安田浩一のレビュー一覧
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関東大震災から101年を経過した2024年に出版された関東大震災・朝鮮人虐殺について記された決定版的本。
朝鮮人虐殺については多くの研究者や作家、独自に調査する在野の研究者によって数多くの本が出版されている。
郷土資料や日記までも調査され、事実として確かな強度がある。
にも関わらず、どこかの馬鹿夫妻が記した朝鮮人虐殺はなかったなどというデマ本にネトウヨはまんまと踊らされた。そして、この10年で朝鮮人虐殺はなかった論というものが登場してしまった。
その影響はそれまで毎年形式だけでも追悼文を出していた都政のトップが、追悼文を出さないまでに発展している。
都政だけではなく、内閣の官房長官までもが事実関係を把握出来る記録が見つからないなどと発言している有り様だ。
それは地方にまで伝播し、群馬では朝鮮人虐殺碑が撤去されてしまった。
100年足らずで歴史修正主義が跋扈している状況が今である。
若干高く、ページ数も多いためこれを最初に読むのはちょっとしんどいだろうと思う。だが読んでおくべき一冊である。 -
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右翼の戦後史について、実際に活動に携わった人々に対して多くの取材しながら描き出す。
出版順は逆だが、同じ講談社現代新書の日本左翼史シリーズを読んだことでこの本も読むことに。
興味深いのは、日本左翼史シリーズは(特に佐藤優が顕著だが)徹底的に文献・論文にあたるのに対し、本書の著者の安田は果敢に取材をして情報を収集するという点である。
これは、両者の執筆スタイルというだけでも無いと思う。共産主義・社会主義思想が理論ベースで演繹的に社会の構築を試みるのであれば、右派の民族主義的思想は共同体をベースとして、帰納的な方法で社会を構築しようとする特徴がある。こうした違いを鑑みると、両者の執筆スタイルは、そもそもの右派、左派の特徴と似通っていることが分かる。
丹念な取材をもとに、右派の戦後の様々な活動を描き出すことに成功していると感じた。決して一枚岩で無い様々な活動の内容に、驚くことも多いと思う。
注意したいのは出版が2018年と若干古いこと。第5部までは別に問題ないが、ネット右翼の問題を取り扱う第6部は、その後の世界情勢を加えた増補がどうしても欲しくなる。
この第6部で、筆者は「社会の極右化が進行している」と述べている。しかし、ここで言う「極右」と言うのは「右派」の定義とは若干違うものではなかろうかと感じた。そう感じるのは、本書の刊行より約6年、もはやこの本の第6部で言う「極右」の特徴、つまり排外主義的で短絡的な思想の劣化が、右派に限られず様々な場所で見られるようになったからだろう。
実際、当時だと排外主義的で短絡的な思想はネトウヨに特に蔓延っていたように思う。しかし、今やこの手の異なる思想・言動を徹底的に糾弾し、愉快犯的に攻撃を試みるやり口はネトウヨだけの専売特許というわけでは無くなってしまったように思う。左右に限らず、思想が劣化している。
インターネットというニューメディアの元で、今後思想がどのように変化していくのか。この辺りの議論を注視しつつ、本書で為された議論を受け止めていきたい。 -
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右翼の流れがわかりやすい。
右翼は歴史と伝統を重んじた保守であり、異なる他者に対しては排他的で、復古主義であり、理念というよりも情念に近い。
日本右翼の源流は、江戸時代末期の水戸学にあるとされる。儒学を基盤に、神話や道徳を尊重し、身分や社会の安定を説くもの。吉田松陰や西郷隆盛らの幕末の志士に大きな影響を与え、倒幕運動や尊王攘夷思想が生まれた。
大正時代には、大正デモクラシーによって人々が権利意識に芽生え、大正6年にはロシア革命が成功して日本の支配層に大きな恐怖を与えた。政治家や企業経営者は、労働争議や小作争議を弾圧しなければならないものとみなし、その先兵として右翼団体が利用された。
昭和15年、近衛文麿内閣の要請に応じて右翼団体・政党は大政翼賛会に組み込まれ、太平洋戦争が始まると、あらゆる社会運動は戦時体制に組み込まれた。戦後は、占領軍によって右翼団体の解散と右翼人の公職追放が指示されたが、 1950年に右翼関係者の追放が解除されると、右翼を糾合する動きが活発化した。
