【感想・ネタバレ】東大生の論理 ――「理性」をめぐる教室のレビュー

あらすじ

知的で、理詰めで、クール。論理的だけど頭でっかち。私たちがイメージする東大生は、教室でどのように反応しているのだろうか?本書では、アメリカ帰りの「アウトサイダー」教授が、東大の「論理学」の講義で行った「理性」をめぐる多彩なディスカッションをもとに、東大生の志向性を考察する。同時に、社会的ジレンマや神秘といったテツガク的な議論、東大特有の「進振り」や「シケタイ」、東大生の恋愛相談やブログなどにもふれる楽しい一冊。

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論理学の教授が東大で講師をすることになり、その際の東大生とのやりとりから感じた東大生の考え方等について書いてある本。論理学に関する難しい話が出てこないで比較的簡単に読める本かと思う。

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2023年02月28日

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実用一辺倒の知識や小手先の技術のことであれば、教室で教わるまでもなく自学自習してしまうのが東大生。しかし科学者・教養人として一生の間必要となる思考の基本スタイルは、練達の教師によって、クラスメートと相互に啓発する中で身につけるほうが良いのだろう。高橋の教師としての卓越した能力と、誠実な意欲が透けてみえるエッセイだ。

数理科学の今野浩がかつて著した「キャンパスのOR」の「論理学バージョン」といってもよい。

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2018年10月14日

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講義を実際に受けていたので、あぁそんな話題もあったなぁ、とか、!!?この東大生Eって自分じゃない?などという楽しみ方ができた。
高橋昌一郎先生の講義は東大では一度しか行われなかったようで、受講することができて幸運な講義のひとつであると言える。(自慢できる)
学生の意見に対して口癖のように「おもしろい!」と言って広げてくださる、大変おもしろい方であったと記憶している。
他の著書、「理性の限界」、「知性の限界」など変わった形式でわかりやすく書かれている。
この本がベストセラーになった暁には、講義を受けていた学生を集めてパーティーを開催してくださるようなので、広く宣伝して行きたい、いやパーティーに行きたい!

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2011年12月20日

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高橋さんの本はスマリヤンから数えてこれで5冊目になるが、どれも外れがなく良書だといえる。今回の論理学の本も、うちの大学でもぜひやってほしいと思うほど中身に充実感があり、だからこそ、そこに集う学生も議論に花を咲かせることができたのではないかと思う。中でも特に面白かったのが、4回目と5回目の講義であり、社会的ジレンマとナッシュ均衡に関するところは手をとめて考えさせられるほどであった。人間と動物を分けているのが理性だとされる中で、理性的であろうとするがゆえに、思惑であったり、感情であったりが付きまとい論理的でいられなくなるのが滑稽であった。論理をする上では、いかに心を捨てきれるかが大事になってくる。それはまた、その時だけでなく日常生活とも密着している問題である。心を捨てきれないうちは、冷静でいられることもできず、物事の本質を見極めることもできない。だからこそ、人は自分の価値基準・判断基準という軸に頼ることが必要になってくるのだ(その多くが、他の影響を少なからず受けたものであることは言うまでもない)。また、ナッシュ均衡においても、人間がそのバランスを失っているのが、理性ゆえだと言えるのではなかろうか。人間が人間的にあろうとすればするほど、その人間性ゆえに不自然な現象が生じるようになる。ただ凛として存在する自然の前に、面白い結果を突きつけられた哀れなピエロでたとえあるにしても、その踊りは見るものを楽しませ、また考えるきっかけを与えてくれることに対しては、大いに敬服を払いたいものである。

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2011年02月02日

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『東大生の論理』といわれると、ロジカルシンキング等の類の本…?と思ってしまいそうなのですが、全然違います。
東大の理科学生対象の「論理学」の授業において繰り広げられる学生と教授のディスカッションの様子や、教授が投げかける問いに対する東大生の考察などがつらつら書かれた一種のエッセイのようなものです。

「そもそも論理学ってなにー?」って感じですが、簡単に言うと、この授業では主に、論理的に考えるということ、また論理的に考えようとするがゆえに陥るジレンマや限界が扱われています。

