あらすじ
著者による『映画を早送りで観る人たち』の待望の続編!
〈倍速視聴〉から見えたコンテンツ消費における〈コスパ〉〈タイパ〉という欲望は、
読書においてはどのように作用しているのか。
本作では、「本を読めない人たち」への徹底取材をはじめ、
テキスト受容を取り巻く読者と出版社/ウェブメディアの現状をリポートする。
一体「本を読めなくなった人」は何を考えているのか。
2010年代以降、本が読まれないことが当たり前になるなか、
ほとんどフォーカスされてこなかった。
生の声を取材することで、現代社会のメディア状況への考察を深めていく。
【目次】
プロローグ
第1章 ニュースを無料で読む人たち
――無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち
――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
第3章 本と出合えない人たち
――無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち
――聖域としての書店
終 章 紙の本に集う人たち
――読者と消費者
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『映画を早送りで観る人たち』の続編的な一冊。ずっとテキストに親しんできた人間にとってはとても興味深く、おそろしい内容。文章なら3分で読める内容を、わざわざ動画で観たがる人の生態なども知れた。出版社や書店、ライターなど、すべてお先真っ暗としか言いようがない現実を突きつけられます。必ず再読します。
Posted by ブクログ
これは衝撃的な内容だったし、興味深くて久しぶりに紙の本を最後まで読むことができた。稲田豊志さんの調査方法や着眼点はすごく興味深い。久しぶりに紙の本を読んだ本が稲田豊史さんの『本を読めなくなった人たち』だったのも何とも皮肉。
以下、いくつか気になった内容をあげた。
・「非読社会」・・・文章を読むことが合理的でないとされる社会
・ウェブの記事は、一般的なニュース意外は「他人の不幸」「エロ」「マンガ」「クイズ」しかPV(ページビュー)を取れない
・面倒な思考を経ることなく、わかりやすく単純化された一意的な正解を知りたい、ということだ。(p122)
多くの人がyoutubeなどの動画メディアに移っていく現在の様子が、多くの大学生などへのインタビューから明らかになっていく。確かに肌感覚としては、自分を含めてまわりの人たちも、本読まなくなって、動画を見るようになっていることは、わかっていても、これだけ、活字として文章になって読んでいると、現代の日本社会の大きな変化なんだなぁって感じた。
ただ、262ページの図11「マズローの欲求段階説に「人のテキストメディアとの関わり方」を当てはめる」については、大いに納得した部分と、少し疑問が残ったところがあった。自己実現の欲求の頂点が、「紙の本として著書を刊行する」となっていて、紙の本の権威はもちろん著書のいう通りだが、はたして、テキストメディアに接しているかなり多くの人が、自己実現の欲求として紙の本を出したいと思っているのか、、、、そこは少しだけ疑問が残った。自分も紙の本出したいなぁって思うけど、それが自己実現の1番上にくるのか、、、と考えると少し疑問かなぁっと思った。
いずれにしても、興味深い内容ばかりの本で、現代社会や現在の若者を考えたり理解したりする意味合いでも、必読の書のように思う。
Posted by ブクログ
『映画を早送りで観る人たち』の著者による新書。その本は読んだことないが、確かに若者たちは倍速でドラマ見たり動画再生したりするらしいというのは知ってた。本屋さんで冒頭だけ少し読んで、読書もそれに通ずるのか…?とすごく考えさせられて購入。
若者たちいわく、
読書はタイパが悪い。
ながら読書がムリだから、動画を見ているほうが良い。
長い文章を読まなければならなくなった場合でも、chatGPTに投げれば要約してくれるので、自分で時間と労力をかけて何十万字も読む必要はない。
などなど…
衝撃!
