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Posted by ブクログ
研究者によっては、この本で描かれた時代でローマ帝国は終焉を迎えたという人もいるそうな。「ローマが『ローマ』でなくなっていく―」と、帯にも書かれているな。国家の最大の責務とは、防衛だ。その防衛が守れなくなってきて、ローマ帝国は危機を迎える。帝国再建のため、ディオクレティアヌスは二頭政、四頭政と帝国を分割して統治することで、なんとか再建しようとする。一時は果たせたものの、その過程でローマはどんどん変質していくんだね。
「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった。」というユリウス・カエサルの言葉がエピグラフとして巻頭を飾っている。本書を読み進むにつれて、この言葉の含蓄が増していくような気がしたなぁ。
さらにいえば、どれだけ小なりといっても、組織、チームに責任のある立場としては、問題に対する解決は、あとでどんな結果につながるかは覚悟しておけ、ということを考えさせられる。先の先なんて、そうそう読めないんだけどさ。
ディオクレティアヌスの後、コンスタンティヌスによってローマはキリスト教の帝国へと変質していく。コンスタンティヌスがなぜそれほどまでにキリスト教に肩入れしたか。その解説は、圧巻ともいえる説得力があったよね。そういう話だったのか。
もちろん、信仰があったのかもしれないけど、政治家として考えるなら、それだけで行動するとは考えづらい。ローマは元来、世襲ということに身構える民族性をもっていた。そのため、帝国とはいえ、皇帝は必ずしも世襲ではなく、市民によって選出されたという体裁をとる。コンスタンティヌスより前、ディオクレティアヌス以前にさかのぼれば、皇帝といわれたといってもどちらかといえば、元首であった。しかし、元首は市民からの不信が強くなると、市民によってすげかえられてしまう。古代のこと、それは殺害という形をとることが圧倒的に多かったのだ。それがローマ帝国末期の衰退の原因でもあった。
であれば、簡単に首をすげかえられなくすればいい。つまり皇帝は市民によって権威づけられるのではなく、もっと上の存在、つまり一神教の神をその力の源泉とすればよいのである、と。
俺自身、ボーン・クリスチャンで子ども頃からキリスト教に接しているけどさぁ。宗教に対して、これまでそういう見方をしたことはなかったなぁ。
知的に興奮したね。
Posted by ブクログ
紀元284年、ディオクレティアヌス帝の即位から、紀元337年、コンスタンティヌス帝の死まで。
いよいよキリスト教が迫害から公認へ、「ミラノ勅令」から「ニケーア公会議」へ。
「利益の社会還元・・・富裕層には公共心に訴えるだけでなく、虚栄心にも訴える、人間は形に遺るとなれば、より一層やる気を起こすものなのである」
「一神教・・・権力でも権威でも、それが多くの人や神に分与される状態では絶対的な存在ではなくなる」
「マクセンティウス、コンスタンティヌスに敗北。敗北とは何であるかを考えさせる、昨日までの皇帝が暴君に一変する」
「紀元313年ミラノ勅令、キリスト教がローマ皇帝によって公認された」
「小数派のキリスト教徒が多数派の多神教ローマ人を変革、コンスタンティヌスハ需要とは自然に生まれてくるものとは限らず、喚起することによっても生まれてくるものであることを知っていた戦略家であった」
「宗教を大義名分に使えなければ争いは人間同士のことになり、単なる利害の衝突にすぎなくなる。宗教を旗印にすると、問題は常に複雑にある」
「コンスタンティヌスによる皇帝資産のキリスト教会への寄贈行為、宗教組織にとっての資産の重要な役割の認識」
「信仰よりも利益で入信する者が多かった、食べていくためにキリスト教に改宗する人々は多かった」
「ニケーア公会議・・・神とその子イエスは同位か、それとも同位ではないか、三位一体説・・神とその子イエスと聖霊は同位であるがゆえに、一体でもある」
