佐伯啓思のレビュー一覧
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戦後から現在に至るまで日本社会で支配的だった「功利主義」と「リベラリズム」に向けられた懐疑。輸入された概念をそのまま模倣するだけではなく、現代日本人はいかに生きるべきか「自前の議論」をしようではないか、と著者は呼びかける。
戦後の近代化の流れの中で日本人が失ったものは多い。
ふるさと、家族、死を基準として生を見る死生観、習俗、自然への畏敬、無私という意味においての「他力本願」……etc.
いずれも「近代化」や「戦後進歩主義」がもたらしたものだと著者は言う。現代人はこれらを捨て去ることによって「よりよい生活」を手に入れてきたわけだが、災害や「孤独死」に直面したとき、ほころびが生じ、矛盾は露呈 -
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ネタバレ資本主義の歴史とその本質がよく分かる。
元来ポリネシアなどでみられた「交易」というものは「価値」のないものをぐるぐるまわす、その運動自体に意味があるものだった。そうすることで富を必要以上に蓄積することの危険を回避していた。しかしヨーロッパ人は違った。自分たちが持たないものを執拗に欲しがった。中国の茶、陶磁器、インドの砂糖や香辛料、南米の金、銀など。重要なのはそれらは「生活必需品」ではなく、「贅沢品」であること。つまり「欲望」が資本主義という運動をドライブさせ続けてきたのだ。あるときは武力に任せて強奪し、あるときは三角貿易によってアヘンや奴隷を介在させることで、非人道的に利潤を上げ続けた。
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「愛国心」=「ナショナリズム」という軍国主義的なイメージが強いが、本著書においては、「そもそも日本に国家があるのか?」と根本的な立場から問いかけている。
日本の近代国家としての発展は、西洋をモデルとした「上からの近代化」を取り入れる中、「民主主義とは何か」といった思想・意識が育たないままに「精神の空白」をもたらすことになった。
本当には「国」というものに対面しないまま「精神の空白」という状態を疑問にしないままの「近代ごっこ」「大国ごっこ」≒「絶対矛盾的自己同一」が現在にも続いている結果が「思想なき民主主義」であり、日本という姿の核心であるという危機感を抱いた。 -
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サンデルの「ハーバード白熱教室」を横眼で睨みながら、それならサンダルを履いて、サンダル先生の「発熱教室」でもやろうかと持ちかけたら、本当に本になってしまった……と著者である佐伯啓思は漏らしています。
佐伯啓思という人はちょっと珍しい思想家でして、著作は多数に及ぶのですが、毎回、同じような内容が展開されるのです。ところが、毎作、ちょっぴり違うところがある。佐伯啓思のファンは、それを楽しみに読んでいたりします。「あ、今回はここがちょっと違うぞ」
そして、佐伯啓思のスタイルは原則として問題設定に対して回答を用意しません。従来の西欧思想を追っかけるだけの軽薄な思想家なら「ハーバーマスはこう結論 -
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「利益」「権利」の最大化が幸福をである、と考えるとたぶん人は幸せにはなれない、
そのことを「論理」的に語っている本とも言えます。
あと、ポジティブシンキングをボロクソいってます(笑)
イラク戦争はブッシュ元大統領のポジティブシンキングが原因だとも。
あと、喜怒哀楽では「哀」を大切にすべき、というのも共感しました。
「不倫は文化だ」ではないですが、
「哀」がなければ文化は生まれないと僕は思っているので。
連載をまとめたもので、9章にわかれていて、それぞれの章が別な切り口で
深く考えさせられるので、簡単には書評はかけません。
ただ言えることは、この本を読んでなお、僕は人が目指すべきものは「 -
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久しぶりの佐伯さん。読み飛ばしたくないと思いつつ先を急ぐように読んだ。
「人は誰でも幸せになれるしなるべきだ」に異議を唱える。
幸福は有難いこと=滅多にないことであり、プラスである。基準=通常時を幸せな状態ではなく不幸で思うようにならないこの毎日におきなさい、という。
もちろん、お坊さんのような人生訓ではなく、思想史をたどって理屈っぽく言う。ただし、箸で重箱隅ではなく、弓矢で的とでも言おうか、スカッとした理屈なのが楽しい。
本書の元になった連載の最中に東日本大震災があったのだけど、あの震災を挟んでも論旨をまったく変える必要がなく、むしろ、震災後のために前から書かれたと言いたくなるほどの射程の長 -
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五木寛之「下山の思想」の延長線上にある本。
現代日本人の幸福観を宗教、思想から解き明かす。
面白かったのが、「第五章 人間蛆虫の幸福論」。蛆虫と書いて、ウジ虫と読む。これが、あの福沢諭吉のことばだというのだからビックリ。
「宇宙という広大な視点から自らを見れば、人間などは無知無力で見る影もない蛆虫のごときもので、・・・だが、この世に生まれた以上は、蛆虫とはいえそれなりの覚悟が必要である」
あの一万円札のおじさんが自らを蛆虫と称し、蛆虫なりに生きていくことの必要性を説いている。そうか、万券ですら蛆虫なんだ。だったら、オイラは小蝿ぐらいか。何だか気分が楽になるね。小蝿なりに生きればいーじゃな