稲田豊史のレビュー一覧
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ネタバレ著者による『映画を早送りで観る人たち』の待望の続編!〈倍速視聴〉から見えたコンテンツ消費における〈コスパ〉〈タイパ〉という欲望は、読書においてはどのように作用しているのか。そして「本を読めなくなった人たち」が思うこととは。徹底取材が明らかにする読書の未来
「中央公論新社」内容紹介より
あとがきにある
「今は過渡期なのだ。2026年時点のおそらく30代あたりをゆるやかな境目として、その上世代は書物をはじめとしたテキストメディアによって内面や精神を形成してきたが、その下世代、とくに10代や20代は動画メディアによって内面や精神を形成している。互いにとって互いが異文化であるのは、至極当たり前なのだ -
Posted by ブクログ
ネタバレ現代社会のパンドラの箱を開ける!
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。なんのために? それで作品を味わったといえるのか? 著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、やがてそうせざるを 得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか? いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか? あまりに巨 大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。
「光文社」内容紹介より
なるほどなー納得できる内容.
自分は映画は早送りでは見ないけど、一部の動画は早送りすることがある.またはざっと文字で読んで、目的のところまで飛ばすことも -
Posted by ブクログ
ハッとする内容が非常に多く面白い。
本書で一番印象深かったものが、「ニュースは無料で降ってくるもの」というもの。ニュースではないが、確かに最近YouTubeで検索ほとんどしていないな。。情報を得るのに自発性は必要なく、過去の検索結果からサジェストされる。本やブログなどが廃れる事は「けしからん」とかそういうものではなく必然であると思った。本読まずに動画見ればいい?AI要約見れば良い?うん!その通りだね!時間というものが一番高価な現代ではながらや倍速の出来ず、また労力の大きい読書はあまりに合理的でない。
まあ好きだから読むんだけど。この本が指摘してる様に読んでる自分が好きというのも否定しきれな -
Posted by ブクログ
ネタバレ社会全体の非読化が思っているよりも進んでいたことへの驚き。
加えて、非読化が進む裏にある読書という行為の能動性と、SNSやネットの世界で情報を得る際の受動性の違いに気が付かされました。
話の本筋ではありませんが、「本を読むことが好き」と「本を読む自分が好き」は異なっていて、本を読むことに選民的優越心を感じた上で、本を読むことを目的にしているきらいが、一部の読書家にはあるという指摘に耳が痛かった。
その2つは二律背反というよりも、グラデーションがあるものだと思いつつも、本を読むことが目的にならないように気を付けたいと思います。
また、自分が書店に行くとなんだかワクワクする感じが、
書店は様々な人 -
Posted by ブクログ
趣味としても情報を得る手段としても、他の選択が増えたことで本を選ぶ理由が減ってるってのは実感する
自分が本読む理由はなんだろう。時間をかけてゆっくり一つのテーマについて考えること、情報の氾濫から距離を置くデジタルデトックスとかある種の瞑想あたりかな。少し批判的な意見が出ていたセレンディピティを楽しんでいるのもあるけど、正直仕事が忙しくてそれどころじゃない時も多い。
クリアに自覚はしてなかったけど、本書で指摘されてる自分が文化的であることを確かめ、選民的な優越感に浸ってる節もなくは無いなと思う。
やっぱり効率的に情報を仕入れて成長しないといけないって焦りはある -
Posted by ブクログ
前作『映画を早送りで観る人たち』を読んで大変興味を惹かれたため、著者の稲田豊史さんの新刊である本作も手に取りました。最近、仕事でのコミュニケーションがLINEやSlackなどの短いやり取り中心になり、「行間を読む」「複雑な情報をテキストで交換する」機会が減ってきているという私自身の課題感とも一致し、非常に深く読み込むことができました。
本書の中で驚かされたのは、YouTubeの要約動画などで本を理解したことになっている学生や社会人の実態です。自分の力で読み解くことをせず、誰かの要約に頼ることで、読書という体験そのものが遠ざかってる事実を目の当たりにしました。特にショックだったのは、小学1年生 -
