堀茂樹のレビュー一覧
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原作はトランプ当選、ブレグジット、フランス極右政党の拡大があった2016〜2017直後に出版されているが、その当時すでにここまで情勢について分析・理解が進んでいたとは驚きだった。ブレグジットについては社会の上層が下層に寄り添った結果だと評価する姿勢だったが、あとがきで最新のイギリスの動向(ロシアフォビアと米国追従)について懸念が示される立場となっている。初等教育→中等教育→高等教育受講者割合が高まっていく傾向は先進国に共通しているが、教育の階層化によって格差が広がり社会の分断が生じている。英米はとくに、エリート層が短期的に最大利潤を得るためにグローバル化を進め、産業をどんどん労働力の安い海外に
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人類史あるいは社会発展を物語る際に現代人は地政学と経済に重きを置いており、社会を語るのに国家・宗教・教育を重要視しがちだが、人間社会の最小単位である家族システムに注目すると、驚くべき相関関係が見出されることを説明する。トッドとしては家族システムで全てを説明できるわけではない、還元主義とは一線を画すと言っているが、論調的には全てを説明しようとしているように見受けられる点が引っかかる。どこまで現実を正確に表しているか、ちょっと後付け・こじ付けがすぎると思われる点もあるが、原因と結果の説明がうまく聞こえることもあるため、非常に興味深い主張ではある。
まず原初のホモ・サピエンスは外婚制・移動性の高い核 -
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読みながら「スクラップ・アンド・ビルド」という言葉が頭に浮かんできた。
『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く三部作の完結編ということになっているが、普通の小説の三部作とは全く違う。何が違うのかは実際に読んで確かめて欲しいし、そもそも感想を綴るのが非常に難しい作品ではあるのだが、あえて書くとすれば、本作のタイトルにもなっている「嘘」とは何か?という点が物語全体を通した鍵であるということと、大ヒットした作品の続編でこの仕掛けをやったのは凄い、という点に尽きるかな。
まさにこれこそ「スクラップ・アンド・ビルド」。
それにしても『悪童日記』は大抵の書店に置いてあるのに、『ふたりの証拠』『第三の嘘』が全 -
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『悪童日記』の続編で、前作のラストで生き別れとなった双子の片割れのその後が描かれている。
戦争を背景にした悲劇の物語というベースの設定は変わらないものの、前作とは打って変わり、5ページ前後だった一章あたりの長さがどんと増えたことが特徴的で、ともなって主人公を含めた登場人物の造詣に厚みが加わったように思う。語り手も双子から三人称のものへと変わり、客観的な描写が主になったので読んでいてずいぶん印象が異なる。
またよく読むと、特に主役が変わる最終章で顕著なのだが、前作と辻褄が合わない箇所が出てくる。これは次作に繋がる意図的な仕掛けなのだが、読者は面食らうかもしれない。
総じて『悪童日記』の衝撃度には -
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非常におもしろい。
無駄な比喩がなく、本質が凝縮されたような文体。つまり、出来事の語りと視点の語りがうまく混ざり合っていた。
視点にはキリスト教や常識など文化的なものもあるし、立場や個人的な感情に立脚してもいた。
『若い男』では、周りの人から特別な意味で「見られてしまう」自分たちの関係を、そうした見方とのあからさまな対立を持ちだして掘り下げていくのではなく、相手をプライベートな人間と見なして、つまり好きな人間として相手と関わっていて、それにまつわる感情と知性と官能を描いていた。相手をあるカテゴリーに当てはめることはしてるけど、そうすることで相手を理解しようとかそういうことじゃなくて、自身の -
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フロイトの精神分析的に社会を意識、下意識、無意識の重層的構造としてイメージすると今まで見えなかったものが見えてくる。
•意識は政治、経済。この経済こそが決定的な要因を持つものとして分析するのが経済学。経済の発展段階の上部構造に政治があるというのが従来の考え方である。
では、経済はどのようにして決まってくるのが。なぜ世界の地域により経済に差があるのか。
例えばマルクスは(1) 原始共産制 → (2) 古代奴隷制 → (3) 封建制 → (4) 資本主義 → (5) 社会主義 → (6) 共産主義と生産力の発展に伴って進むと考えたが、西洋視点の偏りという問題点がある。
これを人間で下意識と無意識 -
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人類史を家族構成から読み解き、民主主義の本質に焦点を当てる。
著者によれば、現在先進国に見られる核家族の形態は原始的なものであるという。原始の人類は核家族を単位として生活していたが、それが直系家族、内婚性共同家族、外婚性共同家族などに分岐し、それぞれ独自の政治的経済的様態を生じるようになった。核家族の形態を持っている先進国においてはある意味原始の形態に収斂した結果という。
そして核家族の形態の国々(個人の自由という概念が生まれやすい)が民主主義を発展させ、資本主義に基づく豊かな生活を謳歌しているわけだが、著者はこの民主主義に警鐘を鳴らしている。
特に核家族形態を突き詰めた英米などは、資本主義に -
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表紙のスーツ姿の女性が、まず実母と重なって…手にとった一冊。こんな色が好きだった母親を想って。
「歪な関係」を抱えた人、特に親と…少なくはないと思うけれど、そんな人には共感する部分が多い作品だと思う。私的な感情を感情的に語りすぎず、適度にクールな点がより「母親」像を浮かび上がらせていると思う。 同じように、母親の異常に気づき、部屋を片付け、施設を探し、入院、他界まで…一年という時間の中で過ぎていった嵐のような昨年を振り返った。
作中の母親と実母とが重なる部分が多く、特に認知症を発症してからの様子が手に取るようにわかるため、切なくて思わず涙。
個としての輪郭が無くなっても、やはり親と子として -
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今、語っているのはいったい誰なのか?
虚構と現実が入り乱れ、文字列に振り回されるような読書体験が面白かった。
いってしまえばフィクションは本来すべて“嘘”だが、私たちは物語の内側に入り込み、登場人物と一緒に一喜一憂したりする。
ところがこの三部作には、没入したはずの自分自身をも俯瞰し、これは信じていいのか?と立ち止まらせる。 そんな、視点が二層にズレるような奇妙な感覚があった。
1作目では、双子が「ぼくら」という1つの器官のように振る舞い、感情を排除した淡々とした文体で悲劇を記録する。 その無表情さがかえって不気味な、インパクトのある作品だと感じた。
しかし三作を読み終えるころに -
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「彼をもう一度自分のものにしたかった」
当時真実だったただ一つのこと、私はそれをけっして口にしないつもりだったけれど、それは、「あなたと寝たい、そして、あなたにもうひとりの女性を忘れさせたい」だった。他のことはすべて、厳密な意味において、フィクションにすぎなかった。
これが嫉妬の誕生でしょう。
精神と肉体のステータスを満たすもの、満たしているものを喪失する、奪われる危険性にたいしてだとか、自分が手にできないものに対して抱かれるのではないでしょうか。
また、それにたいして"努力をしていない"であったり、"努力の程度"が低い者ほど強く抱く傾向にあると