あらすじ
「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ民主主義はうまくいかないのか」―現代の社会の抱えるさまざまな難問について、京大生に問いかけ、語り合う。若い学生たちの意外な本音から、戦後日本、さらには現代文明の混迷が浮かび上がってくる。旧来の思想―戦後民主主義や功利主義、リベラリズム、リバタリアニズムでは解決しきれない問題をいかに考えるべきか。アポリアの深層にあるニヒリズムという病を見据え、それを乗り越えるべく、日本思想のもつ可能性を再考する。
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Posted by ブクログ
佐伯氏の永遠のテーマである「資本主義はニヒリズムか」ということで、現代の社会の抱えるさまざまな難問について、京大生に問いかけ、語り合ったことをまとめた本。
今回は、従来の西欧社会の思考パターンでは絶対解決しない難問について、日本人の「無の思想」がニヒリズムを解決できる糸口として有効ではないのかという仮説が掲げられた。
佐伯氏のユーモア精神に富む授業内容に読んでいて、一瞬の笑を禁じえない楽しい作品であった。
Posted by ブクログ
京大で行ったと京大生と佐伯啓思さんの対話形式の授業を書籍化した本。
ニヒリズムという、自分たちがこれまで当たり前だと考えていたものが実は下賤なものであったと分かったときにその考えは無に帰してしまうという考えを基に様々なトピックについて議論していた。
倫理的な問題に限らず、政治や社会問題についても取り上げており、それらのトピックに対して臆せず取り組む京大生に驚いた。しかし、最も驚いたことは京大生の言語化能力の高さ。京大生の大学1年生を対象とした講義であるということだが、学生全員が根拠を持って自分の意見を述べる姿勢、何について理解できていないかを踏まえたうえで自分の意見を述べる姿勢。同じ大学生として彼らの知性の高さ、教養の深さに対して尊敬すら覚えた。
しかし、最もすごいのは場を取りまとめる佐伯啓思先生。生徒の意見を簡潔にまとめるだけでなく哲学的に抽象化しさらに議論を活発にさせる手腕。
そもそもの知識、教養の深さ。すべてが圧巻であった。
対話形式の授業は、教室を治める教師の力量が最も問われる授業形態であるが、佐伯啓思さんレベルの人間が教壇に立つことでここまで活発な議論が起こるのかと驚かされた。
特に第6講は自分の中でかなり印象に残った章であった。
<印象に残った言葉>
・守るという行為と守るべき対象の創造の主体は同じでなければならない。
→守る主体はアメリカに移った。日本は守られる対象となり主体が分離してしまった。
→我々の中に生きている文化を守ることが文化であり、文化遺産を守ることが文化ではない。
・日本を守るというが日本の「何を」守るのか?
守るべきものを認識しているか?
守るべき日本の環境や人に対して自分は大事にしている?
