高橋昌一郎のレビュー一覧
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ネタバレ意思と意志。必ずしも合理的でない、理屈でない選択をする、ヒトの思考・行動の背景を深く考えさせるガイドブックだった。
「限界」シリーズ残りの二冊も読んでみよう。
メモ〉
ヒトの認知活動→ 二重課程モデル(共存する)
・ヒューリスティック処理システム(直感的)
・分析系・系統系システム(分析的)
認知的不協和→負け惜しみ
フレーミング効果→得をするフレームではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする。
意志と意思
・理性的、知性的に思考する意思
・感性的な自発性を主体とする意志(哲学的)
不条理から逃れる方法
自殺、盲信、反抗
小集団の論理
共感や排他など感情的な結合からなる、カルト教団の論理
愛と自由と死
感情が支配する幻想から逃れられない自己世界。
理屈じゃない事を理由付けしようと、考え、悩み、論理化に挑みつづけて来た、一つの形が哲学なのだろう。 -
Posted by ブクログ
限界シリーズの著者、高橋昌一郎さんが書いた本。たぶん、タイトルだけだったら、何かムッときて読まなかったと思う。高橋さんの本だから読んでみたが、予想外に面白かった。
第1章での男女関係の問題。「男子学生Xが大学入学当時から同じ学部の女子学生Jと交際している。Jは性格的に優しく可愛らしい女性であり、真面目なXとは似合いのカップルだと周囲からも言われている。Jと女子高時代からの親友Kは、どちらかというとクールな美人タイプで同じ学部に所属している。Xには、そのように高校から一緒に進学してきた同性の親友がいないのでJとKの友情を非情に好ましく思っている。
大学ではJとKが一緒にいることが多く、もちろんKはXとJが交際していることを知っているので、しばらくすると気を利かせて先に帰ることが多い。Kは国際線のフライトアテンダントを目指していて、英会話スクールなどにも通って忙しく、特定の彼氏はいないようだ。
さて、XがKに恋をしてしまった。三人で会った後など、以前のXはJと二人きりになれて嬉しかったが、今では逆にガッカリとした失望感を心中に隠している。すでに半年ほど前からJと一緒にいてもKの残像に悩まされる。Xは教授に相談した。このままでは苦しいばかりです。やはりボクは思い切ってKに告白すべきでしょうか? しかし、今でもJのことは嫌いではないのです。それに、JとKの友情を傷つけたくもないし。。。このような場合、どのような行動を取るのが論理的なのでしょうか?」
論理学の授業とは思えない内容だったが、最後に「論理的な行動」と結んだ。ここでのポイントは、状況をどういう風に整理するかということだと思う。実際の授業の会話をもとに本書は展開するが、やはり東大生だなと思わせる回答には興味を惹かれた。
また、次の章の詐欺の方法も面白い。「戦争を賛美しなければ非国民である」、「君は今のままでは不幸だが、この数珠を持っていれば救われる。だから、この数珠を買いなさい」、などという典型的な詐欺の手法を、どういう風に状況整理をするか? 二分法的な論理の整理では、4通りが存在する。だが、詐欺の手法では、あたかも二通りしかないように思い込ませて、最終的に相手が思う方向に誘導する。なるほどなぁ、と思った。ここから初日の男女関係について、最終的にどういう人間関係に収束するのかを二分法的な論理の整理をすると、8通りのケースがありえる。「おお、なるほど!」。分かりやすいように思う。3人の人間関係の「構造」そのものは、常に論理的に8通りのケースのどこかに収束する。教授がXから相談を受けたとき、彼に伝えたことは、その全体像を意識することによって「大局観」を磨けば、最終的な選択のヒントを得るのではないかということらしい。
ところで、3人の人間関係が論理的には8通りの関係に収束するとして(その人間関係を、○・×で表すとしてだが、、、)、4人だったらどうなるか? 答えは、「2^(4C2)=2^((4x3)/2)=64通り」である。つまり、人数が増えると爆発的にケースは増えていくのである。それが、○・×で表すごくごく簡素化した人間関係であってもである。逆に言えば、われわれの実世界での人間関係というのが、いかに複雑で多様かということであり、それを実感できるだけでも、本書が紹介する「論理学の世界は面白い!」と思わせる。
さて、「救命ボートの問題」に代表される「志願者のジレンマ」についても面白かった。この問題は、一定数の「志願者」が全体の利益になるように行動しなければ、全体の利益が消滅する、あるいは全員が何らかの被害を受ける状況をいう。例えば1821年の捕鯨船、エセックス号の事件などがそうであるが、「食料がない状況で、このままだと全員が死んでしまう。では、誰が犠牲になって他の人たちを助けるのか?」という「究極の選択」について、「集団的合理性」と「個人的合理性」が衝突するときの「社会的ジレンマ」と解釈される。