確かにAIは便利やけども、、なんでも教えてくれるけども、、
読書をしないなど私は考えられないので、そのような若者たちの考えに全く共感できず。
動画やSNSみたいな受動的に情報を得ることが中心なので、読書のように能動的な活動はしんどいらしい。
読んで、自分ならこうだなあと考えたりいろんな感情を持ったり、めっちゃ大事なことやと思うんやけどなあー。
インプットとアウトプットを繰り返して、いろんなこと知って賢くなるんやと思うんやけどなあー。
時代かなあ。
でも、若者たちの中にも、動画より読書!という人たちの話もたくさん載っていて、そこは少し安心した。マイノリティではあるが。
動画がアカンとは思わないが、自分の頭で考えるという行程を大事にしてほしい。
Posted by ブクログ
新しい視点の本。
普通は、知識を取り入れるのは本を読め!読んだがいいよ!という視点の方が多いけどこの本は別に本じゃなくても動画などの媒体で情報を仕入れ賢い人も多いということがわかった。インタビュー形式で情報を仕入れていて、なぜ読まないかの本音というか革新に触れることができたのかなと思った。あとはタイトルの本が読めなくなったというのも意味があったし、作者自身も文章に関わる人なのに文章に値段がつかなくなっているやつ現状が悔しいだろうなと思った。一般大衆はやっぱり無料や安価な方に流れていくし、本はラテン語かしているというのが結構的を得ているなと思った。また、本を読んでいる自分が好きみたいなのは本を好きな人には意外と多くてそこでマーケットボリュームを稼いでいるというのも興味深かった。恥ずかしながら自分もそういう節があるなと思った。本以外の媒体で摂取もできるけど本は気合いがいる、本書の言葉を使うと能動的に見る必要があるので、受動的なメディアが多くなっている時代に本を読むという行為自体に自分がやっている!というところが大事なのかなと思った。それこそAIのレコメンドだけだと興味関心の幅が狭まると思うので。本屋さんとかでフラッと寄ってこれ面白そうとか思うのも大事だなと思った。けど本屋自体も平積みされてるのを買う傾向が多いので、Aiではないけど人間のレコメンドが入ってるしその人間のレコメンドをAIが決めてたりしたら果たして自分で選んでると言えるのかなとも思った。まあ、これからの時代らしい考え方かなと。この大AI時代で大事なのは個としての特異性だと思うので受動的になり過ぎず、生きていきたいなと思った。
色んな角度で本について学べたし、とても良い本でした!けど入りは岡田斗司夫のYouTubeだったのでそこが1番笑えるなと思った。笑
Posted by ブクログ
・本を読めなくなっているのは社会的にしょうがない
過去:聖書(長くて理解しづらい)→絵、劇、語り・・・で表現
現在:本→動画、AI、要約などで表現
→人間の楽をしたいという欲がそうさせてる
・長い文章を読み通し、理解できることはある種の特殊能力!→今後貴重な力になる!
・本を読んでいるからといって賢い(頭がいい)というわけではない
Posted by ブクログ
同時期に読んだので「なぜ働いていると本が読めなくなるか」と比較してレビュー書きます。
一言で言うと、タイトル詐欺なあちらに比べて、読後に「タイトルはこれしかない」と思える真打ち感がありました。
また、売文を生業にされている著者の本音の叫びが嫌み無く記述されていて、好感を持ちました。
応援したい著者です。
Posted by ブクログ
