あらすじ
何を信じたらよいか、何を信じるべきか。景気回復、東京五輪など楽観的ムードが漂う中、日本人の精神に何が起きているのか。「アベノミクス」という虚構、「憲法」という誤謬、「復興」という矯飾、「天皇家」への警鐘……大震災後の出来事から表出する国家のメルトダウン。民意や国民主権という幻想の下、幸福を一途に追求してきた日本に今、民主主義の断末魔が聴こえる。稀代の思想家が真理を隠す「偽善の仮面」を剥ぐ。
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Posted by ブクログ
ただの時事評論にあらず。重厚な思考の形跡を伺わせるような評論です。(本来そういうものなのかな)。
時事の出来事に併せるように顕現してくるものは
かつて見た光景・・・ヒトは進歩というものがないらしい。
すべてに於いて「既視感」を覚えるのか。
いまさら追加執筆が求められるのは、大衆が健忘症を煩っているからだ。
そして売れる・・・。
既に古典内でしつこいくらいに語られている。
その引用と現実の事象を照合させるだけだ。
筆者はため息をつきながら執筆しているのだ。
また、資本主義の本質について納得させるものがある。
嘗ての著書「資本・欲望・なんだっけ」でも詳しく解説されていましたが
改めてアベノミクスとの対比の中でなんていうか得心がいったというか。
彼の中ではもう既に結論がでているのだろうとペシミスティックにならんで
欲しいですよ。ああ、もうニヒリズムは卒業した先生であられるのかな
Posted by ブクログ
最近の与党・自民党の動きを見ていると、あれ、民主主義ってこういう事だっけ?と思ってしまいます。確かに選挙で選ばれた以上、比較的多くの「民意」が反映されているはずなのに。
そもそも「民主主義」ってなんだ?
と、いうところに立ち戻って考えると、それは想像以上に困難で過酷なものであるようです。
「民意」がひとつであれば問題ないのですが、実際にはそれは各個人の欲望や損得勘定の自由な発露であり、国家の主権者たる国民同士での主権争いに他なりません。かつて絶対王政などのわかりやすい「打倒すべき権力者」が同じ国民となってしまったのが近代民主主義国家であると。
ホッブズの国家契約論に遡ると、「国民主権国家」の条件として国民がエゴを捨てて公共のために尽くすことを上げていたのですね。それを見えざる「神」の前で信約(カバナント)する必要がある。だからそれはキリスト教と不可分の思想でもあるのです。
そういったことをすっ飛ばして、その意味を深く考えずに民主主義を採用している我が国では、欧米諸国以上にその運用には注意が必要です。
そんな事が書いてある、なかなか衝撃的でラディカルな本です。「民主主義が正義なのか」まずここを疑うこと。難しいですが、避けては通れないのです。
Posted by ブクログ
月刊「新潮45」の連載をまとめた本。
内容は
第1章 時代閉塞をもたらしたもの
第2章 空気の支配
第3章 正義の偽装と「ミンイ」大合唱
第4章 領土を守るということ
第5章 成文憲法は日本人の肌に合うか
第6章 「石原慎太郎」という政治現象
第7章 「維新の会」の志向は天皇制否定である
第8章 「国民主権」という摩訶不思議
第9章 「経済学」はなぜ信用されないのか
第10章 「皇太子殿下、ご退位なさいませ」が炙り出し
だしたもの
第11章 「砂漠の経済学」と「大地の経済学」
となっている。
どの章も、著者の経済学を出自としながらも、幅広い人間学を基礎とした造詣の深い言葉に操られ、とかく皮相的にしかとらえられない現今の現象を、政治・法・経済・歴史学的観点などからその本質が炙り出されている。
とにかく、言葉の持つ本質的な意味が深く掘り下げられた説明で、納得できる説明である。
古今東西の人間が織りなしてきた歴史に対するアプローチがすばらしい。
真の保守とは何ぞや といつも感心させられる佐伯節である。
関西人特有のユーモアの随所にあり、フト微笑んでしまう、同じく関西人の私である(おまけ)。
Posted by ブクログ
連載を集めたものにありがちな、議論があっちこっちに拡散して読みづらいものと違い、筋が一本通っているように感じ、読みやすかった。
それは筆者の考えの筋が骨太で、そこから導き出される論考を文章として著しているからだろう。
全ての文章がそうあるべきだが、そうなっていないのが氾濫している現状からすると、素晴らしい。
筆者の主張や考察は今ある現状に対する批判の形のみをとっているため、最近の風潮からすると「では対案を示せ」と言われそうだが、それは違うのだろう。
本にもあるとおり、筆者は「専門家」であり、その知識を統合して全体を最適化するような判断をするは、本来的に「政治家」「指導者」に求められるものであるからだ。
そのような役割をする指導者が日本には生まれていないため、その役割自体が忘れ去られ、個別最適の積み上げが全体最適となるかのような誤解を生んでいると思っている。
