高橋昌一郎のレビュー一覧
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ネタバレある婦人が、遠い戦場で夫が戦死した同時刻に、夫の周囲の兵士の顔や塹壕の光景を夢見た。医者は、そのような夢の多くは現実とは無関係だが、偶然現実に対応する夢もあり、その一例だろうと答える。しかし、ベルグソンは、「精神感応と呼んでもいいような、未だはっきりとは知られない力によって、直接見たに違いない。そう仮定してみる方が、よほど自然だし、理にかなっている」と考える。
そして小林は、「経験科学と言う場合の経験というものは、科学者の経験であって、私達の経験ではない」という観点から、ベルグソンの考え方を擁護する。さらに小林は、ベルグソンと同じように「理智」によって「整理された世界」を拒否し、「世界が果して人間の生活信条になるか」という点だけが「興味をひく」ことを強調する。
《私がこうして話しているのは、極く普通な意味で理性的に話しているのですし、ベルグソンにしても、理性を傾けて説いているのです。けれども、これは科学的理性ではない。僕等の持って生れた理性です。科学は、この持って生れた理性というものに加工をほどこし、科学的方法とする。計量できる能力と、間違いなく働く智慧とは違いましょう。学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問もある》(『信ずることとすること』1975年)。
ここまで書いてきて、どうしても不思議に思っていることがある。
それは、なぜ小林ほど知的に優れていて、感性の豊かな天才的人物が、現実の「科学」が解き明かしてきた「宇宙」や「生命」についての驚異的な発見や理論に興味を持たず、「オカルト」や「疑似科学」をナイーブに受け入れてしまうのか、ということである。
本書執筆に際して、改めて膨大な量の小林の全作品を読んでみたが、大自然や大宇宙に対する畏敬の念のようなものはどこにも感じられず、あるのは許なが許ながすべて、人間と人間の創作物への愛情か、自然といっても「花鳥風月」についての考察ばかりだった。
小林は、1961年4月にガガーリンが有人宇宙飛行を成功させた頃には『忠臣蔵』を書いていたし、1969年7月にアームストロングが月面に着陸した頃には『新宮殿と日本文化』について対談していた。おそらくこれが、興味のないことにはまったく目を向けない小林の「職人気質」なのであろう。
たしかに、文学や芸術もすばらしいが、なぜ小林が人間の「狭隘」な世界だけにしか興味を持たなったのか、私として、心底不思議に思う次第である。
逆に言えば、小林は自分の手の届く世界だけを愛し、その世界について真摯に考え続けたのである。晩年の小林がソクラテスについて語った言葉は、そのまま小林の人生「劇」を表現しようとしているようにも思える。
《どんな主義主張にも捕われず、ひたすら正しく考えようとしているこの人間には、他人の思わくなど気にしている科白は一つもないのだ。彼の表現は、驚くほどの率直と無私とに貫かれ、其処に躍動する一種のリズムが生れ、それが劇全体の運動を領している》(『本居宣長補記』1979年)。 -
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言語、予測、そして思考の限界を仮想ディスカッションの形式で読み解く「限界」シリーズ2作目。
相変わらず、議論を通しての引用が巧みである。
ソーカル事件は衝撃的だったし、ドーキンスの逸話はほつまこりさせられた。
そしてホイルの自説は突拍子もないようでいて、もしかしたらそうかもしれないという気持ちにさせられるパワーがある。
「限界」を銘打っているが、人類の限界はここだと蓋をするものではない。
現時点での臨界点を描き、その最先端でなされている研究や議論が可能な限りわかりやすくときほぐされ、多くの読者がこういった知的臨界点に飛び込むよういざなっている、そんな印象を受けた。 -
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「知性の限界」高橋昌一郎
どんな方法を用いても人間は100メートル走で9秒37の壁は破れない。なぜなら、人の運動能力が身体の物理的、遺伝的性質によって制限されてるから。スタートタイミングの反応時間も0秒1を切る事はできない。
時間を直線的に遵守するのは、個人主義的なモノクロニックタイム文化圏、時間をより流動的で螺旋状に捉えるのは、集団主義的なポリクロニックタイム文化圏。
