稲田豊史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
離婚経験者へ離婚へ至った顛末をルポルタージュしたもの。類書に例を見ないのが、対象者が全員男性で、夫側の言い分しか載せていないことである。
離婚といえば、一般的には女性側が被害者というステレオタイプな見方が支配的だと思うが、普通に考えてみれば、男性側が被害者である場合も多々あるはずである。男尊女卑な社会であるこの国では、男性が弱音を吐くことに社会的な抑止力がはたらくせいなのか、なかなかメディアに取り上げられること自体が少ない。
本書には13例が取り上げられているが、衝撃的だったのはCase#08の、東大卒ITベンチャー企業のCEOの事例である。トライアスロン選手としても優秀な方なので、文武両道、まさにこの社会の頂点のような方である。そんな方が、心身共に疲弊し、探偵と弁護士を雇い、壮絶な離婚を経験したことは本当に驚いた。
とても意義深い注目の新書だと思う。 -
Posted by ブクログ
おもしろかった!
冒頭では、「ニュースを無料で読む人たち」が引き合いに出される。本書を手に取った際に知りたいと思っていたこととは別の話が始まってしまうのではないか。読み始めは、そんな危惧を抱いた。
しかし、あくまでその話題を起点とし、筆者と「本を読めなくなった人たち」とのグループセッションを通じて、出版を取り巻く環境や社会全体の変化も含め、表題の問題について考察を深めていく構成になっている。
良かった点
* グループセッションの対象を現代の若者に絞っていること
* それによって、本離れの最前線にある実態を、当事者の生の声から知ることができること
* 「本好き」を礼賛する内容になっていないこと
グループセッションについては、あえて若者に対象を絞ったことが功を奏していた。
動画世代が語る「本を読まない理由」は、意外にも聞き慣れないものではなく、私の周囲にいる、本を読まない社会人たちのそれとほぼ同じだった。
本離れ自体は、動画が覇権を握る以前から繰り返し論じられてきた問題である。にもかかわらず、ネット黎明期以降に顕在化した読書離れ層の態度、いわゆる「ネットで調べればすぐにわかるのに、本を読む意味はない」という考え方は、少しも進歩することなく、ただ再生産され続けている。
それは単に「本を読まない人間は思考が浅い」という話ではない。むしろ、若い世代にとって読書という行為が、もはやその意義を深く考える必要すらないほどに透明化している、ということなのだろう。
また、この手の新書にありがちな、若者世代の理解しがたい価値観を対立軸に据え、それによって若者以外の多数派世代に迎合するような姿勢が見られなかった点も良かった。
あくまで冷静に若者の意見と向き合い、本を読まない人々の意見に筆者が賛同する場面も少なくない。
なかでも、最近、私自身も目につくように感じていた「自称本好き」への冷ややかな視線については、首肯できる部分が多かった。
読後、私なりに、本を買って読むことの意義について考えてみた。
本屋へ行くのは、「偶然の出会い」を求めてのことでもある。しかし、私にとってはもう一つ、重要な目的がある。それは、最近よくモヤモヤと考えているものの、うまく言語化できずにいる事象について、その輪郭を捉え、名を与えてくれそうな本を探すことだ。
その役割を担うのは新書であることが多いが、人間関係や仕事の悩みを小説に当てはめ、そこから考えを広げるヒントを得ることもある。
本書を読むことで、当初の目的であった「動画が覇権を握る時代に、なぜわざわざ本を読むのか。その理由を、本を読めなくなった人たちに対して、筋道立てて説明できるのか」という問いに対し、理路整然とした答えとまではいかないものの、いくつかの手がかりを得ることができた。また、議論の相手となる人々の背景を、その生の声を通じて知ることができた点も大きい。
