フェリス・セミナリー(現・フェリス女学院)初代卒業生にして、バーネット『小公子』の翻訳者、そして教育者である若松賤子の生涯を描いた作品。
恥ずかしながら若松賤子という方をこの作品で初めて知った。
物語の終盤、『小公子』の前編が出版された直後のカシ(賤子の本名)が夫である巌本善治に『怖くなった』と不
...続きを読む安を漏らすシーンがある。
『雑誌に載った作品が評価を得たことはある。けれど、若松しづという著者名は、「女学雑誌」の読者にならば知られていても、世間ではほとんど無名だ』
『わたしがどんなに翻訳に苦心したか。読みやすくする努力をしたか。外国の風俗、社会の雰囲気を損なわず日本人にもわかりやすいような言葉選びをしたか。幾度推敲を重ねたか』
この辺りの心情は、作家である梶さん自身の思いも込められているのかも知れない。
確かに私は若松しづという名前も知らなかったが『小公子』の物語は知っている。彼女の成し遂げたことは現代にも確かに残っている。
若松賤子、本名・巌本カシ(名前の由来は生まれ年の甲子から)は会津出身。他の会津出身者同様、辛い幼少期を送ってきた。幼い頃に母が亡くなり養子に出された。そこでは裕福な生活を送れたようだが家族関係はギスギスしていて、養父の商売が傾いたことで再び実父により別の養子先へ。それがフェリス・セミナリーを創設したメアリー・エディー・ギターだった。
この時代に外国人に自分の子を預けるとはどのような覚悟だったのだろうと思う。
だがそのことがカシの人生を切り開いた。
英語を始め数々の学問を受けることが出来た。そして何よりもギター夫妻の対等な夫婦関係を見つめることで、その後の彼女の価値観や考え方が定まったようだ。
途中、平塚らいてうや伊藤野枝のような活動家になるのかと思ったほど女性の地位向上や教育などに熱心になるが、彼女が目を付けたのは外国文学だった。それも未来を背負う子供達に向けた物語を分かりやすく紹介すること。
カシの物語を読んでいると、傍から見れば成功者で信じた道を突き進むパワフルウーマン。
だが幼い頃に養子先を転々とし、実父から見捨てられたと感じたカシにはフェリス・セミナリーだけが自分の『ホーム』だった。
なのに自分の母鳥、父鳥と呼んだキダー夫妻もフェリス・セミナリーから旅立っていく。どれほど辛かっただろうと想像する。
そして理想の伴侶に出会えたと結婚した巌本善治もまたカシの思いとは裏腹に家には居つかず、自分の信じる活動へと突き進んでいく。
表面の輝かしい実績の裏で、カシには葛藤や劣等感、淋しさを抱えていた。
個人的には名前が出る主人公よりもその影でバックアップしている妹・みやや、『小公子』推敲を手伝う桜井彦一郎(鴎村:後に津田梅子の学校創設に協力)の方を注目してしまう。カシの仕事や功績は彼らのような縁の下の力持ちあってこそだったのだとも思う。
梶さんらしくとても読みやすく主人公の思いにも入っていけた。この時代の女性らしく自分が信じた道を悩み時に転びながらも突き進む姿が清々しい。
欲を言えば、カシたちがどのように英語の習得をしたのかを知りたかった。今のように英語学習アプリがあるわけでもないし、繰り返し英語を聞けるテープやCDなど無い。ましてカシは給費生として学費が払えない代わりに教師の手伝いや雑用などもこなさなければならない。どのように時間を捻出し優秀な成績を修めることが出来たのか。
読後津田梅子氏を調べていて知ったが、作中カシが婚約破棄した世良田亮は津田梅子にも縁談話を断られている。後に別の女性と結婚しているが、二度も断られるとは同情する。フォローするが作中での人柄は穏やかで誠実だ。
ちなみにヴァイオリニストの巌本真理氏は善治・カシ夫妻の孫にあたるらしい。