高橋昌一郎のレビュー一覧

  • 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性

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    それぞれの立場の登場人物がディベートをする形式で、哲学、科学、宇宙論、神の存否等々を論じるなかで、不可測性、不確実性、不可知性などを探求する、大変に好奇心を掻き立てられる書です。理性の限界も読み直さないとと思いました。

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    2015年04月16日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    これまで読んだ本と知識がつながっている部分がありすらすら楽しく読むことができた。
    もっと本を読みたくなった。

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    2014年12月29日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    序章 シンポジウム「感性の限界」開幕ー結婚披露宴会場より
    第1章 行為の限界
    1.愛とは何か
    2.カーネマンの行動経済学
    3.二重過程理論と不合理性
    4.人間行為の限界と可能性
    第2章 意志の限界
    1.自由とは何か
    2.ドーキンスの生存機械論
    3.進化と不自由性
    4.人間意志の限界と可能性
    第3章 存在の限界
    1.死とは何か
    2.カミュの形而上学的反抗
    3.意識と不条理性
    4.人間存在の限界と可能性

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    2014年03月18日
  • 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性

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    序章 シンポジウム「知性の限界」開幕ー「理性の限界」懇親会場より
    第1章 言語の限界
    1.「論理哲学論考」のパラドックス
    2.ウィトゲンシュタインの言語ゲーム
    3.指示の不可測性
    4.言語理解の限界と可能性
    第2章 予測の限界
    1.帰納法のパラドックス
    2.ポパーの開かれた宇宙
    3.予測の不確実性
    4.未来予測の限界と可能性
    第3章 思考の限界
    1.人間原理のパラドックス
    2.ファイヤアーベントの知のアナーキズム
    3.究極の不可知性
    4.人間思考の限界と可能性

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    2014年03月18日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    限界シリーズの第三作。導入部分はやや難しくついていけない感じだったが、二重過程論のあたりから何とか理解することができた。しかし、理性を持った人間が、理性に基づく合理的な判断ができないのは、生物としての限界であったというのはややショックを覚えた。

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    2014年02月02日
  • 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性

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    「理性の限界」の続編である。今回はウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイアアーベントらの思考を中心に、世の事象をどのようにとらえるべきなのか、についての議論がなされている。特に、自然科学において常識と考えている理論化の限界については非常に興味深い内容であると感じた。但し、素人にも理解しやすいように平易に書かれているものの、後半の宇宙論や存在論は難解であり、理解が難しかった。

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    2014年01月27日
  • 改訂版 小林秀雄の哲学

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    小林秀雄とかつての戦争との接触面を知ることができ、自分のもつ小林秀雄像が豊かになったと感じる。そしてその不可解な魅力は増すばかり…。

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    2013年10月30日
  • ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論

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    読み応えのあるゲーデル本。やはり縦書きの本であり、不完全性定理の証明のテクニカルな側面よりも、歴史的な背景と哲学的な意義について詳しく解説している。1930年のケーニヒスベルク会議と、1951年のギブス講演について詳細に書かれているのがとても嬉しい。ケーニヒスベルク会議は、ヒルベルトの記念講演「自然認識と論理」に加えて、数学基礎論における3学派(論理主義、形式主義、直観主義)の討論会が行われたり(フォン・ノイマンも講演している)と、華々しく開催されたのであるが、皮肉なことに、ゲーデルが初めて不完全性定理のアイデアを公表したのも、このケーニヒスベルク会議だったのである。結果的に数学界では受け入れられなかったブローウェルの「直観主義」が、ゲーデルにインスピレーションを与えたというのも、歴史的な皮肉としか言いようがない。

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    2013年07月01日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    科学はここまで迫ったのか~!というのが第一の感想です。
    ヒューリスティックやアンカリング効果は知っていましたが、それが『自律的システム』と『分析的システム』による二重過程理論として説明し、また機械的運命論と非機械的運命論を一歩進めて『両方存在する』としたのはビックリです。
    神様の気持ちになれば、『せっかく世界をつくったけれど、機械的に決められた世界は面白くないだろうなぁ。ランダム要素を入れた方がいいかな?』なんて考えたりする……という考え方にはなるほど納得です。大学生Aの思考が最新の科学で明らかに……というのは刺激的です。