講義の中では社会的ジレンマやゲーム理論、功利主義のような政治哲学に関わる話題が出てきて、「これって文科学生対象の授業じゃないの?」と思ってしまうくらいなので、文型の私たちも問題なく読めます。
でも、随所に理科学生の科学的な考え方、解釈が出てきて、「理系の脳みそは違うなー」と思いました。
というか読み終えて、「やっぱり東大生の発想力&思考力はすごいなー」と思いましたww

東大の授業と聞くと堅苦しそうに思われるかもしれませんが、この授業は全くそんなことなくて、色々な具体例や問いを用いて分かりやすく説明してくれています。(ただ、あくまでも授業の触り部分の説明であって、この本では本質の説明まではしてません。この本のメインは学生と教授のディスカッションなので。)
この具体例や問いだけでもとても興味深いのですが、それらに対する東大生の見解や思考が、より読者を感心、わくわくさせるものになっています。

軽い気持ちで読める本だと思うので、気が向いたらぜひ読んでみてください^^
希望者にはお貸しします☆

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2011年01月04日

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.@ShoichiroT氏著。東大での講義を通してわかりやすくゲーム理論について知ることが出来、同時に東大生の振る舞いを垣間見ることが出来る。

さすがの東大生は、頭がいいなあと思う。
それだけに、個人の能力と全体の結果は負の相関があるんじゃないかとと思えてならない(合成の誤謬?)。

東大生のように個人の能力でモノを言わせてきた人種においては、
自分の能力を高く評価し、全体よりも個人を大切にするのか、
結束・統率力が問われる問題に対して正解がわかっていても、
出すことが困難なのかと。

もしこれが弱点になるのなら、東大に対するコンプレックスは和らぐかな。

ところで、大学にこういう素晴らしい講師がいることを知っていれば、それだけでその大学に行く気になるんだけどなあ。

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2010年12月30日

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良著すぎる!『理性の限界』の高橋氏が東大で講師を務めた際の記録。
講義内容も面白いし、それに対する東大生の意見や、その意見に対する著者の感想も面白い。
最大多数の最大幸福に対して「最大多数の最小不幸」を主張した東大生にはシビれた。
高橋氏vs東大生!

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2016年02月15日

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論理学者、高橋昌一郎氏が東京大学で講義を持った際に見た東大の学生の行動、性格、思考法などについて思ったことを、自身の論理学の講義で扱った内容のさわりとともに紹介する知的エッセイ。論理学というとっつきにくい臭プンプンの学問をユーモアを交え分かりやすく教える筆者と、頭脳明晰な東大生たちとの非常に知的なやりとりや、必ずしも知的でなく親しみの持てるやりとり(笑)が満載。論理学への知的好奇心を刺激される一冊。

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2010年12月12日

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東大での非常勤講師の経験から、東大生の思考例をまとめたもの。スラスラと読めて、講義の面白さが伝わってくるとともに、東大の学生思考の一部を知ることができた。

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2025年10月09日

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東大生への講義の感想と、東大生が持った講義への感想が面白く書かれた本です。
んまぁ、これといった感想は無いのですが、読みやすくて面白いです。ボクの評価はA-にします。

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2014年02月02日

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東大生のすごさを思い知らされます。この本について書かれている、東大生の発言は実際のことであり、普通の大学生では考えられない、いや、仕事をしている社会人でもなかなかこういったことは考えられないのではないかと思います。それを、まだ一年生が考えるなんて…、東大生すごいの一言です。ただ、私たちも同じ日本人として、こうなれないわけではありません。この本は、動機づけに最適です。

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2012年07月31日

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限界シリーズの著者、高橋昌一郎さんが書いた本。たぶん、タイトルだけだったら、何かムッときて読まなかったと思う。高橋さんの本だから読んでみたが、予想外に面白かった。

第1章での男女関係の問題。「男子学生Xが大学入学当時から同じ学部の女子学生Jと交際している。Jは性格的に優しく可愛らしい女性であり、真面目なXとは似合いのカップルだと周囲からも言われている。Jと女子高時代からの親友Kは、どちらかというとクールな美人タイプで同じ学部に所属している。Xには、そのように高校から一緒に進学してきた同性の親友がいないのでJとKの友情を非情に好ましく思っている。

