あらすじ
著者による『映画を早送りで観る人たち』の待望の続編!
〈倍速視聴〉から見えたコンテンツ消費における〈コスパ〉〈タイパ〉という欲望は、
読書においてはどのように作用しているのか。
本作では、「本を読めない人たち」への徹底取材をはじめ、
テキスト受容を取り巻く読者と出版社/ウェブメディアの現状をリポートする。
一体「本を読めなくなった人」は何を考えているのか。
2010年代以降、本が読まれないことが当たり前になるなか、
ほとんどフォーカスされてこなかった。
生の声を取材することで、現代社会のメディア状況への考察を深めていく。
【目次】
プロローグ
第1章 ニュースを無料で読む人たち
――無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち
――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
第3章 本と出合えない人たち
――無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち
――聖域としての書店
終 章 紙の本に集う人たち
――読者と消費者
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Posted by ブクログ
話題の新書。
タイパやコスパから若い人たちの本離れが進み、出版物の減少や書店の減少など本を取り巻く環境が厳しいのは知ってはいたが、ここに書かれている内容は想像以上だった。
本屋に行って買って読む。こういう当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなる。
将来、本を読むこと自体が特殊な能力となり、一部の階級層しか本を読まなくなる。
暴論にも聞こえるが、本書を最後まで読むとこれが暴論ではないことがよく理解できる。
読めなくなった人々のインタビューにはハッと気付かされる話もあり、当たり前と思っていた読書習慣が一方ではこうも見方が違うのか、と驚かされる。面白かったです。
Posted by ブクログ
筆者は本書執筆の根底に怒りがあると書いていたが、本文はかなりバランス感覚に優れたフラットな語り口なのでストレスなく読める。問題の整理の仕方も結論も納得できる。特に〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉という二項対立分析は面白かった。
Posted by ブクログ
「読めなくなった人」であって、「読まなくなった人」
ではありません。どう言うことでしょうか。
「読み、書き、そろばん」という人として身につける
べき最低限のスキルを並べた言葉があります。
日本の義務教育を受けた人であれば、誰もが身に
つけているスキルです。
しかし、大人になるにつれてこのスキルが怪しく
なります。
まずは、そろばん。つまり計算は電卓に取って
代わり、書き=漢字変換は「読めるけど書けない」
状態になります。
そして「読み」です。
これも危険水域に入っているのが多いというのが
本書の主題です。
「え、でも現代ほどネットで記事を読んだり、
メールなどの文章に触れる機会が多い時代はないの
では?」と思われるかもしれません。
しかしそれはちょっと前の話であって、今は動画
や140字以内のSNSなど、短いメディアに人々は
集まっているのです。
そしてそこに要約する能力を持ったAIがトドメを
刺しにきています。
もはや長文を「読めなくなっているのです」。
ただこの本では「本を読む」という行為は昔から
一握りに人が好んで行っていた行為であって、
「読まない」「読めない」人が出てくるのは仕方ない
としています。
むしろそれにより出版という産業が衰退してしまう
ことに危機感を抱いています。
その潮流を理解することができるだけでも、
「読める人」である意義を感じる一冊です。
Posted by ブクログ
すごく現実的な本で、納得感しかなかった。
この手の本って、「本を読める人」が報われる事が書いてある事が多かった気がするけれど、この本はハッキリ言ってしまえば、読書を楽しむ人、本が好きな人が読むと報われなくて悲しくなるかもしれない危険な本だ。
ネットニュースの件は、こういう人だらけになったら世の中どんどん変な方向へ流れる気がして恐ろしくなった。
特に選挙に関しては、とても危険な気がした。
Posted by ブクログ
本編を読んでいる間は星4くらいの気持ちでしたが、あとがきを読んで筆者の気持ちに感動したので星5にしました。
『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』の時から、理性的だなと思っていた。
この本でも、書くことを生業にしてる筆者からしたらインタビューしててイラッとこないのかな?とか思ったり個人的にXをブロックしてる業界で名の知れた人2名が引用されてたり、冷静ですごいな、と思っていたのがあとがきで筆者の感情に触れられて心動かされた。
p284から引用
不愉快なのだ。人が、人の頭で捻り出し綴った文章に、敬意とお金が払われないという状況が。
一言一句同意の気持ちです。
私は、YouTuberの動画や、説明が字幕でだらだら出るものが見ていられないです。
