佐伯啓思のレビュー一覧

  • 日本人の精神Ⅰ 権威と空気の構造(新潮選書)

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     日本社会全般にわたって働く「見えざる原則」の分析について語った山本七平の「日本人論」。
     この山本流の「見えざる原則」探究の、佐伯啓思なりの継続がこの本の主旨らしい。それを、佐伯啓思さんは「根源的価値」と言い直した。
     そして、この「根源的価値」をわれわれは決して日常的に意識しているわけではない。
     この「根源的価値」の中心をなすのは、その国の自然観、死生観、歴史観、宇宙観といったもので、より具体的にいえば一種の宗教的な意識だろうと思う。
     ところが、今日、われわれは、われわれの「根源的価値」というべき自然観、死生観、歴史観などをうまく理解できなくなっているのではなかろうか。
     その意味で、日本人が背負っている無意識の文化や価値観を探るのが本書の意図なのである。
     とはじめに書かれてあった。そして、その内容は以下の通りである。
    第1章 日本における「権威」の構造
     第1節 「日本型権威」のからくり
     第2節 「ムラ共同体」とエリートの苦悩
     第3節 「天皇制度」のからくり
     第4節 「アメリカニズム」と戦後日本
    第2章 「空気の支配」について
     第1節 日本は果たして「同質社会」なのか
     第2節 「空気の支配」をもたらすもの
    第3章 「応報原理」と「日本教的自然法」
     第1節 ハビアンの「ナツウラの教え」
     第2節 「日本的応報原理」について
    第3章 日本近代、ふたつのディレンマ
     第1章 福澤諭吉のにがい「予言」
     第2章 道義をもった敗者への愛惜

    となっていました。
     その中で、第3章 「応報原理」と「日本教的自然法」のくだりを紹介したいと思います。
     山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『日本教徒――その開祖と現代知識人』(角川書店)。
     この本は、安土桃山から江戸初期に生きたハビアン(不干斉ハビアン)という日本人について論じている。
     彼は、もともと禅僧であったが、天正14年(1586年)にイエズス会に入会し、イエズス会のイルマン(修道士)になる。
     ところがその後、彼はキリスト教も捨てる。面白いのは、それら棄教の理由をハビアン自身が書き残していることで、仏教、儒教、神道に対する批判を述べた『妙貞問答』、それにキリスト教批判の書である「破提宇子』を残した。
     どうしてハビアンはキリスト教から離れたのか。
    その理由を山本は、次のように解釈している。
     ハビアンにとって真に信じうるものは、決して「でうす」の教義などではなく、いわば「日本教的自然法」とでもいうべき、日本に特有の一種の擬似的宗教的観念であった。
     それを、ハビアンは「ナツウラの教え」と呼ぶのだが、その内実は「現世安穏」と「後生善所」だと山本は言う。
     これはもともと『法華経』で説かれる言葉であるが、山本が言いたいのは、万事万象にはおのずとなる秩序が存在し、人もその秩序に従う限りで現世を安穏に過ごし、死後はよき場所に生まれるという信仰があり、それが日本特有の「ナツウラの教え」である。
     ハビアンは、ただその「日本教的自然法」を現実に実現する便法としてキリスト教を信奉しただけだ、というのである。
     かなり独創的な解釈だと思うが、山本の言いたいところは明快であろう。仏教であれ、儒教であれ、キリスト教であれ、もともと外来の宗教的な価値体系を日本人は受け入れるものの、「本心」からそれを信じているわけではない。
     その背後には、常に変わらない「日本的な価値」が流れている。そして、外来の信仰体系は、この底流の日本的価値と矛盾しない形で、むしろそれと融合しつつ受用される。
     この独特のやり方こそが「日本的方式」なおのである。表層では、日本人は、いくらでも外来の価値刊を受容する。
     しかし、根底に流れるいかにも「日本的なもの」を決してうしなうことはない。
     ハビアンとはまさにそうして「日本人」だった。それは、おそらく、現代にいたるまで「世界」における日本人の生き方の基本モデルとさえいいうるものであろう。外来価値をいかうらでも受容するのだが、けっして、「本心から」受け入れたわけではないのである。
     ハビアンはいう。「柳は緑、花は紅。これこそは自然の道理である」と。柳の根を砕いてみても緑はなく、花の木を割いてみても紅はない。
     しかし、柳も花も自然天然のままに現成しているではないか。このあらゆるものが「天然自然のまま」という世の中のあり方、それこそが「ナツウラの教え」なのである。柳や花を分解して分析するのではない。そのまま、ありのままに見るのである。
     世界の万事万象が、バラバラに現成するのではなく、相互につながりながら秩序を保って現成するという思想。
     仏教的にいえば、因果生起による万物の相依相即したあり方、古神道的に表現すれば、人間も自然もすべてが「カミ」というべき生命力の発言としてそこに存在するという考え方と同様の発想をここに見ることができよう。
     この万象が万象が相依相即しつつ、それぞれが「おのずとある」ようなあり方、万事が「天然自然のまま」に現成している存在の仕方こそ「ナツウラの教え」の根本にあるものだ。

