あらすじ
人間の愛は「不合理」なもの? 自由だと勝手に信じている人間が実際には「不自由」? なぜ人間は生まれて死ななければならないという「不条理」に遭遇しているのか? そもそも、人間とは何か……? 「行為」「意志」「存在」の限界をテーマに、行動経済学者や認知科学者、進化論者、実存主義者など多様な分野の学者にカント主義者や急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生も加わり、楽しく深く広い議論を繰り広げる。
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Posted by ブクログ
感性の限界
不合理性・不自由性・不条理性
著:高橋 昌一郎
講談社現代新書 2153
幻影;ライプニッツは、あらゆる問題を理性的に解決できると信じていた
限界とは、幻想と置き換えても分かりやすい
ただ、人類の進歩によって限界にたどりつくと、また、新しい地平線が新たになり、視野が広がっていく
高橋昌一郎氏の3つの限界シリーズ
①理性の限界:選択の限界、科学の限界、知識の限界
②知性の限界:言語の限界、予測の限界、思考の限界
③感性の限界:行為の限界、意思の限界、存在の限界 本書
内容は、けっこう辛辣です
本書が問うのは、なぜ理性的であるはずの人間は、このような愚かな集団行動をとるのだろうかということです
■行為の限界
・人間の行動を支配しているのは、理性や知性ばかりではない。感性に基づいていると考えられる
・ヒトが外界を認識するためには、五感を用いる以外に方法がない
・旧来の心理学から、自己の心的過程を自ら観察し記述すること、を、行動科学といっている
・人間の感情は、体内の化学物質が支配している
恐怖:アドレナリンが分泌している状態
恋愛:ドーパミンと、ノルアドレナリンの分泌量が増加し、セロトニンの分泌量が減少している
・ダイエル・カーネマンがたどり着いた行動経済学とは、人間の様々な特性、バイアスが支配する世界である
■意思の限界
・生活環境において個人の欲求が満たされている状態を、適応とよぶ。
一方、自己の要求が社会的に満たされていない状態に必要になるのが、自制である
・二重過程理論:頭(分析的システム)は、止めるべきだと考えても、身体(自律システム)がその判断を無視して暴走させる
・盲目的に服従するという行動様式は、脳に遺伝的に組み込まれているもの、それは、個体が生存し、結果的に遺伝子を残す可能性をふやすことだ
・生命の2つのシステム、自律システムは、遺伝子の利益を優先し、分析的システムは、個体の利益を優先する
・生物の脳とは、それぞれの構造に合わせて設計されたものではなく、新たな機能が継ぎ足されて進化をしてきたもの
・神は論理を超える存在とかんがえれば、答えは簡単です。全能にして、全知
・現実世界の過去・現在・未来はすべて確定済みでなければならない
・量子力学によって全能なる神など、存在しない
■存在の限界
カミューのテーゼ
・真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ
人生が生きるに値するかしないか、これが哲学の根本問題に答えることである
・自殺の問題に比べれば、真理の追究は遊戯にすぎない
・実存は本質に優先する
・カミュの異邦人、意識と不条理性、実存主義と不条理、不条理に対処するためには、①自殺、②盲信、③反抗
・プルトニウムを使って核分裂をおこすことは難しいが、濃縮ウランがあれば合わせるだけで核爆発を起こすことができる
・核爆発よりも大量被害を与えることができるのは、バイオテロです
・小集団の論理、信仰や信条といった紳士的なものではなく、共感や排他といった感情的な結合にある
・理性的精神の3つの敵、①自然の驚異としての宇宙、②人間の身体的限界としての肉体、③無知や欲望や愚かさなど人間の内面に潜む悪魔
・東日本大震災、大地震、大津波、原発事故、想定外の脅威の中で人間とはいかに卑小な存在であるのか
・人間は空気に支配される
序章 シンポジウム「感性の限界」開幕――結婚披露宴会場より
第一章 行為の限界
1 愛とは何か
2 カーネマンの行動経済学
3 二重過程理論と不合理性
4 人間行為の限界と可能性
第二章 意志の限界
1 自由とは何か
2 ドーキンスの生存機械論
3 進化と不自由性
4 人間意思の限界と可能性
第三章 存在の限界
1 死とはなにか
2 カミュの形而上学的反抗
3 意識と不条理性
4 人間存在の限界と可能性
おわりに
参考文献
ISBN:9784062881531
出版社:講談社
