安田浩一のレビュー一覧
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【右翼とはいっても,すべてが同じ色に染まっているわけではなかった】(文中より印象)
街宣車や拡声器,そして時にはネトウヨという言葉に代表されるようなイメージで語られてしまう戦後の「右翼」。敗戦後の混乱から現在に到るまで,多様な潮流を生み出したその思想的な歩みを眺め,今日的意義を考える作品です。著者は,『ネットと愛国』等の著作でも知られる安田浩一。
表題が示すように大枠としての「右翼」の歴史を知る上で大変勉強になる一冊でした。右翼という言葉とその響きからは想像もできない思想的なグループがあったりするなど,意外性に満ち溢れた作品でもあるかと。
評判の高さも宜なるかな☆5つ -
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読み終えるのに意外と時間がかかった。文量があるのだから、当然ではあるが、それだけが理由ではない。
一つ一つのインタビューが、生きた人間による、熱量のある生の声であるから、流し読みができないのだ。「ちゃんと向き合って話を聞かなければ」という気になってしまう。
私は右寄りでも左寄りでもない。そのような思想のないボンクラなのであるが、この本の中に登場する人物は、私のような「思想のない人間」にも共感ができる部分がある。生きていく中で、私も経験したことがある、同様の「弱さ」や「迷い」を抱えている。
右翼や在特会について興味関心がなくても、読み物として面白い。また、ライターさんならではの文章表現も堪能 -
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もともとは世界の浴場や温泉を巡ろうという企画がぶれて(?)過去の戦争にまつわる日本の負の、そして清算できていない歴史を訪ねる旅と折衷されたような感じ。代表的なのが旧泰緬鉄道の沿線の温泉で、あの過酷な敷設工事のかたわら日本軍や関係者が整備した温泉がいまも残っているという。まさに、温泉のあるところに日本人の足跡あり、傷跡ありという感じ。そうなるとただ気持ちいいとだけは言っていられない。癒しや憩いの場も視点を変えればさまざまな背景や歴史があることを感じさせられた。
瀬戸内の大久野島は戦中、毒ガス工場になっていたという。そこで働いた人たちは、戦後も毒ガスの後遺症に悩まされた人が少なくなかった。毒ガス製 -
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中国人研修生に対する判を押したかのような協同組合、受け入れ企業の奴隷的扱い、また送り出す中国側の汚職、それ以前に日本経済を支えてきた日系ブラジル人の苦労の軌跡と悲惨な実情、そして形だけ変わって実態は何も変わっていない人身取引に等しい日本の外国人労働者に対する制度、こういった誰もが目を背ける『日本の暗部』を抉り出した傑作ルポ。これを読んで戦前の徴用工や慰安婦の問題を思い出すのは私だけだろうか。人は本質的に変わらないのかもしれない。こういったことは日本だけでなく米国含む他の国でも当然のように現在も行われているが、この書籍では日本だけに限定して問題提起しているために⭐︎4としたが、将来に残し幅広い人
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今から100年ほど前の関東大震災。流言飛語により多くの朝鮮人が殺された事件を追ったノンフィクション。当時の新聞記事から震災体験記、子どもの作文など。警察署の記録など。
一方には隠したい歴史、一方では暴きたい歴史、筆者はどちらかというと日本政府を貶める立場。事実は直視せねばならないが、その立ち位置には疑問が残る。未曾有の震災の混乱の中、警察、軍も含め流言飛語により暴走した事件が多くあったのだろう。そして事件の後に慌てて隠蔽したのかと。
筆者は官憲が震災前から計画的に朝鮮人の虐殺を考えていたような書きぶり、それは行き過ぎに思える。日本人の恥ずかしいまでの無計画性と窮地に立つとパニックで感情的に -
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ネタバレ(24/08/23-12/29)
既存の文献(郷土史、当時の新聞記事、公文書)を基に展開
特色
・現地訪問
・関係者インタビュー
・朝鮮半島出身者のみならず、日本、台湾、中国の人たちも対象
・取り上げた件数の多さ
これらの虐殺事例を中心に、当時と現在の関連というか往復。
過去の終わった事件ではなく、現在でも十分に再現される可能性を訴えているように感じました。
ただ……
件数(犠牲者数)は、今後も調査は必要だけど、確定は難しいかと
虐殺の根拠を新聞、公文書に拠っているけど、デマ、虚偽とその新聞、公文書を否定しているという矛盾。
虐殺における組織性
保護にまわった警官もいたので、どの程度徹底 -
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関東大震災から101年を経過した2024年に出版された関東大震災・朝鮮人虐殺について記された決定版的本。
朝鮮人虐殺については多くの研究者や作家、独自に調査する在野の研究者によって数多くの本が出版されている。
郷土資料や日記までも調査され、事実として確かな強度がある。
にも関わらず、どこかの馬鹿夫妻が記した朝鮮人虐殺はなかったなどというデマ本にネトウヨはまんまと踊らされた。そして、この10年で朝鮮人虐殺はなかった論というものが登場してしまった。
その影響はそれまで毎年形式だけでも追悼文を出していた都政のトップが、追悼文を出さないまでに発展している。
都政だけではなく、内閣の官房長官までもが事実 -
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右翼の戦後史について、実際に活動に携わった人々に対して多くの取材しながら描き出す。
出版順は逆だが、同じ講談社現代新書の日本左翼史シリーズを読んだことでこの本も読むことに。
興味深いのは、日本左翼史シリーズは(特に佐藤優が顕著だが)徹底的に文献・論文にあたるのに対し、本書の著者の安田は果敢に取材をして情報を収集するという点である。
これは、両者の執筆スタイルというだけでも無いと思う。共産主義・社会主義思想が理論ベースで演繹的に社会の構築を試みるのであれば、右派の民族主義的思想は共同体をベースとして、帰納的な方法で社会を構築しようとする特徴がある。こうした違いを鑑みると、両者の執筆スタイルは、