佐伯啓思のレビュー一覧

  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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     今でこそ自明の理として扱われる「自由」について論じた本。思えば「自由」という言葉ほど頻繁に人の口の端に上るのに、それが何なのか論じられない言葉も少ない。

     「自由」を考える上での最大の難問は、ディレンマに陥りやすいこと。例えばアメリカが「イラクの文明化」を掲げて同国の自由のために干渉したことは「自由の強制」であると言える。「自由」を押し付けるのだから自己矛盾である。

     また、「○○への自由」という積極的自由を徹底的に追求すれば全体主義に、「◯◯からの自由」という消極的自由を追求すると、自己中心主義や排他主義に陥りがちである。○○に入るのは個人の情緒を反映した価値観であり、価値観の相対化を図るリベラリズム(自由主義)に基づいて考えると、何でもかんでも「どっちもどっち」になってしまい、自由の判断の妨げる。

     「自由」という概念は、近代ヨーロッパにおいて自由な個人が国家や社会に先立つものとして「発見」されたことに根差しています。そのため近代国家は国民の安全に対して当然に責任を持ち、権力を行使して自由な個人を支えるものと理解される。

     数年前にイラクで三邦人が人質となった事件があった際、「自己責任論」が人口に膾炙しましたが、著者は国家が「自己責任」を押し付けるのは国家が国民に対する責任を放棄したことに他ならず、そのことによって国民の自由を蹂躙することになると主張する。

     国家と個人との関係を考えれば、政治家や公務員が自己責任論を主張することは自らの責務を否定する自家撞着である。

     現代人は「自由への倦怠」に陥っているとされる。これは昔のように命懸けで抵抗すべき政治的抑圧や道徳的規範がなくなり、自由に対するイメージも稀薄化したことが発端である。

     現代のリベラリズムは「多様性を保証するための平等な権利としての自由」を中心としているが、それでも自由への倦怠は止まらない。寛容と多元性を志向するはずの自由というものは、飲めば飲むほど喉を渇かす塩水のように、求めれば求めるほど不寛容と一元性へと収斂していく。

     そのような自由のパラドックスをどのように克服すればいいのか。著者はそれを多様な「義」を承認することであると主張する。アメリカ軍もイスラーム過激派も自らの「大義」を唯一絶対と考える独善性を孕んでいる。

     そのため両者の調停をするには、互いの「義」を承認しないわけにはいかない。自分の確信も相対的なものの一つに過ぎないことを自覚することが多元性につながる。リベラリズムもその例外ではない。

     「自由」の起源やリベラリズムの抱える矛盾や難問について考える上で必読の書。自由が尊いのは言うまでもないが、それよりも寛容さや多元性を尊重したいと改めて思った。

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    2011年06月05日
  • 自由と民主主義をもうやめる

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    就活のときに、読み、当時の最高の1冊。そして再読。

    いやーやはり秀逸。
    実際、僕たちの年代は、保守・革新だとか左翼・右翼とか言われても、自分に関係なく、ちょっと怖いものだったり、怪しいものってイメージのみ。

    今は、実際そんなくくりでは括れない、もっと根本的なレベルで、精神の中にあるもの、日本という国を見直していきましょう。
    という本。だと感じたら、

    あとがきに、
    「本書は、日本における保守主義について論じたものです」
    って書いてあって、自分は保守主義ってものなのかって意外な感じがしました。
    まぁそういった括りとか関係なく、もっともっと考えを深めていこうと思わせてくれる1冊です。