・あまりに簡単に生命尊重主義、自由や人権、平和主義、平等主義を高く掲げてしまうと人間の”生”の衰弱というニヒリズムが生じる。
・生という基盤の上に乗せられる正義や善に対して意識を持つべし
・意識をもつということは自分で動くことであり、順序付けることである。そして、順序付けることである程度一貫した方針を作るのが価値である。価値を持たない人間はバラバラで人格が見えない。
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現在、世界はニヒリズムの危機に瀕している。そしてその最たるは日本である。ニヒリズムとは従来当たり前であった絶対的な価値の崩落、それによる人間の生き方の頽落、そんなところを意味するらしい。例えば絶対的な価値、「人間の命」に対してなぜ人間の命を奪ってはいけないのか、それに対する明確な答えが出せない。そんなニヒリズム状態を脱すべく佐伯先生と京大の学生たちとのディスカッションという形を交えながら話が展開していく。政治などが苦手な僕にとってもわかりやすい説明で読書が捗ったが最後の哲学思想のところでわからなくなった。
Posted by ブクログ
京大の佐伯啓思教授が、ハーバード大学のサンデル教授の白熱教室に着想を得た行った京大生との対話型の講義をまとめている。テーマは、著者が現代文明、特に現代日本社会の最大の課題だと認識する「ニヒリズム(=最高の諸価値の崩落)」である。ニヒリズムが現出しているさまざまな現代社会の問題について考えるとともに、ニヒリズムをいかに乗り越えていくかについて考察している。
「なぜ人を殺してはいけないのか」「沈みゆくボートで誰が犠牲になるべきか」という根源的な問いから始まり、民主党政権の問題や尖閣諸島の問題、日本国憲法の問題など時事的な話題に触れ、最後にニヒリズム克服にあたっての日本思想の可能性に言及している。自分の立ち位置について考えさせてくれ、良い刺激となった。また、対話をベースとする講義録なので読みやすく、佐伯氏の主張のよき入門書にもなっている。ただ、京大生との対話が白熱しているかというと、やや予定調和的で少し物足りないという印象も受けた。
佐伯氏の主張自体については、ニヒリズムが根源的な問題ということや、民主主義をうまく機能するには、民主政治の中に民主主義的でないような要素をうまく取り入れることが必要という指摘など、共感するところもあったが、総体としては違和感を覚えた。それは、自分が、価値相対主義にシンパシーを感じているということが影響している。佐伯氏は、価値相対主義は救いようのない矛盾を生むと主張しているが、そもそも命を賭けてもいいと思えるような至高の価値を前提とするから矛盾と感じるのであって、それぞれの人がそれぞれ大切と思うような価値をそれなりに持って共存するということのどこがいけないのだろうか。一種の刹那主義かもしれないが、自分としてはそれでいいのではないかと思う。
また、西田哲学を代表とする日本の「無の思想」の持つニヒリズム克服の可能性については、言わんとすることはわかるような気がするが、もう一つ十分に理解ができなかった。
あと、本筋の議論ではないが、第七講での、天皇理解(天皇の非政治性)は少し皮相的かなと感じた。
Posted by ブクログ
あえて自身の主張はしない.
しかしながら,根をはった思想家,哲学者たちの主張を紹介しながら,あくまで「己で考えること」を大事にさせる.
そんな姿勢で書かれた本.
文体は小気味良く,非常に読みやすい.
しかしながら内容は,現代人が一度は考えたこと,感じたことのある,もやもやとした部分を照らし,「お前はどう思うのか」を問うてくる.
最後は加速度的にのめり込んで一気に読んでしまった.
これをきっかけにより哲学を学んで,何より自分の考えとその根を探り,再構築していきたいと思う.
Posted by ブクログ
サンデルの「ハーバード白熱教室」を横眼で睨みながら、それならサンダルを履いて、サンダル先生の「発熱教室」でもやろうかと持ちかけたら、本当に本になってしまった……と著者である佐伯啓思は漏らしています。
佐伯啓思という人はちょっと珍しい思想家でして、著作は多数に及ぶのですが、毎回、同じような内容が展開されるのです。ところが、毎作、ちょっぴり違うところがある。佐伯啓思のファンは、それを楽しみに読んでいたりします。「あ、今回はここがちょっと違うぞ」
そして、佐伯啓思のスタイルは原則として問題設定に対して回答を用意しません。従来の西欧思想を追っかけるだけの軽薄な思想家なら「ハーバーマスはこう結論づけた」と説明して終わるのでしょうが、佐伯啓思の問題意識は、「私たち日本人が現に抱える問題は何か」「その問題をどのように切り分けて考えれば良いのか」といった点にあるので、どうしても回答が容易に出てこないのです。
そんな佐伯啓思が学生と対話するとどうなるか。当然に話が噛み合いません。回答を用意されることに慣れている学生と、回答を用意する前に問題設定を考え抜く佐伯とでは、あまりにも隔たりがあり過ぎるのです。笑えるくらいに話が噛み合わない。