さらに副次的な効果として、SNSや書店で見かけるたびにモヤモヤしていた、「本を読む自分」をことさらに喧伝しようとする人たちの感覚について、同じ時代を生きるライター自身もまた、似たような違和感を抱いていると知ることができた。
直近では、「ひとつの場所に集まって、音楽を聴きながら、みんなで同じ本を読む様子」を動画で見た際にも、同じようなモヤモヤを覚えた。本書を通じて、その違和感に言葉を与えられたような感覚があった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1ページ1ページに納得や、「そういう風に考えるのか」という新鮮な発見があり、読み物としてすごく面白かった。興味のある内容なだけに夢中で読み切りました。
でも読んでいる間ずっと、「私がおばあちゃんになる頃、本はどうなっているのかな」という不安に襲われていた。色々と考えさせられた。今までも出版不況だとか、本屋が消えていってるとか、本が高いとか、ニュースで見たり実際に感じることもあったけれど、あまり深く考えたことがなかった、というか、考えないようにしていた気がする。私はただの、たまに小説を読む、一読者でしかない。業界の人たちは頑張っているのだし、本はなくならないだろうと。
でも、確実に、その悲しい未来は現実として迫ってきているんだな。
後書きで「今は過渡期なのだ」と書かれていて、本当にその通りだなと思った。私も小学生の頃からスマホを持っていたら、本なんて見向きもしなかったかもしれない。それに読書をしなくても賢い人は死ぬほどいるし、読書をしても頭の悪い人(言い方最悪ですが…)も沢山いる。と思う。読書は必須の教養ではない。
これだけ周りに情報が溢れ、みんな忙しくて、物価高で、時間もお金も気持ちにも余裕を作りにくい時代に、便利で楽な方法や道具に頼るのは当たり前のことだ。私も社会人になってから数年は、活字の本はほとんど読んでいなかった。本と向き合う気力はなかった。嗜好品、という表現に非常に納得した。そうなっていくだろうな、と。
感想が段々と自分語りになってしまい、本書の「本が好きな自分が好き」という痛烈な指摘を思い出してしまった。この部分だけはうん、ちょっと意地悪じゃねと思ってしまったが…だって本好きの陽キャ(snsも交流も大好き)だって沢山いるんじゃないか?その層を冷笑してしまうと、ますます読書への入り口が狭くなるし、人の「好き」の発露の形をうっすら否定するのはどうなんだろう、とか…。確かにそういうsns投稿を見て内輪感や近寄りがたさを感じる人間もいるかもしれないが、それはどんな趣味界隈にも当てはまることなんじゃないの。憧れから入ることはよくあることだと思う。
ていうか本が好き、って別に尊敬されることでも、高尚な行為でもない。筆者の言う通り、一口に「本」といってもめちゃくちゃ幅広いのだから。
私は基本小説しか読まないしその中でも文学や古典は苦手、冊数も少ないので、「趣味は読書」とは言いにくい。誰かに「そのくらいで…」と突っ込まれたら困るし恥ずかしいからだ。でも確かに自分にもこういう感情があるので、普段読まない人には「読書」へのハードルは更に高いのかもしれない。
文章や本の意義、読書が特権化していく未来…
自分なりにこの本を読みながら「どうすればいいんだろう」と色々と考えたが、みんなまず小説を読んでみませんか?という結論になった。私は本全般というか、特に小説が好きなのだ。アニメもドラマも映画もゲームもYouTubeも楽しいけど、小説、つまり文章で綴られるフィクションでしか味わえない超絶的面白さ、読んだ後の達成感、消えない余韻、は確実にある。これは自信をもって言える。150%ある。私は目が痛くなるから紙派だけど、慣れているなら電子でいいと思う。本書ではあまり良く言われていなかった気がするが(?)、学生時代読んだライトノベルにも、感動した作品がたくさんある。心に残る1冊に出会えたら、「本もアリだな」と思う人間が少しは増えるんじゃないか。母数を増やすしかないよね?