    この本の真髄が書かれた部分でした。
    古代から、現代にも通底する日本人の本質だと思いました。

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    2026年10月04日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    人間の欲望の拡張という観点から資本主義について述べた著作。学生時代の頃読んで衝撃を受けた思い出がある。
    ・株式会社制度によって巨大組織が登場し、経営者が実権を握る。これは19世紀的な抗争的市場経済でもないけれど、古典的な資本家が支配する資本主義でもない。ダーレンドルフはこれをポスト資本主義と呼んだ。
    ・ロビンズによれば、経済学とは希少な資源の配分にかかわる学問である。
    ・社会主義経済の何が問題だったか。「消費」という観点に絞って言えば、生産されたものが人々の欲しがっているものに見合っているという保証がどこにもないことである。また、新たな技術を開発し、新たな製品を開発し、新たなマーケットを開拓する精神、つまり未知の世界へ投企する精神、未知のものを現実化していこうとする精神が圧倒的に欠けているのだ。
    ・社会主義経済では「消費者」という概念が存在しない。人民が何を必要とするカア手にする、計画当局が決定するからだ。
    社会主義には「労働者」というカテゴリーはあるが「消費者」というカテゴリーは存在しない。
    ・ただし、60年代は資本主義経済も社会主義経済もそれほど大差がなかった。軍需産業を別として、自動車、電化製品、住宅といった製造業が中心の時代は、いかに規格化された製品を能率的に大量生産するか、という課題が与えられた時代だった。
    ・ところが70年代は、コンピュータ技術の進展により、多品種少量生産をかつてはかんがえられもしなかったくらい効率的に行う技術が提供できるようになった。テクノロジーの進歩と情報化により消費者という概念が決定的な重要性を持ってきた。
    同じようなものをいかに効率的に大量生産するか、という生産の場が企業の利潤の発生の場ではなく、いかに消費者の欲望に寄り添うかが利潤の発生の場になっていったのである。70年は「生産の場」から「消費の場」への転換が起きた時代である。
    グローバル化も消費の場を重視することになった景気である。
    70年代以降、
    資本主義は消費者の多面的で多様な欲望を開拓することで市場を拡大しつづけた。
    社会主義は労働者への動機づけと消費者についての情報という2点で決定的な弱点を持っていた。
    ・人々はゆたかになればそれほど物をほしいとは思わなくなるし、それほどはげしく働かなくなるし、企業をリスクを覚悟で冒険しようとしなくなるだろう。これがケインズ、マルクス、シュンペーターの予想だった。ではなぜこれが当てはまらないのか。
    消費者というものにどこまで寄り添えるかが国際競争力の試金石になりつつある。
    ・80年代:差異化が必要になった。従来の画一化され、標準化された大量生産方式だと、いずれ消費者のニーズは落ち込んでくる。ある程度の質の車がひとわたり行き渡れば当然需要な落ちてくるだろう。そこで新たな形で消費者の欲望を喚起しなければならない。消費者の欲望は「人並み化」から「差異化」に変化していた。

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    2026年05月06日
  • 経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ

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    素晴らしい。新自由主義の課題をこんなにわかりやすく的確に書いてあるものを読んだことがなかった。

