佐伯啓思のレビュー一覧
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ネタバレ刺激的なタイトルですが、内容は無条件に自由や民主主義を礼賛するのはやめよう、という趣旨の本。「保守主義の根本に立ち返る」というのが著者の目的。
政治学者エドマンド・バークの思想からも分かる通り、近代の保守主義というのは自由、平等、理性といった理念を極端に推進する革新派を諌めるという立場から成立した思想である。
アメリカがこうした理念の下誕生した「革新」の国であり、その強引にグローバリズムや自由のための戦争を推し進めるアメリカに追従する「親米保守」は保守ではないと述べている。そこで著者は、危機に瀕する日本を救うにはアメリカとの訣別が必要であることを主張する。
そのためには、「私 -
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ネタバレ資本主義というものが、人間の無限の欲望を前提として形成されて来た歴史について解説した本。著者は資本主義を「人々の欲望を拡張し、それに対して物的なかたちをたえずあたえていく運動」と定義する。
また、著者は資本主義経済においては「過剰」に注目すべきであると説く。以前私は経済学を「有限の資源をいかに効率よく分配するかを考える学問」として「稀少性」に着目すべきだと理解していたが、これまでの人間社会の生産力からして供給過剰になりがちなため(生産物にもよるが)、この説はある意味で正しいだろう。
ミクロ経済学では個人は「効用」の最大化を目指すことを学んだが、本書では今までその効用がどのように形 -
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あなたを苦しませ悩ませる、こんな社会は間違っている。こんな内容のことを言ってくれるから、この著者の本は好きだ。心を慰めてくれる。
この本もそんな内容。簡単に言うと、ただ自由と民主主義があればいいってものじゃなくて、その方法で何を実現するのかって方が大切なんだと。そもそもアメリカから植えつけられた考え方なんだから、もしかすると日本の良い部分を殺してしまうかもしれないんだよってこと。
日本にはロシアのような資源も中国のような労働力もアメリカのような資本もないけど、唯一あったのは効率的な組織力で、その組織力のおかけでこんなちっぽけな島国でも、何とかやってこれた。いまその組織力がアメリカの梃 -
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啓蒙的
価値観フリーな社会制度などありえないと主張
個人主義の相対化を志向
「自由は「善」に依存している」
抽象的に抽出された理論的な個人ではなく、再び経験的な個人に戻る必要がある
自由は手段であって目的ではない
共有できない主張
善と義の違いがイマイチわからない、同じことを言い換えただけでは
道徳的という言葉を定義不明確のまま使っている
「犠牲の状況」(誰かを犠牲にしないと全員死ぬ)ではじゃんけんしては
価値観を主張した文章で「われわれ」という言葉を使われると戸惑う、いや君とはちがう考えなんですけどみたいな
現実から出発しろというが、自己への評価が一枚岩でないという現実についてはどう考えて -
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自由という言葉は、私個人にとっては、どちらかというと嫌いな言葉である。
過度に自由が抑圧されているという事であれば、自由に価値を見出すのは理解はできる。しかし、そうではないということなら奇妙な感じがする。それは思うに、自由以外に価値を感じる事ができなくなったのではないか、などと私は勘ぐってしまう。
佐伯氏はイラク人質事件の事を引き合いに出し、自己責任について語る。そしてその事件から、その個人の自由は政府、国家によって支えているということになる、と述べる。
どういうことかと私なりに説明すると、たとえ個人の自由意志だからといって異国の地に銃弾が飛び交う危険地帯に侵入 -
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“われわれは、この二人の経済学者であり思想家であり文明評論家であった偉大な人物から多くのものを学ぶことができると思う…彼らが考えた問題状況は、程度の差はあれ、基本的に現代のグローバリズムの問題とあまり変わらない。(5頁)”と佐伯氏は言う。
「この二人」というのは、アダムスミスとケインズの事である。そしてこの二人から著者はグローバリズム問題を考える。上巻ではアダムスミスの事を論じる。
そして“経済学の父といわれているアダム・スミスの重商主義批判から、グローバル・エコノミーへの対抗という観点からみることができるだろう(2324頁)”と佐伯氏はアダムスミスの着目し、“市場主義の最初の -
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著者は「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)」を発表し、その続編となるのが本書である。
アダムスミスを市場主義者とでもいう括りにいれるのならば、ケインズはアダムスミスとは対立するという見方も存在するのではあろう。だが著者の場合は、アダムスミスは一種変わった角度から論じ、グローバリズム問題という観点から考えた。そしてそのグローバリズム問題という観点から考えた場合、アダムスミスとケインズは対立するのではなく、グローバリズム問題に関してはどこか警戒的とでもいうのか、その意味ではアダムスミスとケインズは同一線上にあるのではないかと見たという事ではないかと思われる。
“ケ