判型:新書
ページ数:264ページ
定価:1000円(本体)
2012年04月20日第1刷発行
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限界シリーズの最終作。
行為、意志、存在の限界から、人間がどのように選択し、行動して生きているのか3作品の中でも最も人間の内面の問題に迫る。
具体例も多く、日々の生活に直結した問題を取り上げているのでシリーズの中で最も親しみやすく興味深く読めた。自分の頭で考えて判断して行動しているつもりでも、その根幹が揺らいでくる。
科学の脅威や責任について語る場面で衝撃的だったのは、2002年、イギリスの雑誌にて「2020年までに100万人規模の死者を出すバイオテロが起こる」という予測について賭けが行われたという。コロナウイルスが人工かはさておき、これからの世界は武力テロだけでなく、バイオテロの脅威にもさらされているのである。ワクチンのないウイルスが突然出現したときに、生活に与える影響を私たちは身をもって経験している。高橋昌一郎さん、また新しいシンポジウム開いてくれないかな。
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「感性の限界」高橋昌一郎
哲学思考ディベート。無色。
講談社現代新書。
「限界シリーズ」の3冊目では最も哲学的な命題、人間に関わる根源的なことがらについて取り上げられています。即ち、愛(行為)・意志(自由)・死(存在)の限界について。
誰にとっても最も身近な問題で、かつ考えても考えても答えのでない問題というのは、面白いんだけれども、面倒くさい。安直に逃げてしまいがちな命題です。
前二作同様、架空のシンポジウム形式で多くの異なる視座をもった出席者達のディスカッションを通じ、命題を切り開いていきます。
生理学者、神経生理学者、社会心理学者、行動経済学者、動物行動学者、認知科学者、ロマン主義者、行動主義者、実存主義者、進化論者、哲学史家、科学史家、フランス国粋主義者とフランス社会主義者、カント主義者、論理実証主義者、形而上学者(!)、急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生…、
等々。
いろいろなセオリーや学史のつまみ食いなので、興味を持ったことはさらに自分で深めていくことができる、てつがくの入門書です。
また3冊通して読みかえしたい。
(5)
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以下メモ
行為の限界のパートに出てきた二重過程モデルについて。
システム1=直感的、素早い、無意識。
システム2=分析的、熟考する、顕在的。
計算機科学分野においては、ヒューリスティクス処理システム(システム1)と系統的処理システム(システム2)という用語が使われている。
問題点。人間は、理性的に判断すれば合理的と分かっていても直感的に判断した不合理な事柄に対して、”後付けの理屈”をつけて矛盾を軽減しようとする(認知的不協和)。
つまり、人間の行為には直感という認知バイアスによる限界がある、という論旨。
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序章 シンポジウム「感性の限界」開幕ー結婚披露宴会場より
第1章 行為の限界
1.愛とは何か
2.カーネマンの行動経済学
3.二重過程理論と不合理性
4.人間行為の限界と可能性
第2章 意志の限界
1.自由とは何か
2.ドーキンスの生存機械論
3.進化と不自由性
4.人間意志の限界と可能性
第3章 存在の限界
1.死とは何か
2.カミュの形而上学的反抗
3.意識と不条理性
4.人間存在の限界と可能性
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限界シリーズの第三作。導入部分はやや難しくついていけない感じだったが、二重過程論のあたりから何とか理解することができた。しかし、理性を持った人間が、理性に基づく合理的な判断ができないのは、生物としての限界であったというのはややショックを覚えた。
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科学はここまで迫ったのか~!というのが第一の感想です。
ヒューリスティックやアンカリング効果は知っていましたが、それが『自律的システム』と『分析的システム』による二重過程理論として説明し、また機械的運命論と非機械的運命論を一歩進めて『両方存在する』としたのはビックリです。
