佐伯啓思のレビュー一覧
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現代社会では自由が殊更に叫ばれながら、自由に対する渇望感がまったくない、というジレンマから論理が展開する。著者はリベラリズムに反対する訳ではないと言うが、明らかにリベラリズムに対する不信感が見て取れる。
曰く、リベラリズムは自由を『個人の選択や趣向』に矮小化してしまうが、自由は本質的に社会的な問題である。自由は必然的に価値判断を伴うが、その価値は共同体に認められるものでなければならない。この説明で何故援助交際が非倫理的なのかが納得できた。『倫理的』の判断が時代や国によって違うことも。
自由を題材に、啓蒙主義、功利主義、カント、バーリンなどの近代哲学を系統だって解説した好著。 -
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連載を集めたものにありがちな、議論があっちこっちに拡散して読みづらいものと違い、筋が一本通っているように感じ、読みやすかった。
それは筆者の考えの筋が骨太で、そこから導き出される論考を文章として著しているからだろう。
全ての文章がそうあるべきだが、そうなっていないのが氾濫している現状からすると、素晴らしい。
筆者の主張や考察は今ある現状に対する批判の形のみをとっているため、最近の風潮からすると「では対案を示せ」と言われそうだが、それは違うのだろう。
本にもあるとおり、筆者は「専門家」であり、その知識を統合して全体を最適化するような判断をするは、本来的に「政治家」「指導者」に求められるも -
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本書で言う「経済学」とは、いわゆる「新古典派」とか「新自由主義」と呼ばれる経済学のことである。そしてその「経済学」は、現代人が当たり前のように受け入れている考え方でもある。
「いや、私は新自由主義経済には反対の立場だ!」と言いたい人もいるだろうが、経済のことを考えるとき、だいたいの人が新自由主義経済学的な思考に則っているんじゃないかと思う。
「新古典派」や「新自由主義」は、数ある経済学諸派の一つであったシカゴ学派が自らの経済学を「教科書化」したために、なし崩し的に「標準化」されたものにすぎない、と著者は警鐘を鳴らしている。
複雑に入り組んだ経済システムを確信犯的に単純化し、数学的に厳 -
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本著は、混沌とする日本経済の現況に対して、先ずは時代の変換期である認識を与え、その上で日本の在るべき立ち位置を示す。
それをこれまでの経済学、経済思想史を遡りつつ、立証することろに説得力がある。
著者が導き出した解が、自らの問題意識と合致するところも多く頭の整理になる。
グローバリズムなどの普遍的な概念を批判的に考察することが新鮮でもある。
要すれば、身近な生活基盤を確りと確立し、そこに如何に有意義に暮らしていくのか、という原点を軸として持つことの大切さに気付かされた。
以下引用~
・戦後日本は「復興」「高度成長」「アメリカに追いつく」などを価値としてきた。それはもう不可能だし、不必要で -
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日本人として謙虚に歴史と向き合い、自分の立ち位置をしっかり自覚することの大切さを教えられた。アベノミクスなど浮かれているが、結局、今の日本という国は、戦争の疾しさを抱え、西洋・アメリカの従属の上に成り立っている。戦後はいつまでも終わらず、この歴史はぬぐうことはできない。攘夷のはずたっだ開国→文明開化と同時に、「義」を捨てて「利」や「便」を追及することになった我々日本人。その流れは今も続き、ふと「負い目」と「疾しさ」を忘れがちだが、これが消えた時に本当の「無機質で空っぽの国」ができあがる。あがけばあがくほど精神の空洞化が進む中で、この国はどこへ向かうのか。大衆の一人として考え、行動することの大切
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ネタバレ評論らしい評論を読ませていただいた。大東亜戦争の意味すること、侵略ではないとする言動の根っこにあるものが分かりやすかった。