    まず、流動性にとける生産要素と製品の区別。製品は流動性を上げても良いが、土地、雇用者などの生産要素はある程度安定化させないと生産が不安定となる。また雇用者の流動性についても、技能適応などが必要で時間もかかる。単純に流動性を上げれば良いというものではないとの点。議論において、生産要素と製品を分けて市場の話を聞いたこともなく、基礎的ながら理解できていなかった。

    次に財政出動したところで、実体経済や生産要素への投資でなく、金融商品への投資(投機)であれば、雇用は産まず景気も回復しない。

    小泉改悪で土地などの生産要素の流動性をあげて、資産が流出し、アベノミスクでどんどん金融資本への投機がすすみ、実体経済は空疎なまま。しかも金融市場が強い米英と違って、日本はルールメイカーになれずコントロールもきいてないのがバブル後の四半世紀だというは非常にわかりやすかった。

    そして、貨幣論にも近い話が最後に出てきた。先に余剰の象徴である貨幣がくるという話は非常に興味深い論だった。ここでもマルセルモースの贈与論がでてくるんだなぁ。

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    2025年12月14日
  • さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす

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    先に読んだ 「欲望」と資本主義 という本が面白かったので連続してこの人の本を読んだ。民主主義から主権、憲法へと流れる論考は大変スムーズで、これまでの憲法議論をバカバカしく思わせてしまうようにも受け止められるが、決してそうではなく批判をせずに自身の論拠を述べている。僕にとってはとても読みやすく、気持ち良く読めた。
    【日常生活の中でわざわざ「自由」や「平等」、「権利」などという言葉を使わずとも、他人との会話の仕方、喧嘩のおさめ方、権威あるものとの接し方、金銭の使い方など、ほとんど習慣となった形でやりくりするのです。こういうことは特に政治的な主題になるわけではありません。しかしある社会における政治のあり方は、こうした習慣と不可分なのです。】【もっとはっきりと言えば、ギリシャの風土のなかで誕生し、キリスト教文化のなかで整えられた西洋の民主主義や主権や憲法(立憲主義)の概念を、日本という異なった文脈に持ち込んでもなかなか上手く機能しない、ということです。】
    「神」−「モーセ」−「民」の契約の話と上の引用部分は妙にしっくりくる。こういう憲法論議を進めて欲しいと思った。

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    2025年10月19日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    別の本で紹介されていて気になり、初めて読んでみた。とても面白かった。論理的なのにテンポが軽快で、資本主義と市場経済、欲望の拡張、バブル経済、豊かさの果てなどの解説は秀逸。主張ではなくてこの人なりの理解と解説。言葉の選び方や定義の仕方も気を使って書かれており大変読みやすかった。
    社会主義と資本主義との比較、消費資本主義、資本主義の歴史と産業革命、資本主義が向く方向(外・内・自分)、豊かさの果ての文化 と進めて行く中で少しも緩めずに書ききっているので、途中で止められずに読み進められる。
    時間を置いてもう一度読んでみよう。

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    2025年10月08日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    1993年刊だから、今から32年も前の本だ。日本が繁栄しているという前提で書かれているので、今読むと隔世の感がある。しかし、特に7章・資本主義の病理に書かれているような、自己増殖するという資本主義の本質を確認し、産業社会の行き詰まりから、人間が文化への欲望に目覚める方向にかけたいと語る著者の想いには共感する。残念なことに30年たっても、世界はあまりその方向には行ってないのだが。SNSの登場で欲望は、ルッキズムとお金により向かっている。文化も消費されている。生成AIの登場で、技術的には正確性ではなく偶然性に支配されているが、利用方法としては産業が欲望を加速させる方向に加速している。

    さて、本書だが軽快に読める。その文章は語られたもののリライトではないかと思えるほどだ。引用は多いが概して分かりやすく、引っ掛かりがなくて、サクサク進む。ウェーバーのプロ倫をバッサリ批判しているあたり爽快だ。いわく、資本主義は高潔さよりもいかがわしさが似合っているとか。ヨーロッパが「外」に欲望を求めたのが帝国主義で、アメリカが移民を受け入れ、機会の平等を徹して求め、その国民を消費者として、市場を作ったのが、ヨーロッパとは反対の「内」なる方向の資本主義だったとか、歴史の捉え方も新書らしく面白い。

