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広大な版図を誇り、平和と安定を享受した五賢帝時代。その掉尾を飾り、「哲人皇帝」としても名高いマルクス・アウレリウスの治世は、配慮と協調を尊んだことで、後世からも高い評価を得てきた。しかし、その彼の時代に、ローマ帝国衰亡への序曲が始まっていたのだとしたら……? 現代にも通じる鋭い洞察に裏打ちされた、一級の指導者論。 ※当電子版は単行本第XI巻(新潮文庫第29、30、31巻)と同じ内容です。
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Posted by ブクログ
マルクス・アウレリウス治世の前からセヴェルスの治世までを描く。 ネルウァからマルクス・アウレリウスまでを五賢帝と呼び、この時代がローマ帝国の絶頂期と一般的には捉えられている。しかし実は五賢帝4番目のアントニヌス・ピウスからローマ帝国崩壊の兆しが見え始めるのではないか、というのが塩野女史の見方。 アン...続きを読むトニヌス・ピウス治世は運良く平和に終わったが、マルクス・アウレリウス治世では、パルティアから侵攻、ゲルマニアから侵攻、ペストの流行、総督の謀反と散々な不運に見舞われる。それでも誠実に対処する皇帝の姿が描かれる。 その息子コモドゥスは皇帝としての責務を放棄。その死後ペルティナクス、ディディウス・ユリアヌスと短命皇帝が続き、内戦でセヴェルスが帝位を勝ち取る。 セヴェルスは皇帝になった後パルティアに攻め込む。滅ぼしはしなかったが、その一端を担う形となった。塩野女史曰く、パルティアはローマにとっては仮想敵国であり度々諍いを起こす相手ではあったが、滅ぼしてはいけない相手だった。それはパルティアがローマにとって他民族からの攻撃を和らげる緩衝材になっていたからだ。パルティアは大国であり、そのために周辺の蛮族が侵入する対象になり得る。パルティアを支配下に入れた場合、その矛先はローマに向かう。そうなるとこれまで以上の軍備を整える必要がある。それはローマにとって避けるべき事態だった。だから歴代皇帝はパルティアを温存した。一方パルティアにとってのローマは強大すぎて本気でやり合う相手ではない。為政者が国威発揚のために、時々攻撃を仕掛ける程度だった。 そのパルティアをセヴェルスは弱らせてしまった。その結果ササン朝ペルシアに滅ぼされる。そしてこの国はローマ帝国の真の敵となる。 セヴェルスが良かれと思ったことは結果的にローマ帝国衰退の端緒を開くことになる。パルティア攻撃後、元老院も市民も大喜びだったという皮肉。政治というのは後になってしか成否が図れないのだと思わされる。
なぜ優れた賢帝の時代に「帝国の衰亡」が始まったのか?が本書の主題です。本書では五賢帝の最後マルクス・アウレリウスから息子のコモドゥス、そして内乱を経てのセプティミウス・セヴェルスの治世までが記述されています。西暦でいうと紀元121年から212年までのおよそ90年間が本書の範囲となります。主題への解答...続きを読むは本書に任せますが、まさに賢帝の時代に衰亡への種がまかれていたことがよくわかりました。
五賢帝時代の掉尾を飾り哲人皇帝としても名高いマルクス・アウレリウス。後世の評価も高い彼の時代に、既に衰亡への萌芽は見えていた――従来の史観を覆す新たな「ローマ帝国衰亡史」が今始まる。
ローマの盛隆と衰退を書いた塩野七生の本。 11巻『終わりの始まり』を読んで、衰退は国ではなく人から始まっていくと感じた。 国が最盛期の安定している頃は、戦争に行くのに観光しながら長時間掛けて向かっても問題にならなかったりもしたけれど、逆にそれにより人は衰退しても国を存続できるシステムが稼動できたと...続きを読むいう経験によって、錯覚を起こし、問題に気づきにくくなるんだろうと思う。 でも2代目で会社が潰れるなど、学べる事・気をつける事などの気づける事は身近に沢山あると思う。 先人が残した書物があり海外のものも翻訳されて沢山学べるようにはなったが、命が脅かされる事が非常識となった安定的な今は、学ぶ必要がないと錯覚しても当然かもしれない。そうなれば、その後のシステムの崩壊からの国の滅亡も自然の摂理として言えるのかもしれない。 もしそうであれば、世代を通して今日本人は衰退していっているのか。国のシステムはまだ保ったまま。 なるほど自然の摂理という考えが一番しっくりくる。
帝国の終りに向かう様なんてどう考えても面白いはずがない。しかし、塩野さんは視点が違う。なぜ終わってしまったのかを冷徹に物語っていく。面白い。 間違った選択、その上塗りの間違った選択。そうして衰退に向かう理由が生まれ、それが重なって…という時代の流れを実に冷徹に描いていく。やはりこの人の文章はすごい力...続きを読むがあると、物語として盛り上がらないところだけに強く感じた。