    感性の限界。感性といえば、うまく言語化できないインスピレーションを想像しますが、テーマは『行為の限界』、『意志の限界』、『存在の限界』で、ちょっとズレている気がしないでもないですが、どこを切っても面白い一冊に仕上がっているのは凄いです。
    やっぱり、多様な学問を横断すると魅力がグッとアップしますね。

    人間は思い込みや勘違い、先入観に左右されるから、例えば車の運転で、『交通違反をしていない』と思い込んでいるけれど、『実は違反しているかも知れない』、あるいは極端に『人を轢いたことがあったかも知れない』……。そう思うことが時々あります。
    カメラとかがあれば別ですが、記憶だけが証拠の時って、不安になったりもします。忘れないようにとメモしていた内容が実は記憶違いで……というのもあるし、でも疑ってばかりでは先に進めないわけで、そこで謙虚な心構えが必要になってくるのかなと思います。
    色々と期待の持てる内容で、今年一番に勧めたい一冊です。僕の評価はSにします。

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    2013年06月04日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    筆者の限界三部作の最新著。ディベート形式で次々に予想外の議論やエビデンス、ロジックを出す筆力は圧巻。新書レベルを超えた啓蒙書!

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    2013年04月19日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    愛や自由意思などについて、ドーキンス流ダーウィニズムやミームなど複製子の話、カミュやサルトルの話など雑多な話題を扱い、感性の限界に迫る。果たして意識は幻想なのか。

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    2013年03月08日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    カント主義者をあまりいじらなくなったのは、「知性の限界」でも触れられているように「自分がカント主義者のモデルではないか」と言う方が思いの外多かったからではないかと邪推してしまう。

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    2013年01月17日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    ・行為の限界
    行動経済学のお話.

    ・意志の限界
    利己的遺伝子と二重過程理論(個体を優先する分析システムと,遺伝子を優先する自律システム)
    →利他的行動は遺伝子から見ると利己的行動

    ・存在の限界
    肉体が死んでもミームが残る
    →死とは何か?


    一番印象に残ったのはあとがきの「どんな理論もいくらでも理論的に構成できる」ということ.人間は根底において,理論や情報と別のアプローチで結論を導いている可能性がある.それを忘れて理論にこだわりすぎてはいけない.

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    2012年10月06日
  • 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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    人間の行為や意志は、人間が自分で思ってのことでは無い、ということ。
    アンカリング効果により、行為は自分の思いとは違うところにいってしまう。自分の自由な意志と思っているけど、環境に適応すべくその選択をとっているだけ。などなど。
    台本のようにセリフで進めるので、苦手なタイプだけど、限界シリーズで一番面白かった。

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    2012年12月01日
  • ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論

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    大学時代に高橋先生の授業を履修していて、この本を読んだ。
    当時よく理解できなかったことも今なら、もう少しまともに、論理的な思考法を学べる気がする。また授業受けたい。

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    2012年07月10日
  • 東大生の論理 ――「理性」をめぐる教室

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    実用一辺倒の知識や小手先の技術のことであれば、教室で教わるまでもなく自学自習してしまうのが東大生。しかし科学者・教養人として一生の間必要となる思考の基本スタイルは、練達の教師によって、クラスメートと相互に啓発する中で身につけるほうが良いのだろう。高橋の教師としての卓越した能力と、誠実な意欲が透けてみえるエッセイだ。

    数理科学の今野浩がかつて著した「キャンパスのOR」の「論理学バージョン」といってもよい。

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    2018年10月14日
  • 東大生の論理 ――「理性」をめぐる教室

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    講義を実際に受けていたので、あぁそんな話題もあったなぁ、とか、!!?この東大生Eって自分じゃない?などという楽しみ方ができた。
    高橋昌一郎先生の講義は東大では一度しか行われなかったようで、受講することができて幸運な講義のひとつであると言える。(自慢できる)
    学生の意見に対して口癖のように「おもしろい!」と言って広げてくださる、大変おもしろい方であったと記憶している。
    他の著書、「理性の限界」、「知性の限界」など変わった形式でわかりやすく書かれている。
    この本がベストセラーになった暁には、講義を受けていた学生を集めてパーティーを開催してくださるようなので、広く宣伝して行きたい、いやパーティーに行きたい!