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    2025年08月21日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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    「欲望と資本主義」以来、久々に佐伯先生の著書を読みました。

    日本で起こった事件等を契機にして、自由の定義、あり方、課題等について論じています。
    が、切り口の鋭さが相変わらずで、本当に素晴らしいです。

    ここまで広げた議論をどうやって畳むのか、途中心配になりましたが、見事に帰結させます。
    その技術も素晴らしいですが、何よりも深い洞察力、果てしなく広い知見に脱帽です。

    いまの世界、いまの日本を理解するためにもう少し哲学の世界に浸りたいと思いました。

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    2025年04月22日
  • さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか

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    あとがきにありますが、
    本書は、2018年の秋から2022年の3月にかけて、佐伯氏が書き記してきた「社会時評」と「文明論」をまとめたものです。
    病める時代には戦役も病疫も同居するものと著者は言う。
    きれいごとが跋扈する「ポリティカル・コレクトネス」や、作り笑顔で未来の技術に希望を託するような時代精神に見合った、しかしその正義や笑顔とは正反対の現身が現れ出てくる。
    これが現代文明の実際なのであろう。
    私にできることは、せいぜい目を逸らさず、ひたすら凝視することでしかない。
    よき傍観者であるほかはない。だがそれこそが、今日、社会や思想に関わる者に課せられた態度なのである。

    ということで、
    序章「ロシア的価値」と侵略
    第1章 なぜ誰もがこんなに生きにくいのか
    第2章 かくも脆弱だった現代文明
    第3章 さらば、欲望
    第4章 「民意」亡国論
    第5章 ポスト・コロナ時代の死生観
    第6章 日本近代、ふたつのディレンマ

    佐伯氏の本をずっと読み続けているので、過去から主張されていることの一貫性があり、読みやすい本でした。
    第6章で、明治維新、福沢諭吉の考え方に対する佐伯氏の主張は少し新鮮でした。
    明治政府について回る暗い疑惑、攘夷の「義」と文明進歩の「利」の相克
    最後の最後『グローバル世界で再演される「日本近代のディレンマ」』
    長い歴史の中で、日本人がその時々に選択してきた価値について、しっかり検証しながら、未来に向かってどう対処していくのか、真剣に考えていくきっかけとしての内容でした。

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    2025年04月02日
  • 死にかた論(新潮選書)

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    第8章「死」とは最後の「生」である

    214頁から215頁で、佐伯啓思氏が伝えたかったことが書いてあります。
    それを紹介します。

     本書で私が提起した問題。つまり、現代人の死に方、という問題について、本書は何かしらの結論めいたものを提出したわけではない。
     ただ、「死生観」という観念からこの問題の困難さを洗い出し焦点をしぼろうとしただけである。
     あるいは、現代人の死の困難の背後には「死生観」という問題がある、といいたかっただけである。
     そして、死生観は、倫理観と同様に、多くの場合、論理的に導出できるようなものではなく、その国の歴史が積み上げてきた文化のなかに何層にもわたって重なりあい、また点在しているものであろう。

     現代に生きるわれわれは、その表層にある近代主義的な合理性だけで生死を捉えてはならない。
     そのもっと深いところにある死生観を掘り起こす必要がある、近代的な合理主義の背後には、もうひとつ、われわれは日本的な死生観を配置するべきであろう。
     仏教や伝統的な日本の死生観が、安楽死のような今日の問題に対して、ある回答を直接に与えるものとはいえないであろう。
     だがしかし、その見地からすれば、現代においてわれわれが関わっている死と生への態度は、あまりにも窮屈で閉ざされたものであり、自らをそこに縛り付けていることがみえてくるだろう。