神様の気持ちになれば、『せっかく世界をつくったけれど、機械的に決められた世界は面白くないだろうなぁ。ランダム要素を入れた方がいいかな?』なんて考えたりする……という考え方にはなるほど納得です。大学生Aの思考が最新の科学で明らかに……というのは刺激的です。
感性の限界。感性といえば、うまく言語化できないインスピレーションを想像しますが、テーマは『行為の限界』、『意志の限界』、『存在の限界』で、ちょっとズレている気がしないでもないですが、どこを切っても面白い一冊に仕上がっているのは凄いです。
やっぱり、多様な学問を横断すると魅力がグッとアップしますね。
人間は思い込みや勘違い、先入観に左右されるから、例えば車の運転で、『交通違反をしていない』と思い込んでいるけれど、『実は違反しているかも知れない』、あるいは極端に『人を轢いたことがあったかも知れない』……。そう思うことが時々あります。
カメラとかがあれば別ですが、記憶だけが証拠の時って、不安になったりもします。忘れないようにとメモしていた内容が実は記憶違いで……というのもあるし、でも疑ってばかりでは先に進めないわけで、そこで謙虚な心構えが必要になってくるのかなと思います。
色々と期待の持てる内容で、今年一番に勧めたい一冊です。僕の評価はSにします。
Posted by ブクログ
愛や自由意思などについて、ドーキンス流ダーウィニズムやミームなど複製子の話、カミュやサルトルの話など雑多な話題を扱い、感性の限界に迫る。果たして意識は幻想なのか。
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カント主義者をあまりいじらなくなったのは、「知性の限界」でも触れられているように「自分がカント主義者のモデルではないか」と言う方が思いの外多かったからではないかと邪推してしまう。
Posted by ブクログ
人間の行為や意志は、人間が自分で思ってのことでは無い、ということ。
アンカリング効果により、行為は自分の思いとは違うところにいってしまう。自分の自由な意志と思っているけど、環境に適応すべくその選択をとっているだけ。などなど。
台本のようにセリフで進めるので、苦手なタイプだけど、限界シリーズで一番面白かった。
Posted by ブクログ
著者が一人多役。哲学者になったり行動経済学者、認知科学者、進化論者、実存主義者、カント主義者や急進的フェミニスト、会社員、運動選手、大学生など多彩に顔を使い分けながら、対話式で感性の限界を探る。
頻繁に脱線し、それを司会者に軌道修正されながら進むが、脱線した話も面白くて中断しないで欲しいくらいのクオリティ。自由意思とは何か、感情は如何に生成されるか、不合理性の話、ミルグラムの実験、分析的システムと自律的システム、環境決定論など、興味深い話が続く。
とりわけ印象的だったのは、自らの子孫を残す意義についての議論。子供は「自分の遺伝子」を引き継いでくれるものという考えがあるが、引き継がれるのは「種の存続」で「自分の遺伝子」自体はどんどん薄まっていって数世代後には殆ど消え去ってしまう。固執しても仕方ない。また「自分が生きた証」としてのミームだって、知人が死ねば消えていく。自分の子供が可愛いのは、その代における責任の分担でしかないのだと。子孫繁栄とか先祖から引き継いだ命みたいな考え方をしがちだが、そう考えると少し楽になる。ちなみに独身の哲学者も多く、デカルトをはじめ、カント、ショーペンハウアー、キルケゴール、ニーチェ、ルイス・キャロルもウィトゲンシュタインも未婚。
他には、「苦味」の話。苦味は多くの毒性物質に含まれる味なので、本来は遺伝的に動物が好む対象ではない。遺伝子の命令通りなら口にしないはずだが、人間はみずからのプログラムを超越して、みずからの利益を優先させる事ができたという話。餓死しかねない状況もあったのかも知れないが、確かに直感に反する動作が可能で、時にそれは勇気と呼ばれるものだろうか。
感性に限界があるのかは分からなかったが、そうした議論の存在は分かるし、本書のお題に沿って考えていく過程や、しかも登場人物がカリカチュア化されていてキャラが立っているので、読みやすく、眺めるだけでも楽しい本だった。
Posted by ブクログ
二重過程理論:自律システムの働きで目先のタダというアンカリングに踊らされてギャンブルする。失敗した場合、今度は分析的システムが尻拭いの正当化を行って、自分の精神を安定させてくれる
イシ:目標を達成するために理性的あるいは知性的に施行することが主体になる場合には「意思」、それよりも感性的な自発性を主体とする場合には「意志」