とっつき易い小説から活字に親しんでもらえれば…と考えたけど、結局長文を読む習慣(才能)や、環境・時間がない、という最初の問題に戻るのか。どん詰まりすぎる。
集中力や読解力の差はあれど、長文を読むのに特殊な才能なんているのか?本当に?誰でも興味のない文章は読むのに苦戦するが、没頭できる内容なら読めると思うけどなあ…論点ズレてるか…
でも結局、読書という行為が継続して刺さり続けるのは孤独な人だと思う。色んな意味で。主観で寂しい人間に合う娯楽なんだと思う。 -
Posted by ブクログ
本を読むことに価値がある、文化は残ると言ってってくれ、と祈る気持ちで読み始める本好きたちを粉砕するようなシビアな内容でした。一方で、一冊の本として面白すぎるというところが面白いところです。
いまやもっと便利に素早く情報を得られるメディアがたくさんあるので、本を読むことが富裕層の知的な趣味になるという本書の予想は当たる気しかしません。今欲しいと思った本は迷わず買っておいた方がいいな、と思いつつもお金と時間が足りない(働くと本が読めない)自分がもどかしいです。
個人的に目から鱗だったのは、ウェブの記事は本より短命であるということです。言われてみれば、過去に自分が読んでいた記事って今読めるのか?と考えると大半は消えていそうです。デジタルは永久保存だというのが迷信だということに気付かされました。 -
Posted by ブクログ
「本を読めなくなった人」を、ニュースを無料で読む人、本を読まない人、本と出合えない人、本屋に行かない人、そして紙の本に集う人など、さまざまな角度から分析している。単に「読書離れ」が進んでいるという話ではなく、社会やメディアの変化によって、本の読み方や本との出合い方そのものが変わってきたことがよく分かった。私自身も、以前とは違う形で本を読むようになっており、社会の変化が読書のスタイルにも大きく影響していると感じた。筆者が大学の後輩であることにも親近感を覚えた。前著の『映画を早送りで観る人たち』も、現代の「タイパ」やコンテンツの楽しみ方を考える上で、ぜひ読んでみたい。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では、仕事に忙殺され過ぎ脳のリソースがなくなってしまい、脳を使わなくても安易に報酬(ドーパミン)が得られる動画やゲームに流れてしまう……という話だったんだが、本書では「時間がない」「忙しい」とかではなく、「そもそも読む能力がない」という結論に達してしまっている。
彼らは、例え仕事を辞めるなどして時間ができて暇になってもその時間を読書には充てない。
そもそも、読むスキルがない、らしい。
もはや、長文読解能力は一部の層の特殊能力になりつつある、というのは驚きだった。
自分的には、3分で読んで理解できるものを10分の動画で見るタイパの悪さが許容できず、動画を見るほうが苦痛なんだが、私が3分で読めるものに10分以上費やしてしまう人がいる、ということだ。
しかも、SNSの隆盛や短尺動画の影響で最近増えているとはいえ、「本当は文章を読むのが嫌い」な人たちは以前から一定数いたが、他に方法がなかったから本を読んでいた、とは思わなかった。
もはや読書は、安価で手軽で楽しめる娯楽ではなく、「高尚な趣味」になってしまったらしい。
そして本書を読んで「嘆かわしい……」と思っているのは「本が読める人たち」なので、なぜそうなっているのか、ということは理解できたが、何も問題は解決していない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレyoutubeで勧められていた、本好きにこそ読んで欲しいと言われていた本を読み終わった。
中身を読み進めてみると、、なるほど。やはりこれは本を読まない人を卑下し、本好き所謂読書家を褒める本では無い!最初に印象的だったのは、本を読むことができるのは、恵まれた環境にいるという事実。今の自分が恵まれた環境だったなんて…考えもしなかった!
