あらすじ
蛮族の侵入や政変が相次ぎ、未曾有の危機に陥った帝国に現れた2人の皇帝。ディオクレティアヌスは皇帝4人による領土の分割統治を実施し四頭政治を導入。跡を継いだコンスタンティヌスは、ローマ帝国に幅広く浸透していたキリスト教公認に踏み切った。しかし、帝国復権を目指した彼らの試みは、皮肉にも衰退を促す結果を生んでいく――。塩野版「ローマ帝国衰亡史」、いよいよ佳境に! ※当電子版は単行本第XIII巻(新潮文庫第35、36、37巻)と同じ内容です。
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ローマが「ローマ」でなくなっていく…
という帯の文章がぴったりな内容だった。
元老院の地位はいよいよ落ちぶれ、税制は変わり果て、首都も変わり、キリスト教が台頭しはじめる。
コンスタンティヌスによる帝国の延命は、暗黒の中世を呼び込む。
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研究者によっては、この本で描かれた時代でローマ帝国は終焉を迎えたという人もいるそうな。「ローマが『ローマ』でなくなっていく―」と、帯にも書かれているな。国家の最大の責務とは、防衛だ。その防衛が守れなくなってきて、ローマ帝国は危機を迎える。帝国再建のため、ディオクレティアヌスは二頭政、四頭政と帝国を分割して統治することで、なんとか再建しようとする。一時は果たせたものの、その過程でローマはどんどん変質していくんだね。
「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった。」というユリウス・カエサルの言葉がエピグラフとして巻頭を飾っている。本書を読み進むにつれて、この言葉の含蓄が増していくような気がしたなぁ。
さらにいえば、どれだけ小なりといっても、組織、チームに責任のある立場としては、問題に対する解決は、あとでどんな結果につながるかは覚悟しておけ、ということを考えさせられる。先の先なんて、そうそう読めないんだけどさ。
ディオクレティアヌスの後、コンスタンティヌスによってローマはキリスト教の帝国へと変質していく。コンスタンティヌスがなぜそれほどまでにキリスト教に肩入れしたか。その解説は、圧巻ともいえる説得力があったよね。そういう話だったのか。
もちろん、信仰があったのかもしれないけど、政治家として考えるなら、それだけで行動するとは考えづらい。ローマは元来、世襲ということに身構える民族性をもっていた。そのため、帝国とはいえ、皇帝は必ずしも世襲ではなく、市民によって選出されたという体裁をとる。コンスタンティヌスより前、ディオクレティアヌス以前にさかのぼれば、皇帝といわれたといってもどちらかといえば、元首であった。しかし、元首は市民からの不信が強くなると、市民によってすげかえられてしまう。古代のこと、それは殺害という形をとることが圧倒的に多かったのだ。それがローマ帝国末期の衰退の原因でもあった。
であれば、簡単に首をすげかえられなくすればいい。つまり皇帝は市民によって権威づけられるのではなく、もっと上の存在、つまり一神教の神をその力の源泉とすればよいのである、と。
俺自身、ボーン・クリスチャンで子ども頃からキリスト教に接しているけどさぁ。宗教に対して、これまでそういう見方をしたことはなかったなぁ。
知的に興奮したね。
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ローマ帝国再建を目指した二人の皇帝ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスが主人公。前者は帝国を分担して守ることで蛮族の侵入から守ることを目指し、後者は新都の建設、そしてキリスト教の公認という方向転換で帝国の再建を目指した。確かに、これらのことによってローマ帝国の延命には成功したと言えよう。しかし、その代償にローマ帝国はかつての姿とは別物になってしまう。軍や官僚の肥大が増税に繋がり、一神教のキリスト教を公認することで、多神教の世界が失われ、そして寛容の精神も失われていくのであった。
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ついにキリスト教が王の存在意義を権威付けるところにきた。これでローマ帝国は変質した。そしてこれがヨーロッパとキリスト教の関係を決めた。そういうことだったのかと腑に落ちる。しかし思えば遠くへ来たものだ、と振り返って思う。
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紀元284年、ディオクレティアヌス帝の即位から、紀元337年、コンスタンティヌス帝の死まで。
いよいよキリスト教が迫害から公認へ、「ミラノ勅令」から「ニケーア公会議」へ。
「利益の社会還元・・・富裕層には公共心に訴えるだけでなく、虚栄心にも訴える、人間は形に遺るとなれば、より一層やる気を起こすものなのである」
「一神教・・・権力でも権威でも、それが多くの人や神に分与される状態では絶対的な存在ではなくなる」
「マクセンティウス、コンスタンティヌスに敗北。敗北とは何であるかを考えさせる、昨日までの皇帝が暴君に一変する」
「紀元313年ミラノ勅令、キリスト教がローマ皇帝によって公認された」