1960年代に発足した日本学生会議(JASCO)は、ヤルタ・ポツダム体制の打破を掲げて、右からの革命を主張した。 1966年、左翼に対抗するための早稲田大学学生連盟が結成され、他の大学に呼びかけて横断的・全国的な日本学生同盟が結成された。 1969年には、全国学生自治体連絡協議会が結成され、鈴木邦夫が委員長に選ばれた。1970年には、反核拡散防止条約で右翼共闘構想を打ち出し、日本学生会議、全国学生自治体連絡協議会、日本学生同盟統一派が反核防統一戦線を結成した。 1970年以降、新左翼が力を落としていくのに伴って、 右派の学生運動も先細りになっていった。
一水会は、三島由紀夫らの遺志の継承を目的に、1972年に設立され、対米自立、自主憲法制定、日米安保破棄、戦後体制打破をスローガンとした。
日本青年協議会は、生長の家学生会全国総連合のOBを集めて1970年に結成され、各地で改憲集会を繰り返した。
日本を守る会は、鎌倉円覚寺貫主を務めていた朝比奈宗源と、富岡八幡宮の宮司だった澤渡盛房が、生長の家の谷口の協力を得て1974年に設立し、右派宗教界が大同団結した。事務局は、生長の家に関係する日本青年協議会のスタッフが務めた。日本を守る会は、愛国心が希薄となった戦後を一掃することを趣旨とし、連帯と連携を意識しながら大衆運動を盛り上げていった。
日本を守る会は、1978年に元号法制化実現国民会議を結成して、生長の家や神社本庁が運動の実動部隊となり、翌年に法律を成立させた。 1981年には、日本を守る国民会議を発足させ、日本国憲法をアメリカの押し付け憲法だとして、改憲に向けた大衆運動を牽引した。
日本を守る国民会議は、1982年に、第二次世界大戦中の日本の植民地政策に関する教科書の記述をめぐって中国・韓国から強い抗議があったことに反発し、自ら教科書をづくりを進め、 1997年には新しい歴史教科書をつくる会を発足した。しかし、つくる会の教科書の採択は進まず、内部対立から日本会議系のメンバーが脱退して、 2007年に日本教育再生機構を設立した。教科書の出版社には、フジサンケイグループの扶桑社の子会社である育鵬社が当たり、現在は600校で使用されている。
1997年には、守る会と国民会議が統合する形で日本会議が発足した。この背景には、1990年代の自民党一党支配の崩壊、村山談話の発表、天皇制護持や国家神道に距離を置いていた創価学会と公明党への警戒心があった。 -
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スリランカ女性を衰弱死させた入管の問題や、ベトナム人技能実習生のリンチ事件、孤立出産の問題など、文字通り人を人とも思わないような事件の数々。
そこにあるのは外国人への差別意識と、人権感覚の欠如である。
日本の農業や製造、漁業、インフラにサービス業と、多くの外国人労働者の姿が散見される。日本はもう外国人の労働力なしには社会を回し続けることが出来ないところにまで来ている。にも関わらず、その問題に向き合おうともせず目を瞑り、外国人労働者を奴隷のように扱っている。
外国人の労働力の世話で維持されている社会で生活しながら、「日本から出て行け」と声高に叫ぶ人たちはまったく現実を見ようとしていない。
昨今では出稼ぎする外国人労働者も日本を選ばないと聞く。
日本の経済力の衰えは勿論のこと、特権意識に胡座をかいて、差別や働き方の是正も進まない国に魅力など感じるはずがないからだ。
いずれ経済問題同様に蔑ろにしていたツケを支払わされるときが来るだろう。
だが、そんな諦念を抱えていても、諦めて何もやらないというわけにもいかない。少なからずまだ声を上げたりやるべきことはあるよな、と。 -
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都合の悪い過去や歴史に歪曲や捏造を流布する、そんな愚挙に無頓着な自己愛傾倒者は、安易な分断を扇動しマイノリティを排他しようと罵倒する。だがその対立は限られた範疇での喧騒であり、疎ましく距離を置く無関心層が多数を占めている。心地良さを優先するマジョリティにとっては、どうでもいいとノンポリを気取る、もしくは日々の生活に追われて無知な生活で安穏とする。しかし、無関心は決して有益ではない、深刻な事態へと緩やかに変貌する。その速度は真綿で首を締めるように進行する。そのまま放置して瓦解の一途をたどる社会でいいのか。青木理と安田浩一は様々な言葉で救いの場を内包する社会を模索する。そこに加害・被害という区分けはない。自他を隔てるのではなく相手を思いやる心、競争ではなく助け合いが生活を支えるのだ。