喋ってる人の感嘆詞的なもの?感情は飛ばして事実だけ知りたいとか思うので、本だったりwebでも動画ではなく記事?文字で読みたい。
でも最近地獄なのは、プロ以外の文章が溢れかえってること。
Xでは真偽不明の思い込みや偏見からの世界の問題に対しての口出しに辟易してます。エビデンス、論文引用、とかそういう慎重に精査する姿勢がはなからなく、ただ拡散されることを目的にしている。
一昔前は、専門家にすぐにリーチできるのがTwitterの良さと思っていたのが、今や権威も何もへったくれもない正当な学問ルートを経ていないアカウントが謎にフォロワー数多く拡散力も高く重宝されているのが恐ろしいです。
一定以上の人は、静観していて、相手にしてないと思うのですが、本気にしていて情報源にしてしまう大人がいるのが恐ろしいです。
アテンションエコノミーで認識が止まっていたので、エンゲージメント志向について学びでした。
言われてみれば…そうだ泣
自分が詳しく知っている分野の話であれば、観察していたら事情がわかるので、メディアの記事に対しておかしいなと気付けるのですが、いまや、その記事がオタク以外にも届く時代。誤った記載でも一般の人は気づかず、その記事の内容を真実と思うのが嫌です。
書いたもん勝ち。エンゲージメント志向ではなく、いまだにアテンションエコノミーな◯◯◯◯PRIMEとかやだなーとか思うのですがエンゲージメント志向はそれはそれで事実をねじ曲げてる感じもあるしで、ジャーナリズムがどんどんしんでいくのを目撃していくのかと悲しい気持ち。
プロが書く文章が生き残れるのか。
少し前からPixivで小説も読むようになった時に、すごく、読みづらいなと思いました。編集者の指摘も校正も経ていない素人の書く文章のクオリティ。
同人はそんなものではあるけれど…………自分が15年近く前?に読んでいた二次創作同人誌小説はそんなに引っ掛からなかったような。
自分がその間にたくさん本を読んだので変わったんですかね。
編集者とともに作られて校正の目も通った文章はやはり精度が高く評価されるべきと思いたいのですが、支持する人数が減ると資本主義社会では、お金が回らなくなり軽視されていってしまうのかも知れないと思うとさみしいですね。
この本の中で答えてる学生の人たちで本を全く読まない人が、本を下げて他の媒体で知識を吸収できてるみたいなことを言うのは普通にムカつきました。
よく著者は冷静に聞けたなぁと感心してしまいます。
10代後半なりたてみたいな若造に何がわかるんですかね…とか思ってしまいました。
新社会人の時に、色々悩んで、自分なりの解決策は本を読むことでした。
専門家が知恵を残してくれたものだから、そこに答えがあるはずという。
書店に行ってCDのようなジャケ写買いは20年くらい前からしてました。今でも書店に行って、読みたい本を探します。その時の自分の関心は何かな、今の話題の本は何かな、と。
本屋さんに慣れていない人の視点について、ファッションセンスの例えはなるほどな…とは思いましたが………。
なんか問題すり替えられたような気もしなくもないような。
自分の頭で考えて、調べたい、知りたい、学びたいと思えばどの本を読めば良いのか絞られてくる気がする。
ネットで調べたり(最近はGeminiにおすすめの本を聞くこともあります)、人に聞いたり、著名人のおすすめの本を参考にしたり。
自分は、ストラングスファインダーの上位5つの中に学習欲があるのでその傾向が強いからかもですが、そう思わない人がいるというのは中々に隔世の感。
本は高くなるし、素人の発信は増えるし、この先の社会は人々が何の情報にすがれば良いのか怖いけど 頑張って生きていくしかない…。
本消えないで欲しい。
永遠だと思ったwebの情報が消えているのはなんとなく実感していて、それが事実になっていると思うと、エビデンス勝負になった時こわいな。
取り留めなさすぎる感想ですが…
多くの人に現状を知って欲しいので読んで欲しいです。
Posted by ブクログ
私がSNSで文章と動画、どちらも発信する仕事をしているから、すごく刺さる内容だった。
特にテキストメディアの衰退についてが面白かった。
今ネットで読まれる記事。
それは、資金や時間をかけた質の良い記事ではなく、
シンプルで短く、目を引く記事。
特に、他人の不幸、エロ、マンガ、クイズ。
記事の優劣よりも、関心、注目に経済的な価値が置かれるアテンションエコノミーの時代。
大衆は掘っておけば、わかりやすく刺激的なものしか読まない、受け付けない。
そんな時代において、
本を読むことがどんどん日常から遠ざかっていくのは、もはや避けられない。
特に若い世代では、短く、すでに要約されたショート動画のような情報の受け取り方にあまりにも慣れている。
スマホの中から数百から数千字にまとめられた様々なコンテンツを常に受け取っている人が、
何十万字も綴られた一つのコンテンツ=本を読むことにハードルを感じるのは当たり前。
本を読めることが、将来的には特殊な技術となる日がくるかもしれない。
Posted by ブクログ
岡田斗司夫先生の動画で著者が出演しており、動画と合わせて読むと理解が深まった。確かに最近の人達は、わかりやすさ(わかりみ)に偏り過ぎている。おもしろみに力を入れよう
Posted by ブクログ
コスパ・タイパを重視し、情報収集も時間がかかる文章を読むという行為より、ショート動画を好む現代人。このまま状況が進むと読解力は低下し続け脳の使い方が変わる?
