稲田豊史のレビュー一覧
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ネタバレ初めてのオーディブルでこの作品を聞き終えました。
移動中や聞きながらできる作業中に聴いていたのでこの本に出てくる若者やん・・・もちくちく刺さりながら聞いてました。
オーディブルは本に付箋とか貼れないし自分のペースで見れないので内容は本を読むよりはそこまで頭に入らなかったなと感じた。流し聞きとしてはとても良かった。
最後らへんの話が印象に残っていて
昔も蓄音機で音楽を聴くのは音楽鑑賞じゃない
テレビで映画を観るのは映画鑑賞じゃない
そして今
映画を倍速で見るのは映画鑑賞じゃない
どの時代でも新しい文化には抵抗を示すというのが繰り返されている。
私は今回、どちらかというと映画を倍速で見る派の人達に共感できる側だけど将来新しい文化に対抗を覚えるのだろうなと思った。
どの時代でも新しい文化には抵抗を示す というメタ認知で新しい事を受け入れていく姿勢は大事かもしれない。
それを想像した時に次に流行るのは中国で今流行っている内容のない快楽だけが分泌される縦型ショートドラマをみんな見るようになるのかなと思った。
それを考えると正直、抵抗があった。これ以上ドパガキになりたくない!という気持ち。
私はぎりぎりショート動画がない時代に生まれてきたからショート動画やそういうドラマにハマるデメリットをすごい感じてる。
けど次の世代のショート動画が生まれた頃から当たり前になる世代にとっては抵抗を感じないんだろうなと・・・。
本書では私は若者の価値観寄りだったが未来を考えると抵抗がある側になれた。
さっきまで時代は繰り返されているというメタ認知で新しい文化を受け入れていくことは大事かもしれないとか語ってたけど
結構受け入れたくないものだな・・・ -
Posted by ブクログ
第一章二章は面白く読み、三章から終章は暗い気持ちになりつつ読む。
私は動画より活字派で、動画見てる時間あったら読めるやん。と、短尺の動画に対して思ってしまい、待ちきれずスクリプトくれ、と思うのだが、そういうことでもないのか、と納得したり、
なるほど、
「元来、人は怠け者なので、なるべく楽をしたい。脳を回すという苦痛は避けたい。それゆえに「考えなくていいもの」は選ばれやすい」(『フリー〈無料〉からお金を生み出す新戦略』より)
よな。。。
よくわかります。これが、昨年の仕事が予想通りの数にならなかった理由やな、とか思う。
しかし、本屋にいる自分がかっこいい説、胸に刺さるわ。や、決してそれだけではないのだが、そういうこと思ってないとは言い切れない。。。恥ず。
しかし、昨日読み終わった『本屋さんのある街で』と合間って本屋で本買おう!と改めて思うのでした。
(『本屋さん…』はこの本とはだいぶ方向性は違くて、本屋への温かい眼差しであったが)
そー、そして、本はながら読みできないから、贅沢な嗜好品なのよね。(と、今、ドラマ見始めつつ実感した) -
Posted by ブクログ
ネタバレこれこれこれ、私はこういうのが読みたかったんだよ!三宅香帆にこういうのを求めていたんだよ!映画を早送りで観る人たち、一応、私はそこに含まれてはいない。けど、YouTubeはときどき早送りにしていた。まだるっこしいから。自らネタバレを踏む人たちの感情が揺さぶられるのが嫌だからという理由が、私には本質理解できない。興味のない作品なら、ネタバレを見ちゃうけど、興味のある作品は踏む前に読むから。あれ、これがもしかして回答かも。みんな、その作品にそれほど興味がないんじゃない?会話に入れないから、観る。うらやましい。
私には会話に入れないから観るという関係性すらない。でも、扉は開いていたのかも。私が「私は興味ないから」の一言で閉じていたのかも。『鬼滅の刃』が説明的だとはまったく思ってなくて、むしろ、それが味だと思ってた。ぜんぶ言う、それって悪いことなのかしら。それでも想像、考察の余地はあるのに、あたかもぜんぶ説明しているという解釈には「?」と思った。制作者側としては早送りも字幕すらも作品ではないのかー。お作法にがんじがらめになっていて、その世代であることをおもしろく受け止めたい。 -