1995年ウィンドウズ95が発売され、インターネットが市民権を獲得した。2008年にスマートフォンが発売されると、若者を中心に爆発的に普及。様々なSNSの開発も相まって、短文のテキストメディアを閲覧し、紙媒体読む機会が極端に減少した。本書では、長文の本などを読める人を「特殊能力」とし、ましてや本屋で品定めできる人は、それ以上に特殊な人だとする。ニュースを無料で読むのがあたりまえとなり、信頼性が定かでないコタツ記事に翻弄される人々。本を読まない(読めなくなった)人たち。はやりの電子書籍によって、本と出会えなくなった人たち。そもそも街から本屋がなくなり、本屋に行けなくなり、インターネットでポチッとする人たち。しかし、紙の本に集う人たちも少なからず存在する。コスパとタイパを重視する消費社会において、AIの要約で本の本来的な情景や叙情を理解できるのか。終章では、「紙の本を読む行為は、特権性と階意識を孕んだ、選ばれし者たちの古き良き嗜みとなる」と辛辣な指摘が行われる。それでも、集中した視知覚認知と体性感覚による手触りなど、五感で味わう本を私は愛してやまない。著者は、多くの青年などのヒアリングを重視して本書を書いている。一方で、神経生理学と視知覚認知の観点から画面と活字の識字や記憶、理解と言った観点からどちらが優位であるかという研究があれば、もっと説得力があるように思われる。
コタツ記事とは、取材や現場確認をせず、コタツに入ったままネット上の情報だけを寄せ集めて書いた、手軽だが内容の薄い生地という意味で使われるネットスラング。
Posted by ブクログ
現代人はニュースをXで収集する事が多いという事実。私はそれを本書で知った。衝撃。
そして、インターネット上の情報は裏でビジネスが絡んでおり、むしろ、ビジネスが絡んでいる情報がほとんどであり、なおかつ、私も気づかないうちに情報が偏っているのではないかと気付いた本書です。実利的ではないけれど、人とのコミュニケーションや人生豊かにするためにも読書は大切だと思った
Posted by ブクログ
評判で聞いてはいたものの、衝撃的な本だった。『映画を早送りで観る人たち』も読んだし面白いと思ったが、著者名を覚えていない程度の関心にすぎなかった。しかし今回は、本の未来に対する絶望的な展望に、読んでいて辛くなってきた。あとがきで著者自身が執筆中「精神は著しく疲弊した」と告白している。つらい執筆を続ける原動力となったのは、「人が、人の頭で捻り出し綴った文章に、敬意とお金が払われないという状況」に対する怒りだという。
「長く、それなりに複雑な論旨の文章が自力で読めます」ということが、 高い教養と希少な能力の自己アピールになってしまう未来なんて、ディストピアそのものじゃないか。『焚書』が行われる世界よりも、そもそも本を燃やす必要のない世界のほうがずっと恐ろしい。そんな世界へ一歩ずつ近づいてるのだろう。
Posted by ブクログ
内容がわかりやすく読みやすかった。
また本書にも述べられてるように、ただ世に溢れてる情報のまとめではなく、実際のヒアリングやアンケートの結果などをもとに、筆者の意見を述べたai時代にも勝る独自性のある内容だった。
Posted by ブクログ
本を読めないだけでなく、テキストコンテンツ全般を読めない人が増えている。
まさかYahoo!ニュースすら読まずにXに流れてきたものだけをニュースとして扱っているだなんて… 仮にYahoo!ニュースを見ていても配信元媒体をチェックしない若者がほとんどだなんて…
本を読まないがために書籍の値段が今後も上がり続けるというのは読書家として非常につらいところ。
(Audibleで視聴)
Posted by ブクログ
アルゴリズムで流れてくる縦型動画が主流となり、書籍の無料抜粋で記事が書かれるような世の中では、書籍の購入との相性が悪すぎる。無料抜粋を読む層と紙の本を買う層はあまりにも異なる。本の売り上げを増やすには、動画を好む層に買ってもらうか、本好きにしっかり届けるしかない。その点で、動画WEBメディアは動画を好む層にとって非常に良い案。
電子書籍はコミックではメリットが多くある一方で、活字には活字ならではの電子書籍のメリットが少ない。本の売り上げは下げ止まり、高貴な文化になっていくのだろうか。
Posted by ブクログ
もともと私は読書好きではなかった。ただ、「読書が好きな人になりたい」という気持ちはずっとあった。もっといろいろなことを知りたかったし、「本当にお母さんなんだから、知らないんだから」と言われるのが悔しかったからだ。