パーティの開始前に到着して待っているのが日本人、開始ちょうどにドアをノックするのがイギリス人、20分遅れるのがフランス人、30分遅れるのがイタリア人、40分遅れるのがスペイン人。1時間後にイラン人、2時間後にポリネシア人で、その頃ようやく自宅から出かける準備を始めるのがメキシコ人。
形態学的には、火や道具を用いて調理するようになった事から、食物を噛み切る為の強靭な顎が退化し、顔面は平均化して重量化した脳を支える為に頭蓋骨が発達し、首は真っ直ぐになって咽頭が下がり、頬や唇の周辺筋肉が発達する事で豊かな発声が可能になった。この奇跡的な言語の出現を閃光的発現(フルグラチオン)と呼ぶ。
光は電磁波であり、人間の目で認識できる光線は波長4,000-8,000オングストロームの可視領域にすぎない。赤より長い波長領域は赤外線、ラジオ短波、テレビ長波があり、紫よりも短い波長領域は紫外線、X線、ガンマ線があり、可視領域よりも遥かに広域。
理論に基づかない観察は存在しない事をハンソンの「観察の理論負荷性」と呼ぶ。
ある独立的な事象がより多く観察されればされるほど特定の事象の発生する確率が一定値に接近する事を大数の法則と呼ぶ。
大数の法則を適用して予測可能なのが「危険性」、大数の法則を適用できない為に予測不可能なのが「不確実性」。
現在の事象が過去の事象を引き起こす考え方は「遡及因果」と呼ぶ。
宇宙を支配する6つの物理定数
・相互作用の核力
・原子を結合する電磁気力の強さを原子間に働く重力の強さで割った数
・宇宙で重力エネルギーが膨張エネルギーに対してどれだけ大きいかを示す数
・宇宙の反重力の強さを示す数
・宇宙の銀河や銀河系団の静止質量エネルギーと重力エネルギーの比率を示す数
・宇宙の空間次元数
脳の歴史は、約5億年前のホヤに出現した神経管にあり、魚類両生類爬虫類では脳の大部分を神経管の膨らんだ脳幹が占め、鳥類哺乳類になると小脳と大脳が大きくなり、霊長類で大脳に新皮質が発達して初めて高度な知性が生じる。
生物の脳は、構造に合わせて設計されたものではなく、新たな機能が継ぎ足されて進化してきた。 -
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「理性の限界」高橋昌一郎
「良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。」ソクラテス
完全に民主的な社会的決定方式は存在しない。アロウの不可能性定理
X>YでY>ZならばX>Zであるという性質は選好の推移律と言う。
個人において成立している選好の推移律が集団においては成立しない事がある。
どの投票経路をたどっても同一候補者が当選すべきとする民主主義の大原則は、
経路独立性と言う。
複数の選択肢から単数を選択して投票する単記投票方式や上位二者決戦投票方式、勝ち抜き決戦投票方式では、プラスマイナスの大きい候補者が当選しやすくなる。順位評点方式、総当たり投票方式では、極端に高い評価も低い評価もない八方美人タイプが選ばれる。実社会ではどのようなタイプの当選者を求めるかによってどの投票方式が適しているのかが経験的に定められている。つまり、完全な民主主義は存在しない。
民主主義の4条件
1.個人選好の無制約性
2.市民の主権性(全員一致の原則)
3.無関係対象からの独立性、、二つの選択肢の選好順序は他の選択肢の影響を受けない。
4.非独裁制
まず協調から初めて、相手が裏切れば即座に裏切り返す、相手が裏切らなければずっと協調しているティットフォータット(TFT)戦略は非常に幅広い戦略を相手にしても有効。
ゼロサムゲームに限って言えば、勝とうとするよりもまず負けないようにするミニマックス戦略がもっとも合理的。
古典物理学では説明のできない量子論の指し示した新しい概念を相補性と言う。
これは相反する二つの概念が互いに補い合う事によって一つの新たな概念を形成するというもの。一方が他方を定めるのではなく、双方が互いに補いあわなければ全てを理解する事はできない。
水素の原子核の周りには一個の電子しか存在しないが、この電子は原子核の周囲の至る所に所在し、いわば周囲を満たしている。これを共存と言う。
科学は「通常科学」と「危機」と「科学革命」の循環によって成り立つ。
科学者集団が共有する科学的認識を総称してパラダイムと呼ぶ。
科学者が新旧パラダイムを選択する過程において、実際に効果を上げるのはプロパガンダ活動であり合理的な基準などは存在しない。真理や客観の概念ではなく、信念や主観に基づく合意である。
真理が相対的でしかありえないとみなす立場が相対主義。
帰納法による推論は仮に前提が真であっても必ずしも結論を導くとは限らない。なぜなら論理的な必然性がないから。ヒューム