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裸で入る暖かいお風呂では、リラックスし心理的にも打ち解けて話しができる と言う考えの中、アジア太平洋戦争で、とかく隠されがちな日本の加害者的側面を調べ、関係ありそうな人にお風呂でも浸かりながら聞いていくと言うもの。
1.ジャングル風呂と旧泰緬鉄道
有名な映画「戦場にかける橋」で、鉄道施設の最大の難関として描かれるのが、タイ クウェー·ヤイ川に橋をかける大工事。この橋の横にあるプレートには、泰緬鉄道で命を落とした人の数が刻まれている。最多のマレーシア人42000人を筆頭に、旧ビルマ40000人、イギリス人6904人等日本人や韓国人を除いて10万人近く。戦争博物館にはその過酷な状況も展示されている。説明の中には「連合国の飛行機が近づいているとのことで、日本軍は捕虜を数百人を集め橋に立たせ手を振らせる。捕虜には攻撃しないと言う意図だったがあては外れ…」
タイ北部ジャングルの中にヒンダット露天風呂を作ったのは旧日本兵。多くの観光客や地元の人が利用するらしいが、あまり戦争時代のことを知る人はいない。
2.日本最南端の「ユーフルヤー」
沖縄にはついに1軒となってしまった銭湯を舞台に、沖縄戦や賛否が渦巻く基地問題などを、ユーフルヤー(銭湯)を守るお婆さんや利用者に聞く。
3.沐浴場とアカスリ、ふたつの国を生きた人
日韓の入浴観やアカスリ等の文化の違いを取り混ぜながら、戦時中は日本に併合され日本化を強いられた背景の中、力強く生き抜いた人たちから話しを聞く。
4.引揚者たちの銭湯と秘密の工場
神奈川寒川町には、戦時中ジュネーヴ条約で禁止されている化学兵器の一つイペリット爆弾を作っていた。しかも安全性を考慮せずに。
敗戦で条約違反が見つかるのを恐れ、そのまま見つからないように廃棄するが、2002年道路工事で現れた液体入りの瓶。掘削作業中だったため瓶の一部が破損し、近くにいた作業員11人が被害を受け、最も重症だった人は10年余りの闘病の末肺がんで亡くなっている。国交省の調では、約800本の瓶が見つかったようだ。
5.「うさぎの島」の毒ガス兵器
瀬戸内海に浮かぶ広島県大久野島は無人島だが国民休暇村があり、多くの野生のうさぎがいるため、癒しを求めて観光客が入島する。しかしこの島は1929年から敗戦までの間約6600トンもの毒ガスが製造されていた。当時はその有効性の確認のためうさぎを使っていた。で有効と分かれば中国でも使用された。ちなみに当時島は、地図から証拠隠滅のため抹消されている。
加害者の側面だけではなく、劣悪な環境と製造を急ぐあまり、工員の犠牲者も多い。これは危険性の説明が十分なかったことと、賃金が比較的良かったことで、韓国人含め多くの工員が集まったことも要因となる。
ちなみに敗戦後、韓国人には併合が解かれたことで、保障はない。
戦争を美化する人や、謝罪ばかりしていては日本人としての尊厳や国を愛す心が育たないと、勇ましいことを言われている為政者がおられるが、戦争になると一般人も鬼になってしまうことを理解し、日本人特有のな~な~にことを済ませるのではなく、しっかりと総括することが必要ではないかな。
同じ敗戦国のドイツは上手くやっているようにも見えるが、この辺り学習してはどうかと思う -
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「お風呂は究極の非武装」。温泉、銭湯を通して訪れる日本の加害の歴史。
日本の負の歴史だろう加害の歴史。原爆など被害者としての側面に比べあまり話題にならない。本書はタブーに近いだろう加害の歴史を訪ね歩く旅。
泰緬鉄道のタイ、沖縄、韓国と神奈川県寒川町の旧海軍工廠と毒ガスで知られる大久野島。
ある程度予測はしていたが、本書の立ち位置は賛否別れるところだろう。個人的には、やたらと「歴史修正主義」という言葉であったり今の政府、行政を完全に疑ってかかるような姿勢に違和感。加害の歴史を探るだけでも十分な内容になり得ただろう。
加害と被害は表裏一体。現在の価値観で過去を評価するところに無理があるように思う。過去の悪行を暴くことで時分が免罪されるように思えてしまうのだろう。
沖縄の高齢女性だってどうしても仕事はどこかで米軍につながらざるを得ないし、泰緬鉄道で捕虜を虐待したコリアンガードもいる。毒ガス工場に徴用された人達だって被害者であり加害者でもある。
そんな微妙な部分の扱いが、本書では雑なように思えた。
お風呂を通じて歴史を探る試みとしては面白い内容でした。