     生と死は、人間の根源的な問題であるが、その根源的な問題が、現代において再び火急の課題として浮上し、われわれの共通の関心になりつつある。
     もちろん、生も死も徹底して個人的な事柄なので、誰もが自分なりの死生観をもてばよいということもできるが、現実にはそういうわけに、いかない。
     生や死についての個人的な「覚悟」を決めるとしても、われわれは、先人の経験から学ぶほかはなく、文化のなかに伝えられてきた「目にはみえない価値観」にまずは寄りかかる以外にないからだ。
     本書は、私自身の死生観を模索する試行錯誤の足跡といってもよいが、また、仏教を中心とする日本人の死生観を振り返ることが、一人一人の死生観の支えになればという思いもある。
     われわれの精神の構えを未来へと拓くためには、それをまた過去へと開かなければならないであろう。
     その対話の中から、少しでも現代の「死に方」についての手掛かりが得られれば暁光としなければならないであろう。

    ということでした。
    で、佐伯啓思さんの「死生観」の掘り下げ方として、第1章から第8章までで纏められています。
    第1章 安楽死という難問
    第2章 安楽死と「あいましさ」
    第3章 「死」が「生」を支える
    第4章 日本人の「魂」の行方
    第5章 仏教の死生観とは何か
    第6章 道元の「仏性」論
    第7章 「生と死の間」にあるもの
    第8章 「死」とは最後の「生」である

     最近、私は医師の立場からの「死」に対する考え方として、近藤誠先生、和田秀樹先生、養老孟司先生の考え方について一定の情報を得た。
     今回、ギリシア・ヨーロッパ、キリスト、ユダヤに対する見識をお持ちの佐伯啓思氏の考え方、そして、最近仏教への関心も深められた氏の情報もこの本で知り得た。
     後は、この本で紹介された本を読むことなどを行いながら、自分自身の「死生観」を深めていけるいいきっかけとなった本であった。



     

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    2025年01月12日
  • 神なき時代の「終末論」 現代文明の深層にあるもの

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     ずっと佐伯節を読んで来た私にとっては、一気に読める内容でした。
     現代日本人が日々漫然と受け取る世界の情報と言えば、戦後やむなく組み込まれたアメリカを中心とする西側諸国の価値観に基づく情報だろう。
     余程意識して多面的な情報を入手しようとの心がけがなかったら、一面的で、薄っぺらでステレオタイプの情報に洗脳されてしまう。
     現在展開されているロシア・ウクライナ問題、イスラエル・パレスチナ問題の裏側に潜む掘り下げた問題意識を持てるきっかけになる一つの見識だろうと思う。
     佐伯啓思さんの考え方の「ものさし」、ギリシア哲学、ユダヤ・キリスト教を基盤とし、そして、西欧社会の過去・現在・未来を分析・予言してきた歴史的な文明論車・哲学の言説を読み解き、一定の見解としたものが、系統だって披瀝された本である。
    内容
    第1章 現代によみがえる終末論
     第1節 われわれが置かれている分岐点
      楽観主義者たち  拡大路線の現状  方法的悲観主義――意図的な脱成長主義
      「神」はいる?
     第2節『旧約聖書』と終末論
      『歴史的・文化的基底』の存在  イスラエルの民と神との契約  ユダヤの黙   
      示思想とキリスト教  旧約聖書的世界観
    第2章 「はじめの人間」と「おわりの人間」
     第1節 グローバリズムの歴史意識
      グローバル化が進んだ三つの時期  「人間の観念が歴史を動かす」という信念
      「胃袋が満たされればよい」という観念
     第2節 歴史のはじまりに立つ「最初の人間」
      ヘーゲル。コジェ―ヴ、そしてフクヤマへ 「承認欲求」がやがて「対等願望」
      に  「テューモス(気概)」が歴史を作りだした
     第3節 「自由」の意味の大転換
      ホッブスの国家契約論  戦いは永遠に続く
     第4節 ニーチェの洞察とリベラルの崩壊
      フクヤマのリベラリズムへの絶望
      あらゆる言説は「権力への意思」を有す――フーコー
      フランス革命はルサンチンマンの産物――ニーチェ
      ユダヤ教の「他民族への優越」が受け継がれた
    第3章 文明の四層構造
     第1節 冷戦後の世界秩序の崩壊
      善悪二元論という価値観  戦前の日本と現在のロシアの共通点  アメリカの      
      経済派遣戦略  「もっとも経済的に成功したのは共産主義国家」という皮肉
     第2節 「歴史の終わり」が「文明の衝突」を生みだす
      トランプによる異形の民主主義  「自由・民主主義」から宗教へ――ハンチン
      トン  歴史の「四層」の構造  ロシア・ウクライナ戦争にある価値の二重性
      ネオコンの影響力はなぜ続くのか
     第3節 ロシアの挫折と、プーチンの屈辱
      「二流国」という屈辱
     第4節 西欧近代を作ったユダヤ・キリスト教
      宗教改革から西欧近代へ  「市民的資本主義」と「ユダヤ的資本主義」
      西欧近代が生みだした二つの大国
     第5節 文明の「根源感情」
      ヨーロッパの根源感情 アメリカの根源感情 近代思想の限界
    第4章 アメリカとロシアを動かすメシアニズム
     第1節「文明」と「文化」の論理
      シュペングラーの「予言」  ハンチントンの予測
     第2節 西欧文明とスラブ文明の軋轢
      「西欧かぶれ」こそ悪の根源 二つの文明の「フォルトライン」が走る
      ウクライナ
     第3節 ロシア的な憂鬱
      自然と人間の魂の血のつながり ロシア革命に潜む宗教意識
      ロシアには「宇宙論的認識」があった  終末への熱狂
     第4節『旧約聖書』の影響下にある世界
      終末論的な気分  ネオコン型のメシアニズム
    終章 もうひとつの歴史観
     「リベラルな価値」の真価とは  支配されるものの知恵
     「時効の原理」と宗教的精神 人間を突き動かす価値観