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ネタバレ第1章 早送りする人たち- 鑑賞から消費へ
第2章 セリフで全部説明してほしい人たち
第3章 失敗したくない人たち
第4章 好きなものを貶されたくない人たち-快適主義という怪物
第5章 無関心なお客様たち
最初は、「けしからん!映画を1.5倍速で観る若者が(少なからず)いるなんて!監督に失礼だろ!」と怪現象のごとく驚いていた著者が、突っ込んで調査しているうちに、
z世代を把握したくなったんだな、きっと。
主な特徴を列挙してあって(第3章)
1 SNSを使いこなす
2 お金を贅沢に使うことには消極的
3 モノ消費よりコト消費
4 学校や会社との関係より、友人など個人間のつながりを大切にする
5 企業が仕込んだトレンドやブランドより、自分が好きだから/ 仲間が支持しているから を優先する
6 安定志向、現状維持志向で、出世欲や上昇志向があまりない
7 社会貢献志向がある
8 多様性を認め、個性を尊重しあう
と並べています。
自分、不器用なGG世代なんですが(笑)、
上記z世代の特徴は半分自分にも当てはまっています。
z世代は間違いなく突然変異で彗星のごとく一夜で大量発生したわけではなくて、自分たちGG世代(今日思いついた造語です)から地続きなんだよな、と思って興味深く読みました。 -
Posted by ブクログ
副題に「映画のなかの集合住宅70年史」とあり、映画やテレビドラマにおける団地の扱いを語る座談会や評論・コラムなどを収めた本。
本書で扱われるのは、ほぼ日本と韓国の映画であり集合住宅であって、それ以外の地域の言及は少ない。「団地」という言葉にイメージの合う集合住宅が他の地域にはあまりないということかも知れないが。
個人的には、私の近辺(松山、高松)にある団地というのが本書で言及される映画等で描かれるものとは違って、極めて貧乏くさく窮屈にして設備が貧相であるのも気になる点で、東京の団地はいいなあ(あんな充実した団地だったら、今から住んでもいいけどなあ)。四国の地方都市にある公営住宅では、小説・映画「みなさん、さようなら」の「団地の外に出ない」生き方なんてのは想像すら出来ないなあ。 -
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「アラサー女子は、なぜこれほどまでに、欲張りで、自由奔放で、ワガママなのか?」
2015年刊なので、ここでの「アラサー女子」は、1982〜93年生まれ…本書で言うところの「セーラームーン世代」(つまり、アニメ版『セーラームーン』に夢中だった世代)にあたる。
私自身テレビアニメは熱心に観ていなかったけど、「欲張り」「ワガママ」…というのは、聞き捨てならんなー笑
しかしよくよく紐解いてみると、「欲張り」や「ワガママ」というのは、「ガツガツしている」のとはニュアンスが違っていた。
自分らしく堂々と生き、大事な瞬間は自分の力でキメる。もちろん、オシャレや友情・恋愛にも一切妥協しない。(バブル期世代は、「男性に負けない」と女を捨てる覚悟でプライベートを諦めてきた…という対比が、なんだか残酷だった)
全部叶うかどうかは別にして、周囲の同世代が持つのと変わらない価値観だと思った。
熱心に観ていなかったせいか、5シリーズに渡って放送されていたことや敵の名前など、そのへんは完全に一見さんだった。というか、(私と同じ)小学校に上がる前の女児だった子たちも、記憶が曖昧なのではなかろうか。
中でもストーリーや主人公 月野うさぎの成長過程は、「そんな綿密に練られていたのか…!」と、驚きの連続だった。敵が地球を狙う理由や登場人物らの決断と、年端もいかない女の子たち(中2〜高1)が置かれたシビアな状況に、今さら戦慄したりもした。
「セーラーチームの愛おしい日常を毎週、日常風景のように見ていた女児たちは、『女子の友情』の最高の理想系を、浴びるように刷り込まれた」(P 103)
うさぎ以外の戦士及び友人たち(亜美・レイ・まこと・美奈子)は、うさぎのために身を犠牲にしている。一人(それも泣き虫でおっちょこちょいで、みんなに守られてばかりのお姫様っ子)に振り回されて、可哀想…
