池央耿のレビュー一覧
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牧師さんのエッセイ集。
牧師さんと言いながら、学校の先生、カウボーイ、セールスマン、バーテンダー等々いろいろな職業を体験している。
基本は人間が好きなんだろうな。
人を見る眼差しが優しく感じた。
彼が児童やその父兄を前に披露した話しが、たまたま来ていた連邦上院議員に気に入られ、スピーチの原稿を書いてもらうことになったのだと言う。しかも彼の人生訓は多方面で話題となり、一躍有名人になったようだ。
失敗話しや、人・家族との関わりの中でのエピソードを通じて、こうしなさいと言う上から目線ではなく、こうした方が良かったかな と、読者が感じて欲しいように向けているようだ。
また、人間は必ず死ぬ。だからこそ、限りある生に人それぞれが自分なりの意味を見出す必要がある、と考えているようだ。
共感したのは、
想像は知識より強い。
神話は歴史よりも意味深い。
夢は現実より感動的である。
希望は常に体験に優る。
笑いだけが悲しみを癒す。
愛は死よりも強い。
横になって目をつぶる。われわれ、世のなかではその他大勢だが、そんな者にもありあまる恵みが与えられている。おかげで今日も無事に終った。有難いことだ。
思うに、肉親や親類というのは、たいてい想像のなかに生きているのではなかろうか。
父、母、兄弟、姉妹、その他の類縁たち。特に、故人や、日頃めったに会わない相手についてそれは言える。
記憶は作られる。話者の数が多ければ、その分、矛盾が生じて不思議はない。わかりきった話である。
それどころか、わたしたちは自分自身をも想像で作り上げている。現実の自分と、こうありたいと思う姿を扱きまぜて、かくあれかしという自分を描き出す。
何事も、遠くからの方がよく見える。
人と仲直りしたら、すべてを水に流さなくてはならない。
物事はすべて人生の培養土である。
「彼ら」という存在はない。「われわれ」がいるだけだ。
考えたことをそのまま信じるのは間違いである。
人はどんなことにも馴れる。
時には、見た通り悪いこともある。
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ネタバレクリスマスを迎えた1830年代のイギリスが舞台。守銭奴の商売人スクルージは7年前に死んだ相棒マーレイの霊と出会う。生前キリスト教徒としての善行を積めなかったことを嘆くマーレイはこのあと3人のクリスマスの精霊が訪ねてくると告げる。クリスマスの精霊はスクルージに過去・現在・未来を見せる。そこで自分の過去、貧困にあえぐ中クリスマスを楽しむ部下、上限関係なく無礼講で楽しむ商売人、未来で自分が死んだあとに衣服が盗まれ誰もたずねるものも憐れむものもないままに放置される姿を見せられ、スクルージは改心する。
日本昔話なみの教訓話でかなりの説教臭さを覚える。クリスマス・キャロルはクリスマスを代表する作品だときいていたが、あまりにも教訓に舵を取っている。説教臭さがひどい。時代を考えるとまあ仕方ないかというところ。 -
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守銭奴・金の亡者のドケチ強欲ジジイ・スクルージ。
クリスマスを楽しく祝う心を持ち合わせていない彼は
クリスマス・イブの夜に、亡くなった友人マーリーの亡霊と出会う。
このままではいけないと忠告を受けるスクルージ。
続いて過去・現在・未来を司る精霊と出会い、
今までの、そしてこれからの自分と客観的に向き合う。この旅の果てに、ドケチジジイはどこへ辿り着くのか…。
自分の事を客観的に見つめてみると、思ったよりまるでひどい人間だ、みたいな事があるかもな一冊。
ひどいと感じられるうちは大丈夫なのかしら。
改心、という言葉でまとめられがちな物語ですが、
翻訳者の方のあとがきは少し異なる見解でした。
古典新訳文庫は翻訳者のあとがきが毎回面白い。この本ではスクルージのもともとの精神性は
真っ直ぐである事に強く触れられている。ドケチジジイの改心劇、ではないのだと…。もとから善良な素質が、暮らしにすり減ってこうなったのだと。
当時の社会の変化も大きな要因となっていると語るあとがき、読み応え抜群。
物語を楽しみつつ、スクルージという人気キャラクターを深く掘り下げる一冊。 -
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謎の人に飛行機がハイジャックされて、中国ともチベットとも区切りがつかないヒマラヤ山脈に不時着する。さらにわけの分からない修行僧に案内され、僧院シャングリ・ラ(豪華)に招かれる。コンウェイ他2人は帰らなくて良さそうな雰囲気を出すが、コンウェイの同僚マリンソンは反抗的な態度をとりつつ帰ろうと主張する。そんな中、コンウェイは僧院の中でも一番偉い僧と面会することになる。
