稲田豊史のレビュー一覧
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19世紀、サラトガ・チップスとして誕生した「料理」が、日本で製造されるようになるのは、終戦後まもなくのこと。
高級おつまみから、子どものおやつへと次第にポジションを変えていく。
調理機械や機能的なパッケージの開発に留まらず、販路や配送のことにも目配りされている。
こういった経緯も、初めて知ることが多く面白い。
さて、現在は、輸入物から国内の定番商品、期間限定のキワモノ的なもの、そして「サードウェーブ」まで、恐ろしく多様なものとなった。
どれを選ぶかは、自己表現の一環。
ポテチが欲求の対象ならぬ、「欲望の装置」となっていく様を描き出す。
ちょっと細かいところでは、ジャガイモが西洋ではさげすま -
Posted by ブクログ
中公新書「サラ金の歴史」を読んでから産業史って社会史であり、生活史であり、人々の欲望の歴史である、と気づかされています。この朝日新書は、それをポテトチップスで実現しています。もう序章で『「国策」が生み、「団塊ジュニア」が育て、「下流社会」が発展させた、ポテトチップス・イン・ジャパン。』と大まかなサマリーを提示しています。この話が早い感じ、さすが光文社新書「映画を早送りで観る人たち」の稲田貴史です。早送り,日本ポテトチップス業界史。それは濱田音二郎の「フラ印」、小池和夫の「湖池屋」、松尾孝の「カルビー」などの国産メーカーのプロジェクトXを集中して観た気分になりました。そういえばちょいちょいアメリ
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離婚したからこその学びがある。
本人達からしたらたまったものではないし、離婚経験者の私も思い出したくもない。
ここには、離婚した男性からの意見のみで、女性からの言い分は一切ない。
多分、女性側からの意見は全く別のものが出てくるのだろう。
人というものはそんなものだ。
お互いにお互いの言い分や受け取り側の心情があるもの。
メンヘラ妻の話がでてきた。
私もメンヘラ妻だったんじゃないかと、ハッとした。
社会で必死に生きてる分、家庭でうまくいかない自分を自分のせいとは思いたくないから、相手を悪者にする。
とか、いつまでも過去にこだわる、とか。
程度はあるかもしれないけど、少しだけ、過去を受け入れられ -
Posted by ブクログ
男性側へのインタビューから考える離婚の本。
本書にあるように、確かに離婚を男性側の言い分「のみ」に特化した本は珍しいかもしれない。
この本でメインに取り上げられている「メンヘラ妻」。
やっていることは「モラハラ夫」と同じだが、そういえば「モラハラ妻」とは言っても「メンヘラ夫」という言葉は聞かないなぁ、と思ったり。
結婚って、自分が結構ひどい目に遭っていても、そういうものだと思い込まされて我慢する被害者が後を絶たないのだと思う。
日本では昔から、結婚は「忍耐」とかいうイメージが根強くあるが、離婚経験者(男性でも女性でも)が、「自分一人が我慢して、無理してまで継続するものが結婚ではない!」と、もっ -
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タイパを求める若者を嘲り貶めることでオジサンたちが気持ちよくなる、というモノではなく、現在のコンテンツ消費の実像を見つめるという本だと思いました。が、快適主義と他者性の欠如の章では、物申したさが抑えられてない感じも。
早送りしてまで得ようとしているモノが何なのか、
そうせざるを得なくしている世相と、そのムードを生み出している背景的理由(経済的理由、テクノロジー、教育など)について論じています。
平易な文体という事もあり、あるあるトークで終始するのかと思いましたが、色々な視点・観点を取り上げて整理してくれていると感じました。
一方で、同じ人の弁が多く取り上げられていたり、こう言ってる人がい -
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現代人のテキストメディアとの向き合い方には、「本を読む/本を読まない」という軸とは別に、もう一つの軸があるという指摘にハッとさせられた。それが「おもしろみ/わかりみ」という軸であり、この二軸によって読書行動を四つの象限に整理できるという考え方である。
たしかに、小説とビジネス書では求めているものが違う。小説を読むとき、私は他のことをすべて遮断し、読書体験そのものに没頭することを大切にしている。一方、ビジネス書を読む際には、いかに効率よく自分にとって有益な情報を得られるかという実利性を求めている。
インターネットが普及し、手軽に情報を得られるようになった今、多くの現代人はコストパフォーマンス -
Posted by ブクログ
立証的かどうかは疑はしい
飯田一史の本が統計的であるならば、こちらはインタヴュー的である。それもそのはず、この本の全体を支へてゐるのは、匿名による大学生やライターなどのインタヴューだからだ。
私はこの本の主張にたいして、ちょっと疑問がある。
スマホのせいで本を読まない……といふのはまあ違ふだらう。本書でも、読むひとは読む、読まないひとは読まないといってゐる。
スマホがなければテレビを見てゐただらうし、一億総白痴化とはむかしからいはれてゐたわけで、スマホはテレビに代はるスケープゴートに過ぎない。
大学生が読まないのも、進学率上昇による大学の大衆化が原因で、読書層は昔から一定なのだ