例えば、「囚人のジレンマ」もその一例である。つまり、「個人的合理性」の視点からは「自白してしまって、自分は即時釈放される(つまり裏切り)」を要求し、「集団的合理性」の視点からは「黙秘を通して二人が1年後に釈放されよう(つまり強調すること)」ということを要求する。このような「社会的ジレンマ」について、現代ゲーム理論の基礎を築いたジョン・ナッシュは、「ナッシュ均衡」が存在することを証明した。囚人のジレンマが発表されて60年になるらしいが、どちらが「理性的」なのかについては、いまだに議論が続いているらしい。ただし、模擬実験によれば、約60パーセントが「裏切る」一方で、約40パーセントが「協調する」結果がでているということだ。高橋先生はこの数字について、「もしかすると、この比率には理性を超えた根源的な人間の本性のようなものが関わっているのかもしれない」という。
このあと、アヒルの実験が紹介されるが、そもそもゲーム理論は人間がどのようにすれば利得を最大にできるか、いかなる戦略の可能性があるかについて、どの選択が「理性的」なのかを研究する分野だったはずなのが、実は生物学や進化論に関わる問題にも深く関係し、自然科学全体に影響を及ぼす可能性さえ示唆されているという。おそるべし、ナッシュ均衡である。高橋先生曰く、「何か見えないダイナミクスを想像するセンスが非情に重要である」。「自由意志とは何なのか? 本当にそんなものがあるのか?」ということにも関わってくる問題だ。
最後に「功利主義」についてまとめておきたい(書きたいことがたくさん!)。「最大多数の最大幸福」というのは、ジェレミィ・ベンサムが言い始めた「快楽主義」、もしくは「功利主義」である。ベンサムは、宗教的権威に代わる新しい道徳を「最大多数の最大幸福」だと考えた。これをもう少し勧めると、多数決の「順位評点方式」となり、つまり「民主主義」ということになる。だが、完全に民主的な社会化ってい方式が存在しないこと、つまり、不可能性定理については、すでに1951年にケネス・アロウが証明している。さらにいえば、「最大多数」というからには、どうしても切り捨てられる個人が出てくることが予想される。実はベンサムもこのことには気付いていて、途中からは著作で「最大多数」という言葉は使わなくなっているらしい。仮に、功利主義を批判すると、多数決を中心とする民主主義も、利潤追求を奨励する資本主義も同時に批判の対象となる。つまり、倫理学的な大問題となるわけだが、いまでも専門家の間では論争が続いているらし。まったくもって、大きな問題提起だ!
このことにショックを受けた東大生が、こんなことを言っている。「アロウの不可能性定理は、完全に民主的な社会的選択ばかりでなく、個人の完全な合理的な選択が不可能であることを示している。なぜなら、個人の選択も、複数のパラメーターによる投票行為とみなせるからである。というわけで、やたらと人生に理由とやらを求めるのは生産的でないように思えてきた。だから、これからは詩的に生きます!」と。人間の心をさまざまなエージェントが集まってできた一個の社会とみなす理論は、マーヴィン・ミンスキーが提唱した「心社会論」である。脳内のエージェントが相互作用をして影響を及ぼしあい、多層的なシステムを構築して人間の特定の行動を決定しているという理論である。「おおっ、そうか! アタマの中にたくさんのわたし(たくさんのエージェント)がいて、最終的に自分の決定が、その何らかの相互作用で決まっているのであれば、結局、自分の行動は合理的な選択をしていない可能性もあるということだ!」。納得した。
う~ん。最後のファインマンの事例を紹介している、「理性と神秘」についても興味深いが、一度、ここでレビューは終っておくこととする。バートランド・ラッセルの「理性主義」と「神秘主義」の大別については、別途、整理をしておきたい。 -
Posted by ブクログ
『理性の限界』『知性の限界』に続く限界シリーズ第三弾。
大学生や会社員、行動経済学者や生理学者などなど、ユニークなキャラクターが登場しシンポジウムを繰り広げる形は変わらず、今回は「愛」や「自由」「死」について考えていくことになる。
恋愛について、相手のことで頭がいっぱいになって胸が高鳴り、いてもたってもいられない気持ちを、神経生理学者は「軽い躁鬱症と強迫神経症の合体した一種の中毒症状」だと言い切る。
様々な専門家が各々の観点から極端とも言える意見をぶつけ合うのは、この本の楽しさの一つ。
著者が「楽しみながら考えていただくという趣旨を優先している」というように、今回も知的好奇心をくすぐる内容になっている。
「『限界シリーズ』の最初に挙げたのは、オリンピックの百メートル走で、ヒトがあらゆる局面でベストを尽くして走ったとしても、永遠に九秒の壁は越えられないだろうという限界値の話だった。(…)こうして並べると、壮観なネガティブの山のように映るが、逆に言うと、どれほど果敢に限界に挑戦し続けていることか、信じられないほどポジティブな人間の姿が見えてくるはずである」