科学こそが最も新しく、もっとも攻撃的でもっとも教条的な宗教制度である。ファイヤアーベント
発言が行為と結びつく事によって生じるパラドックスを語用論的パラドックスと呼ぶ。
数学の世界には公理系では汲み尽くせない真理が存在する。自然数論の不完全性定理。ゲーデル
不完全性定理によって決定不可能命題を構成できるので、人間理性にも必然的にパラドックスが生じる。
Sの真理性はS内部では定義不可能。ゲーデル・タルスキーの不完全性定理
それ自体よりも圧縮できない数列をランダムと数学的に定義している。
自然界や自然数論の究極の中心に見えてきたのは確固たる実在や確実性ではなく、根源的な不確定性やランダム性。
利己的な経済活動だけでは社会的善を達成できない。アマルティアセン -
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5人の学生が10の議題について討論し、教授が補足・まとめをするという仮想ディベート。
実際の事件や出来事を取り上げているので興味を持って読み進められる。
議題は、定番といえば定番。議題に対する肯定・否定両意見も、詳しい人にとっては目新しいものではないと思われる。
しかし、要点がギュッと凝縮されていて何が論点になっているかわかりやすいので、自分のようなふんわりとしか知らない者にはありがたい。なんとなく知ってるつもりの話にも続きがあって、新鮮な驚きが心地良かった。
Aさん…文学部
Bさん…法学部
Cさん…経済学部
Dさん…理学部
Eさん…医学部 -
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これに続く「知性の限界」を先に読み、とても感心したので読んでみた。当初、在庫切れだった、評判をよんだのか、復活して店頭に並ぶようになった。すごい。この本はこの本でとても面白かったが、個人的には本書の方が難しく感じた。とくにゲーデルのところ。それと、テューリング・マシンをめぐる話があるが、テューリング・マシンそのものの解説はないので、少し不親切な気もした。たまたま「知性の限界」方に、個人的に知りたいことが多かったため自分の中での評価が高いが、客観的には甲乙つけがたい。というか、片方読んで面白いと思った人は、是非もう片方も読んで損はないと思う。""
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Posted by ブクログ
『知性の限界』『感性の限界』(ともに講談社現代新書)へと続く「限界」三部作の第1弾です。大学生や会社員、論理学者、哲学史家、科学主義者、ロマン主義者など、多くの人びとが参加するシンポジウムでの会話を通じて、アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理にまつわる問題が、わかりやすく説明されています。
三部作の中で、本書がもっとも議論の密度が高く、おもしろいと感じました。とくに著者の専門であるゲーデルの不完全性定理のさまざまな拡張を扱ったところは、この問題についてはまったく素人であるわたくしでさえ、何となくわかったような気にさせられてしまうほど、著者の説明は巧みです。
カント主義者や急進的フェミニスト、フランス社会主義者とフランス国粋主義者のコンビなどの不規則発言や、それらを巧みに捌いていく有能な司会者の振る舞いなどもおもしろく、高度な内容にもかかわらず引き込まれるように読めてしまいます。 -
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社会科学における理性の限界をアローの不可能性定理を中心にゲーム理論などもからながら論じる。
自然科学における理性の限界をハイゼンベルグの不確定性原理を中心に論じる。
そして、論理学や数学における理性の限界をゲーデルの不完全性定理を中心に論じる。
という流れで、人間の理性の限界を論じた本。
というと難しそうだけど、これが、さまざまな仮想の参加者によるディベート形式による説明で、すごく取っ付きやすいし、かなり分かりやすく書かれていると思う。
実は、この手の話しは、個人的な知的興味のかなり中心部分で、関連するような本はいろいろ読んできたわけなのだが、この3つの限界を関連づけて示す本はあまりなかったわけで、そういう意味では待望の本ともいえる。
一方、一般にも分かりやすく書いてある分、自分にとって全く知らないことが書いてあるわけでもない。このため、知的スリルがあるというよりも、一度読んだ事があるようなことを、違う角度から確認する、という感じに近いかな?
