「腸にいいこと」だけをやりなさい!
by 藤田 紘一郎
実験は、好奇心旺盛か臆病か、不安や恐怖を感じやすいか感じにくいかといった性格傾向に腸内細菌が関係している可能性を示唆しています。
「人の性格は腸内細菌によってつくられている」「人の性格傾向は腸内フローラの組成バランスによって決まってくる」という推論が出てくるのは当然だと言えるでしょう。
つまり、 アレルギーになるかならないか、免疫力が高いか低いか、病気になりやすいかなりにくいかといった〝体質〟の基本ベースは、生後 10 カ月までにどのような腸内フローラを築くことができたかで決まってくる わけです。
ミミズはほとんど腸だけで生きている生き物であるにもかかわらず、これだけの生命活動ができるのです。腸で考え、腸で動き、腸で消化し、腸でウンコをつくり、腸でセックスもして……きっと、ミミズはその日その日を精いっぱい生きて、何の不足も感じていないでしょう。 脳などなくても、日々のすべてが腸だけで事足りていて、完結しているのです。
私は、「生きる」ということをとことん突き詰めて、無駄なものをどんどん削っていくと、最終的に腸の機能だけが残るような気がしています。腸という臓器には、「最低限必要なものしかないけれど、これさえあれば十分に生きていける」という究極の生存機能がセレクトされて残されているのではないでしょうか。
見た目は普通なのに、食中毒菌が混入した食べ物があったとします。脳は、それを口に入れろという判断を下すことでしょう。でも、腸は、食中毒菌が入ると、「コイツは入れちゃダメだ」という判断を下して拒絶します。安全ではないものが入ってくると、嘔吐や下痢を起こして体外へ出そうとするのです。つまり、脳は口に入れるものが安全かどうかを判断することができませんが、腸はそれが判断できるということになります。
しかし、 日々の生活に根差した「どう生きるか」「どちらを選ぶか」という部分では、脳よりも腸のほうがかしこい選択をすることが多いと思うのです。 少なくとも「より健やかに生きていくための知恵」という点では、脳の判断よりも腸の判断に従うほうが利口なのではないでしょうか。
昔の人は、腸に心が宿っていることをおそらく生活感覚的に知っていたのではないでしょうか。 たとえば、「腹積もり」「腹を探る」「腹を見透かす」といったように、昔からその人の考えや魂胆が「腹」に宿っているようないい方がなされてきました。また、「腹が立つ」「腹の虫がおさまらない」「腹が煮えくり返る」などの感情表現にも「腹」が用いられてきましたし、「腹が決まる」「腹をくくる」といったように、覚悟や意思を固める表現にも「腹」が用いられてきました。
ちなみに、私は知る人ぞ知るウンコ・コレクターであり、世界各地へ出かけては、さまざまな民族のブツを持ち帰って研究しています。そのコレクションはすでに 10 万個を超えています。ウンコを調べれば、その人がどういうものを食べてどういう生活をしているのかがだいたいつかめるのです。 もちろん、国による違いも非常によく表れていて、いままででいちばん巨大だったのはメキシコ人のウンコ。メキシコはもともと陽気な国民性であり、自殺率が非常に低い国としても知られています。きっと、体内に腸内細菌がいっぱいいるから、精神を安定させるセロトニンなどの物質もたくさんつくられているのでしょう。ウンコの大きさと心身の健やかさの間にはとても深い関係があるのだと思います。
いままででいちばん巨大だったのはメキシコ人のウンコ。メキシコはもともと陽気な国民性であり、自殺率が非常に低い国としても知られています。きっと、体内に腸内細菌がいっぱいいるから、精神を安定させるセロトニンなどの物質もたくさんつくられているのでしょう。ウンコの大きさと心身の健やかさの間にはとても深い関係があるのだと思います。
腸内細菌をよろこばせる食べ物は 「お・な・か・は・す・き・や・よ」で決まり!