そして何より読書家イコール地頭が良い、賢いに比例しないということ。私も本が好きだが、エンタメ要素として読んだり、ゼロイチ思考でコスパを考えた読み方をしている経験があり、かなり納得。ちなみに読書エリートは、古典や哲学書を読むとのこと。私は哲学は好きだが古典は読めたためしが無い。
それでも私は、縮小する書店、出版市場を考えるといつまでも紙で本を読みたい、購入してマーケットに参入していたい。さらに、読書でしか味わえない没入感が堪らなくて読み続けていくのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ドパガキの生態。効率がー価値がーとか色々言うけど結局時間的、金銭的余裕の無い人がファスト的に欲求を埋めようとしてるだけだと思った。集中力もなければ好奇心、意欲や興味もないなら無理に映画とか観なくていいのに、と思う。そういう人はショート動画をずっと見てればいいけどそこで話題になるから観てみたくなるんだろうね、でも集中力も興味も無いから早送りしてあんまり面白くないなって。趣味にタイパを求めるのはほんとに意味が無いと思う、どうせ死ぬまでの暇つぶしなんだから詰め込んでもしょうがなくない?
→1章目で紹介される人達が見てる作品が『かぐや様は告らせたい』『るろうに剣心』『東京リベンジャーズ』とか、軒並み見てる人は多いけど映画好きな人は見ないような作品ばっかで、話題についてくために見てる人からしたら、情報を得るためだけの早送りは適正な気もした。見ることに楽しみを見出すなら早送りは有り得ないと思うけど。
→先に結末を見てからもう一度最初から見るパターンもあるらしい。楽しみが減るより、早く結末を知ることができる快感の方が大きいという。
・顧客の幼稚化が進んでいる。一昔前は「分からない」という感想を伝える場が無かったがSNSの普及によって低レベルな感想も共感を得られるようになり、その民意を無視できない製作委員会側の念慮によって低レベル向けの低レベルな作品が増えている。
・内的要因として、周りとの話題について行かなければ、個性的でなければ、という呪縛がある。
○○オタクは知識が無いと名乗れないが○○推しなら知識がないニワカでも名乗れる、ライト層の増加こそ推し活の普及の要因?「自分の好きなものを好きって言いにくくなった」
→時間とお金にかかるコストを異様に気にする現代は、単純に経済力の低下が要因としてある気がする。お金もない、時間もない、けど低くは見られたくない(失敗するやつはダサい)。こういった身の丈にあってない見栄が産んでいるのではないか。お金も時間もあった昔はそうしたことを気にしなかったのかも、と思った。
→夢や進路に過剰に生産性や社会貢献、意味を求められるらしい(エントリーシート、キャリア教育)。意味が無いことには価値がない、役に立たないといけない、回り道してはいけないという価値観が刷り込まれているのかも。SNSで常に同世代を見てしまう、比べてしまうという害もある。
・一日中、したくもない仕事をしてストレスを溜め込んで帰ってきて、あるいはLINEグループの人間関係に疲れ果てているのに、考えさせられるドラマなんぞ観たくはない。だからこそTVドラマにもスポーツ番組にも、ストレス解消という機能を求める。自分にとって快適なものだけを摂取したい。それを突き詰めると、「自分にとって快適な視聴方法で観たい」に至るのは自然なことなのかもしれない。不快だったり退屈だったりするシーンは飛ばしたい。見たくない。
→娯楽といえば楽しむもの、付加価値があるものというように0からプラスになるものだったが、今日の環境では娯楽とは辛い日々を0にもってくものになったためマイナスになりうる可能性があるものは全てシャットアウトされてるのかもしれない。何が楽しいのやら、と思う人は人生に大したマイナスがなく満たされてるんだと思う。自分はそっち側でよかった。
→皮肉なことに、日常が満たされてて娯楽が無くてもいい人は娯楽に質を求め、日常が辛くて娯楽が無くてはならない人ほどファスト的に娯楽を消費しないといけないのかもしれない。ほんとに必要な人にとっては質とか言ってる場合ではなく、即効性と量が必要というのが今のファスト消費の根幹にあるのかも。