須野明男は石本と中川宅へお邪魔した。石本曰く、
千年に一人の秀才らしい。
明男、石本、中川他木内と韮山で若手建築家の勉強会を開いた。途中人数も増えたが、結果5人だった。『輝く都市』を読み進め、意見交換を行なった。戦争構造学研究所の設立記念パティが千里眼ビルディングで
開かれた。石本は4年前から心に龍を買っていた。というのも元々は飛び級になる程の秀才だった。ところが、2年に進級したときに満鉄の設計図を作成した。しかし、学生随伴員に選ばれたのは明男だった。石本は負けを認められず、仙桃城視察旅行に加わった。
細胞という組織に入っていた。今田から仕事を受け、ビラ配りをした事もあった。細胞のリーダーはKというらしい。石本はkの為に、青年建築家同盟を掲げる事にした。そして青春という冊子を発行する事にした。
主に、石本、明男、中川で構成を組んで行った。
今田から石本へ細胞への勧誘があった。
明男は大学を卒業し、徴兵へ入隊する事になった。
入隊するまでに期間があったことから、青春 の作製に夢中になった。そんな中、使用不明金があると木本から指摘があった。皆んなは中川を疑ったが、石本が使ったと白状した。
そして明男が大切にしていた写真機が売られていた。石本から売った先を聞き出し、買い戻し、明男は青年建築家同盟を脱退した。
年が明け、石本はようやくKと会う事になり、再建方針書を受け渡す瞬間、警察に捕まって、ジリジリと取り調べが行われた。(あくまで拷問はなかった)
明男は徴兵に入隊していた。射撃訓練の後、問題がおきた。2年兵が薬莢がら1つなくしたのだ。上官の命令は天皇陛下と同じ価値を持つ 明男は、なくした本人橋本と薬莢を探す事になった。
しかし、薬莢などなく、2時間が、経過した頃、白澤が倉庫から別の経の薬莢を持ってきた。探していた38口経ではなかったが、別の機関銃班の薬莢なら、上官も文句を言えまいと、その薬莢を持っていく事にした。
戦争構造学長の細川から任命があった。
石本は、日本銀行の総裁に。
戦争構造学を進めるにつれ、地政学、政治の研究が必要だった。その為、仮想内閣を組閣した。
石本は、仮想内閣内の日銀総裁。内閣総理大臣に須野正男。海軍大臣 赤石。陸軍大臣に滝本。
様々な口論を繰り返し、石本は明男との歪な関係、自分へのモヤモヤ、自分の中の龍を呼び起こすように、叫んだ。
1937年。中川は、徴兵に渋々、入隊した。仲間が次々死んでいく中、水島と共に行動した。
真っ暗な中、ただの兵隊として、進む中、耳の横にヒュンという銃声が聞こえ、恐怖でたまらなかった。
暗闇の中、陰部の位置が分からないので、支那人の家に火をつけた。中川はまだ自分は人間なのか 自問自答した。
1938年。
明男は、銅線などの盗難事件を、きっかけに安井との再会を果たす。安井とは、小型写真機を没収した人間だ。その後、集落は消滅したのだ。
安井は、盗難事件は仙桃城八路軍の犯行だ。と言い切った。明男は、証拠を突き止めたが、支那人に再開発を快く思っていないもの がいるだけであった。
明男は、人々の想い、渡せなかった写真、アカシアの木、そして根腐れた実家で、公園を作る事を決意した。
チョリンは、黄宝林と出会った。
黄宝林は八路軍として、集会を何度も行った。そこで、チョリンは銃持つのではなく、救命具をもつように支持を受けた。納得はいかなかったが、チョリンは救命具を持つことになった
またチョヤスは黄宝林に、激怒したが、黄宝林が21時間常に日本鬼子を、殺す為に動いている凄みを聞き納得した。砂時計の3時間のみ自由時間寝る時間も含む生活を送っているのだ。明男が計画していた「ラージャジェン公園」は計画通り進んでいた。燃えない土がなぜつかえないのか、それはアルカリ性であり、畑は弱酸性を好む為でたる。ただ、コンクリートはアルカリ性のため、家の壁に塗って使う事が可能となった。
1939年。
安井は激怒した。仙桃城再建築が白紙となったのだ。
黄宝林は八路軍を使い、安井の暗殺を試みたが、失敗し、犯人をハルビン行きを命じた。
黄宝林は実行犯が失敗する事は分かりきっていた。
失敗しても嘘の連撃作戦を伝えており、爆竹で球を消費させて作戦に出ていていたのだ。
その頃には、チョヤスは黄宝林を崇拝しており、6時間の砂時計を持ちそれ以外は、日本鬼子殺戮に前進する事にした。打倒孫悟空を目指す、チョリンはそれでも黄宝林を好きにはなれなかった。
石本は、明男の建設中の公園にいた。日本人が支那人に勝ったという新聞を手に、勇敢な死を迎えたリストに、中川の名を見つけた。あの秀才で勇敢とは結びつかない男がだ。
城島源蔵。泥棒なのだが、決してリスクは犯さない。
今まで、500回以上繰り返したが、盗難先で人と出会したのは2回のみ。1回目は、柔道の達人であったが、なんとか逃げ切った。2回目は条件付きで逃してやるとの事だった。