「つまりは支配の道具・・・王政・共和制・帝政と政体を変移、権力者に権力の行使を託すのが、人間である限り、権力者から権力を取り上げる権利も人間にあり続けることになる。決める権利は、可知である人間にはなく、不可知である唯一神、一神教の神キリスト教の神とした」
「パウロ、キリスト教をユダヤ人の民族宗教から世界宗教へ、神以外には何であろうと他に権威を認めないが、現実世界の権威も神の指示があっての権威、ゆえに現世の権威に従うことはその上の君臨する至高の神に従うことになるのである」
「神意を伝える司教たちを味方に懐柔、優遇策・司法権」
「キリスト教は、利益を介在させることによって、少数はより短い期間で多数になっていった」
Posted by ブクログ
読書感想|ローマ人の物語13 最後の努力
塩野七海のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物シリーズの13巻が本作「最後の努力」になる。取り上げるのは、研究者によってはローマ帝国の最後の皇帝とも言われるディオクレティアヌス帝と、滅亡までの最後の100年を持ち堪えた最後の帝国を作り上げたコンスタンティヌス1世だ。
五賢帝の統治が終わった「終わりの始まり」から明らかだったが、興隆期のローマhを描くときには、とても楽しげだった塩野七海の筆もこの巻ではすっかり変わってしまっている。もともとローマ人を描くために始めた作品であるこのシリーズにおいては、本来であれば、ローマが歴史的に滅亡するまでを淡々と同じペースで書くことを期待されていただろう。しかし、それはあまりにも感情豊かであある塩野七生にはできないことだったのに違いない。
本書を貫くトーンを一言で言えば諦念だ。
確かに入れ物としてはローマ帝国であったこの時代。彼女が書くことを好きでやまない男たちはすでにローマ人的ではなくなっている。
ディオクレティアヌスは確かに帝国を維持することには成功したが、国家支配層はすでに軍人と官僚で完全に別れてしまい、そして内戦の後にその後を継いだコンスタンティヌスはキリスト教を公認することによって、ローマを全く違う国家と変貌させることに成功する。
考えてみれば、西のローマ帝国に対して東に存在する中華王朝というのは、先制君主を頂点とする皇帝制を採用した国家を何度も作ってきた。
そのアジアにいる自分たち日本人にとっては、本来は強大な権力者を頂点とした国家形態こそが馴染み深い。しかしながら、ここまでローマ人の物語を読んできた読者であれば、コンスタンティヌスの改革を見て、疑問を持たずに人はいないのではないだろうか。
その疑問とは「なぜ彼はこんなにも個人のための帝国を作り変えようとしたのか」だ。
残念ながら、その答えは歴史の中にはなく、当然本書の中にも記載されていない。
レス・プブリカと呼ばれる共同体だったローマは、この時代において完全にコンスタンティヌス=皇帝を頂点とする専制君主国家に置き換えられる。これが歴史の要請だったのか、あるいは個人の強烈な意思によるものなのかは、わからないが、やがて時代は暗黒の中世へと近づいていく。
残りの2巻、この諦念に満ちた物語を読むのは辛いと思いつつも、ここまで来たら最後まで読まなければならないという気持ちで、次の巻へ向かうのだった。
Posted by ブクログ
いよいよローマ帝国も最終章に入ってきた。
ローマ史の研究者の中でもコンスタンティヌスの時代になって、もはやローマではないと筆を置く人がいると筆者は述べている。
しかしながら、このシリーズは「ローマ人の物語」であって「ローマ帝国の物語」ではないと筆者の考えを構築しようとするのだが、
やはり、こころ無しか筆者の文章にも以前のような力強さがなくなっている。
ローマ皇帝というと、素人の記憶では(学校で習った程度)やはり、ネロ、カエサル(シーザー:皇帝ではないが)、コンスタンティヌス、おまけでアウグストゥス(虫プロの映画から)が浮かぶ。
この中でコンスタンティヌスについては、ハリウッドの影響でローマ皇帝、ローマ帝国のシンボル的なものと捉えていたが「ローマ人の物語」を読んでまったく反対であることがわかった。
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