    佐伯さんにかかれば、アメリカもロシアも根は同じで、ユダヤ・キリスト教の考え方を遡れば、紛争の原因は読み解けると。
    ロシア・ウクライナ問題の根の部分もよく理解できた一冊でした。

    特別対談 「資本主義」への異論のススメ
      斉藤幸平×佐伯啓思
    所謂、「保守」と「革新」の違いはあれど、マルクス経済学から影響を受けた二人が混迷を続ける日本の資本主義の未来・あるべき姿を模索し合う対談、メチャクチャ愉快に楽しく読めました。


      

     

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    2025年01月02日
  • 死にかた論(新潮選書)

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    現代の日本人は死ぬことに対してどの様な心構えを持てば良いのか、について考えるヒントを提示している。古来からの思想と仏教伝来以後の思想、特に大乗仏教の死生観を顧みながら、生死一如と考えれば良いと提案している。非常に参考になったし、評論として優れた文章だと思った。

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    2024年10月31日
  • 経済学の思考法 稀少性の経済から過剰性の経済へ

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    経済成長が全てに疑問を持っていたが、本書に出会って間違っていなかったことがよく理解できた。

    経済学の本より、世の中を大きく捉えるための本。とても素晴らしい内容である。

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    2024年05月12日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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    自由にまつわるジレンマから説き起こし「個人の自由」について相対化した見方を提示した本。

    自由と一口にいってもいろいろある。
    ・自然権として自由と国家の存在を前提とした市民の自由
    ・共和国を前提とした普遍的自由と多文化社会を前提とした多元的自由

    そもそも自由というのが自由な言葉なので、XXの自由といえば、様々なところで互いに対立が起きるのは当然なのだが、問題は、自由という名のもとに、自由が抱えている規範がおそろかになってしまうということだ。
    ・・・・

    と最後まで読んで、自由が個人の選択の自由であることを認めたうえで、実は、その背後に価値の問題を二層想定することがポイントであるいうのが斬新であった。一つは、「共同体としての善」によって個人の選択が評価されるということ。もう一つは、共同体を超えて、さらに「義」とでもよぶほかない価値に自ら殉じるという次元があるということ。この二つが導入されることで、リベラリズムだけでは、納得感のある答えにたどり着けない問いに答えることができる。テロ、援助交際、無差別殺人、さらには、自殺する自由。自由が規範とセットであるなど初めからわかっていたような気がするし、それは、結局こうした基本条件のもとに何をするか、ということが大事だと思えば、当たり前のことなのだが、いつのまにか、手段の目的化が進んでいるというのは、皮肉な話だ。

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    2021年08月10日
  • 経済学の思考法 稀少性の経済から過剰性の経済へ

