長谷川眞理子のレビュー一覧
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情緒と科学があい混じった犬に関する考察の本です。私は今、犬三頭猫二匹と暮らしてますが、犬と猫は全く違うし、猫も犬も、ひとりずつ、個性的です。それぞれが、全て愛おしい存在ですが、はじめて迎えたワンコに対する感情は、やはり特別なものがあります。著者の言うように、母性行動の発現、とは解釈してはいないのですが。。(女性に限らない気がするので)犬と暮らし始めてから、大袈裟に言えば全ての生き物に対する、愛が目覚めたと言う感じですかね。とにかく苦手で、この世からできれば消えてほしいとまで思っていた、蛇。そのヘビに対しても、まぁ、生きててもいい(ってえらそうですが)そのくらいには認められるようになりましたし。生き方、感じ方、すべて一頭の犬をきっかけに変わりました。素晴らしきかな、犬という存在。すべての犬に幸あれ!と願います。
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ネタバレリーダーの教養書
■教養がなければ「奴隷」
・人は自分の価値基準に照らして初めて、意見や考えが出てくる。
・自分が関わっている事象について、自分が自由に考えるための基盤は共用
・自分以外の誰かが決めた価値基準への充足を強制される状態は「不自由」
自分の頭で考え、自分の言葉でものを言うことが「自由」
・教養があればあるほど、人間は快適かつ思い悩むことの少ない生活を送れる
・教養とは、自分の好きなものを学ぶことに尽きる。ワクワクする事
■リーダーとは
・労働条件とは「上司」
・教養がなければ人生を楽しめず、職場も部下も楽しく過ごせない
■経営判断とは「論理的な革新」
・物事を単純化して、要するにこうゆうことだ。と本質をつかみ、自らの革新に基づいて決断する
・シンプルにならなければ、判断の根拠を人にうまく伝える事ができない
(数字・ファクト・ロジック)
■根拠なき精神論は無駄
・若い時の徹夜するくらいの仕事の有効性はない
・長時間労働がその人の死絵賛成をどう上げたかの論文やデータはない。
■パターン認識
・様々な因果関係を包括して抽象化する
・過去に起きた事象のパターンを多く知る
・パターン認識の引き出しが豊かであれば、ビジネス環境が目まぐるしく変化しても多くのパターンから物事をとらえられる
■その人の教養は究極的には人間観に現れる
・人間は多面的で一貫性がない。首尾一貫した人はいない。
・誰もが結局のところ「自分だけは特別」だと思っている
■人間が賢くなるためには「人・本・旅」
■本
・本は圧倒的にコストパフォーマンスが高い
・最大の効用は「事後性の克服」
・本来であれば後になってみなければ体験できない事を読書を通じて考えられ、ある程度まで事後性を克服することが可能
・マイナスは論点が整理され過ぎていて、ノイズから得られる洞察がない
■人
・自分の言ったことに対する反応が返ってくる。本にはない価値。
■何をするか、何をしないか
・限られた時間の資源をどこに振り向けるか
■歴史 出口治明
・歴史という生きた教材を通じて、人間についての理解を深める事は、リーダの資質を鍛えることにかならずなる
■経済学 大竹文雄
・人間は常に合理的な行動をする生き物ではない。
・このことを理解しなければ、ビジネスはできない。
■リーダーシップ 岡島悦子
・リーダーシップに必要な「人間理解」を古典からは多く得られるが、現実の自分に落とし込んでいく姿勢も忘れてはならない
■日本近代史 猪瀬直樹
・リーダーを目指す人間にとって読書は不可欠。
・読書に時間もコストもかけない人間は、絶対に出世しない。
■進化生物学 長谷川眞理子
・生物学的に「自然な」制度設計を学ぶことで、社会を変える制度や商品の開発に応用できる
■コンピューターサイエンス
・プログラミングの基礎を学び、勘所を掴むだけでもエンジニアとの仕事が一気にやりやすくなる。
・文系ビジネスパーソンこそプログラミングを学ぶべきだ。
■医学
・組織を率いるリーダーや経営者にとって、動物としての「ヒト」のメカニズムを理解しておくことは、極めて重要だ
■哲学 岡本裕一朗
・今は、技術的学術的に大きな転換点にあり、一度まっさらな状態になって考え方そのものを問い直す必要がある。
・そしてそれこそ哲学の使命だ。
■宗教 上田紀行
・宗教者の持つ大きさや言葉や生き方にも触れていないと、4半世紀の業績を引き上げるぐらいの短期的な成功で終わてしまうはずだ -
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途中まで。
■教養の定義
・人が他者に強制されず、自分自身で作り上げていく独自の「価値基準」を持っているということです
・自由でない状態は奴隷の状態
・自らの選択肢を増やしてくれるもの
・ワクワクして楽しいもの
知りたい、興味を持ったことを
その時に調べてみる、詳しい人に聞く