大学ではJとKが一緒にいることが多く、もちろんKはXとJが交際していることを知っているので、しばらくすると気を利かせて先に帰ることが多い。Kは国際線のフライトアテンダントを目指していて、英会話スクールなどにも通って忙しく、特定の彼氏はいないようだ。

さて、XがKに恋をしてしまった。三人で会った後など、以前のXはJと二人きりになれて嬉しかったが、今では逆にガッカリとした失望感を心中に隠している。すでに半年ほど前からJと一緒にいてもKの残像に悩まされる。Xは教授に相談した。このままでは苦しいばかりです。やはりボクは思い切ってKに告白すべきでしょうか? しかし、今でもJのことは嫌いではないのです。それに、JとKの友情を傷つけたくもないし。。。このような場合、どのような行動を取るのが論理的なのでしょうか?」

論理学の授業とは思えない内容だったが、最後に「論理的な行動」と結んだ。ここでのポイントは、状況をどういう風に整理するかということだと思う。実際の授業の会話をもとに本書は展開するが、やはり東大生だなと思わせる回答には興味を惹かれた。

また、次の章の詐欺の方法も面白い。「戦争を賛美しなければ非国民である」、「君は今のままでは不幸だが、この数珠を持っていれば救われる。だから、この数珠を買いなさい」、などという典型的な詐欺の手法を、どういう風に状況整理をするか? 二分法的な論理の整理では、4通りが存在する。だが、詐欺の手法では、あたかも二通りしかないように思い込ませて、最終的に相手が思う方向に誘導する。なるほどなぁ、と思った。ここから初日の男女関係について、最終的にどういう人間関係に収束するのかを二分法的な論理の整理をすると、8通りのケースがありえる。「おお、なるほど!」。分かりやすいように思う。3人の人間関係の「構造」そのものは、常に論理的に8通りのケースのどこかに収束する。教授がXから相談を受けたとき、彼に伝えたことは、その全体像を意識することによって「大局観」を磨けば、最終的な選択のヒントを得るのではないかということらしい。

ところで、3人の人間関係が論理的には8通りの関係に収束するとして(その人間関係を、○・×で表すとしてだが、、、)、4人だったらどうなるか? 答えは、「2^(4C2)=2^((4x3)/2)=64通り」である。つまり、人数が増えると爆発的にケースは増えていくのである。それが、○・×で表すごくごく簡素化した人間関係であってもである。逆に言えば、われわれの実世界での人間関係というのが、いかに複雑で多様かということであり、それを実感できるだけでも、本書が紹介する「論理学の世界は面白い!」と思わせる。

さて、「救命ボートの問題」に代表される「志願者のジレンマ」についても面白かった。この問題は、一定数の「志願者」が全体の利益になるように行動しなければ、全体の利益が消滅する、あるいは全員が何らかの被害を受ける状況をいう。例えば1821年の捕鯨船、エセックス号の事件などがそうであるが、「食料がない状況で、このままだと全員が死んでしまう。では、誰が犠牲になって他の人たちを助けるのか?」という「究極の選択」について、「集団的合理性」と「個人的合理性」が衝突するときの「社会的ジレンマ」と解釈される。

例えば、「囚人のジレンマ」もその一例である。つまり、「個人的合理性」の視点からは「自白してしまって、自分は即時釈放される(つまり裏切り)」を要求し、「集団的合理性」の視点からは「黙秘を通して二人が1年後に釈放されよう(つまり強調すること)」ということを要求する。このような「社会的ジレンマ」について、現代ゲーム理論の基礎を築いたジョン・ナッシュは、「ナッシュ均衡」が存在することを証明した。囚人のジレンマが発表されて60年になるらしいが、どちらが「理性的」なのかについては、いまだに議論が続いているらしい。ただし、模擬実験によれば、約60パーセントが「裏切る」一方で、約40パーセントが「協調する」結果がでているということだ。高橋先生はこの数字について、「もしかすると、この比率には理性を超えた根源的な人間の本性のようなものが関わっているのかもしれない」という。