ーおわりによりー -
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ゲーデルの不完全性定理の解説、およびそこから導かれるゲーデルが考えた不完全性定理の哲学的帰結の解説本。
不完全性定理の解説は例が非常に巧みで、論理記号などは一切使われていないんだけれど、「なにこのわかってしまった気がする納得感!!」がある。
電車の中などで気軽に読んでも、論理学の素人にとって途中で迷子にならずぎりぎり理解できるか!?その瀬戸際を行き来しながら読んでしまえるぐらいの絶妙な難しさ加減が丁度良かった。不完全性定理のキモとなるゲーデル数化の概念もすんなり入ってくる。
この解ってしまった感って、こういう本の場合結構重要。実際に誰かに不完全性定理について説明しろなんて言われたらなんにも説明できない。だけれど、一読してストレス無く読めて「解った気にさせる」難易度で本を書くのは難しんじゃないかな。そこらへんが著者の腕の見せ所なんだろうな。ウマイ。
同一著者の「理性の限界」も是非読んでみたいと思える本でした。 -
Posted by ブクログ
三流大学のインチキ理系を首席で落第し、それでいてなお似非教養主義者を自称したい自分には目から鱗の一冊だった。
ゲーデルの不完全性定理はその名前だけ耳にしたことはある。
しかしその内容に自分のしがない理系的知識が吹き飛んだ。
数学って絶対的だと思っていたから。
しかしゲーデルのよると数学はそれ自身無矛盾であることを証明できないそうだ。
これは衝撃的だった。
この本の素晴らしいところはその一見難解そうな定理を下手に数式やら記号を使わずにパズル(というかナゾナゾというか)で説明し切っているところにある。
なので高校の微積で躓いた自分にもその不完全性定理の概要を上手く掴むことができた。
なので文系理系関係なくオススメできる一冊となっている。
ただし後半になるにつれて目にしたこともないような記号が増えてきて難解になってくるので注意が必要。
それでも神の存在証明はスリリングなことが伝わると思う。
人間機械論争も面白いが、これは情報処理に関するある程度の知識がないと読むのが辛いか。
後半部分で星を落とす要因にはあるが、全体としていい新書だと思う。
こうなると物理学の量子力学にも俄然興味が湧いてくるものだ(学生時代、量子力学を理解できなかったクチなのだけど、もう少し真面目に話だけでも聞いておけばよかった)。 -
Posted by ブクログ
「人間は、どこまで理解することができるのか?」
これまで絶対とされてきた事柄に対して、「様々な分野の人たちがディベートを重ねていく」という形式で、その謎を解き明かしていく。
科学や論理学などに関する様々な話題が盛り込まれており、時折むずかしい用語が飛び出してくることもあるが、それ以上にわかりやすい実例を挙げて説明してくれるので、とても飲み込みやすい。いずれも目からウロコの話題で、読み終えた後には世界への見方が変わったような、とても充実した読後感が得られる。
ここ最近の教養新書では一番。むしろそんなカテゴリにとどまらず、幅広い人々に読んでほしい一冊。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
あなたが矛盾しないことをあなたは証明できない―人間の理性に限界があることを証明し、神の存在証明をも行った“アリストテレス以来の天才”。
その思想の全体像を、はじめて平易に解き明かす。
[ 目次 ]
1 不完全性定理のイメージ
2 完全性定理と不完全性定理
3 不完全性定理の哲学的帰結
4 ゲーデルの神の存在論
5 不完全性定理と理性の限界
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
長門有希の100冊の、23冊目。
この手の哲学本にしてはものすごく読みやすい本です。
新書だからというよりは、できる限り易しい言葉を使って、まずざっくりと全体感を捉えれるようにという割り切りで書いてある本だからだと。思考実験にページ数が割いてあることもあって、純粋に面白い!
後半はゲーデル生涯の話とかも入ってくるので、定理だけにのめりこみたい人には不向きかもしれません。(でも哲学書は得てしてそういうものな気もする)
ちなみに原作で、長門が言った「無矛盾の公理的集合は自己の無矛盾性を証明することができない」というのが、このゲーデルの哲学です。チェッメイト寸前だったチェスの王様を胸ポケットにしまいこんで、こういうことですと古泉が言ってる場面のあれです。
しかし、古泉と長門の会話はすごい高度ですよね…。普通、高校生の日常会話にゲーデルは出てこないよ…!(そして、詳細は分からなくとも、この手の会話の要点をきちんと捉えられるキョンも、相当頭がいいと思います)(勉強ができるとかそういう意味ではなく)