そんな私が読書を続けられるようになったきっかけは、Xで読書アカウントを作り、本の感想を語り合える仲間ができたことだった。もし仲間がいなかったら、今ほど本を読んではいなかったと思う。
紙の本にも良さがあるし、聴く読書にも良さがある。大切なのは、自分に合った形で本とつながり続けることなのだと感じた。
私にとって読書は、知識を得るだけではない。人とつながる話題になり、自分の考えや価値観を語るきっかけにもなっている。
この本を読んで、今の私がたどり着いた結論はひとつ。「読書を続けられる環境に身を置きたい」。それが、これからも本と付き合っていくために一番大切なことなのだと思う。
Posted by ブクログ
私は読書が大好きだけど、この本の中で紹介されていた「本を読めなくなった人たち」の意見も共感しかないな。私も一時期、動画の方が何かを知りたいとき、何も考えない娯楽を求めるときに動画は便利だなと思った。「本を読まないと知性が育たない」と言っている人たちに言いたい。本が読めること自体が個人が持っている能力の一つの。本を読まなくて動画を通して自分で物事を考えなるクセや感動などを身につけている人たちだっているんだぞ!と。
Posted by ブクログ
今、本に携わっているからかもしれないけれど、日頃疑問に思っていたことや不甲斐ない感じ、残念に思っていることなんかを解説していただけたと思った。そうか、Twitterが面白くなくなってしまったこと、紙の本に執着してしまうこと、読めないんではなく読まないのが普通の世の中になってしまったんだ、などちょっと切なくなってしまった。本を読むことが貴重になるなんて思わなかったな。
Posted by ブクログ
とにかく、読書の時間で一時期心を救われた自分としては何とも言えない気持ちになった
10代のなかでも今の圧で落ちてくるネット社会に適合できる
一定の距離を保てる人は快適にサーフィンをし
情報のシャワーのなかでノイズを除去し
池の蓮を渡っていくように生きていけるだろう
そのような戦略はまったくもって正当だ
しかし、私のようなそのようなことが苦手な人は
やはりどこか泥臭くもがいて生きていく
そのような人間にとって読書時間は優しくそして孤独だ
もがいている間はわからない
人生の回収がどこでやってくるかはわからない
人も世界も変化がある
精神と肉体にズレが生じる
若い精神と肉体に親和性のあったネットから
まず肉体が離れていく
地殻変動で最適が移り変わる
その時、瞬間の適合能力では限界がある
どこかで、誰かが、泥沼で幅をとることが
必要な時もある
幾年も積み重なった泥沼は酸素に振れれば新たな生命の源になるかもしれない
人は酸素を含んだ泡沫だ
ネットが泥沼になると思っていた
実はそうではなかった
泥沼は書籍なのかもしれない
Posted by ブクログ
本は一つのチャンクであり、それが膨大すぎるという指摘。それを否定することはできないが、私には本が合っている。
ただ祈りと救いのために読んでいるから。
AIには救われない。人の息遣いがないから。怒りが、悲しみがないからだ。
この本を読んで怒りを代弁してもらうことも、本を読まない人への秘めがたい見下しを言語化されることも、まさに予定調和の快楽。ラノベで得るそれだ。
本は私のような病的で懐古的で自意識の肥大した人間のために書かれていき、私はそれを紙で買い続けるだろう。そしてこうして、ファストなライティングによって、快楽を得るのだ。
Posted by ブクログ
おすすめ動画を見るという受動的情報収集がベースの時代。読書は崇高な趣味(歌舞伎、劇とか)となり執筆は承認欲求の可視化となる。
そんな事を考えずに本を読めるヒトにポジションを置けている私は幸せなのかもしれない。
Posted by ブクログ
「本を読まない人たち」はなぜ本を読まないのか? 「本と出会えない人たち」はなぜ出会うことができないのか? 「本屋に行かない人たち」はどうして行かないのか? それらの「謎」に大学生を中心とした16歳から28歳の男女にグループインタビューすることで迫っていきます。