Posted by ブクログ
ティーンネージャーが読むのにちょうど良いレベルかと思った。幅広い話題についてスラスラ読めるので読み物としてはそれなりに面白い。シリーズでは2作目が断然良かった。果たして続編は出るのか
ただナチスによるユダヤ人差別の思想をなぜドイツ国民は受け入れたのか、という語りは事実誤認。ユダヤ人差別意識は長い歴史があったし、当初ナチスはユダヤ人の迫害など想定していなかった。逆に大衆に付け入るため後ほど利用するようになったという方が正確かと
Posted by ブクログ
限界シリーズ第三弾、後半になっても質が落ちていないのは筆者の内容の豊富さによるところだと思う。我々が生まれてきて死んでゆく、これって不条理なのではないかという部分に哲学性を感じた。だからこそ我々は生きているうちに何かを成し遂げないといけない。行動経済学、アンカーリング、フレーミング効果、利己的遺伝子、ミーム、実存、科学と民主主義、環境決定論はいずれも我々の生活と結びつくところが大きい。だから今後も役に立つと思われる。
Posted by ブクログ
2018年の一冊目は限界シリーズ『感性の限界』
カーネマン、アリエリー、ヘレン・フィッシャー、ローレンツ、ドーキンス、アーレントからミルグラムなどなど。これがものすごいスピード感で次々と話題が変わるところがシリーズの見どころ。
全2冊と同じく定番がきっちり押さえてある参考文献の充実ぶりもタイトルだけ眺めてるだけでワクワクすっぞ。
Posted by ブクログ
シリーズ三部作の最後をいきなり手に取ってしまいました。
順番に行くべきなのでしょうが、興味を持ったのがこちらからだったので。
できるだけわかりやすく、そしてトライしやすいようにシンポジウム形式で書かれているのでしょうね。
話の種的な、知的な考察についてのいろんな引き出しを増やすための本のように感じました。
これを読んで何かを深く理解したり納得したりというよりは、こちらを取っ掛かりにして深めていくためのきっかけ本なのでしょう。
内容は難しいですが、すごく工夫をしてできるだけ噛み砕いてという意図で書かれたことが伝わってきます。
「実存は本質に優先する」という言葉。初めて自分は知りましたが、ここに書かれたガリレオの例がとてもわかりやすい。そういうことかと納得。
そして生きている以上は何らかの生きてる証を残したいと考えるのが人の常なのではないかと常々思っていましたが、「人間にとって最も崇高なのはむしろ自分を捨てる『無私の行為』なのではないか」という言葉と、その言葉と共に書かれた史実に衝撃を受けました。
コルベ神父のお名前は耳にしたことはありますが、きちんと史実の内容を記憶していませんでした。
生きてる証を残すことばかりが崇高であるわけではないのですね。確かに、無私の行為はなかなかできることではないです。
難しく感じる内容もそれについての事例や説明がたくさんなされていて(そして時々脱線もしていますがそれもまた面白い)読み応えがあります。
あとがきの内容にも考えさせられました。
誰にでも薦められる本ではないですが、多くの人に読んで欲しい内容です。
Posted by ブクログ
「認知的不協和」
Cf. 「酸っぱいブドウ sour grape」p95
ブランダイス大学の社会心理学者アブラハム・マズロー「自己実現理論」p115
ファイヤアーベントは科学を「最も新しく、最も攻撃的で、最も教条的な宗教的制度」と呼んだ。p205
カミュとサルトルの論争 p206
Cf. 「形而上学的反抗」
Posted by ブクログ
限界シリーズ3冊目ということで購入。
理性の限界や知性の限界に比べて、抽象的な内容が多かったように思う。
愛とはなにか、自由とはなにか、人間の存在とはなにか、などについて科学的な引用を交えて書いてある。
我々人間の認知における矛盾などに関しては科学的事実として楽しめた。
しかし、今までよりも曖昧で、本書で扱われた内容には明確な答えがないものが多かったように思う。
それこそ人々の思想であって、事実ではない。
そういう意味で、今までと同じ流れを期待すると少し当てがはずれるかもしれない。
内容は充分面白いし、単一の作品としてはありだと思う。
だが、シリーズで見ると少し異色。そんな感じ。
Posted by ブクログ
読み始めには、なんだこの変な本??と、騒々しい会議室に放り込まれたみたいで、正直ついていけなかったが、1章目を読み終わるあたりから、だんだんと「答えても答えても反証される仮説の出し合い」に楽しみを感じるようになり、最後には夢中で読み進めていた。前作2冊も読んでみたい。