細川は、明男が作っている公園のモニュメントを盗まさせた。そして、8ヶ月遅れで、モニュメントが完成したのだった。モニュメントはコブシという名をつけた。明男は細川が何か知っていると思い、釣りの勝負に出たが負けてしまい、逆に細川の要望 軍隊は戻ってもらう を、聞く事になった。
そんな中、赤石が軍事違反で、捕まった。赤石は満州を、泥舟といい穿った見方をするものだと思い、黒幕がいると悟った。
1941年。明男はソ連の国境にある要塞に勤めていた。
時折細川は顔を出し、明男に言った。
満州にある不要な建築物(殺害に使われるような)を、再建築する事だ。建築で街を再構築してほしい。
そんな中、日ソ中立条約が結ばれ、ソ連は不可侵条約を破りドイツを攻撃した。日本の敵は米となった。
要塞からは、次々に人が減っていった。
日米の開戦は、満州開発の終戦であった。
明男は、ペンを置き、守備隊歩兵として駐屯軍に加わりたいと申し出た。
一方、黄宝林率いる八路軍は、日本が真珠湾攻撃をし、米へ宣戦布告した事により、日本の敗戦を確信した。
黄宝林は、毛沢東などの談話が収録された「整風」を理論だて、党員たちの弱みを次々に吐かせ、心を破壊して、党の信者にさせた。時には、嘘をも吐かせ、心を壊した。シャオカンも同様に、心を破壊された。シャオカンは見せしめのために、拷問を受けた。そして仙桃城八路軍は日に日に暴徒化していった。
1944年。須野は戦争のせいで、仕事がめっきり減った為、細川から与えられていた30年以上前の地図に、実際にはない「青龍島」がなぜかかれているか、にとりかかった。久々に正男、明男が家にいた為、明男にたずねてみた。この形は、モスクワ川に似ているね
その時、爆撃が落ちた。須野は防空壕へ。明男は、ランプ片手に、爆撃の方に向かった。
町野寿雄は、5歳から軍人としての頭角を表していた。その町野の上司に明男が付いた。町野は明男が指示する事が気に食わない。がしかし、明男の作戦はことごとく、町野と同様であった為、結果従う形になった。見事に作成があたり、八路軍の拠点を一つ潰した。町野は明男に聞いた。どんな気持ちだ。
明男は、公園を作るのに一部軍隊がほしい。と答えた。
明男の作った公園にあるモニュメントに、シャオカン、チョリンがおり、明男はシャオカン目掛けて、打った。左肩に血が流れた。
チョリンは打ち返そうとしたが、引き金が引けなかった。
1945年。
ソ連は中立条約を破り、満州を責めた。
日本は、米とソ連を同時に相手にする事になり、
居留民を逃すこととなった。安井は、案内役をしており、最終列車で、細井の名前を見つけた。
反日の細井を見つけ、牢屋にぶち込んだ。
細井自身は、愛国精神があり、日本は戦争に負ける。その為に、満州に建築をたてる必要はないとかんがえていたのだ。8月15日昭和天皇の耐え難きを耐え忍び難きを忍び、、、(玉音放送)敗戦の知らせだった。
安井は信じることができず、暴れたが町野の抑えられ、牢屋に入れられた。
その晩、首を吊った。
仙桃城の官舎にいた石本はソ連の怒号で起こされた。
そこで、日本軍が敗戦した事を知った。
命からがら生き延びた
石本は新京行きの列車にのりそこで、村越と再会した。村越は、阿片の販売をしており、人手が足りないとの事で、足元が手伝うこととなった。
商売が順調で、日本に帰るか、満州に残るかの選択を迫られた時、満州に残る選択をした。
チョリンは、聖ヨハネ協会の跡地に移り住んでいたクラスニコフ神父の元へ尋ねた。
そこに弱りきった孫悟飯がおり、かつて恨んだ父親
の姿だった。孫悟空は手帳を一枚一枚チョリンに読んでは、燃やさせた。そして、最後のリーダーガンの魔法が解ける と書いたメモを、読み燃やした。そして、手帳毎燃やしてくれ というと孫悟空はちからつきた。
明男は、日本に帰る船で細川と再会した。
そして、今までの事、満州での建築物の盗難や公園のモニュメント等何全て細川の仕業だと聞いた。
細川は日本が負ける事を分かっており、満州への建築はすべて無駄になる為、日本に送っていた。
明男は頭に来たが、日本に上陸する瞬間力がみなぎってきた。また、建築ができる。そして、上陸する直前に、小刀を海に捨てた。もう武器は必要なかった。かつて高木がハルビンに着く前に捨てれなかった時とは違う。
1955年。
中国へ帰還される中国人に混じり明男は倒壊された仙桃城を訪れた。チョリンと会い、クラスニコフが残した地図について尋ねた。
青龍島 を何故書いたのか?
中世の西洋には、未開の地には、アダムとイブの楽園があると信じられていた。
青龍島はリージャンジェンの人間にとっての楽園だったのでは、ないか。