「小数派のキリスト教徒が多数派の多神教ローマ人を変革、コンスタンティヌスハ需要とは自然に生まれてくるものとは限らず、喚起することによっても生まれてくるものであることを知っていた戦略家であった」
「宗教を大義名分に使えなければ争いは人間同士のことになり、単なる利害の衝突にすぎなくなる。宗教を旗印にすると、問題は常に複雑にある」
「コンスタンティヌスによる皇帝資産のキリスト教会への寄贈行為、宗教組織にとっての資産の重要な役割の認識」
「信仰よりも利益で入信する者が多かった、食べていくためにキリスト教に改宗する人々は多かった」
「ニケーア公会議・・・神とその子イエスは同位か、それとも同位ではないか、三位一体説・・神とその子イエスと聖霊は同位であるがゆえに、一体でもある」
「つまりは支配の道具・・・王政・共和制・帝政と政体を変移、権力者に権力の行使を託すのが、人間である限り、権力者から権力を取り上げる権利も人間にあり続けることになる。決める権利は、可知である人間にはなく、不可知である唯一神、一神教の神キリスト教の神とした」
「パウロ、キリスト教をユダヤ人の民族宗教から世界宗教へ、神以外には何であろうと他に権威を認めないが、現実世界の権威も神の指示があっての権威、ゆえに現世の権威に従うことはその上の君臨する至高の神に従うことになるのである」
「神意を伝える司教たちを味方に懐柔、優遇策・司法権」
「キリスト教は、利益を介在させることによって、少数はより短い期間で多数になっていった」
変質したローマ帝国
一部ご紹介します。
・アウグストゥス帝の時代は、「先に納税者あり。国家は税収が許す範囲のことしか手掛けない」という小さな政府であった。
・だが、ディオクレティアヌス帝の時代になると、「先に国家あり。国家に必要な経費が、税として納税者に課せられる」という大きな政府になった。そして、元首政から絶対君主政へ移行した。
・軍事力の増強、官僚機構の肥大化は、必要経費の増大(国庫から給料を払う人間の数が増える)と組織や人材の硬直化(縄張り意識の肥大化による流動性の断絶)を招かないでは済まない。
・ローマ帝国をまとめていたのは、「ローマ法」「ローマ皇帝」「ローマの宗教」であった。コンスタンティヌス帝による「キリスト教の公認」は、このまとまりを外してしまった。
・キリスト教会への土地の寄付、キリスト教会の聖職者に対する兵役免除が施行されたことで、教会と聖職者たちのローマ帝国からの独立が起こった。
・現実世界での統治・支配権を君主に与えるのが人間(可知)ならば、委託・リコールもできる。だが、神(不可知)が統治・支配権を与えるとしたら、委託・リコールは不可能ということになる。つまり司教たちを懐柔すれば絶対権力者になれるということだ。
・コンスタンティヌス帝がキリスト教の公認及び多大な優遇措置を行った理由は、キリスト教が支配の道具として有用であることを理解していたからである。これが、事実上、中世が始まるきっかけであった。
・後世の歴史家「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのだろうか。」
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ローマ人の物語は、塩野ファンのみならず、どなたにもお勧めしたいシリーズ。滅亡への下り坂を一気に転げ落ちてゆくローマ。これを何とかして食い止めようとするヒーロー。だが、この時期のローマは、カエサルをもってしても時期すでに遅し。
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いよいよローマ帝国も最終章に入ってきた。
ローマ史の研究者の中でもコンスタンティヌスの時代になって、もはやローマではないと筆を置く人がいると筆者は述べている。
しかしながら、このシリーズは「ローマ人の物語」であって「ローマ帝国の物語」ではないと筆者の考えを構築しようとするのだが、
やはり、こころ無しか筆者の文章にも以前のような力強さがなくなっている。
ローマ皇帝というと、素人の記憶では(学校で習った程度)やはり、ネロ、カエサル(シーザー:皇帝ではないが)、コンスタンティヌス、おまけでアウグストゥス(虫プロの映画から)が浮かぶ。
この中でコンスタンティヌスについては、ハリウッドの影響でローマ皇帝、ローマ帝国のシンボル的なものと捉えていたが「ローマ人の物語」を読んでまったく反対であることがわかった。
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歴史を俯瞰することは、岡目八目冷静に色々な見解を戦わせることができるが、実際に生き、そしてその時々に最善(その基準が公なのか私的なのかは別として)を期して判断し、多くのものが追従して実際の事実として積み重ねられたものは、ある種馬鹿げたフィクションのようでもある。この世界で一人の人間があくせく最善を期することの虚しさがローマ帝国という壮大なものであればある程際立ってしまうような気がする。しかし、それでも私達は私達の今、現実を生きなければならないのだ。
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崩壊しかけたローマ帝国に、2人の皇帝が最後の歯止めをかける。しかし、東西ローマの分裂への一歩を踏み出し、キリスト教を公認し擁護することで中世ヨーロッパ時代の教会の横暴・悪乗りのタネを植えるなど、失ったものも多い。