少し成長すると、私は彼女たち「セーラーチーム」をそのようにみなしていた。ところが皆、うさぎのことを心底大切に想っていて、おまけに彼女といる時の自分が好きでいるっぽいのだ。ファッションや恋愛観の違いも様々で、そこまで仲間意識に縛られた感じもしない。
というのも、うさぎと出会う前は皆孤独で、自分自身だったり本音を打ち明けるような友達がいなかった。うさぎが皆を結びつけたのだ。たとえ彼女絡みの戦いがそれぞれのやりたいことを阻んでも、そこはすっぱり諦めず、むしろ希望をもって未来へと託していたりもする…。
「衛(まもる)は結局のところ、”守ってやっている”はずのセーラームーンに依存している」(P 113)
それにうさぎは、私が思うほど「お姫様っ子」ではなかった。
究極の母性、そしてゆくゆくは究極の神性へと飛躍していくというのだ。(確かにシリーズ後期のコスチュームでは、天使の羽が生えていたわ…!) 母性と神々しさで仲間を、果ては敵を包み込み、浄化する。「守ってやっている」はずの「まもちゃん」…地味に名前負けしとるがな笑
そう考えると、彼女たち(特にうさぎ)の生き様を吸収した「セーラームーン世代」って、何の違和感もなくちゃっかりしていることになる。それなら、もーちょい熱心に観ておくんだったな。 -
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副タイトルの「破天荒ポテトチップ職人」に惹かれて読みました!
取材や調査を重ねて書籍の形に仕上げるのは相当大変だったと思います。筆者の丁寧で綿密な仕事ぶりが垣間見えます。全体的に、ビジネスマンとかが好んで手元に置いておくタイプの本だと思いました。
破天荒の正しい辞書的な意味を再確認しました。タイトルにも意味が込められているらしいです。
やはり戦争の時代を知っている人たちのバイタリティと熱意は(もちろん人によるが)現代人とは何か質が異なるものがあるのではないかと思いました。清吉のこれまでに培ってきたものを全部使って本気で生きようという精神に圧倒されました。
人間離れしたハングリー精神の塊を持つ情熱敏腕経営者という印象がある清吉だが、一方で身内や自分の子どもに見せる良くも悪くも人間らしい部分も記述されており、公平さを感じました。
記憶の限り評伝(?)を初めて読んだが、ただその人を持ち上げて賞賛するわけではないと知りました。
菊水堂の薄味でじゃがいもの味がするというポテチ気になります。 -
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広辞苑 第七版には、ドキュメンタリー「虚構を用いずに、実際の記録に基づいて作ったもの。記録文学・記録映画の類。実録。」とかかれているそうです。
しかし、著者はこう言います。「ドキュメンタリーは虚実ないまぜ、意図と作為の産物である。」「ドキュメンタリーは虚実皮膜(だから面白い)、被写体も作り手も本心を隠しているかもしれない(から面白い)。」と。
広辞苑の説明とはずいぶん異なりますw
たとえ実際の記録に基づいて作ったものだとしても、切り方、つなぎ方は製作者の意図によるものであり、そこには製作者が視聴者に伝えたいことがデフォルメしてまとめられています。ワイドショーの記者がインタビューをして、都合のいい発言を部分部分繋げるのと大差ないのかもしれません(極論)。
ドキュメンタリーの被写体にしても、写るということで、カッコつけたり、盛ったり、逆に控え目にしたりするかもしれません。ニュースでインタビューを受けたら、サービス精神が発揮されるのと似たところがあるかもしれません(偏見)。実際の記録だとしても、編集される限りドキュメンタリーは「作品」なのですね。
著者は、ドキュメンタリーの作為性を「お笑い」や「プロレス」の構造と比較して、酷似性や手法を語ります。また、意図的なものと分かった上で、見る側の楽しみ方にも言及しています。
この本を読んで、ドキュメンタリーに対して納得するか、ガッカリするかは、あなた次第です。この本を読むか読まないかも、あなた次第。
そして、わたしのレビューを信用するかどうかも。。。