それにしても、体を守る免疫システムが腸に集中しているのは、どうしてなのでしょう。 その理由は、腸が「内なる外」だから。
これは、まさに腸内細菌が多いか少ないかで症状に差が出たということ。感染した児童は腸内細菌が少なかったために、O-157菌の侵入を許してしまった。一方、何の症状も出なかった児童は、たくさんの腸内細菌を持っていたために、O-157菌の侵入を許さずにやっつけてしまっていたわけです。
腸内細菌の量を増やすもっとも手っ取り早い手段は、食生活を改善してたっぷりの食物繊維を摂ること。毎日たくさんの食物繊維を摂って、たくさんのウンコが出ているようなら、大量の腸内細菌が活躍している証しです。また、腸内細菌を減らさないためには、食品添加物を減らしたり、規則正しいリズムで生活したり、リラックスしてゆったり行動したりといったことを心がけていく必要もあります。
腸内フローラは、わたしたちのおなかのなかに広がっている「自然」のような存在です。見渡す限りの花々に彩られたお花畑、しかも、ひとりひとりみんな違う固有のお花畑を持っています。
下痢の場合も、腸内細菌がろくに働けないような環境となるのは変わりありません。下痢というのは、腸内細菌が働く暇も与えられずに流されてしまっているような状況です。
みなさんは、私が自分のおなかのなかにサナダムシを飼っていたのをご存じですか? 初代がサトミちゃん、2代目がヒロミちゃん、3代目がキヨミちゃん、4代目がナオミちゃん、5代目がマサミちゃん、6代目がホマレちゃん……。長年にわたって彼女たちと暮らしを共にしてきたのですが、数年前に下痢をした際に不覚にもホマレちゃんを流してしまい、以来新しい彼女は見つかっていません。 なぜ、私がサナダムシを飼っていたのか。それは、インドネシアの奥地に行ったときに次のような疑問を持ったのがはじまりです。
なお、アレルギーを防ぐためには、腸内細菌の数が多いのはもちろん、その種類の多さがカギとなります。そして、腸内細菌の種類を増やすには、子供のころからいい菌も悪い菌も含めて多くの菌に触れる機会を持たねばなりません。第1章で、赤ちゃんが何でも口に入れてなめたがるのは腸内細菌を取り入れるための本能的行為であることを述べましたが、強い免疫力を得るには、自然界のさまざまな菌と触れ合って、できるだけ多くの種類を腸内へ取り入れていくことが必要なのです。 ところが、現代の日本では、行き過ぎた
すなわち、現在の日本でアレルギー性疾患に苦しむ人が増えたのは、「キレイ社会」がもたらしたツケなのです。
もし、アレルギー性疾患の克服を願うのであれば、私はただちに次の3つを実践することをおすすめします。 ①家のなかから、殺菌・抗菌・除菌をするためのグッズをすべて排除する ②外遊びをたくさんして、土や自然とおおらかに触れ合う ③食品添加物を排除し、食物繊維や発酵食品を毎日食べて腸内細菌を大いによろこばせる じつにシンプルですが、これらを実践に移せば、腸内細菌の数や種類が増えてきて、アレルギーにはむかっていくための底力がついてくるはず。
脳は糖を欲しがり、腸は糖を嫌がる。 50 歳を過ぎたら、糖質制限を心がけよう はっきり申し上げましょう。 50 歳を過ぎたら腸には糖質は必要ありません。
私は、かねてから日本人は医療に頼り過ぎだと感じています。 多くの人は、体調が悪くなったり病気になったりしたら医者を頼るのが当然だと思っていることでしょう。でも、病院へ行く前の段階で「自分でできること」はたくさんあるのではないでしょうか。
ウンコは腸というパートナーからのメッセージのようなもの。調子よく働いているときは、立派なウンコを出してくれますし、いまひとつ調子がよくないときは、硬いウンコや軟らかいウンコを出してきます。そして、こりゃダメだというときは、便秘や下痢で不調のメッセージを送ってくるのです。
すなわち、 太っているかやせているかには、腸内フローラが大きく影響していたのです。
そもそも、腸と肌とは、同じルーツを持つ〝親戚〟のような間柄です。
発生学的に見ても、腸と肌は同じ外胚葉から生まれています。分裂を繰り返した受精卵はしばらくするとちくわのような筒状になるのですが、ちくわの外側に形成されていくのが肌であり、ちくわの内側に形成されるのが腸なのです。だから、腸は「内なる肌」のような存在だということになります。
男性のペニスや女性のヴァギナだって、もともとは腸だったのが変化してできた器官なのです。だから、わたしたちも、ペニスが勃起してムズムズするときや、ヴァギナがほてってもんもんするようなとき、さかんに〝腸〟で性欲を感じているといえるのかもしれません。