その答えは本書を読んでいただくとして、どれもきっとそうなんだなぁ、というものです。統計的な処理がされているわけではないので、著者の主観でしかないのですが、長く本の業界の周辺にいる僕としては納得のいくものです。
そのなかで、著者の以下の指摘は書籍業界(出版社、取次、書店、著者)に突きつけられた鋭すぎる問いです。
「目的もなく書店内を眺め歩くというのは、恵まれた/ 幸せな境遇にある人間だけが享受し、楽しむことのできる特権的行為である」
「紙の本を買うという行為は、「富裕層向け化」の道を確実に歩んでいる」
「(独立書店の)棚に表出する剥き出しの知性と教養、高度で知的な文脈の設定が、ある種のマウンティングと受け取られることもある」
「本好き(=話題のビジネス書や自己啓発書や実用書を好む者ではない。むしろ、その種の本とは異なる本を愛する自分を愛する人)を自認する純度の高い愛好家同士が、閉じられた小さなサークル内で知的に談笑している図が浮かぶからだ。何か根本的なところで、本を売るという行為の越境的な広がりを感じない。無粋を言えば、出版市場に与える影響があまりにささやかだ」
そして
「もはや書店徘徊も紙の本への強い愛着も、限られた人たちの選民的欲求を満たし、自分が文化的であることを確認するための、島宇宙的趣味とはなっていないか」
そして、著者最後の「予言」は
「いずれ紙の本を読むという行為は、特権性と階層意識を孕んだ、選ばれし者たちの古き良き嗜みとなる。これから紙の本は、そういう人のために書かれる。そういう人のお眼鏡にかなう本しか買われないし、読まれないし、残らない」
さて、どうなんでしょうね。
Posted by ブクログ
「長い文章はChatGPTが要約を返してくれるので本を読む必要はないです」
あっけらかんとした顔でこちらに返事をする、ゆるい絵柄の女の子が帯に描かれている。私は書店で一目見て腹が立った。まるで読書に興味のない若者を皮肉るような意地の悪さを感じたからだ。
心の中で悪態を吐きながらページを捲った。筆者の前作『映画を早送りで観る人たち』は、私には合わなかった。学生へのインタビューをもとに、若者とはこうであると言わんばかりの決めつけが羅列さてれいるように感じられる本だった。
この本もどうせ中立なふりをして若者をこき下ろすんだろうと思っていた。しかし、実際は逆で、社会や時代の変化によって「本を読めなくなった」人がいるんだと気付かされた。
本好きの自分からすると筆者の指摘はどれも現実感のない主張のように感じたが、読み進めるうちに、社会の大多数は本を読むことに興味がないという事実が重くのしかかってきた。
筆者自身も自分ごととして、危機感や怒りを持って書いているのが伝わる一冊だった。これからの出版はどうなっていくのか、ネガティブな考えを浮かべる前にしっかり現在の状況から目を背けないことが重要だと教えてくれた。
Posted by ブクログ
自分は読んでいて、現世と来世への悲しみ、絶望を受け取った。
しかし、あとがきにて、この本が怒りを燃料にして書かれたとあった。文章に対する感謝を文章にしたというこのあとがきによって、自分の感じた絶望は、いくらか何かの燃料になっただろうか。
Posted by ブクログ
どうすればいいんだろう、と自問しながら読んだ。、若者(とも限らず)が読書から遠ざかっていくのはもう止められないのか。
本が読めるのは特殊技能、続けられる人はさらに稀だと思って仕事はしてきたが…長い文章を読める人が想像以上に少ないことや、検討コスト・思考コストを減らしたい、選択するのも疲れると思っている人が多いことは胸に刻んでおかなければ。たくさんの本を眺めながら書棚を回って、セレンディピティを手にする、それを負担に思うこともあるんだな、と。
Posted by ブクログ
初読。あまり内容が頭に残ってないかも。
221ページあたりはものすごく納得した。この気持ちは自分にもある。自意識への敬遠。
もうテキストメディアは衰退しかなさそうですね。
Posted by ブクログ