不老不死に近く、ゆっくりなペースで老いていく環境のシャングリ・ラ。暮らしは寝て食べて遊んでに近い。山奥にいるのにピアノもハープシコードも図書室もある。某外資系ホテルを思い出した。1回泊まってみたいとすら思う。
あと話の根幹ではないが、シャングリ・ラでショパンの弟子を名乗る男がコンウェイに出版されてない曲を教え、コンウェイがシャングリ・ラから帰還後に弾いた話。夢があるなぁと思った。作曲家が生きていたら当然お蔵入りになった曲だってある。どんな曲だろう。想像が膨らんで、なんとも夢を見てるかのようだった。 -
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ネタバレまだ上巻なので作品のできについての判断はできないけれど、あまりにも衒学過ぎてとっつきにくいにもほどがあると最初はうんざりした。
何しろ17世紀のイギリスの話で、第一章の語り手はイギリスに着いたばかりのヴェネツィアの若者。
多分本人による手記よりも会話は困難を極めただろうし、それに伴う勘違いのようなボタンの掛け違いもあっただろうし、文化の違いによるバイアスもかかっただろう。
何よりも、宗教の違いは大きい。
語り手は敬虔なカトリック教徒であり、英国は英国国教会を国教としている国。
日本人から見ると同じ神を信じているはずなのに、神に対する姿勢は全く違う。
”プロテスタントがよく聖書の引用をして競い合うのはどう考えても馬鹿ばかしいことだったし、場合によっては神への冒瀆に当たるのではないか、とさえ思っている。”
これと同じことをモンテーニュも『エセー』の中で書いていましたね。
さて、多少世間知らずなところがあるとはいえ、医学生として病人を見ると治療せずにはいられない好青年のマルコ・ダ・コーラの手記が第一章に当たる。
実家は裕福ではあるものの、信頼していた人にイギリスでの財産を横領され、それを取り返すべく野蛮な国イギリスにやってきたわけだけど、どこで誰に訴えていいのかもわからないし、手持ちの金も不如意の状態。
それでも、イギリス人の文化程度の低さも不衛生も我慢し、極力プライドを抑えてオックスフォードの学生としての人脈を広げようと努力を怠らない。
たとえ空回りをしようとも。
ふとしたことで一人の老女の治療をすることになるが、どう見ても手の施しようがない。
看病している娘のサラは顔はきれいでも性格は粗暴で、これ以上関わりたくないという思いと、輸血という新しい治療法を試してみたい気持ちとの間で揺れたコーラは、結局治療をすることで否応なく事件に巻き込まれていく。
オックスフォードの教師グローヴが、自宅の室内で誰かに毒殺された。
どういうわけか最初からサラが犯人であるといううわさが流れ、証拠も提出される。
サラは罪を認め絞首刑となり、一度は持ち直したサラの母も結局は命を喪ってしまう。
コーラはサラを火葬してやり、その母親の埋葬費も払ってイギリスを去り国へ帰ることにした。
そして二章に入ると、今度はコーラと何度か交流のあったジャック・プレストコットの手記となる。
なるほど、この本に4人の訳者がいるというのは、そういうことか。(全体が四章ある)
プレストコットは第一章では、オックスフォード大学の法学徒であり恩人を殺害しようとした罪で死刑を待つ囚人だった。
しかし、プレストコットはまず、コーラの手記には嘘があることを記す。
また、恣意的に記載されていないことのあることを指摘する。
自身の生い立ちを延々と書き連ね、それはそれで興味深いが、いったい私は何を読まされているのだ?と思った頃、プレストコットとサラの繫がりも明らかになる。
21世紀では考えられない関係性というしかない二人の因縁は、第一章でコーラが書いたようにサラの刑死という形で幕を下ろすのだけど、それで本当にいいのか?プレストコットよ。
グローヴの死の瞬間を立ち会ったプレストコットは、それについてあまり衝撃を受けていないようにも見え、少々メンタルが普通じゃないのかもしれないと思ったり。
この二人の手記は、それぞれに自分は善人であると思い、正しい行いをし、神に対して恥じることがないように書いていあるが、書かれている内容は必ずしも同じではない。
信用できる語り手なんて存在はない、というのがこのタイトル『指差す標識の事例』ってことなんだろうか。 -