Posted by ブクログ
趣味としても情報を得る手段としても、他の選択が増えたことで本を選ぶ理由が減ってるってのは実感する
自分が本読む理由はなんだろう。時間をかけてゆっくり一つのテーマについて考えること、情報の氾濫から距離を置くデジタルデトックスとかある種の瞑想あたりかな。少し批判的な意見が出ていたセレンディピティを楽しんでいるのもあるけど、正直仕事が忙しくてそれどころじゃない時も多い。
クリアに自覚はしてなかったけど、本書で指摘されてる自分が文化的であることを確かめ、選民的な優越感に浸ってる節もなくは無いなと思う。
Posted by ブクログ
若者に本を勧める時の参考として読んだが、そんな必要はないのかもしれない。彼らは彼らのツールで学んでいるし、私よりも飲み込みが早い。
本を読んでいる自分に酔っている部分は確かにある。指摘されたようで少し恥ずかしくなってしまった。
Posted by ブクログ
とっても面白く示唆に富んでいた。特に20代前半の部下と仕事をしていると、長い文章や書籍を読みたがらないので、不思議に思っていたが、そもそもの育成環境が違うことで、我々にとっての当たり前とは違う世界の当たり前を認識した。タイトルから中身を誤解しそうだが、想像とはかなり違う内容の本で、本を読まなくても大丈夫な人たちからの声を集めたルポの体裁をとっており、読んでいくとパラダイムシフトを感じる。一方で、紙書籍・本屋の問題も深堀りされているなど、本を普通に読む人で、若い人たちと接点がある人の必読書と言える。
Posted by ブクログ
前作『映画を早送りで観る人たち』を読んで大変興味を惹かれたため、著者の稲田豊史さんの新刊である本作も手に取りました。最近、仕事でのコミュニケーションがLINEやSlackなどの短いやり取り中心になり、「行間を読む」「複雑な情報をテキストで交換する」機会が減ってきているという私自身の課題感とも一致し、非常に深く読み込むことができました。
本書の中で驚かされたのは、YouTubeの要約動画などで本を理解した気になっている大学生や社会人の実態です。自分の力で読み解くことをせず、誰かの要約に頼ることで、読書という体験そのものが遠ざかっています。特にショックだったのは、小学1年生にとって娯楽の頂点がYouTubeであり、アニメ、漫画と下っていくにつれ、活字の多い絵本を読むことが「刑罰のようだ」と表現されていた箇所です。現代の若者は生きることに精一杯で、仕事やレポートの効率や時間生産性を重視するあまり、要約やAIの活用に走らざるを得ない実情があることが分かりました。
また、「目的もなく本屋をぶらぶらして本を探す」という行為が、今や一定のゆとりがある「富裕層の趣味」として位置づけられているという指摘は大変印象的でした。私自身、読書は情報を効率よく取りに行くツールではなく、読んでいる時間やプロセスそのものを楽しむものだと感じています。「ゆとりがある人しか読書を楽しめていない」というまとめには衝撃を受けました。
幸いにして我が家の子供たちはいま読書の楽しさに目覚め、日々大量の本を読み進めています。効率化を目指すだけでなく、本を読むプロセス自体が喜びであることを感じ続けてほしいですし、親としてそれを全力で応援していきたいと強く思いました。若者だけでなく、大人も含めた社会全体の傾向と課題を突きつけてくる、非常に示唆に富んだ一冊です。
Posted by ブクログ
本好きや読書家は名乗れないが、本を読む自分が好き、というあまりに現代的で印象の良くない自己認識が可視されたようで少々居た堪れない気持ちとなってしまった。しかしWEBをはじめとする世界のあり方が大きく変わってしまった現代における文書をはじめとした文字の力を前提とした業界とそれを取り巻く人々の思考、生活の変化は全く他人事でないし、それを気をつけよう、や改めよう、でなく今後文章の価値の低下していく世の中で自身の実利にどう向き合って本を読んでいくのか、読んでいく意味があるのか、考えさせられる内容となった。自身の結論としては今後少数派になる読書という行為をコスパだけで捉えるのではなく、自身の贅沢な娯楽として捉え、それは能動的な情報取得という、動画コンテンツ全盛の現代における受動とは異なる姿勢の強化に繋げれれば幸いだと思う。その姿勢がどの程度自信を強く、変えるのかは知らないが。
