高橋昌一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
適応障害になり、関連する本を読んでいるときに、バイアスや思い込みで思考が偏っているという言葉を聞きバイアスがどういった意味なのか具体的に気になり読みました。
様々なバイアスが紹介されるが、自分は認知的不協和がとても興味深かった。認知的不協和とは自分の本音と実際の行動が矛盾している状態のこと。例えばブラック企業で働いている職員は辞めるという判断ができない。これは辛い状況で働き続ける自分に「やりがいがある」などの理由づけをして本来の辛い現状から目を背けている可能性があるからだ。
確かに辛いことがあると自分の成長のためと思い我慢しすぎる自分はいる。それで心身的に体調を崩すのは元も子もない。これからは嫌だと思ったことは嫌だといい日記や愚痴を言いたいなと思った。 -
Posted by ブクログ
論理学者である著者が自身の人生で出会って意義深かった新書について紹介するエッセイのような本。
理系の学者らしく、ブルーバックスなどゴリゴリの科学系も入っていて面白い。
新書というとビジネスや社会学などの文系に偏りがちだと思うが、歴史や科学など幅広く紹介していて好感が持てる。
また、各本につき2ページ程度で紹介されているので、ちょっとの隙間に読むのに持ってこい。
もちろん2ページの内容で何かわかるはずはないので、面白そうと思った本を買って読むのが一番いいだろう。
著者が最後に記していたように、他社の本の紹介でも掲載する光文社の懐の深さには感銘を受ける。 -
Posted by ブクログ
新書という容れ物が好きだ。
よってこの本を見つけた時、ほぼ中身を見ないで買ってしまった。読み進めるうち少し違和感を感じ始めた。
取り上げている本のジャンルに少し偏りが感じられたのと、新しい本が多いこと(新しい本が多い事は「はじめに」ふれられている)。
作者の専門が倫理学らしいので、科学哲学も含めて、その系統の本が多いのは仕方ないかもしれないが、もう少し歴史系や経済系、そして現代的課題に取り組んだものなどもあるのではないかと感じた。
最後に「新書大賞」に関する批判が載っているが、納得できる部分と、その批判は本書の取り上げている本にもそのまま当てはまる部分が少しあるとも感じた。
ともあれ本書で取り上げられている本は未読のものが多いので、まずは読んでからその是非は考えたい。
-
Posted by ブクログ
以前読んだ認知バイアスが面白く、本書も読んでみた。本書は統計学的アプローチや情報学的アプローチから認知バイアスについて書かれており、理系寄り?な感じがした。前作の心理的な視点の方が興味が持てた。
◯ピークエンドの法則:検査の不快感は痛みの最大時と終了時点の痛みの平均が総合評価に影響。検査時間の長さは関係ない。つまり人は、印象に残った代表的なものと最後で評価する。
→面接でも使える。終わりよければ全てよし。コールセンターの謝って終わるのではなく、「指摘いただきありがとうございました」で終わるという技術は参考になる!
◯ホーソン効果:人は見られていると生産性が上がるというまの。
→聞いたことあったが、スポットライトや給料が作業に影響するか調べる中で、観察者が見ていることが結局作業に影響していたという思わぬ実験結果が得られたのだと初めて知った。ただ、監視では生産性は上がらず、よい人間関係、心理的安全性が重要。 -
Posted by ブクログ
コンピュータやゲーム理論の産みの親であり、原爆開発の中心人物であり、集合論や量子論、気象学でも多大な貢献のあった、20世紀最高の天才。
「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と言い放ち、第二次世界大戦後、冷戦前の時点でソ連への先制原爆攻撃を頑なに主張したマッドサイエンティスト。と、本書の一部ではノイマンのことをこう評しているが、ノイマンは自身が、ひいては1人の人間が、世界に与えられる影響を過小評価していたのではないかと思う。
そんな天才も、自身も参画していたヒルベルトプログラムに深刻な影響を与えたゲーデル(不完全性定理)に対しては敗北感を覚え、「20世紀最高の知性は自分ではなくゲーデルだ」と返答している点が印象に残る。 -
Posted by ブクログ
まるで天才頭脳というチート能力を持った主人公が無双するファンタジー作品を読んでいるような気分になりました。それほどまでにノイマンの頭脳が産み出したものの影響力の大きさと分野の広さは常軌を逸しています。
タイトルからは悪魔のようなノイマンの哲学が書かれた重い内容を想像していたのですが、そこは比較的淡々と書かれていて、天才ノイマンの人生を追うエンターテイメントになっている印象です。
彼の頭脳と哲学が、日本への原爆投下や米ソの核開発競争に大きな影響を与えたことを見ると、1人の人間がこうも世界を変えられるのかということに、驚ろくと同時に恐ろしさを感じます。 -
Posted by ブクログ