そのために、学者や作家など、特定の分野で名を為した人が政治の世界に引っ張り出され、国民もそれを求めるような社会になってきたのだろう。
そのような政治家が現れるのを永遠に待ち続けるしかないのか。
Posted by ブクログ
この国は本当に歪んで偏りがひどくなっている。その核心を論理的に突いている。「国民」とは、「民主主義」とは、「大衆」とはということを考えさせられる。
Posted by ブクログ
経済学者・思想家である佐伯啓思が、月刊『新潮45』の連載「反・幸福論」の2012年7月~2013年6月発表分をまとめたもの。同連載の新書化は、『反・幸福論』(2012年1月刊)、『日本の宿命』(2013年1月刊)に次いで3冊目。
連載の時期は、民主党政権の末期から第二次安倍政権への移行を挟んでいるが、時論に留まらずに、著者が「まえがき」で「ひょこひょこと時々の状況に応じてムードが変わること自体が問題というほかありません。そして、それこそがまさに今日の民主政治の姿なのです。・・・私には今日の日本の政治の動揺は、「民主主義」や「国民主権」や「個人の自由」なる言葉をさしたる吟味もなく「正義」と祭り上げ、この「正義」の観点からもっぱら「改革」が唱えられた点にあると思われます」と述べる通りに、現象の根底にある、民主主義、日本国憲法、国民主権、天皇制等のテーマに踏み込んで論じている。
もともと雑誌の連載ということもあり、整然とした論理展開により結論が提示されているわけではないが、本書の政治面での主張を極めてシンプルに整理すると概ね以下のようなものと考えられる。
◆日本には責任の所在を明確にしない「空気の支配」が存在し、石原慎太郎も維新の会もそうした空気により支持されたものである。
◆ルソーが唱えた民主主義の出発点は、「共同防衛」と「憲法(根本的規範)の制定」であり、日本が民主主義を標榜する限り、他国に防衛を任せることは矛盾するし、主権者ではないGHQが作った日本国憲法は、内容云々以前に無効である。
◆「国民主権」の民主主義は、主権者と統治者が同一の国民という根本的な矛盾を孕んでいる。「共和主義」の伝統のない日本には向かない。
◆日本は、権威としての形式上の主権が天皇にあるという形をとるほかはない。
現代日本の問題を考える上で、多くの視点やヒントを与えてくれる。
(2014年6月了)
Posted by ブクログ
日本の「正義」を考えると、民主主義とか民意とか、国民の多数が考えて述べることが適当なのかもしれない。その結果、かつての民主党政権やアベノミクスは「正義」となった。しかし、ちょっと考えると民意を唱えるのは国民の多数ではなく、民主党や自民党だ。
木に止まったセミのごとく、ひたすら「ミンイ、ミンイ」と鳴いていれば「民主主義」ができあがる。実は独裁者こそが民意を語り、国民を代表することができる。それが著者の言う「正義の偽装」だ。
こうした欠陥をはらんでいる民主主義ではあるが、現状ではその体制を選択するしかない。それもまた、大きな矛盾。
「正義」とは考えれば考えるほど、ループしてしまうものなのだ。
Posted by ブクログ
時事的な問題を、様々な視点から論じている。
範囲の広さは良い点でもあるが、個別の章について、さらに詳しく知りたいところもあり、消化不良感もある。
Posted by ブクログ
佐伯先生の語り口や切り口は面白い。本著もキャッチーなポイントから民主主義について論理的解説を試み、そういう考えもあるか、という着想を多く与えてくれる。残念なのは、テーマ一つ一つの掘り下げが深まる前に、話が進行してしまう事。新潮45への寄稿を纏めたものとの事で、その点は仕方ないのか、テレビショーの感。
山本七平が言っていた民衆を操作する空気について、民主主義における民意について。日本国憲法の有効性。石原慎太郎の考察、などなど。面白テーマずらり。雑誌寄りか、と思えば合点がいくのだが勿体無い。それなりに、である。
Posted by ブクログ
世の中のふやけた正義の味方の皆さんを斬る本、かと勝手に想像していたら、そうでもなかった。民主主義という正義が本当に機能しているのか。そもそも民主主義はいいものなのか。そういう話。「民意」を「ミンイ」と書くことで、この本の言いたいことはかなり表せるのではないかと思う。「日本」を「ニッポン」と書くと急にわかったようなわからないようなナショナリズムが喚起されるのと同じだ。「専門家」への依存や不信も社会の不正義を助長しているが、そもそもexpertのpertとは、「小生意気な」とか「でしゃばり」、つまりexにpertするとは「外へ向かってしゃしゃりでる小生意気な者」だと。言われてみれば、本当にその腕や知識で飯を食っている人のことを専門家という風には認識できないなあ。他にも石原慎太郎の話やら、部分的に溜飲が下がるところはあるが、なんだか思い出に残りにくい本であった。