著書の姿勢もまた業界に深く関わる立場として熱意が感じられたし、応援したい気持ちにもなった。業界の声を生で聞けている感覚もあったし、自身の娯楽である読書を通してこういった人たちの少しでもの応援になれればと願うばかりである。
Posted by ブクログ
若者のインタビューを通じて、本はあくまで一つの題材で、情報摂取の行動様式を洞察した本といえる。その要因としてやはり大きいのは、ジェネレーションギャップというよりは、スマホの登場、そのうえに、ニュースアプリ、SNS、Youtube、サブスク動画サービス、電子書籍(漫画)などがかなりリッチに搭載され、指先1つで接する事ができるようになったからだろう。
そして、動画や音声メディアはいわゆるながら消費ができるが、テキストに向き合うとき、認知は全てそこに注がれるがゆえ、集中力というなの能力が求められる。とある番組で、これをMPという表現をしててなるほどなと思った。
こうした社会環境の変化によって本を読むという行為は読書そのものを楽しむものと、何か実利、明確な目的があって読むものと二極化していく。
後者の方は上記のようなあまたある情報選択の1つニしか過ぎない。
Posted by ブクログ
シンプルにグロテスクだなぁと…
SNS、ネット記事、書籍切り抜き、動画、AI…etc
文章という概念の価値の低下や興味の消失、コスパという物差しで趣味も勉強も図られてしまう現代センスもなかなかに怖い
個人的にハッとしたのは読むのではなく知れればいいという感覚やそもそも文章を読む能力の程度によって他のコンテンツに流れ込むという事実
今でこそ楽しんで本を読んでいるが、少し先の未来では文章を楽しむことができるのだろうか
Posted by ブクログ
本を読む人間は多くない、と薄々感じていたけど…これは想像以上。
特に本を読まない理由を綴った第2章の〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉が興味深い。
なるほど、求めるものが違うって事か。
確かに自分が読書に何を期待しているかというと〈おもしろみ〉なんだよねえ。
自分には知らない物事や世界がたくさんある、と気づかせてくれる。
そういう体験を面白がっているところはあるなあ。
第4章ではドライな意見が多数あって軽く呻きそうになった。
中でも『(本を読んでる人は)本が好きな私が好き』って意見はなかなか辛辣。
でも『本は嗜好品』っていう意見には納得した。
タバコとかコーヒーと同じように、好きだから読むし、こだわりも出てくる。
今までは人に「読書が趣味です」って言いつつも、なんかしっくり来なかった。
それが『本は嗜好品』というワードを見た瞬間「これだ!」ってなった。
これまで言葉にできなかった自身の感覚を、本に対して否定的な意見を持っている人に教えられる。
こういう事があるから本って好きなんだよな。
Posted by ブクログ
人が本を読まなくなる仕組みがよく分かります。技術の発展により社会構造が変化し、文章の価値が落ちている。大衆は動画を早送りして見て、コンテンツを消費する。
私は、そんな時代だからこそ活字に触れる人の価値が上がると感じます。自分の読書は自己啓発書やビジネス書に偏りがちだった点は反省しつつ、習慣となっている毎日、新聞を読むことは継続したいと思いました。
「スマホ脳」と関連付けて読むとよいかもしれません。
Posted by ブクログ
文章の経済的価値が下がっていて、「ながら」ができない読書はコスパ、タイパが悪い…なのに私は毎日読書をしている日々がとてつもなく楽しい
自分は少数派なんだなと思った
それなりに時間もお金もあるから本を買って読める
その時間やお金があるなら他のことに使う人が多数派な現代で、それでも私は本が読みたい気持ちがある限り本を読み続けたい
Posted by ブクログ