【感想】
本書は、「とあるフォーラムに集まった多種多様な人々が、思い思いにポジショントークをする」という舞台設定の中で、古今東西の哲学的論考を柔らかく解き明かしていく。テーマはタイトルにある通り「不可測性・不確実性・不可知性」だ。
タイトルだけを読むと難解な本という印象を受けるが、開いてみると真逆のコメディタッチ。小気味よくお話が進行していくため、その面白さから一気に読み終えてしまった。
「哲学ディベート」は扱っているテーマの複雑さから、えてして議論が難解になりがちであるが、この本は全く違う。
女子学生、会社員、哲学者、科学者から運動選手まで、様々なキャラクターたちが好き勝手に議論を脱線させ、ポジショントークを飛ばす。哲学ディベートというよりも厄介オタク達の推し語りだ。
オタク達の「ところで、違う話だが…」という豆知識と、司会者の「そのお話は、また別の機会にお願いします」との掛け合いが、ストーリーに緩急を与えてくれる。深みにハマり始める哲学議論を、これ以上過熱しないようにリセットしてくれる。
こうした、説明すべきところと簡略化すべきところのさじ加減が非常に上手いのが、本書の味の良さを生んでいる。自明の部分であっても説明を省かず、かといって解説しすぎでも無い。「哲学を知らなくてもなんとなくわかる」をキープするバランス感覚の良さ、これが哲学本とは思えないほどのテンポの良さに繋がっているのだろう。
哲学って難しいという感覚をお持ちの方に、是非おすすめしたい一冊だ。
【本書のまとめ】
1 思考の限界
ウィトゲンシュタインの論理実証主義:
「過去の哲学的問題は言語から生じる問題にすぎない。道徳に関わる問題は、使用する言語(とその言葉の定義)が不明瞭なために生じる問題であって、いくら話し合っても無意味」
「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」
=明らかに語りうることは、日本の首都や数学の公式やら、真か偽かを「論理的」に決定できること、あるいは事実か否かを「経験的」に実証できる言語に限られ、それ以外の言語使用(例:神とはなにか?)は無意味である。
これを拡張していけば、哲学は消え去り、自然科学だけが残る。
これに対する反論:ゲーデルの不完全性定理
第1不完全性原理
「矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する」
第2不完全性原理
「理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことをその理論体系の中で証明できない」
つまり、この世界にそもそも「矛盾の無い論理体系」というものは存在しないということ。
反論その2:
真か偽かを決定する「有意味性判定基準」が曖昧である。論理実証主義を幅広く活用しようとすればするほど、あまりに多くの日常的概念を無意味としなければならない。
2 言語の限界
思考は言語に依存し、言語は生まれ育った文化圏に依存する。現実世界は、「集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに築き上げられたもの」である。
虹の色数が国によって違うように、その言語は、言語外世界の特定の対象に「完全に」対応しているとは確定できない。言い換えれば、言語を超えては「完全に」語り合えない。これは、目の前の赤色が人によって違う色に見える可能性があるように、物体を認識する同言語話者の間でも起こりうる。いかなる指示対象や翻訳にしても、認識が完全に一致するとは限らないのだ。
3 予測の限界
これまでもそうだったから、明日も「日はまた昇る」に違いないという推論が帰納法。未来の予測には帰納法が多く取り入れられてきたが、これまでも当てはまったからといって、これからも当てはまるという保証はない。帰納法を使った推論を前提に置く思想を「歴史法則主義」という。
ポパーは、1945年に発表した『開かれた社会とその敵』において、さまざま思想家たちが「歴史法則主義」を前提としていることを提示し、徹底的に批判した。
未来を予測する際のターゲットとなる「確率」には2種類がある。
危険性…保険商品など、過去の統計・確率から推定できる変動確率
不確実性…株式市場・経済など、予測できない変動確率
複雑系には「不確実性」が多いため、ある特定の原因を与えたとき、それがどのような結果を導くかはまったく予測不可能である。
しかしながら、予測不可能な運動が内部に発生するため、系全体の動きを予測できないものの、「複雑系そのもの」には統計的法則が成立している。
4 人間原理
宇宙の誕生から地球が生まれ、生命が発展し、人間が誕生したのは奇跡に近い確率である。
私達の宇宙は、さまざまな物理定数によって左右されている。とくにリースの指摘する6つの物理定数(電磁気力や重力など)の数値が少しでも異なっていたら、今のような宇宙は存在せず、人間も生命も存在しなかったのだ。
しかし、この奇跡は全くの偶然なのか、それとも必然なのだろうか?