    自由と民主主義に対する絶対視の問題、
    生命至上主義の問題、
    ニヒリズムの問題。

    第3章 成熟の果てのニヒリズム
    だけでも、是非。

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    2010年10月17日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    「資本主義はニヒリズムか」の中で紹介されていた本作品を読んでみた。今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で「資本主義」という概念をどのように理解すればよいのか、そして文明論的に、歴史的にみればどのような意味をもつのかを問う作品である。
    第1章が、社会主義はなぜ崩壊したのかということで、「効率的」は自明的なことかを問いながらも、社会主義が欠けていたものを論証している。
    第2章は、80年代と日本の成功について、理念なきテクノロジズム、歪んだ資本主義?としながらも、消費資本主義を誕生させたということで総括している。
    第3章は資本主義という拡張運動ということで、ブローデルの三層理論、バタイユの発想、ジンメルの欲望論などを参照しながら、その時代時代の資本主義の変遷を語っている。
    第4章は、「外」へ向かう資本主義ということで、ゾンバルトの説、産業革命とは何だったのかとして、それ以前のアジア・イスラムの商業活動に言及している。
    第5章は「内」へ向かう資本主義として、20世紀アメリカが生み出した資本主義について分析を行った。
    第6章はナルシズムの資本主義として、欲望のフロンティアのゆきづまり、浮遊する好奇心、情報資本主義における消費者といういままでになかったタイプの資本主義の到来について語っている。
    第7章は、消費資本主義の病理で締めくくっている。ゆたかさの果てに、つまり、「成功するがゆえに没落する」資本主義について、シュンペーター、マルクス、ケインズらの予言を紹介している。
    最後に、著者は以下のように締めくくった。
    モノはほんらい、技術だけではなく文化の産物でもある。経済活動自体が、ほんらいは広い意味で文化という土壌と不可分なのである。今世紀の産業主義は、それを技術の次元に還元し、文化から切り離そうとした。いま限界にきているのはそうした今世紀の産業主義である。だが、その限界地点で、ようやく、欲望を産業技術のフロンティアの奴隷にすることから解放されようとしているのではないだろうか。欲望を文化的なイマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになってきたのではないだろうか。わたしはといえば、やはりこの可能性にかけてみたいのである。

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    2010年02月15日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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    卒制のテーマを絞ることができたきっかけの本。

    現在のリベラリズムは自由を手段ではなく目的としてしまっている。これが、自由に対して私たちが希望を持てない理由だ。

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    2009年10月23日
  • 自由と民主主義をもうやめる

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    著者の言に必ずしも同意するものではないが、民主主義の危うさは以前から感じていた。ある意味、真実を突いている。

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    2009年10月07日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    主に資本主義の歴史についてかいてあります。
    「資本主義はその成功のために没落する」ってゆう言葉を聞いて思い当たりました。
    それで日本こんな不自然なんですね。

    あと、投機マネーのせいで石油が高いとかなんとかゆうてますが、
    資本主義の恩恵にあやかっている限りそんなことを言う資格はありません。

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    2009年10月04日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    資本主義は「欲望」によって成り立っている。人間の欲望はとどまるところを知らず、資本主義は欲望のフロンティアを拡張し続けていくというのが本書の内容。非常におもしろい。買ってよかったと思える一冊。

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    2009年10月04日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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    自由とは何か。責任とは何か。
    イラク人質事件などの話をもとに「自由」「責任」「国家」などについて考察。

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    2009年10月04日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    とても面白かった。出版されてからもう10近くになりますが、今までの経済の歴史を振り返って、今はどんな状況なのか、筆者の意見が出ています。本当は経済に分類したいのですが、内容的には思想だと思ったので思想に分類しました。
    「外に向かう資本主義」「内に向かう資本主義」「ナルシズムの資本主義」の展開はかなり興奮です。

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    2009年10月04日
  • 現代文明論講義 ――ニヒリズムをめぐる京大生との対話

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    京大で行ったと京大生と佐伯啓思さんの対話形式の授業を書籍化した本。

    ニヒリズムという、自分たちがこれまで当たり前だと考えていたものが実は下賤なものであったと分かったときにその考えは無に帰してしまうという考えを基に様々なトピックについて議論していた。

    倫理的な問題に限らず、政治や社会問題についても取り上げており、それらのトピックに対して臆せず取り組む京大生に驚いた。しかし、最も驚いたことは京大生の言語化能力の高さ。京大生の大学1年生を対象とした講義であるということだが、学生全員が根拠を持って自分の意見を述べる姿勢、何について理解できていないかを踏まえたうえで自分の意見を述べる姿勢。同じ大学生として彼らの知性の高さ、教養の深さに対して尊敬すら覚えた。

    しかし、最もすごいのは場を取りまとめる佐伯啓思先生。生徒の意見を簡潔にまとめるだけでなく哲学的に抽象化しさらに議論を活発にさせる手腕。
    そもそもの知識、教養の深さ。すべてが圧巻であった。
    対話形式の授業は、教室を治める教師の力量が最も問われる授業形態であるが、佐伯啓思さんレベルの人間が教壇に立つことでここまで活発な議論が起こるのかと驚かされた。
    特に第6講は自分の中でかなり印象に残った章であった。

    <印象に残った言葉>
    ・守るという行為と守るべき対象の創造の主体は同じでなければならない。
    →守る主体はアメリカに移った。日本は守られる対象となり主体が分離してしまった。
    →我々の中に生きている文化を守ることが文化であり、文化遺産を守ることが文化ではない。

    ・日本を守るというが日本の「何を」守るのか?
    守るべきものを認識しているか?
    守るべき日本の環境や人に対して自分は大事にしている?

