佐伯啓思のレビュー一覧
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欲望はアクセル、規律はブレーキ。
コモンセンスは規律の構成要素であり、つまり、他者からの蔑視がブレーキになる。逆に他者からの羨望がアクセルになる。人間社会は、概ねこうした動力により競争し、時々起こる規律の逸脱により革新を遂げて成長する。
欲望のそのものの否定は、滅びである。
規律からはみ出した欲望のみを否定すれば、恐らくは社会主義的な脱成長になるが、世界共通の規律や世界一律の実施でなければ、はみ出しモノが覇権国となるので、非現実的。
結果、欲望>社会的規律>個人 という図式は崩せず、お金などの減耗腐敗しないスコア獲得を巡る競争は終わらない。
成り立たないイデオロギーについて考えるのも良 -
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ネタバレ自動車はGDPを2倍にするが、毎年2万人が死亡する。
時間稼ぎの資本主義=危機を先送りしているだけ。
経済成長を求めるほど、経済成長は達成できなくなる。
借金を原動力に成長するのが資本主義=成長しなければ借金は返済できない=未来の収益は負債より大きいものにしなければ、破綻する=成長が義務付けられている。=やがて破局を迎える=賢明な破局主義。
ベルの「脱工業社会の到来」は、将来の見通しが楽観的過ぎた。
新自由主義や市場原理主義が、政府の介入を招いたという逆説。
ハイエクは、社会民主主義や福祉主義を隷属への道として拒否した。
限界費用ゼロ社会=技術開発が利益を生まなくなる。その結果資本主義が滅び -
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以前読んで、本棚にしまってあったが、本棚の整理の際に読み直してみた。
特に第4章で語られる生と死のどうしようもない断絶というのが、最初に読んだ時にはなるほどと思ったが、今回読み返して感想が変わった。
というのも、平野啓一郎氏の「私とは何か 「個人」から「分人」へ」で語られる「分人」という概念を用いると、必ずしも断絶とは言い切れないからである。
Aさんが死んでも、Bさんの中のAさん向けの分人は残り、Bさん全体に影響を与え続ける。そう考えると、自分の死後も自分の存在の影響は残るわけで、そのことも頭の片隅において生きていきたいと思った。逆に大事な誰かを失ってしまったときには、その人の存在を胸に -
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む、難しい...
経済学そのものを考え直させる論文
のっけから、
「経済学は経済を扱うことができない」
とはじまります
経済学は「経済現象」を観察することで成り立つ学問ではなく、経済学の学問に合わせて経済を定義しているとのこと。
つまり、
科学的なもの(観察から普遍的な法則を見出すもの)ではなく思想的なもの(イデオロギー)
としています。
そして、現在の経済学の考え方である「稀少資源の配分」という考え方から「過剰性の原理」という視点で経済現象をとらえようとしています。
経済の拡張をもたらす物は、稀少な資源を使って生産を拡張するのではなく過剰性の処理からもたらされるとのこと。
欲望は過剰性 -
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市民という言葉から、現代日本のかかえる問題を述べた本。
1997年の本だが、今でも通用するようなことが書かれている。それはつまり、20年前と今で同じ問題をかかえているとも言える。
日本で市民と言うと、権力や国家と対になるものと認識されているが、それは戦後社会がマルクス主義的な革命史観の中で作り上げた誤解を含む。
結局は、ルソーの社会契約説に行き着くが、それがすべてなのだろうと思った。
国家や社会に属する以上、権利を手放して権利を得る。人民は国家や社会に責任を負うものであり、対立する存在ではない。
日本では人民の中に含まれる、臣民と市民という考えのうち、市民のみが切り離されている。本来は国家 -
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個人的にはもうちょっと突っ込んだ内容が欲しかった。
「死」に対しての、宗教や文化の違いを例示するなど、様々な考え方があっていいはずで、それらを示しながら、あなたはどう死ぬか?(どう生きるか?)を考える内容かと思って読んだら、少し肩透かしだった。
比較的、著者の意見が真っすぐに書かれていた本でした。
人生100年時代だ。
なかなか死ねない我々。
そして、死に方を容易に自分では選べない我々。
快活に生きることはどういうことなのか?
死に方を考えることは、生き方を考えることだ。
私の死生観はこれに尽きる。
「死ぬ気になって生きろ!」どうせ死は訪れる。
ダラダラしている暇はない。
愚痴ばかり言っている -
購入済み
タイトルに惹かれて
タイトルに惹かれ購入してみました。
内容的には面白くはあったが、少し物足りなく感じた。
前知識がなく、引用されている分についてふーんとしか思えなかった。もう少し知識があったらより面白く感じたかもしれない。 -
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自由主義の4つの形、市場中心主義・能力主義・福祉主義・是正主義がそれぞれに持つ善の構想、そしてそれらが相入れないこと、リベラリズム的自由と近代的個人観などの考察はこれまで漠然と疑問に思っていたことを説明してくれているようで、とても鮮やかだ。ただし、自由主義が相対主義に帰結してしまい、それぞれの価値観は対立してしまうことを逃れられないことについての解決策が、漠然としなかった。最後には義という概念を持ち出し、共同体における犠牲を受け入れる。偶然性を引き受けるという形に結論しているが、格差の問題をどう考えるのか、その辺の疑問が全く語られずに終わったことが残念である。
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資本主義を考え直す切り口を幾つか提起してくれている。資本主義が万能ではない事は、肌感覚で理解しているつもりだが、より良い制度は中々具体的に提案できるものではない。更に、トマピケティが言うような格差が拡大したからと言って、それは程度問題であり、競争原理を基礎とするからには、課税方式を工夫しない限り、資本主義=勝敗を決する仕組みというのは自明である。問題は、イノベーションの成熟を遂げた瞬間、その産業は拡大性を失い単純労働に陥る。単純化されれば、価格競争に陥り、労働生産性が低下。生産物は必要なのだが。実は今、日本社会の至る所でこのジレンマに陥り、イノベーションの限界を認める勇気がない事から研究開発部