Posted by ブクログ
時々難しいけど、討論形式なので面白い。
話が横にそれたり、次の機会に‥
となるところが、この手の本では珍しく思う。
それが個性を引き立てている。
Posted by ブクログ
意思と意志。必ずしも合理的でない、理屈でない選択をする、ヒトの思考・行動の背景を深く考えさせるガイドブックだった。
「限界」シリーズ残りの二冊も読んでみよう。
メモ〉
ヒトの認知活動→ 二重課程モデル(共存する)
・ヒューリスティック処理システム(直感的)
・分析系・系統系システム(分析的)
認知的不協和→負け惜しみ
フレーミング効果→得をするフレームではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする。
意志と意思
・理性的、知性的に思考する意思
・感性的な自発性を主体とする意志(哲学的)
不条理から逃れる方法
自殺、盲信、反抗
小集団の論理
共感や排他など感情的な結合からなる、カルト教団の論理
愛と自由と死
感情が支配する幻想から逃れられない自己世界。
理屈じゃない事を理由付けしようと、考え、悩み、論理化に挑みつづけて来た、一つの形が哲学なのだろう。
Posted by ブクログ
『理性の限界』『知性の限界』に続く限界シリーズ第三弾。
大学生や会社員、行動経済学者や生理学者などなど、ユニークなキャラクターが登場しシンポジウムを繰り広げる形は変わらず、今回は「愛」や「自由」「死」について考えていくことになる。
恋愛について、相手のことで頭がいっぱいになって胸が高鳴り、いてもたってもいられない気持ちを、神経生理学者は「軽い躁鬱症と強迫神経症の合体した一種の中毒症状」だと言い切る。
様々な専門家が各々の観点から極端とも言える意見をぶつけ合うのは、この本の楽しさの一つ。
著者が「楽しみながら考えていただくという趣旨を優先している」というように、今回も知的好奇心をくすぐる内容になっている。
「『限界シリーズ』の最初に挙げたのは、オリンピックの百メートル走で、ヒトがあらゆる局面でベストを尽くして走ったとしても、永遠に九秒の壁は越えられないだろうという限界値の話だった。(…)こうして並べると、壮観なネガティブの山のように映るが、逆に言うと、どれほど果敢に限界に挑戦し続けていることか、信じられないほどポジティブな人間の姿が見えてくるはずである」
ーおわりによりー
Posted by ブクログ
人の認識や意思とはどのようなものか、どういう見方がありえるのか、をカリカチュアライズされたシンポジウムを聴いているという見立てで、紹介している。
Posted by ブクログ
「限界」シリーズの第3弾です。今回は、会社員氏の結婚式の場でまたしてもくり広げられた登場人物たちの会話を通して、行動主義心理学や人間の認知システム、進化論による心の解明、そして人間の存在がもつ意味についての問題が扱われています。
心理学や認知科学がテーマになっていることは当然に予想できたのですが、最後のほうではカミュの「形而上学的反抗」など、これまでとりあげられてきたテーマからは少し異色とも思えるような内容が扱われています。ただそのせいで、ほかの二冊に比べると少しまとまりが悪いようにも感じました。
Posted by ブクログ
一つの問題に対して,いろいろな分野から,いろいろなアプローチがあるのはわかるが,どれも確かな問題解決に結びつかないのがもどかしい.それはここで扱われた問題が本質的に孕んでいるものなのかもしれない.
このシンポジウム形式に飽きてきたのもある.
やはり1冊目が一番刺激的だった.
Posted by ブクログ
人が考えて行動するプロセスに関しての様々なアプローチをシンポジウムを模してバリバリ紹介していく感じ。考え方の詳細や最新性などは個別で別の本を見る必要がありそう。
Posted by ブクログ
帯の「人間はなぜ生きるのか?行動経済学、認知科学、進化生物学、実存哲学まで―愛と自由と死とは何か?」という文字に引かれ、購入しました。
最初「司会者、科学史家、哲学史家、カント主義者、会社員、大学生、運動選手などの対話形式になっている」ことに違和感を感じますが、これは、この本のテーマが、解答の無い問いに、現時点で解っていることを答えるという形式を取っているためでした。
結論から言おうと、買って読んで良かったです。並行して読んでいた内田樹先生の寝ながら学べる構造主義を理解するためにも役立ちました。
私は、より良く生きるために、脳や心のメカニズムについて知っていた方が良いと思います。しかしながら、知ることで能天気に生きられなくなることも確かなんですけどね・・・