「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」
こうした宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方を「人間原理」という。
ホイルが提唱した人間原理:
まず自分が存在するからこそトリプルアルファ反応(3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12の原子核に変換される核融合反応の1つ)について思考できるのであって、そのような認識主体としての人間が進化するためには、宇宙に豊富な炭素が存在しなければならず、そのためにはベリリウムの共鳴が起きなければならない、と「逆算して」考えた。従来の自然科学のように宇宙の誕生→人間とミクロ化していく発想とは異なる考え方で、宇宙にどんな元素が含まれているかを推論した。
1969年に、ブランドン・カーターは「弱い人間原理」と「強い人間原理」を提唱する。
前者は、物理定数の微調整を偶然と捉え、後者は必然と捉える。後者の立場で、宇宙そのものが観測者を生み出すように「自己組織化」しているのではないかと考えている宇宙物理学者も増えている。
5 不可知性
ファイヤアーベントは、科学を進歩させるためには、観察とはまったく無関係の「形而上学」が必要であると述べ、論理や実証といった「理性」の枠に拘りすぎるなと言った。
本書の中に出て来る方法論的虚無主義者はこう言う。
「我々の生きている宇宙は、言語や科学法則だけでは捉えきれない複雑性と多様性に満ちた実態だ。それなのに、多くの科学者や哲学者は、ちょうど論理実証主義者が「論理的」あるいは「実証的」でなければ「無意味」というスローガンで真の問題を切り捨ててきたのと同じ間違いを、今も犯し続けている。ファイヤアーベントの最後の哲学的著作のタイトルは、『理性よ、さらば』だ。理性は素晴らしいものだが、人間を硬直させて自由を奪う魔力も持っている。彼は、そのことを警告し続けた。」
「科学の進歩によってすべてが解明されていく」のが、第一線の科学者の姿勢なのかもしれない。しかし、自然科学や人文科学や社会科学の専門化された枠組みでは捉えきらない部分にこそ、それらが絡み合った驚異的に興味深く奥深い問題がそびえていることも事実である。 -
Posted by ブクログ
自己分析というと、日本で一番必要になってくるのは「シュウカツ」の時期でしょうか。自分はどんな仕事をしたいのか。自分にはどのような業種・職種・会社が向いているのか。どのような会社が自分を必要としているのか。これをしないまま就職活動をすると、キミ、自分のこと何もわかってないね。就活ナメてるの?となる。
本書は、こういった就職活動における自己分析に始まり、人間関係における自己分析、人生哲学における自己分析に話が進みます。3つの章のボリュームは同じくらいなのですが、ここでは哲学にフォーカスしたいと思います。
◆ソクラテスの魂論
人類で最初に「自分とは何か」という問題について徹底的に考え抜いた人は、ソクラテスだそうです。ソクラテスの結論は、「私とは魂である」ということでした。人間は、生まれてから一度も経験したことがないにも関わらず知っていることがあります。これが人間に魂がある証拠である、と。例えば、正三角形。現実世界において、3辺の長さが完全に同一である三角形は存在しません。でも人間は、魂があるから「完全な正三角形」を認識できる。これと同様に、ソクラテスは「完全な美」や「完全な正義」が存在して、人間は生まれながらにして知っていると考えました。ここまでくると、うーんという感じですが、魂論は、良くも悪くも現代まで大きく影響を与えた考え方です。
◆デカルト「我思う、ゆえに我あり」
時代が流れて、デカルトが登場します。彼は、「我思う、ゆえに我あり」と表現して、自己の存在を証明しました。デカルトは、自己を考えるにあたり、全てを疑うことにしました。すると、今自分が見ていることは実は夢かもしれない、となる。そして、それが夢ではないということがどこまでいっても証明できません。ですが、「これは夢かもしれない」と疑っているという事実は消えません。彼は、だから自分は存在しているんだと結論づけました。
◆神経生理学が明らかにする人間の「意識」
デカルトが証明したことをよくよく考えると、彼が示したのは「思考が存在すること」です。思考はもしかしたら、「私」以外がするかもしれない。話は飛びますが、あなたは、狭い道で車を運転しているとしましょう。すると、路地から急に少年が飛び出してきた。あなたは、「少年が飛び出してきた!」と認識して、条件反射で急ブレーキを踏みますね。しかし、神経生理学の実験結果によると、ブレーキを踏むのは、少年を見たと認識するよりも早いタイミングで行われる。にも関わらず、人間は「少年が飛び出してきたのが見えたからブレーキをとっさに踏んだ」と意識します。意識の上では、都合よく順序が逆転するのです。となると、意識って本当に私なんでしょうか。
ここまでくると、自己ってなんなんだよ、分析したところでしょーがねーじゃん、という気にもなってきますが、「おわりに」に太字で書いてあるように、「「自己」はいくらでも生まれ変わることができる」。そう考えると少し楽になりませんか? -
Posted by ブクログ
架空対談形式なので、気軽に読めそうな気がしますが、中味は濃厚です。理屈好きで知的刺激を味わいたい人にはぴったりの1冊でしょう。
選択、究極、科学、知識という各カテゴリーでの「限界」について哲学的かつ学術的な考察と最近の動向を網羅し、難解な理論をかみ砕いて説明していきます。
半端ない数の登場人物同士の対談は結構バレバレな脱線を重ねながらも、実はそれが読者の理解への助けとなっている仕掛けも乙です。
特に、電子の性質が多世界解釈でしか成り立たちえない結論(解釈)は鳥肌モノです。(第2章)
また、序章で提示された陸上記録の物理的限界値(どんなに優れた運動選手でも、循環器系や筋肉の物理的性質によって記録は制限される)が、興味深かったので一部掲載しておきます。
100m 9秒37(男) 10秒15(女)
200m 18秒32 20秒25
400m 39秒60 44秒71
800m 1分30秒86 1分42秒71
1500m 3分4秒27 3分26秒95
マラソン 1時間48分25秒 2時間33秒
他にも読みどころが満載なお得な1冊です。