このあと、アヒルの実験が紹介されるが、そもそもゲーム理論は人間がどのようにすれば利得を最大にできるか、いかなる戦略の可能性があるかについて、どの選択が「理性的」なのかを研究する分野だったはずなのが、実は生物学や進化論に関わる問題にも深く関係し、自然科学全体に影響を及ぼす可能性さえ示唆されているという。おそるべし、ナッシュ均衡である。高橋先生曰く、「何か見えないダイナミクスを想像するセンスが非情に重要である」。「自由意志とは何なのか? 本当にそんなものがあるのか?」ということにも関わってくる問題だ。

最後に「功利主義」についてまとめておきたい(書きたいことがたくさん!)。「最大多数の最大幸福」というのは、ジェレミィ・ベンサムが言い始めた「快楽主義」、もしくは「功利主義」である。ベンサムは、宗教的権威に代わる新しい道徳を「最大多数の最大幸福」だと考えた。これをもう少し勧めると、多数決の「順位評点方式」となり、つまり「民主主義」ということになる。だが、完全に民主的な社会化ってい方式が存在しないこと、つまり、不可能性定理については、すでに1951年にケネス・アロウが証明している。さらにいえば、「最大多数」というからには、どうしても切り捨てられる個人が出てくることが予想される。実はベンサムもこのことには気付いていて、途中からは著作で「最大多数」という言葉は使わなくなっているらしい。仮に、功利主義を批判すると、多数決を中心とする民主主義も、利潤追求を奨励する資本主義も同時に批判の対象となる。つまり、倫理学的な大問題となるわけだが、いまでも専門家の間では論争が続いているらし。まったくもって、大きな問題提起だ!

このことにショックを受けた東大生が、こんなことを言っている。「アロウの不可能性定理は、完全に民主的な社会的選択ばかりでなく、個人の完全な合理的な選択が不可能であることを示している。なぜなら、個人の選択も、複数のパラメーターによる投票行為とみなせるからである。というわけで、やたらと人生に理由とやらを求めるのは生産的でないように思えてきた。だから、これからは詩的に生きます!」と。人間の心をさまざまなエージェントが集まってできた一個の社会とみなす理論は、マーヴィン・ミンスキーが提唱した「心社会論」である。脳内のエージェントが相互作用をして影響を及ぼしあい、多層的なシステムを構築して人間の特定の行動を決定しているという理論である。「おおっ、そうか! アタマの中にたくさんのわたし(たくさんのエージェント)がいて、最終的に自分の決定が、その何らかの相互作用で決まっているのであれば、結局、自分の行動は合理的な選択をしていない可能性もあるということだ!」。納得した。

う~ん。最後のファインマンの事例を紹介している、「理性と神秘」についても興味深いが、一度、ここでレビューは終っておくこととする。バートランド・ラッセルの「理性主義」と「神秘主義」の大別については、別途、整理をしておきたい。

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2012年05月06日

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記号論理学の講義を通して、東大生の思考形式、論理性を解き明かす。腐っても東大ということがわかる。別に本に出てる学生が腐ってるわけではない。東大生には官僚型、天才型、のらりくらり型、アスペルガー型と種々雑多に存在するが、どの学生を取っても、それなりに味がある。ただ惜しいのはこれはどの大学でも言えることであろうが、ディベート型、ディスカッション型の機会が少ないことだ。受け身一辺倒の形でなく、主体的に論理を積み重ね、思考を成長させていく場が大学にもっとあっていい。

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2012年04月29日

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東大での論理学の授業をもとにした、「理性」「論理学」に関するわかりやすい本。
学生とのディスカッションが多数紹介されていて「社会的ジレンマ」、「神秘」、はたまた東大生の恋愛相談などにも触れていて、楽しく読めてすんなり頭に入ってくる。
「これからの正義の話をしよう」のフレンドリーバージョンといった感じ
おすすめです。

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2012年02月28日

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東大での講義をベースに、論理学と東大生の聡明さについて記されてある。どちらの事についても面白く読めた。理性の限界・知性の限界は自分の苦手な対談方式だったが、この書は高橋先生の文章で記されてあり、楽に読めた。