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本好きや読書家は名乗れないが、本を読む自分が好き、というあまりに現代的で印象の良くない自己認識が可視されたようで少々居た堪れない気持ちとなってしまった。しかしWEBをはじめとする世界のあり方が大きく変わってしまった現代における文書をはじめとした文字の力を前提とした業界とそれを取り巻く人々の思考、生活の変化は全く他人事でないし、それを気をつけよう、や改めよう、でなく今後文章の価値の低下していく世の中で自身の実利にどう向き合って本を読んでいくのか、読んでいく意味があるのか、考えさせられる内容となった。自身の結論としては今後少数派になる読書という行為をコスパだけで捉えるのではなく、自身の贅沢な娯楽と
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Posted by ブクログ
若者のインタビューを通じて、本はあくまで一つの題材で、情報摂取の行動様式を洞察した本といえる。その要因としてやはり大きいのは、ジェネレーションギャップというよりは、スマホの登場、そのうえに、ニュースアプリ、SNS、Youtube、サブスク動画サービス、電子書籍(漫画)などがかなりリッチに搭載され、指先1つで接する事ができるようになったからだろう。
そして、動画や音声メディアはいわゆるながら消費ができるが、テキストに向き合うとき、認知は全てそこに注がれるがゆえ、集中力というなの能力が求められる。とある番組で、これをMPという表現をしててなるほどなと思った。
こうした社会環境の変化によって本を読む -
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本を読む人間は多くない、と薄々感じていたけど…これは想像以上。
特に本を読まない理由を綴った第2章の〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉が興味深い。
なるほど、求めるものが違うって事か。
確かに自分が読書に何を期待しているかというと〈おもしろみ〉なんだよねえ。
自分には知らない物事や世界がたくさんある、と気づかせてくれる。
そういう体験を面白がっているところはあるなあ。
第4章ではドライな意見が多数あって軽く呻きそうになった。
中でも『(本を読んでる人は)本が好きな私が好き』って意見はなかなか辛辣。
でも『本は嗜好品』っていう意見には納得した。
タバコとかコーヒーと同じように、好きだから読むし、こだわ -
Posted by ブクログ
同著者の「本を読めなくなった人たち」を読むにあたって既読の本であるが再読。
①映像作品の供給過多。(映画、ドラマ、アニメ、動画コンテンツなど)
②SNSでの常時接続。
③映像で読ませる作品でなく、セリフで説明する作品が増えたこと。
により倍速やスキップ機能を用いて、映像作品を鑑賞する習慣が昨今根付いている。これは若者世代が顕著であるが、全世代に見られる習慣である。
背景として、
①作品の供給過多に対し、サブスクが普及したことで作品のコストが極めて安くなり、気に入らない作品の損切りが容易となったこと。
②常にSNSで友人らと繋がっていることで、膨大な話題作をこなしていかないと話題についていけ -
Posted by ブクログ
そもそも長文を読む能力は特殊能力であり、その能力を持たない人たちは、仕方なく我慢して読んでいただけ、という点が目から鱗。
以前の「奪われた集中力」ではスマホやインターネットのせいという書き方だったと記憶しているが、それはもともと読めた人たちであって、ほとんどの人は読みたくないものを我慢していただけ、とは。
我慢していた人たちは情報収集手段として読んでいたので、他の手段(動画や音声)ができた今、読む理由がない。という説は結構説得力がある。
ただ、文字の方が圧倒的に優れている点もある。日本語は表意文字なので、ジャレド・ダイアモンドなどは用語を音で聞いてもわからないが、文字だとわかる、ようなものもあ -
Posted by ブクログ
正直これが主流とは思わない、思いたくないけど(アンケートやインタビューの相手もそちら側にフォーカスしてる気はするし、著者が反対の立場に立っているのも明らかなのでいずれにせよ偏りのある文章ではある)、でも筋の通った意見なのかもしれない、とおもった
自分の想定外のことが起きてほしくない、娯楽のために見てるから疲れたり辛い思いになりたくない、こんなにもたくさんの映画やら”コンテンツ”があるなかで間違いたくない、正解を選びたい、とか…
新卒とかこれまで学生だった、みたいな人と関わる機会が多く、間違えたくない!の気持ちはたしかに強そうだなあと思うことがある、でもそれはエンタメにも通じる気持ちなのかし