現在の無脊椎ともいえるニッポンの状況がどこから来たのか、鎖国を開き、明治維新の攘夷と文明開化の側面がどのように大陸進出と太平洋戦争につながり、戦後の経済発展とアメリカへの自発的従属がもたらされたか。
戦争に赴かざるを得なかった人々の犠牲とそれを戦犯とした疾しさについては、個人レベルの感傷として理解できる部分と社会・世情レベルではやむを得ないと感じる部分もある。
福沢諭吉の一身独立、一国独立が、これからの世界への開国にも大切だという主張には納得した。
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ネタバレ戦後の民主教育を受け、共産主義の失敗を見てきた我々の世代にとって「民主主義を疑う」ことは非常に難しい。というよりそれは前提としてあるもので意識すらしていなかった。しかしギリシア・ローマ時代の昔から、独裁制と民主制は交互に現れるものであり、ある意味表裏一体のものであるようだ。近年の日本の政局を見ると、またもその歴史を繰り返すかのような動きを見せている。民主主義のもと、大衆の民意が力を持つようになると、政治は民意を意識して、あるいはそれに左右されて大局的な思考ができなくなる。その結果あらゆる決定に時間がかかり、効率は落ちる。苛立った大衆は強い指導力を求めるようになり、そこに民主的な手続きのもと、独
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科学としての装いで、市場主義経済学者が政治を巻き込み、とんでもない社会を形作ってしまった現在、単なる経済学だけではなく、文化人類学を含む、多様な先人学者の言説を取り入れ、「脱成長主義」へ向け、現代文明の転換の試みを書いた名作だ。
第五章 アダム・スミスを再考する
第六章 「国力」をめぐる経済学の争い
第七章 ケインズ経済学の真の意味
第八章 「貨幣」という過剰なるもの
は圧巻である。
人間が歴史的に継続してた営為を総合的に分析することの大切さを改めて思い知らされる著作である。
佐伯啓思氏の主張されること終始一貫性があることに敬意を表したい。 -
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ネタバレTPP加入への議論などを見ていると「新自由主義」「グローバリズム」を掲げる人たちがやたらと威勢がいい。しかし筆者は日本の「失われた20年間」とは「構造改革により金融や労働力の自由化を推進してきたにも関わらず、国民はどんどん貧しくなっていった」時代だと看破します。「グローバリズム」は世界をハッピーにするどころか、本来その恩恵を一番に受けるはずのアメリカ合衆国までもをも貿易赤字や貧困、失業といった苦しみに追いやっているのが事実。EUをはじめ他の国々はいうまでもなく、おしなべて失敗している。皮肉なことに経済的にいちおう成功している中国、ロシアなどは「新自由主義」とは正反対で、国家による統制の比重が大
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「愛国心」について、
1.なぜ愛国心が必要か。
2.愛国心とはそもそも何か。
という問題が生じる。このあたりは、実際に著書にあたって欲しい。
どこまで行っても、愛国心は歴史観と切り離せない。
そこで、日本の愛国心は負い目を持ち、その負い目とは大東亜戦争に対する負い目だと著者は言う。更に言えば、「大東亜戦争に対する負い目」とは、「あの戦争で死んだ英霊に対する負い目」なのだと。
そして、この本の白眉は、明治維新を体験し西欧列強を目指した日本は必然的にあの戦争へ突入せざるをえなかったという文明論的分析だろう。
西欧思想を身に付けた明治の知識人たちは、西欧の言葉・西欧の視点で日本を語らざる -
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▼私たちが求めている「自由」とは何か。いざ考えてみると内容もハッキリとしない。
▼それは「正義」とも関わりの深い概念なのかもしれない。だが、正しさは個々人の価値観からは自由になれない。そしてそれは相対的で、つまり、「悪」との境界線は限りなくあやふやである(そして、誰もが、その自覚の有無に関わらず「悪」を内包しているのだろう)。
▼相対的に全てが「正しく」自由だとすると、つまり、絶対的な「善」が登場してしまう。それこそ、ウェーバーの言う「神々の闘い」の状態であり、ハンチントンの「文明の衝突」さえ具現化されてしまいかねないだろう。
▼「自由」であること――そこから生じる「責任」とは、死者への「責任