誰に向かって書かれた本なんだろうと、何度か思った。本を必要と感じていない人たちにとっては、多分手に取ることがないであろうと思われるし。読む人であり、送り手の一部を担っていると思っている自分にとって、気付きとなる部分もあったが、やはり、本を手に取ることがない人たちとはどこか分かりあえる気がしない、というのが正直なところである。著者は「異文化」とあとがきで綴っているが、そうであれば、なおさら理解しようとする努力は必要なのだろう。「必要性」「実用的」といった面から離れる事はできるのだろうか。
Posted by ブクログ
PCの入力デバイスであるキーボードが好きで、かなりこだわって選んでいます。ただ、キーボードは良いものになるほどJIS配列が少ないんですよね。高額な製品ほどグローバルで売りやすい(ターゲットの多い)US配列が中心になるのも、まあ自然な話です。なので、あるタイミングでマイナーな配列のJISからメジャーな配列のUSに切り替えました。慣れるまでは多少コストがかかりましたが、今ではかなり快適に使えています。
この本を読んでいて、20代以下の人たちの声に触れると、情報を得る手段として有料の長文を読むことは今後ますます廃れていくのだろうなと感じました。私自身は、同じ内容を把握するのであれば、動画を数倍速で見るより本を読んだ方が理解が早いので、長文が減っていく未来はやはり不便で、残念ではあります。ただ、それが社会の流れなら、キーボードの配列を変えたように仕方ないので適応していくしかないのだろうな、とも思います。
本書では、情報を得るため、あるいは実用のために本を読む人を「消費者」、世界観に浸ったり、思索や教養のために本を読む人を「読者」と定義しています。感覚としては、私はやや読者寄りです。ただ一方で、本書では読者の特徴に物理的な本を所持するというのが書かれていますが、物理本は私にとっては場所を取るという意味で嗜好品なので、そう気軽には買えないとも思っていますし、いわゆるそうした集団に属したいわけでもないんですよね。綺麗な単行本には憧れるんですけどね。
あと、個人的には、読書をコミュニケーションと強く結びつける見方には少し引っかかるところもありました。そもそも、積極的に人とつながりたいタイプだったら本なんて読んでないのは?という気がします。
全体として、長い文章を読むことと知性は関係がない、ということが何度も書かれており、そこは個人的に好感触でした。長文を読めることは、あくまで一つのスキルにすぎず、それだけで頭の良さが決まるわけではないと私も思います。また、本来は本なんて読みたくなかったけどほかに手段がなかったから読んでいた層が、本を読まなくなった、から本が売れなくなっているというのは、人の属性は昔も今もあまり変わっていないにも関わらず出版数が落ちている現実を上手く説明できていそうだなという気がします。
逆にいまひとつだったのは、マズローの話を持ってきたところですね。ちょっと無理があるのでは、という気がしました。ただ、文フリの参加者増加などを見ると、ズレているのは私の感覚の方で、一般的には案外的を射ているのかもしれません。
Posted by ブクログ
<目次>
プロローグ 本を読まない人は世界をどう見ているのか
第1章 ニュースを無料で読む人たち~無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち~<わかりみ>と<おもしろみ>
第3章 本と出合えない人たち~無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち~聖域としての書店
終章 紙の本に集う人たち~読者と消費者
<内容>
ショッキングな本だった。稲田さんは前作の『映画を早送りで観る人たち』もショッキングだったのだが、自分は映画をあまり観ないので、対岸の火事という気持ちもあった。しかし本という、自分のテリトリー内の話であり、子どもたちを見ていて、「本を読めないな」と感じていたので、そこと重なり、「ズシーン」と来た。