どちらかというと文系(?)の著者が書いたためか、とくに不確定性原理に関する部分は、新たに知るような中身は少なかった。
一方、アローの不可能性定理などの投票のパラドックスの説明は、これまで読んだ中で一番分かりやすかったと思う。
アローの定理は、他の2つの定理に比べ知名度が低いが、この社会的な意思決定に関するディレンマについては、もっと注目されても良いと思うな。
と、やや熱意の足りないレビューになってしまったが、こうした領域についてあまり読んだことがない人に対しては、ぜひ読んで欲しいと思う。
私たちの理性には限界がある。
ということは、理性の最先端によって、すでに証明済みなのである。
ということまで理解した人間は、ある意味、理性を超えてた存在なのであろうか? -
Posted by ブクログ
基本的に良かったけど,ちょっとSTAP細胞叩きすぎな感じはして,嫌悪感をもってしまう人も多そうなのが気になってしまった。本当に読んでほしい人にあまり読んでもらえない感ある…。でも内容的にはしっかりしてて,邦訳されたことのない歴史的エピソードも紹介されてるし有意義な点も多々。
"マスメディアやネットのニュースを眺めれば、いくらでも「欺瞞」を発見できるではないか"p.15
との問いにも鈍い反応な"現代の大学生の「オカルト」傾向"を危惧する著者。
つかみで小保方氏とペレルマンを対比してるけど,確かに凄い断絶だ。
晩年のコナン・ドイルも,妖精写真信じちゃった話は前から聞いててひどいなって思ってたけど,ほかにもいろいろひどい。
奇術師フーディニーの脱出トリックを,本人の説明さえ信じずに,体を「非物質化」して鍵穴から通り抜けたはずだと頑なに主張。当時の新聞も「哀れなホームズ」と酷評したとか。
ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)
「レントゲン撮影はトリックだ」
「空気より重い航空機など絵空事」
「電波通信に未来はない」
「進化が生じるには地球は若すぎる」
最後のは,放射性崩壊が未知だったことによる地球の冷却速度の誤算と,核融合が未知だったことによる太陽年齢の誤算が,たまたま一致した結果だという。
でもそれでも「せいぜい4~5億年」とのことで,なぜ「進化が生じるには不充分」に直結するのか謎すぎる。結局進化論気に入らねぇって話? -
Posted by ブクログ
「科学者(というか、科学研究開発や科学教育を生業とするヒト)」だって、普通の人間だし、騙されることも騙すこともある、とよく言われる。では、「宗教家(昔ながらの葬儀坊主は除く)」の場合はどうか?彼らは人間性の無謬がプレステージの源泉なので、そういうふうには思われないようだ。ということは、一般には「科学的なものの見方、考え方」は、しょせん付け焼き刃で、人の精神性には影響を与えにくいと思われているということだろう。
また、STAP細胞の事件は、現代のオカルトであるが、昔日のオカルトよりも、大規模組織の自己保全や特許保護という概念の進歩や技術開発に必要となる巨額資金とそのコントロール権という要素が増えた分、厄介な問題となっていることを明らかにした。