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2011年09月02日

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著者が東大で行った「論理学」の授業での、著者と学生とのやりとりを機軸に、「東大生の論理」について考察された本。エッセイ風で読みやすい。授業の雰囲気がよく伝わってくる。

著者と東大生のやりとりは、確かに知的で、読んでいて非常に面白かった。また、本書では論理学についてはあまり詳しく触れられていないが、本書を通して論理学についても興味がわいてきた。

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2011年02月16日

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東大の論理学の授業の雰囲気を伝えてくれる一冊。授業の内容を紹介しながら、その内容に対する東大生の反応から、「東大生の10の論理」を考察してくれる。東大生の頭はキレていることがわかる反面、普通の大学生のようなところもうかがえる。論理学という真面目な授業内容とのギャップが面白い。

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2011年02月07日

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理性の限界が面白かったのでついでに。

東大生の、という枕詞はいらないかな。特段の新規性はなかった。(内容は面白い)
峠を読んだ後だったので論理と倫理って表現が、継之助を思い出させた。

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2019年04月15日

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サブタイトルに「「理性」をめぐる教室」とあるので、野矢茂樹の名著『無限論の教室』(講談社現代新書)のような、分かりやすい論理学の入門書を想像して手に取ったのですが、論理学の中身についてはほとんど触れられていません。東京大学で理系の学生に向けて記号論理学の授業をおこなった著者が、授業を通じて触れることになった東大生の生態について語ったエッセイというべき内容です。

入学して1・2年目の学生たちが、与えられた題材から自分で考えを進め学んでいくことに感心させられました。

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2017年02月24日

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ネタバレ

感想は難しいが。

・論理学というものの存在を知れた。
・学生時代にもっと、レベルの高いヒトと触れ合う機会を作ればよかった
・理性的な結論はないということ。集団での最適解と、個人の最適解は違う。

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2013年06月02日

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「理性の限界」の著者が東大で非常勤講師として「記号論理学」を教えたときの記録.「理性の限界」にでてくるような話題もあるが,こちらはあくまでもお話しで,それよりもその話に東大生がどのような反応をしたかが主体.積極的に講義にかかわった学生がサンプルなので,やる気があって優秀な人ばかりなのだろうけれど,大学に入ったばかりの人たちとは思えないような人も多くて,私も著者同様にその能力に感心することしきりだった.

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2013年05月27日

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東大の授業風景がわかった。奥が深くて面白そう。内容としては、東大生の…というよりは、他でも同じような思考をする人はいるだろうし、東大生の論理という訳ではなかった。

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2012年02月23日

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著者の東大に対するミーハーぶりがうかがえます。当然東大生がこの著者をしてもミーハーにさせてしまうだけのことがあるからなのですが。この前読んだ「官僚の責任」では東大卒の官僚はくそみそだったので、大変複雑な気持ちです。賢い人達は卒業しても学生の時に持っていた気持ちも忘れないで欲しいですね。

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2012年01月08日

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 駒場で行なわれたディスカッション形式の講義「論理学」を通して,東大生の思考を観察。若き優等生たちが,受験とは異質の哲学的な問いに対しどんな答えを返してくるか,著者も楽しんでいる。本の内容としては,同著者の『理性の限界』『知性の限界』の方が濃くてためになるが,「進振り」とか「シケ対」とか懐かしく読んだ。
 理性と神秘の間,として例に挙げられていた,ファインマンの妻への手紙がしんみりした。高校時代に知り合い,病気を分かっていて一緒になった妻とお別れしたあと,彼は亡き妻へ手紙を書いて机にしまい,折に触れて何度も読み返していたらしい。いわずもがなだが,彼はノーベル賞もとった物理学者。といっても理性主義の権化ではなく,神秘主義というかとても人間らしい面があった。その後,二度目の結婚をしていることも人間くさい。

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2011年11月07日

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駒場での「記号論理学」講義を通した東大生観察日記。本についての感想はまあ教授の大学関連エッセーくらいのものだが(「東大生はやっぱり違う!」的な)、「大学でもっと勉強すべきだった…」といういつもの後悔が頭をよぎる。論理学の内容はほとんど含まれていないのでご注意を。本格的な入門には野矢茂樹『論理学』あたりがオススメです。

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2011年05月07日

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