    ・あまりに簡単に生命尊重主義、自由や人権、平和主義、平等主義を高く掲げてしまうと人間の”生”の衰弱というニヒリズムが生じる。

    ・生という基盤の上に乗せられる正義や善に対して意識を持つべし

    ・意識をもつということは自分で動くことであり、順序付けることである。そして、順序付けることである程度一貫した方針を作るのが価値である。価値を持たない人間はバラバラで人格が見えない。

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    2025年04月26日
  • さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか

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    見事なまでに民主主義の衰退を予言している。
    特に近代日本の「利」による「義」の敗北の一節が印象的だった。
    西洋のマネは上手だったけれど、結局そうすることで西洋との対立に向かわざるを得なかったディレンマが何とももどかしかった。

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    2025年04月01日
  • 神なき時代の「終末論」 現代文明の深層にあるもの

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    保守の思想家佐伯啓思氏による現代の批評とでもいう感じの本。イスラエルによるガザ侵攻のまえに書かれたようでそのことへの言及がないのが残念ではあるけれど、敷衍して考えることはできる。話はややこしくて、近代・個人・資本主義を明確に打ち出してくる西欧リベラルと、ロシアに代表される土着の文化と結びつきながらも理想郷をもとめる思想が、ともにユダヤ・キリスト教的な終末思想、メシアニズムに裏打ちされていて、ともに拡大主義の路線をとっている。金や情報が金を呼び、自然や文化を壊している現状や権威主義的な体制が復古しつつある現代社会は限界を迎えているようにも思えるけれど、かと言って一気に解決するような革命的な方策は取らないし無理というのが巻末の斎藤幸平氏との対談で示した著者の考えと理解したがどうか。結局は漸進的な方法しかないようにも個人的にも思ってはいる。しんどいけれど。

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    2024年08月25日
  • 西欧近代を問い直す 人間は進歩してきたのか

