高橋昌一郎のレビュー一覧
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『知性の限界』『感性の限界』(ともに講談社現代新書)へと続く「限界」三部作の第1弾です。大学生や会社員、論理学者、哲学史家、科学主義者、ロマン主義者など、多くの人びとが参加するシンポジウムでの会話を通じて、アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理にまつわる問題が、わかりやすく説明されています。
三部作の中で、本書がもっとも議論の密度が高く、おもしろいと感じました。とくに著者の専門であるゲーデルの不完全性定理のさまざまな拡張を扱ったところは、この問題についてはまったく素人であるわたくしでさえ、何となくわかったような気にさせられてしまうほど、著者の説明は巧みです -
Posted by ブクログ
社会科学における理性の限界をアローの不可能性定理を中心にゲーム理論などもからながら論じる。
自然科学における理性の限界をハイゼンベルグの不確定性原理を中心に論じる。
そして、論理学や数学における理性の限界をゲーデルの不完全性定理を中心に論じる。
という流れで、人間の理性の限界を論じた本。
というと難しそうだけど、これが、さまざまな仮想の参加者によるディベート形式による説明で、すごく取っ付きやすいし、かなり分かりやすく書かれていると思う。
実は、この手の話しは、個人的な知的興味のかなり中心部分で、関連するような本はいろいろ読んできたわけなのだが、この3つの限界を関連づけて示す -
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基本的に良かったけど,ちょっとSTAP細胞叩きすぎな感じはして,嫌悪感をもってしまう人も多そうなのが気になってしまった。本当に読んでほしい人にあまり読んでもらえない感ある…。でも内容的にはしっかりしてて,邦訳されたことのない歴史的エピソードも紹介されてるし有意義な点も多々。
"マスメディアやネットのニュースを眺めれば、いくらでも「欺瞞」を発見できるではないか"p.15
との問いにも鈍い反応な"現代の大学生の「オカルト」傾向"を危惧する著者。
つかみで小保方氏とペレルマンを対比してるけど,確かに凄い断絶だ。
晩年のコナン・ドイルも,妖精写真信じちゃった -
Posted by ブクログ
「科学者(というか、科学研究開発や科学教育を生業とするヒト)」だって、普通の人間だし、騙されることも騙すこともある、とよく言われる。では、「宗教家(昔ながらの葬儀坊主は除く)」の場合はどうか?彼らは人間性の無謬がプレステージの源泉なので、そういうふうには思われないようだ。ということは、一般には「科学的なものの見方、考え方」は、しょせん付け焼き刃で、人の精神性には影響を与えにくいと思われているということだろう。
また、STAP細胞の事件は、現代のオカルトであるが、昔日のオカルトよりも、大規模組織の自己保全や特許保護という概念の進歩や技術開発に必要となる巨額資金とそのコントロール権という要素が増え -
Posted by ブクログ
様々な制度、理論の限界を紹介する本。「アロウの不可能性定理」ですべての人の希望を反映した決定ができないことを、「ハイゼンベルクの不確定性原理」で量子世界の予測不可能性を、「ゲーデルの不完全性定理」ですべての論理が証明できないことを、それぞれ紹介している。
それぞれのあんちょこ本なので、もっと掘り下げる場合はちゃんと調べる必要があるとは思う。とはいえ、専門としているわけではないためこれで十分か。
一番の収穫は名前しか知らなかった「シュレーディンガーの猫」の内容がわかったこと。「ゲーデルの不完全性定理」は非常に理解が難しかった。
ゲーム理論の話の中で、協調を基本とし裏切られたらしっかり仕返しする「 -
Posted by ブクログ
ネタバレシリーズ三部作の最後をいきなり手に取ってしまいました。
順番に行くべきなのでしょうが、興味を持ったのがこちらからだったので。
できるだけわかりやすく、そしてトライしやすいようにシンポジウム形式で書かれているのでしょうね。
話の種的な、知的な考察についてのいろんな引き出しを増やすための本のように感じました。
これを読んで何かを深く理解したり納得したりというよりは、こちらを取っ掛かりにして深めていくためのきっかけ本なのでしょう。
内容は難しいですが、すごく工夫をしてできるだけ噛み砕いてという意図で書かれたことが伝わってきます。
「実存は本質に優先する」という言葉。初めて自分は知りましたが、ここ -
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勝ち負けを争うソフィスト的なディベートから、知を愛するソクラテス的な哲学ディベートへ!
そんな言葉が頭をよぎった。代理出産、死刑制度、安楽死などの「現代の〈倫理〉的問題を〈論理〉的に考える」(p.300)ことを目的とした架空のディベートから成る本書は、ともすれば感情的に語ってしまいがちな問題を理性的に考えるための一助になる。
対話を通じて整理された論点を虚心坦懐に眺めてみると、賛成派・反対派のどちらの側にも一理あることが分かる。いわば真理が分有されているのであるから、いくら議論を尽くしたとしても、「正しい答え」が出てくることはないのだろう。
倫理的な問題の解決は遅々として進まないのに、科