紀元161年、第16代皇帝マルクス・アウレリウスから、紀元211年、第20代皇帝セヴェルスまで。 「パンテオン・・・すべての神々に捧げられた神殿、優れた建造物は必ず、それを建てた人間の哲学を体現している。パンテオンでは、守ってくれる神々に囲まれて立つ、人間が主人公になる、多神教古代の精神を具象化し...続きを読むたローマ帝国の哲学でもある」 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという格言があるが、両方ともが不可欠である」 「思考も筋肉と同じで、絶えざる鍛錬を必要とする、思考怠慢が続くとカンも鈍ってくる」 「一神教の神は人間に生きる道を指し示す神だが、ギリシャ人やローマ人の神々の役割はその人間の努力を援護するところにあると考えられていた」 「マルクス・アウレリウス 自省録・・・大王アレクサンドロスも彼の馬の世話をする馬丁も、死んだ後では同じように灰になった」 「コモドウス帝60年の平和・・・20年間の実戦体験が、戦争状態が終わった後からの60年もの間、抑止戦力として機能し続けた」 「人間とは、崇高な動機によって行動することもあれば、下劣な動機によって行動に駆られる生き物でもある」 「実力主義にはプラス面も多いが、人間社会の他のすべての事柄と同じでマイナス面もある。実力主義とは、結局実力でカタをつけるしかない解決法」 「善意が必ずしもよき結果につながらないという人間社会の真実。人類の歴史は、悪意とも思える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機で始められたことによる失敗例で大方埋まっている」 「ユダヤ教徒もキリスト教徒も、布教する際、私の信ずる教えのほうがあなたの魂を安らかにするから改宗しなさい、と言うのではない。私の信ずる神のほうが正しいから、あなたの信じていた邪神は捨てよ、と求める」
ローマ人の物語は、塩野ファンのみならず、どなたにもお勧めしたいシリーズ。このころのローマはまだ元気です。
また内戦をやっている。距離が離れるほど情報が伝わるのが遅いということを学習しないのだろうか。シリアに情報が伝わるころには、近くの将は動き始めているし、抑えなくてはいけないローマにも遠い。 今回は内戦の描写が穏やかなので、まだ読むのに心理的に楽だった。 後継ぎに関しては、ある程度賢い皇帝なのだから...続きを読む、生前に整理しておいてほしかった。それであれば国力の衰えも少なかっただろうに。 それにしても、親が奴隷でも自身は能力と努力次第で皇帝にまでなれる社会というのは素晴らしい。身分の固定されていた国に比べれば、繁栄するのは当然と思われる。
夏休みに塩野七生久々のシリーズもの「十字軍物語」を読み始めたこともあり、以前、途中で読むのをやめてしまった第11巻を再度読み始めた。前回読んだときは、ローマ全盛期のダイナミズムが失われ、あまりおもしろさを感じず、読み切ることができなかったが、今回は一気に読み込んだ。 というのも、ローマの「終わりの始...続きを読むまり」は、成長期を終え、成熟期に入った日本の状況に酷似している点があったからだ。拡大した領土(日本でいえば成長した経済)を維持する難しさ、実戦経験がなく現場をしらない統治者(特に2世、3世)、骨肉の争いなどなど。「成長、反映している時に、次の課題に向けた対策を考え、講ずるのが真の指導者」という言葉はローマだけでなく、今の日本の状態にも通ずるところがあるだろう。
13巻「最後の努力」を読んだ後、11巻の「終わりの始まり」に戻ってみた。 時代はまだローマ全盛期とされる五賢帝の時代。しかし塩野さんは五人目のマルクス・アウレリウスを「賢帝」とは評価していないようで、この前の時代にあたる「賢帝の世紀」とは別巻にしている。ただ3世紀から2世紀に戻ってくると、まだロー...続きを読むマ社会にもローマ軍にも随所にローマらしさ、ローマらしい強さやしなやかさがちゃんと残っていることに気付く。 ゲルマン民族大移動の予兆ともいえる動きが始まり、東方ではパルティアが衰退していったこの時代、マルクス・アウレリウスは弱き心を叱咤しながらドナウ河畔で戦い、そして夜には一人自省する。現代で言えば、ブログやツイッターを書き連ねるようなものだろうか。良き心は充分に持っていたのだろうが、残念なことに武将としての資質には欠けていたようで、10年かけてもドナウ河戦線を収めることができなかった。そして何より、資質を冷静に推し量ることがないまま長男を後継者にし、死後10年の混乱の結果、軍人皇帝時代を導くことになった。それらがローマ帝国の「終わりの始まり」とされる所以だろうか。 中国では秦漢王朝の最後、後漢の滅亡期にあたる時代。ローマ帝国はまだ充分に力を保っていたが、セヴェルス帝期以降は随分と違った色合いになっていく。その責任を軍人皇帝たちに押し付けることは簡単だが、根底にはローマ本国人たちの気力の低下があったことは、塩野さんも本文中で指摘している。この先を読み進めていくのは、ちょっと気が重い。
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