本を普段から読む身からすると、本が読めなくなった人の実情を知って驚いた。紙の本はながらで読めないのでタイパは悪い等、これまで当たり前と思っていることは結構変わってきているなと感じさせられる。
Posted by ブクログ
現代のテキストメディアが置かれた状況を理解するには非常に良い本だが、"読書の価値"が少し高めに見積もられていると思う。その前提をあまり疑わずに議論を進めており、著者自身も執筆の原動力は物書きで生計を立ててきた人間の怒りとある。本の題材上仕方がないが全体としては少し既存メディア寄りの内容に感じた。
ただ、長文を読めること自体が、これからはワインやラテン語のような一部の人だけの教養になっていくという考えはとても印象に残り、本書の中で一番納得できる内容だった。
Posted by ブクログ
読書を勧める本なのかなと思ったが、そういう訳ではなく、読書離れはも止められない必然的な流れですっていう論調。肯定でも批判でもない。事実を淡々と。
読書行為はラテン化、読書能力はレガシー化する。
本を構成する10万字は、分割も要約もできない。全体としてしか表現しえないもの。
そういう必然性のもとに編まれたテキストでなければ、本の形式にする必要もないし、デジタルテキストで細切れに配信しても事たりる。読書は短縮できない時間的体験にその価値を置く。
今後、文字以外のメディアに流れつつある「消費者」向けの本が刊行される理由は希薄化し、活字の本はいわゆる「読者」向けにウェイトが置かれることになる。
印刷技術が普及する15C以前のヨーロッパでは、識字率がきわめて低く、一部の聖職者、貴族、学者階級だけがラテン語で本を読んでいた。そのため、キリスト教の伝道などは、直接聖書(ラテン語)を読ませるのではなく、宗教画や彫刻、ステンドグラスといった視覚芸術、朗読や説教といった発話音声、賛美歌、宗教劇によってキリストの物語を伝えていた。文章を読めない人に向け、絵や話し言葉、音や物語で伝えていたのである。
情報取得手段が文章から動画に移行しつつある現代とまったく同じだ。令和の今、「長文を読める人が減っている」「本は贅沢品になった」といった書物を取り巻く状況は、まったく異なる外的要因がもたらしたものながら、読書という行為の立ち位置が過去に回帰しているようにもみえる。
「複雑な論旨の文章が自力で読めます」=「ラテン語ができます」
AIの進化、普及に伴い、プログラミングや英語能力はレガシー化の一歩を踏み出している。もらろん、読書にもその足音がしのびよっており、逃れるのはもはや不可能だろう。
Posted by ブクログ
映画を早送りで見る人の著者である。働いてるとなぜ本がよめなくなるのか、という本から柳の下の2匹目のどじょうをねらうタイトルである。いろいろと取材しているし、ジャーナリズムとしては読ませやすい文章である。学生は卒論には使えないが、読書の自己啓発本としては読めるであろう。
Posted by ブクログ
ライターを生業とする著作が書いた、本はオワコンになりますという、切ない内容の本
人類が文明を作り上げ、文字を発明し、印刷を発明し、とうとう辿り着いたのが
ここなのかと思うと、感慨深いというか
なんというか
でもきっと、これは何かを始めるためには必要なことなのだろう
Posted by ブクログ
あとがきで記されたリアルな葛藤が本書で語られる現状についての深刻さを物語っている。
誰にとっての深刻さかと言えば、ライターなどの文字を書くことを生業としている方達だ。
それは目を背くことのできない事実であるが、本書の中には本を買う理由として、キャラクターにも言及されている。
文字を書くことはHowであり、本質はその人たちの思想や考えを買っているのである。それが文字として質量を持つのが本であり、持たないのが電子書籍。
私はなぜ本を読むのだろう。それでも本を読むのはなぜだろう。理由はそれぞれあるが、知的好奇心はあるものの、紙の本でしか得られないものは自分にとってなんだろう。そんなことを考えた。