられる。もちろん、作家として一つのやり方に拘泥してしまうのを良しとしなかったことは理解できるけれど、こういう物語もまた読みたかったなと思ってしまうのも、正直なところ。それが読めないのは残念だけれど、最初に読んだ「ムーン・パレス」の衝撃を自分はいつまでも忘れられない気がする。
Posted by ブクログ
PAUL AUSTER 2024年に亡くなり、これが:最後の作品らしい。
ニュ-ヨ-クで暮らしていた二人が、結婚に至った経緯、そして妻の海における事故死。10年後の私の生きざま。作家は実に物語をうまく作るのだ。なぜなら、PAULの奥様は健在だし、彼は肺がんでなくなっている。私は1年前妻を肺がんで亡くした。
主人公と同じ状況で、おそらく小説の中の私と同年配。奥さんが私と同い年と思われる。10年後の自分がどう思っているか、小説に書けるものなら書いてみたい。
世の中には夫又は妻と生き別れ、死に別れされた人も多いだろうが、皆さんどうされているやら、様々であろうがやはり残ったほうは、生きてゆかねばならぬのだから、孤独な生活を凌いでゆかなければならない。
この作品は少し参考になったかな?
Posted by ブクログ
バウムガートナーはなぜ喪失から立ち直れたのか。私は、奥様からの不思議な電話を通して、ポジティブな意味で忘れないで欲しいと言われたからだと思った。いつまでも過去の幻影を引きずるのではなく、新しい人、ことに接する中で、故人を再認識することなのかと、最後の若い研究生へのサポートを整えている様子から、そう思った。
Posted by ブクログ
大きな出来事が起こるわけでもなく、妻を失った喪失感が漂い、大半は過去の回想で進んでいく。が、不思議と重くない。悲しみを抱えながらも、新たな人との出会いやかつて幸せだった記憶を支えにしながら、残された者は淡々と日常を過ごしていく。ポールオースターの遺作。