今回の手法は、多くの若者にロングインタビューをして、分析をしている。単純なアンケートでないところがポイント。そこから、「本を読まない」のだが、実は「本を読めない(長文を読めない)」ということがわかる。また本が重要なことを書いていることはわかるが、自分にはそれを読む必要性を感じていない、という。タイパやコスポはもちろん、「必要性」というところが大事。一方で、マスメディアも、情報の無料配信や要約、chatGPTなどを出してしまった結果、自分たちの首を絞めている。本屋もそのとばっちり(?)で縮小するしかない。また「紙の本」はもはや趣味の世界になってしまっている。「消費者」を対象としたものではない、との分析は理解できた。
Posted by ブクログ
本を読めなくなった人たちの、文章をめぐるホンネが明らかになった。色々な気づきがあった。印象に残った点を記す。
まず、実利性の高い本を求める読者が増えていること。多くの人は明確な悩みを持ち、それを解決するための手段として読書をしている。著者は、マイナス状態からの脱却のために本を読む人が多いと述べている。
また、本をたくさん読んでいる=賢いとは限らないという。何を読むかが重要なのである。
現代の読者は、すぐに答えを求める傾向がある。知らない単語が出てくるだけで読むのをやめてしまう人もいるという。本来、読書とは未知の言葉や概念に出会い、それを学ぶ営みである。
さらに、わかりやすさが求められ、賛成か反対かを明確に示さないと読まれにくい傾向がある。
読書は動画と違い、ながらができず、コスパ・タイパが悪いと感じる人がいるとのこと。
紙の本を買う行為は、徐々に余裕のある人のものになりつつあるという点も印象に残った。
Posted by ブクログ
本を読まない、読めないのはZ世代に限らずゆとり世代の自分も同じだなと冷静になった。この本は気になって買ったその日に一気に読んだけれど、本当に内容掴めているか不安になった。
長文読解力については現在進行形で感じていることなので、今更変えることはできないかもしれないけど活字に触れ続けることで維持はできるかもなとも思った。
Posted by ブクログ
そもそも長文を読む能力は特殊能力であり、その能力を持たない人たちは、仕方なく我慢して読んでいただけ、という点が目から鱗。
以前の「奪われた集中力」ではスマホやインターネットのせいという書き方だったと記憶しているが、それはもともと読めた人たちであって、ほとんどの人は読みたくないものを我慢していただけ、とは。
我慢していた人たちは情報収集手段として読んでいたので、他の手段(動画や音声)ができた今、読む理由がない。という説は結構説得力がある。
ただ、文字の方が圧倒的に優れている点もある。日本語は表意文字なので、ジャレド・ダイアモンドなどは用語を音で聞いてもわからないが、文字だとわかる、ようなものもある。そういう本はそもそも読まれなくなり、その分、文化レベルの低下は表音文字言語より大きくなりそうで心配。
また、現時点では有益と思われる各種の情報は圧倒的に紙の文章で存在しているため、情報の質も桁違いであり、読んでも読まなくてもいいという状況ではない。
読書の2次的な効果も考慮すると、読まなくてもいいという判断は今はできない。
ただし、既製服がない時代、母親は洋裁必須だったが、その時間が社会進出時間になったと思えば、読書もまた同じようになっていくことが悪いとは言えない。別の可能性が出てくるはず。
一方、デジタルメディアは偏向傾向があるので、操られやすくなるという危うさがある。これはこれで何らかの対策が必要。
文章の価値が下がるため、ライターが生き残れなくなる、本が出版できなくなる、本は趣味の一つになる、と言う予測はなるほどど思う。もうすでにそうなっていると思う。
本を読んだからって頭が良くなってる気はしない、と言う実体験の理由が理解できる本。
Posted by ブクログ
メディアが変化してきた過程、長文が読めなくなる人が増えるメカニズムなど、非常に分かりやすく書かれています。
大量の注釈を付けることで、文章がスリム化し、長文が読めない読者でも読めるようになっているところが凄い!
そして、より深く理解したい人は注釈をじっくり読むことで、内容の薄さは感じないはず!