→岩盤に突き当たるまで徹底的に
→その積み重ねで教養が身につく
■品があるの定義
→欲望への速度が遅いこと
→→即時即物的にではなく抽象度をあげて物事を理解しようとする姿勢
→→マンションを買うまで、一年おきにどこがいいか家を転々としてから買った人の話
抽象度が高ければ高いほど実は実用的
→普遍的だから
■パターン認識を広げ、判断力を鍛える
歴史や経験に学ぶ
ドイツや日本
→精神論だから負けた、ではなく、負けが濃厚になる上で精神論になっていった
教養がある人はパターン認識の引き出しが豊か
→多くのパターンから物事を捉えているためジタバタしない
優れたリーダーは、新しい事象に直面しても、どこかで見た風景、いつか来た道、として捉えてる
→ブレない
■人間観をもて
・人間は賢いと思うか
・人間はおろかだと思うか→出口さんはこちら
→優れた部下がいても人間が進言したくらいで世の中変わらない
→世の中を変えるためには仕組みを変えないといけない
人間は多面的で一貫性がない
■デジタル
デジタルは効率を上げられるが効果に関わるものは期待していない
マイナスをゼロにしてくれるが
ゼロから1を生み出すことはない
基本的には時間と空間を縮めるためのツール
何をするか
ということは同時に
何をしないか
を決めること
よのなかにはトレードオフしかない -
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確か高校生の時にふとしたきっかけで著者の存在を知って、それ以来ずっと頭の片隅にはあったが、数年の時を経て、こうしてようやく読む機会が訪れた。雑誌『科学』に掲載された、科学に関するエッセイをまとめたものだ。高校生から大学生の初めころまではエッセイという形式が好きで、よくいろんな人のものを読んでいたが、ここ数年はあまり食指が動かなかった。今こうして久しぶりにエッセイを読むと、やはりあまり面白いと思えるものではなかったのだが、それは内容云々というよりは、一つ一つの話が短く、単純に読み物として物足りないからだろう(エッセイなどの軽い読み物は、やはり電車の移動時間とか、ちょっとした時に読むものであると思いました)。
著者は、専門は自然科学(行動生態学)だが、社会科学、人文科学などにも関心があるせいか、本書も、科学と社会との関わり、人間との関わりなどにも幅広く言及していて、そのあたりがエッセイを非常に親しみやすいものにしていると思う。
あとがきにもあるが、著者の主要な関心である「科学とどのようにつきあうべきか、サイエンティフィック・リテラシーと呼ばれるものの基本はどうあるべきか」というのは、勉強としての自然科学が苦手だった僕の関心事の一つでもあります。今後も機会を見つけては自分なりに考えていきたい。 -
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今や科学は思いもよらぬ発展を遂げて、今なお、その発展は止まる事をしらない気がする、いつ人類の探求が終わりを遂げるのか? いや、終わりを遂げることがあるのか?私達は常に科学の発展を目にして行くだろう。
19世紀のダーウィンの時代には考えもつかないことがありすぎる。しかしその発展は、時代を変えてきた先人の知恵があってこそ今がある。
そんな気がしてならない。
では、一体ダーウィンの時代にはどの様な思想や考え方があったのだろう。それを今回紹介する書籍から考えていこう。
まず、科学の発展は古代ギリシアから始まっていた。
その当時何かな構造やシステムを考える上で必要にモデルがあったと言われている。それは人体の構造である。
ギリシア人は自然を理解する上で人体の構造を一つのモデルにしていたと言われている。
いまではその対比は人体ではないのかもしれない。しかしその当時のことを考えると、人体以外で複雑で自然に近いものとといえば、人体以外なかったと推測できるのではないだろうか。
というように昔はそのような考えのもとで科学を発展させてきた。
今では。バソコンや主に機械、動物など様々なものを活用できるような時代になった。
本書はこのように出発して、この後に生物全般の話し、そして科学と社会の話し、そしてまとめにはいるという流れである。
最後にはこんな内容になっている。
ダーウィンの時代にはより優れた血統改善のためにより優れた血統を増やし、望ましくない人間の繁殖を妨げることによって人類を改良するための科学と定義されている。これを優生学というのですが、何故このような思想が生まれたかというと、この時代は資本主義の発展で貧富の差の増大によって、悲惨になったので、その社会を改良せねばならないと思い、その考え方に至ったとされている。
本書ではこのようにまとめられている。「優生思想は1900年代初頭における急速な遺伝学の発展と社会改良思想とを背景に、人類の生物学改良が可能であると考えた、性急な理想主義の産物であった。」
しかし、その思想に関して、社会にとって何が好ましくて、何が好ましくないのか?いったい何を基準にして判断するのか。という社会思想が科学を安易に使おうとして失敗した例でもある。