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17世紀のイギリスを舞台にした宗教と政争と策略をめぐる物語。4人の異なる男性(異邦人であるヴェネチアの商人、汚名を着せられ命を亡くした父親の名誉挽回に猛進する弁護士志望の若者、暗号を解く技能を使い自分も重要人物であると自負してやまない数学者、華々しい政治の舞台には縁遠いながら身分としてはジェントルマンである不器用な歴史学者)の手記で構成されていて、日本語訳はそれぞれ4人の翻訳者が担当したという凝った作品。ある出来事を別々の視点から語るという群像劇が好きなのでその点では楽しめましたが、世界史にも英国の歴史にも詳しくないので、実在の人物と史実をベースに架空の人物とフィクションを織り交ぜて良質な娯楽作品になっているものの、知識が足りずに(おそらくは)半分ほどしか理解していないのでは、という感触で申し訳ない気持ちです。読みながら芥川の『藪の中』を思い出していたら、役者あとがきにもそういう声があがっているがそれより『月長石』を挙げる方が妥当では、とありました。『月長石』も読んだと思うのですがそう言われてもあまりしっくりきませんでした。個人的には芥川と、夏目漱石の『こころ』の先生の独白を思い出しました。最後まで読むとある種のカタルシスが得られますが、そこに至るまでの長い道のりは自己愛に満ちた嫌な人物のひとりよがりな長口上を延々と聞かされるかのようで辟易しそうになったりもしましたが、そこを読み終えてこそ、4人目が語る事件後の話で気持ちがすっきりできたという面もあるように思いました。まだ記憶が残っているうちに再読したら、初見より楽しめるのではないかと思います。
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Posted by ブクログ
久しぶりにがっつり語彙力で描写してくる古典を読んだ気がする。きっと全ては理解できていない。
けれど、スクルージに寄せた自分の心が確かにある。彼が打ちひしがれ、懇願する場面を見るたびに訳者あとがきにあった「本来の姿に返った」という部分が胸に響く。
そう、読み始めと読み終わりで、全くスクルージの印象が変わるのだ。けれどそれは、決して納得のいかないものではない。なぜだろう、これがディケンズの力ということか?
クリスマスを祝う喜びに溢れた描写が何ページも続いているところが本著のハイライト、作者が一番表したかったことなのだと私は思った。誰もが憧れ、幸せになる一夜。いいなぁぁぁ日本でもこんな風にクリスマス過ごしてみたい!! -
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「パイドパイパー」とは「ハーメルンの笛吹き男」のこと
スイス国境近くのディジョンで釣りをしようとしていた70歳のイギリス人ハワードは、ドイツ軍のフランス進撃とイギリス軍のダンケルク撤退を知って、イギリスへ帰国しようとする。
ところがドイツ軍がスイスに侵略する噂に心配した国連に勤めるイギリス人夫婦から、2人の子供を連れてってほしいと頼まれる。
ゆく先々で子供は増え、最終的に7人それもイギリス人、フランス人、オランダ人、ポーランド系ユダヤ人、ドイツ人と、縁もゆかりもない子供たちを連れてイギリスを目指す。
戦争で交通手段もままならない中、乳母車とともに大勢の子供を連れて「ほとんど歩いて」イギリスを目指す姿は、ハーメルンの笛吹き男そのもの。
作られたのは1942年、第2次大戦真っ只中で戦争の行く末はまだ混沌としているとき。
作者はハワードを必要以上に「戦時の英雄」として語っていない。
むしろ、故郷イギリスで突然の不幸から孤独となり、生きる希望を失った老人の再生物語として描き、読者の共感を呼びよせている。
ロンドン空襲のさなか主人公ハワードが「私」に語る帰国までの道のりは、誰かに必要とされる喜びとそれにこたえようとする充実感にあふれている。
現代にも通じる主題を持ち、読む手を止めさせない「ロードムービー」でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み応えがあった。
語り手が変わるたびに意味が変わっていく出来事の連続で、主観が違うとこうも違うのかと。もちろんあえて真実を書いていない語り手も存在しているのだけど。2人目が1番手こずった。ちょっとどこまでが妄想なのか…。下巻に入ってからは割と一気に読めたかな。
手記ごとに訳者が違うも面白い。より一層、4人それぞれの視点、それぞれの物語へと入ってしまうので事実はさらにわからなくなっていく。
語り手が変わるたびに、ひっくり返されるミステリ。あまりこの時代の宗教戦争に詳しくないことが悔やまれたけれど…薔薇の名前を読んでみようと思う。