あらすじ
平清盛や源頼朝を翻弄しながら大の歌謡好きだった後白河院が、歌謡の面白さを後世に伝えるために編集した歌謡集『梁塵秘抄』。ビギナーズ向けに現代語訳して解説を加えて、中世の人々を魅了した歌謡を味わう入門書。
※本作品は紙版の書籍から口絵または挿絵の一部が未収録となっています。あらかじめご了承ください。
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後白河法皇が心血を注いで書き残した「梁塵秘抄」「梁塵秘抄口伝集」合わせて20巻だが、欠けた形で4巻しか残っていないとは、後白河法皇は泣くに泣けないだろう。いつか残りの巻が発見されるのを望む。
とにかく今様は素晴らしい。平安時代末期ながら、諦観めいたものはなく、庶民の持つ活力に満ち、その面白さは比類がない。後白河法皇が今様に狂ったのも頷けるのだ。
・仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ
・遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ
・舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん 踏み割らせてん 実に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん
この3歌が飛び抜けて有名だが、どうしてどうして他にも、素晴らしいこちらを唸らせるものが目白押しだ。「このごろ京に流行るもの…」のような決まり文句は今様から出ていたんだなあ。
「紫式部日記」に若者のはかない戯れごととして出てくる今様が、後白河法皇の時代には世間を席巻し、後の「徒然草」にも記述が出てくるくらいであったが、それを最後に忘れられていったのだ。
今様の解説、当時のこと、梁塵秘抄の歴史的なこと、後白河法皇のことなど、分かりやすく書かれていて、読み物としても面白い本だ。
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最近、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」という歌が、脳内でリピートされている。
ということで、その出典の「梁塵秘抄」を読んでみることに。
梁塵秘抄は、当時の流行歌ともいうべき「今様」を集めたもの。今様は、いわゆる流行りもので、和歌と比べると、シンプルで、芸術性は低いのかもしれないけど、庶民というか、人間の根源的な感情をストレートに表現しているものが多くて、共感できるものが多いですね。仏教的な救済をせつに求める気持ちとか、子を思う親の気持ちとか、ぐっとくるな。
たとえば、
「わが子は十余になりぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むといかに海人集ふらん 正しとて 問はずみぶるらん いとほしや」
「わが子は二十になりぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎かなし 負かいたまふな 王子の住吉西宮」
という2首は、自分の子どもが、巫女になったり、博打打ちになったりして、漂白して、どこでなにをしている分からないなか、つらい思いをしていないだろうか、と思う気持ちを読んだ歌で、とても切なく、胸を打たれました。
と素晴らしい作品集なのだが、和歌はのこったのだけど、今様は、衰退して忘れ去られ、梁塵秘抄も歴史のなかに埋もれてしまっていたそうだ。それが明治時代に本が一部発見されて、日本の近代文学に大きな影響を与えたらしい。
というのも、とても面白いことだな、と思う。
この本は、ビギナーズということで、とても分かりやすい現代語訳と解説がついているので、だれでも安心して読めると思う。
推薦です。
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かの有名な「遊びをせんとや生まれけむ…」が収録された梁塵秘抄。しかし、自分の解釈=遊びをするために生まれたのだ、というのが誤っていたことを確認。白拍子、遊女、傀儡が謡う今様という当時の流行歌を、芸術の域に引き上げようと尽力した後白河院だったが、鎌倉時代に衰微してしまう。梁塵秘抄および口伝集20巻のほとんどが散逸し、謡い方も伝わらなかったのは惜しいことだ。後白河院というと陰の権力者というイメージがあったが、宗教心が篤く、芸能に関しては上下の身分を問わない人柄に好感が持てた。