では私達はなにを基準にすればよいのか?悩むところである。
今の政治でもそうだが、日本にとって何が好ましくて、何が好ましくないのか?という問いに対して、頭を悩ませる次第である。
しかし一つ言えるのは、好ましくないものを排除するという考え方は今後の社会にとってもよくないだろうと思う。
不必要だと思われていたものにもれっきとした考えがあり科学があります。
それを見極めることが本書で伝えたかったことではないだろうかと私はおもう。
以上で話しは終わりだが、ここで長谷川氏が建築について話している箇所があったのでちょっと紹介しよう。
このようにまとめている。
「数学的な線や物理法則は、なぜ人間の審美的感覚を刺激するのだろう?自然界の生物が作り出す形は、なぜ美しくみえるのだろう?その答えは、数学や物理学ではなく、私達の神経系の構成に関する生物学の中にあるに違いない」と著者は考えている。
数学的な線とかは20世紀の建築が装飾から解き放たれて、線の美、合理主義な建築美が現れてきた背景にある。
おもしろい見解だと思う。生物学と建築学はなんの接点もないかのように見えるが、実は建築学ももとは人体をモデルにしていたし、なんのおかしな点もないことが時代を読めばわかることである。
とまぁ話がそれたが、これで今回の書籍の紹介を終えたいと思う。 -
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長谷川さんは生物学者です。この本の内容はあとがきに著者が示しています。『私自身の専門である,動物の行動と生態の研究に関することばかりでなく,科学や学問一般について,およびそれらの社会との関係など,日頃考えていることをいろいろな角度から書いてみた。』
まさにその通りの大変面白い本でした,興味を引いた箇所が沢山あります。その内の「コンコルドの誤り」をご紹介します。
この「コンコルドの誤り」は言葉とその意味と一緒に覚えておくとよろしいと思います。「コンコルドの誤り」とは『過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えること』だそうです。語源はもちろん英仏共同開発の超音速旅客機からきています。『コンコルドは、開発の最中に、たとえそれができ上がったとしても採算の取れないしろものであることが判明してしまった。つまり、これ以上努力を続けて作り上げたとしても、しょせん、それは使いものにならない。ところが、英仏両政府は、これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈で開発を続行した。その結果は、やはり、使いものにならないのである』
だそうです。行動生態学の分野では・・・
『いま、一羽の雄の鳥が、ある雌に求愛しているとしよう。これまでに雄は、ずいぶん長い時間を費やし、たくさんの餌をプレゼントに持ってきたが、雌は一向に気に入ってくれない。雄は、このまま求愛を続けるべきか、やめるべきか? このような状況で、動物たちがどのように行動するよう進化してきたかを考えるとき、一昔前には、雄はもうこの雌に対して大量の投資をしてしまったので、いまさらやめると損失が非常に大きくなるから求愛をやめないだろう、という議論があった』
しかしこれは誤りで,『さきほどの雄がむなしく求愛を続けている雌のとなりに、その雄はまだ一度も求愛していないが、求愛されれば十分に応える気のある雌がいたとしよう。もしそうならば、雄は、過去の投資の量にかかわらず、さっさとそちらの雌に乗り換えるだろう。将来の行動に関する意志決定は、過去の投資の大きさではなく、将来の見通しと現在のオプションによらねばならない』然り! ですが,人間はちょくちょくコンコルドの誤りを犯すようです。 -
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脳の研究者と行動生態学,進化生物学のお二人がその立場から「男の見方,女の見方」について,その分野のいろんな研究成果が書かれていると思ったが,エッセイ集といった感じが強いです。 まあ,それはそれなりにおもしとかったです。
(養老孟司)p80〜81
男女の能力差のように、人類を束ねて二つに割って、その二群がどう違うかという話は、本当はあまりしないほうがいい。なぜなら、たとえば、男が女よりも空間把握能力が高い、という統計を教えると、あの女よりも、おれのほうが偉い、そう考えて喜ぶ馬鹿が、男の中にかならずいるからである。それは、まったくの間違いである。
(中略)
男には男の能力があり、女には女の能力がある。そんなことは、わかりきったことである。それと同時に、個性の幅というのがある。個性の幅は、しばしば男女の統計的な差を超える。そういう性質については、じつは統計的に男女差があったとしても、それを論じる意味はあまりない。社会の中でわれわれが出会うのは、それぞれの個人であって、一般的な男女ではないからである。こうしたすべては、ただの常識であろう。