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    2011年12月20日
  • 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性

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    ネタバレ

    対話形式で不可逆性や不確定性について解説され非常に読みやすい。カント主義者の言動に悪意を感じるが笑。

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    2014年05月31日
  • 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性

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    前著「理性の限界」の姉妹編になる作品で、「理性の限界」のシンポジウムが終わった所へ、女子大生が駆け込んでくる所から話は始まる。
    「ウィトゲンシュタインのパラドックス」「ニューカムのパラドックス」「バタフライ効果と複雑系」「宇宙論的証明と存在論的証明」などが、今回もシンポジウム形式で分かりやすく紹介されている。

    前著「理性の限界」は、運動選手がA子さんを競技に誘うところで終わったが、今回のシンポジウムでも「また僕の競技を見に来てくださいね!」と言って終わる。「また」ということは、シンポジウムは数日間行われていて、シンポジウムが行われなかった日に実際に見に行ったということだろうか。ともかく、運動選手はA子さんとの関係を着実に深めているようで何よりであった。

    第一章では、「世界が集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに決定される」という、サピア・ウォーフの仮説が紹介されている。同じような話を飲みの席でしたことがあるが、友人には「屁理屈」とあしらわれた記憶がある。
    簡単に言えば、あなたの「赤」は、私の言う「赤」と同じであるかという問題で、本の中では虹の例が出ている。日本で虹は7色あるといわれているが、国や時代によって様々で、アメリカでは6色、ドイツでは5色、昔の日本では2色といわれていたこともあったようだ。

    登場人物の一人である日本文化論者は、「高浜虚子でしたか、『虹を見て思ひ思ひに美しき』という名句がありましたね……」といった。虚子は認識の不確実性という根本的問題を示唆しながら、ある意味では当然のことをシンプルに句として残している。こういうものを「名句」というのだろう。

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    2020年05月28日
  • 東大生の論理 ――「理性」をめぐる教室

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    高橋さんの本はスマリヤンから数えてこれで5冊目になるが、どれも外れがなく良書だといえる。今回の論理学の本も、うちの大学でもぜひやってほしいと思うほど中身に充実感があり、だからこそ、そこに集う学生も議論に花を咲かせることができたのではないかと思う。中でも特に面白かったのが、4回目と5回目の講義であり、社会的ジレンマとナッシュ均衡に関するところは手をとめて考えさせられるほどであった。人間と動物を分けているのが理性だとされる中で、理性的であろうとするがゆえに、思惑であったり、感情であったりが付きまとい論理的でいられなくなるのが滑稽であった。論理をする上では、いかに心を捨てきれるかが大事になってくる。それはまた、その時だけでなく日常生活とも密着している問題である。心を捨てきれないうちは、冷静でいられることもできず、物事の本質を見極めることもできない。だからこそ、人は自分の価値基準・判断基準という軸に頼ることが必要になってくるのだ(その多くが、他の影響を少なからず受けたものであることは言うまでもない)。また、ナッシュ均衡においても、人間がそのバランスを失っているのが、理性ゆえだと言えるのではなかろうか。人間が人間的にあろうとすればするほど、その人間性ゆえに不自然な現象が生じるようになる。ただ凛として存在する自然の前に、面白い結果を突きつけられた哀れなピエロでたとえあるにしても、その踊りは見るものを楽しませ、また考えるきっかけを与えてくれることに対しては、大いに敬服を払いたいものである。

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    2011年02月02日