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遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ
10年ほど前の大河ドラマ『平清盛』の挿入歌にもなったこの今様が好きで、そのうち読みたいと思っていた。後白河法皇の集めた当時の流行歌は、言葉遊びやファンタジー、エロティックなものもあれば、俗物でも成仏できるとするものなど、とても俗っぽく、それがために、読んでいて気楽になれる。
法華はいづれも尊きに この品聞くこそあはれなれ 尊けれ 童子の戯れ遊びまで 仏に成るとぞ説きたまふ
『梁塵秘抄』の今様の中でも、こうした子どもの遊びを歌ったものが、特に好きだった。子どもたちの遊ぶ姿を見て、そこに仏との縁を感じる。そうした大人視線には、何となくおおらかな心の余裕のようなものを感じる。
現代社会の中で窮屈さを感じている人たちに読んでほしい。どことなく感じる身の周りに対する、おおらかで、気楽な視線。そういったものを感じられる古典だった。
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お堅い文学作品感が全くなく、軽くて汚くて面白かった。後白河院は覚えることが多すぎて受験期は嫌いだったが、いいひとなのかもしれない。梁塵秘抄口伝のほうはあんまだった。
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梁塵秘抄から、代表的な歌を集めたアンソロジー。
解説から、詞章の訳だけでなく、需要のされ方、歌い替えなどのパフォーマンスの様態などのことも知ることができる。
恥ずかしながら、いくつかの有名なもの以外、この作品のついても、今様という芸能についても全く知らなかった。
あの、舞へ舞へ蝸牛の歌。
長年、どういう状態のことを言っているのか疑問だった。
舞ふとは、角を出したり引っ込めたりするのをいうそうで。
いやはや、こんなことさえ知らなかったのだ。
巻末の後白河院による口伝も興味深かった。
若いころから昼も夜も歌い、喉が腫れてものが飲み込めなくなるほどだったそうだ。
傀儡の乙前を師と仰ぎ、六十過ぎるまで歌い続けた。
そして、生涯かけて身につけた芸が、声の芸ゆえに死んだら無に帰すことが悔しくて仕方がなく思っている。
あの、怪物のような人物の、単なる酔狂と思ってきた今様への情熱が、こんなにも一途なものだったとは。
この本のおかげで、色々な意味で、自分の見方を変えることができた。
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平安時代の流行歌「今様」を後白河院が編纂した作品、梁塵秘抄。
たぶん一番有名な「遊びをせんとや」から興味を持ち、法文歌が読んでみたくて手に取った。ビギナーズクラシックスは気軽に読めて、その頃の雰囲気が感じられるのがうれしいです。
鵜飼いに同情する歌が印象的だった。
食糧供給も安定せず、病気を治すのも難しい時代のこと。庶民も貴族もただ暮らしているだけで、生きることの罪深さや過酷さを感じずにいられなかったのだろう。
だからこそ仏への祈りは身近だったし、不憫な人々の暮らしを他人事だとは思えなかったのだと思う。
少し豊かになっただけで、今だって本質はそんなに変わらない。
便利な暮らしに麻痺せず、生きることの喜びや悲しみを感じたい。
身分を問わず、今様の名手を手厚く迎えた後白河院。
好きなものを楽しみ、究める人っていつの時代も素敵だ。
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何故かタイトル的にもっと堅い内容だと信じこんでいたんですが(仏教説話集のような)、全然違って今様の歌詞を集めた本でした。その時流行っていた歌を集めて歌詞を載っけてみたよ的な。今でいうなら…歌詞検索サイトのような感じでしょうか。
そして内容は。…時代がどれだけ移り変わろうとも人の考えることって変わらないんだな、と良くも悪くも実感しました。
1番有名な歌は
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さえこそ揺るがるれ
でしょうか。歌ったのは遊女という説もあり。そう考えると歌詞の印象も変わりますね。
あと平家物語の祇王の有名な歌の元歌発見して嬉しかったり。
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◼️「梁塵秘抄」
今様、平安時代末期の流行歌謡を集め編まれたもの。楽しさと、うつろい。
仏は常にいませども
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