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    ・西欧近代は、合理的科学、自由主義、個人主義、基本的人権、民主的政治的理念、主権的国民国家、市場競争主義など普遍的理念であるということが疑わざる前提として様々な事が語られ、論じられてきたが、本書はそこに疑義を呈する。
    ・「文明の衝突」を述べたハンチントンは西欧の近代を特徴づけるもの(古典古代の遺産、キリスト教、ヨーロッパ系の言語、政教分離、法の支配、社会の多元性、代議制度、個人主義)は「西欧的なもの」であって、西欧の近代を特徴づけるものではない。非西欧的世界にとって「西欧文明」と「近代文明」は違う。イスラムや中国、ロシア、インドなどは近代化したとしてもそれは決して「西欧文明」化することではない。本来はその国や地域文化と調和した多様な「近代」があるはずである。多様な近代化を「西欧的な価値」を基準に論じることへの疑義。
    ・近代社会と前近代社会を分つ断層をもたらしたものは3つの「革命」。
     科学革命、市民革命、産業革命。これにより、呪術的思考から合理的思考、また伝統的権威主義的な政治体制から自由で民主的な市民中心の政治体制へ、そして共同体的な土地に依存した経済から共同体を離れ、場所に縛られない市場経済・産業技術へ移行した。
    ・近代社会を考える上で重要なのは上記の3つの革命とともに、宗教改革が挙げられる。宗教的秩序から世俗的秩序へ社会が大きく転換した。中世的権威の崩壊により不安定さの中で、信仰の原点に戻り、その原点回帰のなかから脱宗教化された世俗的秩序が生まれてくる。
    ・ホッブズの思想。神の権威を背景におきながら、世俗的な世界においてはあくまで人間が統治する、つまり国家を上位におく事を理論化。「万人の万人よる闘争」の自然状態からの脱却のため、自然権の一部を国家権力に譲渡する。これにより市民像が大きく転換。古典古代的な「善き市民」から個人の自己保存を最優先するという市民像への転換。「善き市民」が果たすべき共同体の維持や防衛は国家に任せ、ひたすら私的生活に関心を寄せる。「公」よりも「私」を優先するので、政治よりも経済活動に関心を持つ。近代的市民の最大の関心は防衛や政治参加では無く、経済活動の自由である。
    ・ルソーの思想。「一般意思」。市民の個別の意思ではなく市民共通の「意思」。しかし、民主主義を徹底して(文字通りの人民主権。ルソーは代議制を否定した)いけば無理に民衆の一致した意思を作り出さねばならず(すべての人が一致したかのような意思の仮構)、これを徹底すると「自分自身が国民の意思を体現していると任じる国民の究極の代表者が現れる。ここにルソーの思想の危うさがあり、民主主義、特に人民主義が全体主義に陥り独裁者を誕生させるのである(人民の意思として仮構されるの=現代では「世論」)。
    ・古典古代的価値観を重視する近代社会。有徳で有能な人民の「代表」が集まって政治を構成する共和制。市民の代表として政治に参加し、そこで大きな働きをすることが人間活動で最も名誉な賞賛に値すること。そして、共和主義的な政治とは言論による政治。人前で話し、主張し、自己を表現し、そのことによって賞賛を得る。「公の場」に自己を晒す、つまり隠匿する「私」を重視するホッブズの想定する近代市民とは違う市民像。市民革命といってもイギリスからの独立を目指し、一から国家を創造していったアメリカ社会はこの市民像が今も重視されるものである。アメリカ独立の指導者たちにとっての自由とは公共的なもの、積極的に人々と共同の作業を行い、共同で何かを作り出していく活動(共同体に善きものを実現すること)。そのなかで自己の能力を発揮し、他者からの敬意を獲得する、それこそが本来の自由の本質と考えた。
    ・フランス革命は王や貴族に抑圧される貧困市民の怨嗟により起こった。既存の権力や権威によって成り立つ社会を破壊することにエネルギーが向けられた(アメリカ独立革命の新しい社会の創造と対局的)。これを批判的にみたのがイギリスの保守の象徴的存在であるエドモンド・バーグである。継承される(「世襲的」)ものの積み重ね(先人の経験が蓄積された)の中で自由や権利が保護されるものとして受けつがれてきたイギリス社会。同じ市民革命でも王権を否定しなかった名誉革命を賞賛する。
    ・マックス・ウェーバー。宗教改革、特にカルバン派、ピューリタニズムが近代の個人主義を生み出した。神と個人との直接の対峙、特に「予定説」をとるカルヴァン派では神という絶対者が個人の生活の隅々まで監視し、全てを見透す。人の側からは神を見る事はできない。神があたかも存在するかの如く、自分を自分で律するために神を内面化する(教会を通じて神と繋がるカソリックと違うプロテスタントのキリスト教的個人主義)。ベンサムが考案したパノプティコン(近代的監獄)との類似性。強制されるのではなく自ずから自己を律していく「規律訓練型権力」という近代社会の権力の特徴。この合理的権力行使により秩序を形成する近代社会のあらゆる施設や組織でみられるもの(学校や会社など)。
    ・宗教的権威の後退から内なる神を失った時(人々が確信できる「確かなもの」)、キリスト教的個人主義はニヒリズムに陥っていく。近代の世俗主義、合理主義、自由への要求、経済活動の活発化などは宗教的な権威への信仰そのものを失わせる運命にある。
    近代の合理主義は世界という秩序への確信を失わせてしまう。近代科学は事実を明らかにするのが特徴で価値判断(何が確かなものか、善きものか)を行わない。科学を重視する近代合理主義はわれわれの生や活動に意味を与える「確かなもの」を示してはくれない。
    確かな価値観を持てない社会。それが西欧近代のおおきなジレンマである。

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    2024年07月11日
  • 近代の虚妄―現代文明論序説

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    本書では、近代の状況を、ニーチェによるニヒリズムを背景として、価値が相対化され、そのなかで(おそらく人間の特性として)他者への優越したいという志向だけがのこり暴走し、資本主義が過剰に働いているのだという。

    神やプラトンのイデアなど、形而上の何かがあり、世界が何者かに制作されるモデルから出発すると、形而上の何かがないということが理解されたのちには、人間が主体として世界を制作(コントロール)するという考え方に自然に帰結するという。そうすると人間の特性として「力への意志」が真だとすれば暴走せざる得ない。

    また、制作されるというモデルを採用すると制作者が居ないという事実から、無価値に至るため、ニヒリズムは当然の帰結(歴史の必然であり西洋はその歴史の必然を一番クリアに示しているという)。

    なお、ハイデガーによれば、ニーチェによるニヒリズムに対する人の生き方である「権力の意志」は主体を絶対化させた「主体性の形而上学」であるという。

    著者はこの状況について、西洋の思想がデカルトのわれ思う故に我ありという言葉に代表されるように「在る」を前提/起点に理性/論理から組み立てられていることに対して、日本特有?の哲学である「無」を起点とした哲学/思想がヒントになるのではないかという。