※※※
まあ,そうでしょうね。それは理解できます。でも,それでも男女の能力の差というのには,関心があります。
「一般に男は・・・,女は・・・・」なんていうのはおもしろいです。空間図形の問題をさせると,女の子はできない。また,逆に言語能力では男の劣ること劣ること
養老氏と同じようなことを長谷川さんも書かれています。
※※※
(長谷川真理子)p101
では、決断力、リーダーシップ、数学の能力、言語能力、方向感覚、攻撃性などの性質には、男と女で違いがあるのでしょうか? どう量的に表現するにせよ、これらの性質も、身長と同様に連続的に変化する量でしょうから、集団の平均値の差を検定すれば、もしかすると有意な差が検出されるかもしれません。それでも、ある一人の男か女を取り上げてその人の性質や能力を云々する場合には、服を選ぶときと同様、その人個人の性質が問題なのであって、集団の平均値に差があるかどうかは関係ないはずです。集団の平均値の差を根拠に個性を無視するとき、無用な差別が生まれてくるように思います。
※ ※ ※
そうでしょうね。そこから差別が生まれることもあるでしょう。
ただ,このように書いているのですが,別の項(文系・理系)ではこのようなことも書いています。
※ ※ ※
(長谷川真理子)p114〜115
私は自分が理科系で、普段は自然科学の研究をしているので、自分が物事を考える道筋は、ほかの人々にとっても同じだと思っていました。ところが、はじめて非常勤で某大学の法学部の学生に教え、試験の答案を見たときに、あっと驚かされたのです。第一問は、霊長目の中におけるヒトの位置を記述せよ、という問題でした。私は、当然、それぞれの種が分類単位ごとに樹木状に分岐して描かれる系統樹を描いてくれるものと思い込んでいました。こちらは、そのようにして教えたのですから。しかし、法学部の学生で、系統樹を描いてくれた人はいませんでした。全員が、「霊長類は真猿類と原猿類に分かれ、真猿類は、新世界ザルと旧世界ザルに分かれ・・・・」というように、すべてを言葉で書き並べたのです。私にとっては、全部を言葉で表すということは思いもよらぬことでしたが、彼らにとっては、図を描くということは思いもよらなかったようなのです。あとで、法学部の先生にこの話をしたところ、すべてを言葉で書くことに、先生方も別に違和感は感じておられないようでした。
これが、はじめてのショックで、それ以来、いろいろな学部の先生たちが集まる会議でも、しばしばちょっとした違和感を味わいました。理系的思考では、複雑な事実はなるべく図表化しようとしますが、文系的思考では、文章で描くことを重視するようです。理系的思考では、事実を重視しますが、文系的思考では、個人的解釈の方に重点がおかれるようです。理系的思考では、説明がきれいにつくと喜びますが、文系的思考では、きれいに説明がつくとうさん臭いと思われることが多いようです。また、理系的思考では、仮説などはすぐにも捨てられるものと考えていますが、文系的思考では、自分の仮説とは信念をもって守り抜くもののようです。
私の経験の範囲では、これらの違いは男女にかかわらず、文系か理系かによって大 きく異なるように思うのですが・・・・・
※※※
おもしろいですね。ぼくも理系的思考と文系的思考にはちがいがあると思っています。
ただ,分からないのは,上の方で男女の違いは「集団の平均値の差を根拠に個性を無視する」ということで避けているのに,文系,理系の違いはこのようにおもしろく書いている,というところです。
文系,理系も平均の違いで個性もあるのではないでしょうか。そこでは差別は生まれないのでしょうか。
ぼくは,平均の違いもおもしろがっていいのではないかと思っています。だから,文系的思考,理系的思考の違いってどんなだろう,男と女の思考の違いってどんなだろう,と考えるのは好きです。同じものだと思うのですが,ただ,社会的に男女の違いを述べると差別につながることもけっこうあるからなんでしょう。社会的に成熟していないのかも
次のとてもかる〜く,おもしろかったところです。
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先日、イェールの研究室に、誰かが持ってきたチューリップがたくさん花瓶にさしてありました。ところがそれを見て、分子遺伝学が専攻の院生の男の子が、「この花は何?」と私に聞くのです。チューリップを知らない生物学の院生がいるということに心底驚愕してしまいました。そこで、教授たちのランチのときに、この院生の指導教授に「マイケルはDNAの構造は熟知しているかもしれないけれど、チューリップを知らないというのは嘆かわしいことだ」と半分ふざけて注意したところ、花の名前を知っているのは女性のすることで、男性は花を贈るだけである、という答えが返ってきました。
※※※
おもしろいですね。ぼくは妻に花の名前を知らないといって笑われるこ
とがあります。でもチューリップは知っていますよ。