今様は歌謡、歌である。平安から鎌倉へ時代の激動を見た後白河院は今様にのめり込み、多くの歌詞を集めた「梁塵秘抄」と歌い方、名人伝などを書いた「梁塵秘抄口伝集」を残した。
先日読んだ村治佳織さんの本で、好きな言葉として挙げられていて、しばらく古典読んでないな、と早速手に取った。
今様は遊女、傀儡、白拍子などが芸の一つとして歌い、「枕草子」「紫式部日記」など1000年代初頭には宮中の貴公子たちが宴会や遊びの時に口ずさんで盛り上がるなどしていた。以後100年の間におそらくは後白河院の傾倒により、内容、歌い方などが真剣に議論されるまでになっていたようだ。
恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は
いかが見る さしさしきしと抱くとこそ見れ
(恋しくて恋しくて、久しぶりにやっと逢って共寝をした夜の夢はどんなだろう。「さしさしきし」と抱きしめると見るだろうよ)
もとは遊びの歌である軽妙であり、人間臭くもある。上品めな和歌に比べ、多少リアルでエッチだったりもする。だからこそ品格やしきたりに縛られた社会ではウケた、という見方もできる。本の解説では、閨の愛撫の悦楽を、擬声語を効果的に用いて濃密に表現している、となっている。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ
(遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか、戯れをしようとして生まれてきたのだろうか、一心に遊んでいる子どもの声を聞くと、私の体まで自然に動き出してくることだよ)
集中もっとも有名だそうだ。子どもの無垢な活力に引き込まれる大人の心持ち。北原白秋、川端康成ら多くの文人の作品に影響を与えた歌詞とのこと。
このごろ京に流行るもの
柳黛(りゅうたい) 髪々 似而非鬘(えせかづら)
しほゆき 近江女 女冠者
長刀持たぬ尼ぞなき
(このごろ都に流行るものは、眉墨で書いた眉、さまざまな髪型、ごまかしの鬘、しほゆき、近江の女、男装の女、そして長刀を持たない尼なぞいないことだよ)
しほゆきは意味が不詳、近江女は近江を根拠とする遊女の類か。このように風俗を語呂合わせのように軽く楽しく歌うのも今様の特徴だったようだ。
動物や虫を取り上げた軽妙なものもあり、冒頭の歌のように仏教、人生の悲哀が感じられるものもあったような。
それにしても後白河院、長く院政を敷き、鎌倉幕府成立の前夜の時期に度重なる戦乱を乗り越えて、保元・平治の乱を経験し、源氏平家をいなしながら、時に幽閉されたり、義経を持ち上げて後の確執の種を蒔いたりして、続く乱世の渦中で権力の座にあった人。なのに夜も寝ずに今様を歌っていたとはどこにそんなヒマが・・という、いろんな意味でバイタリティーある人だったんだなと。
今様は流行のもの、口ずさみ、消えていくもの。その点は、儚さが現代の芸能や歌謡にも通じるところがあるような。今様も鎌倉時代には衰退していった。時勢にも沿い、機知に富み、人間臭く、活き活きとして、訓示的でもある。何より口にして楽しい、そして消えゆくもの。いまとなってはそんな今様を膨大な書き物にして残した院は、後世に大きな功績を遺した、とも思える。
白拍子で義経とのロマンスで名高い静御前も今様を歌い、後白河法皇の前でも、頼朝の命でも舞った。歴史ドラマでよく見る光景もまた、今様、と捉えればまた別の側面が見えてくる気がする。
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後白河院の夢中になった今様を集めた作品。
乱世を生き抜いていく中で必ず荒んだ心が芽生えてしまうだろうがそんな時に支えとなるのがこの今様だったのだと思う。
自分が特に気に入った歌としては、
熊野へ参らむと思へど 徒歩より参れば道遠し 優れて山厳し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽たべ 若王子
という歌である。
この歌は熊野に参ろうとしたけれど歩きは道が遠い、けれど馬では苦行にならない。
じゃあその間をとって空を飛んで参詣しよう。という歌である。
現実感のある二つのものの間に飛ぶという現実味のないものを位置付けている。
肉体に負荷がかかる空を飛ぶことを馬で参詣するより負担がかかるという発想がとても好きである。
現実感のなさもあって、自ら飛ぶことのほうが楽だと勝手に思ってしまう自分がいたが、肉体にどれだけ負荷がかかるかという観点で見たら確かに飛ぶほうが大変なようにも思えた。
常識を覆すようなこの歌に心を奪われた。