    私の考えでは、身体性と意識を一体として、意識と世界自体も言った言い捉えること、また世界にその外を必要としない世界観が、納得感があると思う。

    東洋思想では、梵我一如とか、一切衆生悉有仏性、無我と色即是空あたりの考え方に関係するのかもしれない。自然法爾は、それらからの(少し遠いが)帰結かな。

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    2023年04月22日
  • さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか

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    今の時代を歴史、思想を切り口に見事に解説してくれる。鋭い論評と感じる。特に死生学の大切さを論じてくれた事に感謝したい。

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    2022年11月24日
  • さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか

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    近代以降の現代文明について、多角的に分析されてる。「ごっこ」で成長してきた我が国もそれが行き詰まった平成時代。福沢諭吉の頃の精神を取り戻す必要はわかったけど、隘路脱出の方法はよくわからなかった。

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    2022年10月30日
  • 死にかた論(新潮選書)

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    人生の後半戦に突入した自分の今後を考える参考になれば、と思い手に取る。著者が冒頭で述べている通り、「これ」という結論が容易に出せる問いではないが、末尾で述べている通り、解を模索する試行錯誤の過程を辿ることで、いろいろと考えさせられた。
    西洋的な近代合理主義では、二律背反となってしまう「死に方の自己決定」について、古代日本あるいは日本仏教の中に解の手がかりを求めようとすることは、やはり日本人である自分には響いた。

    特に心に残った箇所は以下の通り。
    ●「人格」とは、人を社会的存在として形成する接着剤であり、結節点である。人は相互に、それぞれの「人」の「格」を測定し、評価し、それによって、様々な共感のレベルを作り出し、多様な層をもった社会を生み出す。(中略)社会的存在としての他者に対する共感があってはじめて他者を「人格」として尊重できるのである。(P.51-52)

    ●われわれは常に「いずれ死ぬ」と思っている。しかし、よくよく考えてみれば、われわれは常に「いつでも死ぬ」可能性に取り囲まれている。だからこの一瞬の生は、常にその奥底に死をもっているというべきであろう。「生」は「死」によって支えられてある、といってよい。(P.79)

    ●「死」とは、最後の「生」であり、「生」の頂点であり、その到達点ともいえる。「よい生」にこだわる者が、「よい死に方」へと生の最後の精神の緊張を向けるのは当然のことであった。「生の尊重」というなら「死に方」も尊重されなければならない。(P.196)

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    2022年01月25日
  • 死にかた論(新潮選書)

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    佐伯啓思(1949年~)は、東大経済学部卒、東大大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、滋賀大学経済学部教授、京大大学院人間・環境学研究科教授等を経て、京大名誉教授。京大こころの未来研究センター特任教授。専攻は社会経済学、社会思想史。一般向けを含めて多数の著書あり。
    本書は、月刊誌『新潮45』に連載された「反・幸福論」(2018年6~9月)(同誌はその後廃刊)に、書下ろしを加えて出版されたもの。同連載は、2010年12月から、その時々の時流を勘案したテーマを論じ、いずれも後に書籍化されているが、死生観的な論考がまとまっているのは『反・幸福論』(2012年)、『死と生』(2018年)で、本書はその続編になる。(私は『死と生』は読んだ)
    本書は、「安楽死」を導入に、日本的死生観、特に仏教に関わる死生観がメインに書かれているが、著者の他の著書同様、古今東西の先人の思想や著書が引用されており、本書をきっかけに思考を広めるのに大変役に立つ。
    「死」、「死にかた」について様々な示唆を与えてくれる一冊である。
    (2021年6月了)

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    2021年06月22日
  • 経済学の思考法 稀少性の経済から過剰性の経済へ

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     経済学という科学的な装いをしているが、どうも怪しい学問について、初めて親近感を持って読めた本である。
     市場原理主義者が構造改革が必要だとして行った「改革」は悉く日本人の普通の人の自信を奪い、希望を抱くことを諦め、大胆なチャレンジなんて考えない大衆に変えた。
     経済学者が言ってきたことのほとんどが、日本人を幸せにしてこなかった。この本は、まずそのことを認めている点がすごい本だと思った。しかも、スミスやケインズの考えていたことの本当をわかりやすく教えてくれる。我々は、スミスこそ市場原理主義者と誤解していたし、ケインズこそ成長至上主義者と誤解している。
     そんな私たちに本当の経済学をわかりやすく教えてくれるこの本は価値があると思った。

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    2021年03月02日
  • 反・幸福論

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    幸福を強迫観念の視点と絡めて面白かった。ルサンチマンの話も説得力がある。
    仏教のところは話が難しかった。

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    2019年09月12日