そして、そういうふうに腸がよろこぶような相手となら、長く友好的な関係を築いていけるものなのです。男と
女の相性も、いちばんのカギは、「同じものを食べて素直においしいと感じられるかどうか」ではないでしょうか。結婚して一緒に暮らすようになれば、ほとんど毎日同じものを食べていくことになるわけですから、相手と自分のおなかのなかの腸内細菌のフィーリングが合うことが重要なのです。
ですから、みなさんが相性ぴったりの異性を選ぶのであれば、何度も食事デートを重ねてみて、食事後に腸の声に耳を澄ませてみてはどうでしょう。もし〝この人と食事をするといつもおいしいし、腸がよろこんでいる感じがする〟のなら、その人とは腸内細菌の相性もぴったりなのかもしれません。
幸せか不幸かは、 腸で決まっていた! 人の幸せは、腸においてつくられています。幸せな気分になれるか、不幸な気分になるかは、腸のコンディションによって左右されています。幸せか不幸かは、腸が決めているといってもいいでしょう。 いったいどうして、そんなことがいえるのか? それは、セロトニンやドーパミンなど「幸せ物質」のもとが、腸内細菌によってつくられているからです。
じつは、人体のセロトニン量は、約 10 ミリグラムほどです。そのセロトニンは100%腸でつくられていて、全体の約 90%が腸に存在しています。残りの8%は血小板に取り込まれ、脳に存在しているセロトニンはたった2%しかありません。 セロトニンは、わたしたちの心の健康を左右するくらいの大切な物質です。その 90%が腸にあるのですから、心の健康に対し、腸がいかに大きな影響力を持っているかがおわかりいただけるのではないでしょうか。
うつ病は、もはや〝一般的な病気〟だといっていいでしょう。きっと、みなさんの周りにも、何人かはこの病気になった方がいるはず。最近は「誰それがうつ病で……」と聞いても、そんなに驚かなくなったような気がします。
ところが、こんなに増えている病気なのに、うつ病は、いまだに原因もわかっていないし、治療法も確立していないのです。いったいどうしてなのでしょうか。
それは薬で症状を抑える方法を用いているからだと思います。 薬に慣れると効果が薄れ、さらに薬を増やすという悪循環が脳のセロトニンを増やすどころか、腸まで壊しているの
うつ病をはじめとした心の病気を患う患者さんには、腸内環境が悪く、腸内細菌が少ない傾向が顕著です。また、腸内環境の悪化がうつ病をもたらす原因なのではないかということを示唆する研究報告もたくさんあります。
先にも紹介しましたが、カナダ・マックマスター大学の研究グループは、「行動的なマウス」と「臆病なマウス」の腸内細菌を互いに移し替えたところ、両者の性格や行動がすっかり入れ替わったと報告しています。
物事は「頭で考える」よりも、 「腸で考える」ほうがうまくいく!
きっと、腸には「人を見る目」があるのかもしれませんね。第3章では、好きな人と食事をしていると腸内環境がよくなって、嫌いな人と食事をしていると腸内環境が悪くなる
ことについて述べましたが、〝お、この人とは相性がいいぞ〟〝ああ、この人とは相性サイアクだ〟〝こいつは信用しちゃいかんぞ〟といったことを、何となく感じ取って発信してくれているのかもしれません。
ただ、私は最近よく思うのですが、脳で考えていることって、わりと「どうでもいいこと」が多いような気がするのです。年をとってくると、とくにそう思います。それに比べると、腸で考えていることには、これから生き永らえていくために実践的に役立つ部分が多いような気がします。
なぜなら、 腸は「究極のありのまま」だからです。 腸は「虚飾」や「我慢」とはまったく無縁の存在です。他人の目を気にすることもありませんし、ヘンに格好をつけることもありません。 無理に自分を抑えることもありませんし、自分を曲げることもありません。出しゃばる
こともなく、遠慮をすることもなく、自分を大きく見せようともせず、小さく見せようともせず、「いつもの自分」「素の自分」を保ちながら、自然のリズムに従って、日々淡々と自分の役目をこなしています。
腸は、すべてを悟りきった仙人のように執着を捨てています。ひとつだけ執着していることがあるとすれば、それは、ただただ「生きること」です。
腸が知覚しているのは「いま、ここ」のことだけ。 腸にとって大事なのは、「いま、この状況で何をすべきか」「いま、とるべき行動は何なのか」ということ。 つまり、「この瞬間、この瞬間を、どう対処してどう乗り越えていくか」を考えるだけで精いっぱいなのです。
専門は寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学。