Posted by ブクログ
最近、読書を負担に感じることが増え、タイトルに惹かれて本書を手に取った。動画やポッドキャストで情報を摂取する機会が増え、読書のような集中を要するメディアから遠ざかっていた自覚がある。しかし、昨今のAIによる粗製乱造なコンテンツの氾濫を目の当たりにし、改めて読書の有効性を再認識させられた。
本書が強調するのは、長時間読書ができるという状況がいかに恵まれた環境かという点だ。同時に、若者にとって読書のハードルが想像以上に高いことが、インタビューを通じて明らかにされている。
親の経済力による優先順位の低下や、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視する姿勢。現代は、読書をしなければならない必然性がないのだ。また、長年疑問だった「読書量と学力の相関関係」が必ずしも成立しないという指摘には、深く納得させられた。
昨今、分かりやすさを重視するあまり、既視感のある本が増えたと感じる。編集現場で専門用語を避けるよう指示があるという裏話にも合点がいった。分かりやすさを追求して質を落とすことは、結果として読者層をさらに狭め、出版業界自らの首を絞めることにならないだろうか。
私は知的好奇心を満たすために本を読んでいる。そこに効率は求めていない。本屋へ足を運ぶのもセレンディピティ(偶然の出会い)を求めてのことであり、明確な対価を得るためではないのだ。
もし若者に「なぜ本を読むのか」と問われても、「人生の解像度が高くなるから」としか答えられない。
効率を求める姿勢を否定はしないが、ふと目を向けた先に違う見方があることに気づく人が増えてほしいと願っている。
Posted by ブクログ
著者の以前の作「映画を早送りで観る人たち」が面白かったので、こちらも読んでみました。
そちらは、新しい切り口や見方が提示された感があって、読んでて発見が多かったのですが、
本作のテーマについては、普段(若い世代でなくても)感じている通りというか、新しい気づきが前作より少なく感じたので、ちょっと残念。
AIや短文化、ネットでの流行情報収集以外にも読まれなくなったメカニズムがありそう。その辺を掘り下げて欲しかったかも。
Posted by ブクログ
スマホとSNSとAIは、あっという間に私たちの情報環境を変えてしまった。本書が紹介する若者たちの証言は本当にぐさりとくる。
タイパ良く、文脈関係なく、簡潔な結論を簡単に手に入れる。そんな環境の中では、本を読む道理が見つからない。情報を手に入れる「だけ」の本はいらないのだ。
本は消費される情報「だけ」ではない。建築と同じく、総合的な「体験」でもある。しかし、そこを知らなくても生きていけるし、知性を磨くこともできるといえばできる。そういう時代になったのだ。
とはいえ―。
多くの人たちが考えなくなり、話し合えなくなり、怒りをぶつけるしかなくなるような社会になりやしないか。ただただ不安だ。
Posted by ブクログ
現代人は本を読まないどころか、文章を読む能力が退化しているという。ところが、文章を読むのとは異なるスタイルで知性を鍛える若者もいる。本を読んでいるからといって頭が良くなるとは限らない。読書は時代遅れ、わざわざ書店に行ってお金を払って、偶然の良書との出会い(セレンディピティ)を期待する行為は、時間もお金もある余裕の人だけのもの。紙の本屋は無くなって当然。自称「読書家」は、読書をしている自分の姿に酔っているだけ・・・などなどバッサリ。
読書を続けることで自分を励まし奮い立たせてきたが、薄々と気づいていた自分の痛いところ(思慮の浅さや、有意義な読書はできていないこと)をしっかり炙り出されるという、ショッキングな一冊。「お前が今までやってきたことは、読書なんですか?読書会なんか意味あんの?」と責められている印象を受けた。読後感は非常に悪いが、筆者の指摘は確かに思い当たるところがあるので、星3つとした。
Posted by ブクログ
ここに集う年季の入った本好きの皆さん、近年本、特に情報系の新書の質が著しく低下したと思いませんか?
うっすい内容の本を粗製乱造して、おまけに価格も爆上げしてマーケットがシュリンクしていくと嘆かれても「そりゃないぜ」と感じてしまう。AIによって低コストで文書生成できるようになり物書きの食い扶持が危機にさらされると言うが、我々は本が伝える情報なり思想なりにお金を払っているのであって、文章自体に払っているわけではない。AIと同様何ら新規性がない文章しか書けないコタツ記者のようなライターが淘汰されるのは当然だ。量産効果がなくなって出版物の価格が上がるのは痛いが、悪貨が駆逐されて質が上がるのならそれも良いと思う。
もとより読書なんてのは将棋や囲碁と同じように特殊な能力と趣向を持った一部好事家の趣味であって、国民全員がすべきものでもない。特に金銭的な余裕のない学生だけにインタビューして全体像を語るのは片手落ち、もっとはっきり言えばミスリードではないかと思う。