巻の最後の言葉「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのか」が印象的。
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愚帝、内乱の読みづらい数冊を経て、ついにとどめの一撃となるキリスト教が台頭。
その時、良かれと思ってしたことでも、トップの決断は時にかくも長く歴史を左右する。
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久しぶりに、塩野さんのローマ人の物語を手にとってみた。千年近くを旅する物語も既に全15巻のうち13巻目。時代は3世紀末から4世紀になる頃で、同じく古代文明が花開いた中国では秦漢王朝も後継の三国も滅び、西晋が異民族の侵入で滅ぼされる時期に当たる。理性が花開いた古代は終わりに近づき、「暗黒の」とも形容される中世が近づいている。
今回はそんなローマの本質が変わりゆく時代に、帝国を立て直そうとしたディオクレティアヌスとコンスタンティヌスを採り上げる。強くしなやかだったローマは既に過去のものになった。皇帝と軍隊は内紛を繰り返し、国の主導権は辺境の守護者であるバルカン人たちに委ねられる。しかしローマは分裂することなく、様々な人種からなるローマ人たちは団結を維持し、リメス(対異民族防衛線)に囲まれたローマ世界を守ろうとする。しかしどうすれば守れるのか。二人が出した答えは「普通の帝国化」だったようだ。皇帝の権威強化、帝位の世襲、皇帝を支える強い軍隊と官僚、それを賄う重税・・・。そうするしかないじゃないか、という当人たちの声が聞こえて来そうなものだが、塩野さんは「ローマがローマでなくなっていく」と、悲観的に捉えている。同じことの繰り返しが多く、老人の繰言のようにくどいのが難点だが。
そして将来を大きく左右したのは、コンスタンティヌスの東方シフトだろう。コンスタンティヌスはローマをイタリア中心の古代ローマからギリシアのビザンティン帝国に生まれ変わらせ、更に千年の余命を与えた。そのためにはキリスト教徒の支持を得る必要がある、とまで見抜いていたとしたら、コンスタンティヌスは相当な慧眼だし、カエサルやシャルル大王と並んで、今日のヨーロッパ世界を作った一人、と称しても過言ではない。
塩野さんの長い物語もあと2冊。ローマがローマでなくなっていくとなると正直気が重いが、やっぱり読むことにしよう。次巻ではあの、背教者ユリアヌスが登場することだし。
Posted by ブクログ
2010/07/08 ついにローマの首都がローマでなくなってしまった。通貨の純度を上げても良貨はみな死蔵されて流通しない、彫刻の技術があからさまに劣化しているなど、気がついたらここまで衰亡しているのだ。
世界史で習った事なぞなんにも理解できていなかったのだということがよくわかる。
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ローマがローマらしくなくなり、中世へと移行しつつある時期についてです。資料写真の凱旋門のレリーフが、この時期について物語っていて愕然とします。レリーフの写真はあれこれ書かれた文章を読むより一目瞭然かも。
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4世紀に入り、ローマ帝国は専制君主の帝国へと変質していく。ローマは「共和制」の時代から「帝国」であったことを今更ながら気がついたように思います。小さい政府であったローマ帝国がディオレクティアヌスにより、軍政・税制改革、そして4皇帝による分割統治をどうして検討せざるを得なかったのか。彼の引退の引き際の素晴らしさに拍手するとともに、引退後の権力のなさ(妻と娘が皇帝により冷たくあしらわれ、惨めに殺されて行く・・・)に複雑な思いがします。そしてコンスタンティヌス大帝がどのようにして一人皇帝として権力を握るのか。そして大帝と呼ばれることになった理由として、キリスト教との関わりが言われるが、必ずしも彼はクリスチャンになったわけでもなく、洗礼も受けていない、にも関わらずなぜキリスト教を擁護する立場になったのかは興味深い話しであります。ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスという有名な皇帝の努力を中心にローマが官僚体質になり、内外の動向から滅亡の必然性が迫ってきていることを説得力のある表現で力説しています。著者はいつも現代を意識しているように思います。
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帝国を維持しているのは軍事力なのだろうか。軍事技術,工学,冶金学の進歩や格差について全く論じられてはいないのでそのあたりどうにもすっきりしない。
Posted by ブクログ
正直、「へぇー」とか、「ふーん」というのが一番ピッタリの読後感ですが、今回は、キリスト教について、なかなか勉強になりました。
自分の高校生時代にこういう本に巡り合っていたら、進路は大きく変わっていたでしょうにね。。。
2005/3/5