高橋昌一郎のレビュー一覧
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限界シリーズの最終作。
行為、意志、存在の限界から、人間がどのように選択し、行動して生きているのか3作品の中でも最も人間の内面の問題に迫る。
具体例も多く、日々の生活に直結した問題を取り上げているのでシリーズの中で最も親しみやすく興味深く読めた。自分の頭で考えて判断して行動しているつもりでも、その根幹が揺らいでくる。
科学の脅威や責任について語る場面で衝撃的だったのは、2002年、イギリスの雑誌にて「2020年までに100万人規模の死者を出すバイオテロが起こる」という予測について賭けが行われたという。コロナウイルスが人工かはさておき、これからの世界は武力テロだけでなく、バイオテロの脅威にもさらされているのである。ワクチンのないウイルスが突然出現したときに、生活に与える影響を私たちは身をもって経験している。高橋昌一郎さん、また新しいシンポジウム開いてくれないかな。 -
Posted by ブクログ
たとえそれが「サイエンス」であっても、それがほんとうに「サイエンス」なのかを疑うことなく、ただ「サイエンスだから」という理由だけで盲信することにより他人や自分に騙される。
タイトルは反オカルトとなっているが、どちらかというとオカルト色は薄く、全編を通して稲川淳二は登場しないし、円盤が空を飛ぶこともない。簡単に言いすぎると「嘘つきが世間をだます」ことについて書かれている。
驚くのは、彼ら嘘つきたちの「自分の嘘を、嘘と認めたくないがために嘘を現実だと信じ込む能力」と、「自分に追従して擁護してくれる人物を見つける能力」。そして、例えば祈祷師やシャーマンが頭パーになった状態と違い「しっかりと意識がある状態で計算の上での行動である」という点。
ただ彼らは「サイコパス」と一言で終わらせてしまえるほど、彼らの思考は浅くない。
そうした嘘の世界から抜けるように、「嘘つき」を改心させようとする人物もいる。本書では「欺瞞をやめるべきだ」と説得された人物も紹介されていて、欺瞞と倫理の間で「嘘つき」の心が揺れ動く。このページは本書の中で唯一の救いとなるページなのだが、かなり稀な例だと思うし、結果として嘘の世界から抜けられたのか?というとかなり怪しい。
当たり前なのだが、基本的に嘘つきは改心することはない。なぜなら彼らは自分の嘘を現実だと信じ込むことで心の平安と経済的な利益を得ているので、その嘘が崩れるような不安定な状態を好まないからだ。結局のところ彼らは、嘘に追従する人物に囲まれ、そのことに幸せを感じて生きていくことを選んだ、稀な人たちなのだろう。 -
Posted by ブクログ
『形而上学者:そうなのですが、彼が科学を発展させるべきだと言っているのは、人類を幸福に導くためではなく、人類があらゆる知識をもって「宇宙的無意識」を「宇宙的意識」に進化させ、宇宙が二度と生命を生みだしたりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させる方法を見つけるためなのです!
会社員:わかった!つまり、宇宙自身が自殺するということですね!
形而上学者:そのとおりです。二度と「存在の悲劇」が繰り返されないように、宇宙を永遠に消滅させるということです。』
分かりやすく面白い哲学解説書。デフォルメされた議論の参加者の発言が特徴を捉えていてうける。ハルトマン、ファイヤアーベント、ポパー、ロールズの著作はいずれちゃんと読みたいなぁ〜。 -
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ネットの『理性の限界』評を読んで、本屋に駆けつけ、『知性の限界』を買ってきてしまった。こっちを先に読んだ方がいいかもとは著者の弁であるから、怪我の功名だが。
『理性の限界』同様、架空のシンポジウムが組まれ、論理実証主義者、哲学史家、数理経済学者、複雑系物理学者、方法論的虚無主義者などが侃々諤々の議論をし、フランス国粋主義者やら、精神分析学者やらが茶々を入れる。いろいろな立場を説明するのに、総花的にやるより、高橋昌一郎氏が「××論者」になりきって極端な意見を述べた方が論旨が明快というわけである。そのうえ何とか論者たちが難しい話にはいっていくと司会者が「もっとやさしく」と言ってくれるし、議論が脱線すると「その話はまた別の機会に」と言って、本書に書ききれない議論のふくらみを教えてくれるという仕組みになっている。
「言語の限界」「予測の限界」「思考の限界」の三章で、副題には「不可測性・不確実性・不可知性」とある。取り上げられたテーマの主要なものはだいたいかじったことがあるのだが、もう一度勉強させてもらうとともに、帯にもあるように、「哲学から経済学、宇宙論まで」様々な関連をたぐっていくところが、たいへん刺激的であった。そうすると、あっちもこっちももう限界だ、どうにもならない、ということがよくわかる本である。
後書きに『理性の限界』に対して「理性にも科学にも限界はない」と大槻義彦氏に叱られたとあるが、この限界とは原理的に予測不能であったり、確実性を得ることが不可能だったり、どうにも知り得なかったりということである。こうしたわれわれの知性の状況についてノイラートという学者が、大海に投げ出されてすでに海上を走っている船にたとえているという。エンジンに故障が見つかれば修理して、別の故障がデッキに見つかればふたたび修理して、とにかく沈没しないようにしながら、走り続けるしかないというのだが、なんて勇気づけられる言葉であろうか。
なに、人生だってそういうものだ。限界があるときにこそ、人間の創造性は最大限に発揮されるのだ。
それでは『理性の限界』を買いに行こう。 -
Posted by ブクログ
「感性の限界」高橋昌一郎
哲学思考ディベート。無色。
講談社現代新書。
「限界シリーズ」の3冊目では最も哲学的な命題、人間に関わる根源的なことがらについて取り上げられています。即ち、愛(行為)・意志(自由)・死(存在)の限界について。
誰にとっても最も身近な問題で、かつ考えても考えても答えのでない問題というのは、面白いんだけれども、面倒くさい。安直に逃げてしまいがちな命題です。
前二作同様、架空のシンポジウム形式で多くの異なる視座をもった出席者達のディスカッションを通じ、命題を切り開いていきます。
生理学者、神経生理学者、社会心理学者、行動経済学者、動物行動学者、認知科学者、ロマン主義者、行動主義者、実存主義者、進化論者、哲学史家、科学史家、フランス国粋主義者とフランス社会主義者、カント主義者、論理実証主義者、形而上学者(!)、急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生…、
等々。
いろいろなセオリーや学史のつまみ食いなので、興味を持ったことはさらに自分で深めていくことができる、てつがくの入門書です。
また3冊通して読みかえしたい。
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以下メモ
行為の限界のパートに出てきた二重過程モデルについて。
システム1=直感的、素早い、無意識。
システム2=分析的、熟考する、顕在的。
計算機科学分野においては、ヒューリスティクス処理システム(システム1)と系統的処理システム(システム2)という用語が使われている。
問題点。人間は、理性的に判断すれば合理的と分かっていても直感的に判断した不合理な事柄に対して、”後付けの理屈”をつけて矛盾を軽減しようとする(認知的不協和)。
つまり、人間の行為には直感という認知バイアスによる限界がある、という論旨。