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    著者・佐伯啓思氏は、経済学が経済を扱うには、経済現象は複雑過ぎると言い、経済学が扱っているものは、経済学が『経済』と定義しているものに過ぎないという。
    また、経済学が政治に介入し、経済現象を形作っているとも。

    『経済学の思考法』というタイトルだけあって、経済学の哲学面、考え方に重きを置いている。

    目次
    第1章 失われた20年 構造改革はなぜ失敗したのか
    第2章 グローバル資本主義の危機 リーマン・ショックから
    第3章 変容する資本主義 リスクを管理できない金融経済
    第4章 『経済学』の犯罪 グローバル危機をもたらす市場中心主義
    第5章 アダム・スミスを再考する 市場主義の源流にあるもの
    第6章 『国力』をめぐる経済学の争い 金融グローバリズムをめぐって
    第7章 ケインズ経済学の真の意味 『貨幣の経済学』へ向けて
    第8章 『貨幣』という過剰なるもの 『希少性の経済』から
    第9章 『脱成長主義』へ向けて 現代文明の転換の試み

    第1章の『失われた20年』において著者は、この間の経済成長は、リストラなどによる労働コストの削減による企業業績の回復によるものであり、この間の構造改革は、新自由主義の論理により、供給側ばかりに焦点が当たり、需要側に焦点が当たっていなかったと説明する。

    雇用調整で1企業の効率性を高めても、失業者や賃金の低下を招けば、需要は伸びず、GDPを押し上げる効果をもたらさないと。

    著者のこの説明により、結局、トリクルダウン理論は機能しなかったし、景気がいいと言いつつ、一般庶民にその景気感を実感できない理由が理解できた。

    第4章において、1930年代の世界大不況の後、ケインズ経済学が、1970年代の世界経済の混乱の後には、シカゴ学派を中心とする市場競争中心の経済学が勃興したが、第3の危機である2008年の世界金融危機後には、対応する経済学が存在しないという。

    そして、第7章において、金融市場が発展すれば、金融市場の内部でお金が回り、実体経済での投資へは向かわないという。
    そして、実体経済から金融経済への資本の移動を食い止める自動調整メカニズムが作動しないため、不況の長期化が起こるという。

    そして、今日の先進国には、もはや高度な経済成長は不可能であると述べる。

    ケインズが経済活動においての時間を重視したように、著者の言うように、将来の期待値により、企業や家計は、ストックしたり、投資するものだと思う。
    新自由主義が席巻した事により、以前よく聞かれた、この説明が、いつの間にか聞かれなくなった。

    そして、経済学とは、希少性をめぐる学問とされるが、著者は『欲望』は、過剰性により生み出され、財貨を『希少』化させると主張する。

    第9章の『脱成長主義』へ向けてにおいて、佐伯啓思氏は、1970年代後半に存在した2つの可能性、新自由主義とベルが主張していた公共的計画を重視する『ポスト工業社会』の構想を提示し、後者の可能性はなかったのかと想像する。

    大事なのは、将来の社会像を構想する力であって、決して、人間が経済学の奴隷になってはいけないと結論付ける。

    非常に有意義な読書体験であり、得るものが大変大きかった。


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    2021年02月03日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

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    リベラリズムの立場をわかりやすく整理した上で、現在、私たちが自由に倦怠している理由を探ろうとする。全体主義への反省から自由な状況で、何を目的として生きるのかを議論できない状況が、かえって自由の意義を見えにくいものにしているという論旨。本筋とは違うけど、ハイエクやフリードマン、ロールズ、アマルティアセン、ドゥオーキンの立場の説明がわかりやすかった。

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    2020年11月18日
  • 経済成長主義への訣別(新潮選書)

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    『「成長」というものにこだわるのをやめよう』
    いつまでも、経済成長なんて続くもんじゃない!
    誰かに言ってほしかったし、そう思っている人がいると知って、何だかホッとしました。

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    2020年09月01日
  • 自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで

    Posted by ブクログ

    執筆のきっかけを「(現代で掲げられる『自由』に対し、)あまりに違和感や不気味な感じを持たざるを得なかった」とし、その違和感の根源を「自由」への議論を通じて探った本。佐伯啓思2冊目。
    冒頭、現代では人類共通の目標のように掲げられる「自由」に対して、イラク戦争を「フセイン政権からの解放(自由化/民主化)」とし正当化したアメリカを持ち出すことで疑問を提示する。
    そこからリベラリズムの根幹である、何事も個人の自由を侵害すべきではないとする思想に対し、背景を探っていく。
    君主による抑圧の時代において、自由は「抑圧からの解放」を目的とし推進されてきた。
    概ね抑圧は去った現代でも、万人が理解しうるその背景を掲げたまま「自由」は推進され続けている。
    目的を達するための手段であった「自由」は、いつの間にか目的になった。
    ここに違和感の根源を指摘する。
    自由主義の旗本において主観性を排除した市場競争は正当化されるが、しかしどんな政策であれ「誰が報酬を享受すべきか(『善』であるか?)」という道徳的判断が背景にあり、自由主義はその事実から目を背けていると批判する。
    自由を唱えても、社会から是とする承認からは逃れられないだと。
    自由は目的があって初めて論じられる概念で、目的として掲げてしまうと方向性を失った虚構となってしまう。
    現代に跋扈する民主主義至上やフェミニズムは、この罠に陥っているのだろう。
    その事実から目を背けるのは、欺瞞である。
    「神は死んだ」と絶対的な存在を否定し、世界は人による仮構としたニヒリズムに陥ることは嘆かわしいことではない、しかし「自らがニヒリズムの世界に生きていることを自覚せず、自らの正義の絶対性を疑わない独善」は最悪のニヒリズムだと批判する。
    軽率な「自由」の持つ違和感はまさにこれだろう。
    批判はこの辺で、では自由に生きるには?という問いに対しては、どう存在するにせよ共同体に属することを自覚すること、その上で自分の成すべきこと(天命)を見つけること。
    縛りがあって初めて輝きを持つ「自由」は、共同体の中でこと活きるとする。儒教の仁義と同じような思想。

    個人の感想として、現代においては、国家よりも厳格ではなく小規模な共同体の「ポリス」を重要視し、ポリスの構成員として「善い」ことをすることを是としたアリストテレスの思想に立ち戻るのがいいのではないかと思った。
    次は数ヶ月塩漬けにしてる「ニコマコス倫理学」を読もう…

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    2020年05月24日
  • 「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理

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    資本主義は
    国外のフロンティア
    →国内の大衆消費者
    →人々のアイデンティティ
    →広告で作られた実態のない「好奇心」
    の順に欲望を拡張してきた、と言う話。
    最近までを綺麗に書いてるなぁと思ったが、読み終わって奥付を見たら1993年出版でびっくりした。

    日本の成功は、同質な品を大量生産する米国的製造から、より細かいニーズに添う生産にいち早く変えたから。
    その後は「個々人」に寄り添うことが出来ず、広告代理店が「好奇心」を煽り実態のない消費を作った。
    いまIT企業がイケイケなのは、テクノロジーで個々人に寄り添うことを実現したからか。

    小麦の罠と一緒で、豊かになって増えるからより作らなきゃいけない。
    でも、昨今世界的に突然少子化が進んでいるから、もう作らなくていいというフェーズになった。
    これが「モノ消費」から「コト消費」への転換駆動力な気がするな。

    30年前の本だけど、近年流行った「お金2.0」とか「モチベーション革命」とかと書いてあることは同質で、なんか気が抜けた…
    人間言うことは流転するんだなぁ…

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    2020年03月04日
  • 経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ

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    いろいろと考え、感じていたことが、昔から経済学でちゃんと扱われてきたことが分かった。そして、私は左派なのだと理解した。
    二重の経済という考えがとてもしっくりきた。

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    2019年11月03日
  • さらば、資本主義

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     以前小林よしのり氏が「自民党は保守じゃない」と言って、公然と自民党批判を展開しておられました。その時はどういうことかよく分かっていなかったのですが、今回本書を読んで、なんとなく分かったような気がします。小林よしのり氏と佐伯啓思氏を同列に並べるなとおこられる気もしますが。

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    2019年03月04日