佐伯啓思のレビュー一覧
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ネタバレ今でこそ自明の理として扱われる「自由」について論じた本。思えば「自由」という言葉ほど頻繁に人の口の端に上るのに、それが何なのか論じられない言葉も少ない。
「自由」を考える上での最大の難問は、ディレンマに陥りやすいこと。例えばアメリカが「イラクの文明化」を掲げて同国の自由のために干渉したことは「自由の強制」であると言える。「自由」を押し付けるのだから自己矛盾である。
また、「○○への自由」という積極的自由を徹底的に追求すれば全体主義に、「◯◯からの自由」という消極的自由を追求すると、自己中心主義や排他主義に陥りがちである。○○に入るのは個人の情緒を反映した価値観であり、価値観の相対化を -
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就活のときに、読み、当時の最高の1冊。そして再読。
いやーやはり秀逸。
実際、僕たちの年代は、保守・革新だとか左翼・右翼とか言われても、自分に関係なく、ちょっと怖いものだったり、怪しいものってイメージのみ。
今は、実際そんなくくりでは括れない、もっと根本的なレベルで、精神の中にあるもの、日本という国を見直していきましょう。
という本。だと感じたら、
あとがきに、
「本書は、日本における保守主義について論じたものです」
って書いてあって、自分は保守主義ってものなのかって意外な感じがしました。
まぁそういった括りとか関係なく、もっともっと考えを深めていこうと思わせてくれる1冊です。
自由と -
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「資本主義はニヒリズムか」の中で紹介されていた本作品を読んでみた。今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で「資本主義」という概念をどのように理解すればよいのか、そして文明論的に、歴史的にみればどのような意味をもつのかを問う作品である。
第1章が、社会主義はなぜ崩壊したのかということで、「効率的」は自明的なことかを問いながらも、社会主義が欠けていたものを論証している。
第2章は、80年代と日本の成功について、理念なきテクノロジズム、歪んだ資本主義?としながらも、消費資本主義を誕生させたということで総括している。
第3章は資本主義という拡張運動ということで、ブローデルの三層理論、バタイユの -
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「死んだ人が化けて出る」という発想は、地上に留まる霊的存在を基本的に認めないキリスト教や、死者の魂が現世に戻るという考えを否定するイスラム教においてはあり得ないのではないか。本書で書かれるわけではないが、読みながら、ふと思った。しかし、ゴーストという言葉がある。日本人が怖がる幽霊に相当するものが彼らにはあるのか。あるとすれば、彼らは一体どのように解釈して恐怖するのだろう。
調べると、教義的には否定される「幽霊」だが、宗教とは異なる所で民間伝承として存在するのだという。いや、幽霊なので存在はしないかもしれないが、少なくとも想念としては否定されないという。
で、本書は死生観に関する本だ。宗教や -
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最近、飛行機の遅延が多いが何とか旅程をこなしながら、南に北にと移動を繰り返している。本を読むには飛行機の遅延時間が捗る。
さて、神なき時代の「終末論」というと鎌倉末期の末法思想を思い出したのだが、末法とは仏の教えは残っていても、誰もそれを正しく実践できず、悟りに至れない時代のことで、神にすがりもしない現代と似たものとはやはり言えない。現代は、神に何もかも押し付ける時代ではない。
本書で考えさせられたのは、日本人の「根源感情」への問いかけ。われわれの無意識の思考を突き動かしているものとは何なのか。本書に書かれる通り、旧約聖書的な世界観や歴史観は、われわれの深層価値のどこを見渡しても、まずでて -
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京大で行ったと京大生と佐伯啓思さんの対話形式の授業を書籍化した本。
ニヒリズムという、自分たちがこれまで当たり前だと考えていたものが実は下賤なものであったと分かったときにその考えは無に帰してしまうという考えを基に様々なトピックについて議論していた。
倫理的な問題に限らず、政治や社会問題についても取り上げており、それらのトピックに対して臆せず取り組む京大生に驚いた。しかし、最も驚いたことは京大生の言語化能力の高さ。京大生の大学1年生を対象とした講義であるということだが、学生全員が根拠を持って自分の意見を述べる姿勢、何について理解できていないかを踏まえたうえで自分の意見を述べる姿勢。同じ大学生 -
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保守の思想家佐伯啓思氏による現代の批評とでもいう感じの本。イスラエルによるガザ侵攻のまえに書かれたようでそのことへの言及がないのが残念ではあるけれど、敷衍して考えることはできる。話はややこしくて、近代・個人・資本主義を明確に打ち出してくる西欧リベラルと、ロシアに代表される土着の文化と結びつきながらも理想郷をもとめる思想が、ともにユダヤ・キリスト教的な終末思想、メシアニズムに裏打ちされていて、ともに拡大主義の路線をとっている。金や情報が金を呼び、自然や文化を壊している現状や権威主義的な体制が復古しつつある現代社会は限界を迎えているようにも思えるけれど、かと言って一気に解決するような革命的な方策は
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ネタバレ・西欧近代は、合理的科学、自由主義、個人主義、基本的人権、民主的政治的理念、主権的国民国家、市場競争主義など普遍的理念であるということが疑わざる前提として様々な事が語られ、論じられてきたが、本書はそこに疑義を呈する。
・「文明の衝突」を述べたハンチントンは西欧の近代を特徴づけるもの(古典古代の遺産、キリスト教、ヨーロッパ系の言語、政教分離、法の支配、社会の多元性、代議制度、個人主義)は「西欧的なもの」であって、西欧の近代を特徴づけるものではない。非西欧的世界にとって「西欧文明」と「近代文明」は違う。イスラムや中国、ロシア、インドなどは近代化したとしてもそれは決して「西欧文明」化することではない -
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本書では、近代の状況を、ニーチェによるニヒリズムを背景として、価値が相対化され、そのなかで(おそらく人間の特性として)他者への優越したいという志向だけがのこり暴走し、資本主義が過剰に働いているのだという。
神やプラトンのイデアなど、形而上の何かがあり、世界が何者かに制作されるモデルから出発すると、形而上の何かがないということが理解されたのちには、人間が主体として世界を制作(コントロール)するという考え方に自然に帰結するという。そうすると人間の特性として「力への意志」が真だとすれば暴走せざる得ない。
また、制作されるというモデルを採用すると制作者が居ないという事実から、無価値に至るため、ニヒ -
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人生の後半戦に突入した自分の今後を考える参考になれば、と思い手に取る。著者が冒頭で述べている通り、「これ」という結論が容易に出せる問いではないが、末尾で述べている通り、解を模索する試行錯誤の過程を辿ることで、いろいろと考えさせられた。
西洋的な近代合理主義では、二律背反となってしまう「死に方の自己決定」について、古代日本あるいは日本仏教の中に解の手がかりを求めようとすることは、やはり日本人である自分には響いた。
特に心に残った箇所は以下の通り。
●「人格」とは、人を社会的存在として形成する接着剤であり、結節点である。人は相互に、それぞれの「人」の「格」を測定し、評価し、それによって、様々な共