【感想・ネタバレ】QED ~ventus~ 御霊将門のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年01月14日

以前少し気にしたことがある。「『月』を詠んだ歌は枚挙に暇ないが、同じ平安の夜空を彩ったはずの『星』について詠んだ歌はほとんど聞いたことがない。なぜだろう」
本書を読んで思いがけずその回答を得た気がする。
曰く、『星』は不吉のものと考えられていたとか。
その詳細については正直納得するほどの説明はなかっ...続きを読むたが、取っ掛かりが掴めたのは嬉しい。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年06月28日

2009/11/14 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2017/6/25〜6/28

7年半ものの積読本。QED ventusシリーズで、今回は平将門がテーマ。関西人なので今ひとつ土地鑑もなく、作品世界に入り込みにくかったが、いつもながら興味深い説であった。シリーズ前作で登場した神山禮子が良いア...続きを読むクセントになっている。椹野道流さんの解説にあったが、次の河童がとてもきになるなぁ。いつ読める事やら。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年08月07日

日本三大怨霊の一人:平将門についての騙りを明かす。将門は悪者なのか。いや、権力に立ち向かう勇者だったのかもしれない。


 ※ 今回、殺しは起きません。


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p66 藤原に逆らう
 日本三大悪党は弓削道鏡、平将門、足利尊氏。彼ら三人は「藤原氏」に逆らったから悪党になったのである。
 弓...続きを読む削道鏡は藤原氏を差し置いて称徳天皇の君側の奸となった。将門は荘園を解放して回って、つまり平安貴族の財産を奪ったから。足利尊氏は、、、後醍醐天皇に逆らったんだけど、その頃もこっそり藤原権力は残っていた。後醍醐天皇の正室、側室は藤原家の女だらけだった。明治まで九条家とか鷹司家とか残ってたんだから、そりゃあ当時も藤原ギラギラだっただろう。

p69 神田
 東京の神田は、将門の地、下総国猿島郡(茨城県岩井市)にある神田山(カドヤマ)から来ていると言われる。この神田山も、将門の胴体を埋葬した地と言うことから「からだ山」と呼ばれ、そこから来ているという。
 茨城には山はあまりないが、そこで言う山は「林」のことを言うらしい。

p72 かんだ
 「かんだ」という言葉は「かぬち」「がんち」という言葉から来ているという言われる。鍛冶のことである。また鎌倉権五郎景政を詠った歌にも片目(カンダ)という読みで登場している。ということは…片目の…。
 そう、将門は製鉄民族だったことを表している、

p106 かぶと
 日本橋兜町にある兜神社、そこには兜岩と言うものがある。その由来には諸説あり、源義家が戦勝祈願で兜を埋めたとか、この岩にかけたとか、俵藤太秀郷(藤原秀郷)が将門を討ち取ってその首を持ち帰る際、兜をここに埋めたから、という三種類がある。

p120 鬼はうち、福は内
 稲荷鬼王神社(東京新宿歌舞伎町)と言う場所では二月の豆まきでは「鬼は内、福は内」という掛け声で豆をまく。平将門が幼名を「鬼王丸」「外都鬼王」だったところから取ったともいわれる。この神社では鬼を崇拝しているということか。つまり、将門を崇拝しているということか。

p127 熱田神宮の近くにある
 名古屋の熱田神宮の近くにある社宮司社という神社。熱田神宮の南西、国道一号線を渡った住宅街にあるという。「熱田之記」には将門を祀る神社として「三狐」とかいてしゃぐじと読むと書かれている。しゃぐじとは、古くからの土着神とされるが、石にされてしまった神様とされるらしい。諏訪のミシャグチ神もそんな名前だし、、、近所の石神井もシャクジイだな、、、

p135 従類
 江戸以前の武士はただの荒くれ者。戦国時代から権威を手に入れるようになって江戸時代に貴族のようになったから気品を持ったが、それ以前は野蛮人でしかない。
 当然武士なんて呼ばれず、「従類」や「伴類」と呼ばれた。従類は側近として武将に従ってお供する親衛隊。伴類は農民とかから徴収された人員で、戦況悪化になったら逃げだすような間に合わせの部隊である。
 中世以前の武士は自ら前線に立って、勇猛果敢に戦ったと言うが、伴類ではまともに戦わないからである。
 だからこそ、武士は哲学があって、カッコいいのだ。

p144 謀反と謀叛
 むほんには二種類ある。「謀反」は国家転覆の反乱を意味して、「謀叛」は君主や政府に対する叛逆を意味する。

p150 氏神
 みんなが氏神を欲しがった構図。まず、藤原氏が氏神として春日神社を祀った。臣籍降下によって興った源氏系の家系がそれに対抗するように、氏神を八幡大菩薩にして祀った。さらにそれに対抗するように、平氏が厳島明神を氏神にして祀った。

p153 幸田露伴
 幸田露伴は将門のことを「将門は浮世絵に描かれたような人間に非ず。非常にやさしい人間だった。」的なことを言っている。

p182 椿山荘
 椿山荘は山県有朋が明治維新のどさくさに紛れてきな臭い手を使って手に入れたらしい。有朋が死んでその土地の登記が明らかになると「山林」登録されていて、脱税が行われていたことが発覚した。
 権力者のやることなんて、そんなもん。昔の貴族の荘園でやられていたことも、こんなもん。

p193 野馬追
 福島県相馬市で行われる行事。将門が始めた神事とされ、野に放された馬を追い立てることで自分の成る騎馬の操舵を上達させる軍事訓練から発展したと言われる。

p225 戦のキッカケ
 将門が蜂起した理由は、将門が検非違使の尉になりたがったのを受け入れてもらえなかったから叛逆したという謂れがある。この尉というのは今でいう警察署長くらいである。その程度で国家権力に歯向かうとか…
 将門の戦のきっかけはさしずめ、①貴族たちが自分たちの失政(荘園の悪用から反乱軍を産んだ)を糊塗するため。将門の反乱を流布させず、事態の拡大を防ごうと思った。②将門が器の小さい男だと世間に思わせるため。
 と言うように捏造されたのだろう。

p230 鳥居
 國王神社に行った奈々はその鳥居が「両部鳥居」ということがすぐわかったという。神仏混淆の神社によくある鳥居だという。ここにも将門が祀られている。

p239 米
 将門は「米噛み」を流れ矢で貫かれて死んだ。この米噛みにも語りが隠されている。
 将門軍の大半は半農の軍勢である。だから、たいてい戦争は休耕期に行われるのが普通だった。しかし、秀郷らは農繁期を敢えて狙ったと考えられる。だから将門は少ない軍勢で戦わなければならなかった。「米によって命を落とした」と言えるのである。

p240 鬼は田の神
 昔から、田の神は春に山から下りてきて、秋に戻る…。という諺もあるらしい。鬼とは朝廷に反旗を翻す抵抗勢力で、半農の集団を率いた連中だということを言っているのだろう。

p242 安倍晴明
 安倍晴明は将門の子:平将国だったという説。こういう伝説が生まれたのも、将門の死後、将国は常陸国信田郡に住んでいたと言われる、そして信田小太郎と名乗ったという。そして晴明は「信田の森の狐」と呼ばれていた。つながっている…。そして晴明の五芒星は晴明桔梗と呼ばれていた。その桔梗と言うのは将門の愛妾であった桔梗前からきているのかも…。つまり母親…?

p253 桔梗
 桔梗の根は漢方薬になる。だから桔梗は薬としてよく育てられた。特に常陸と下総は一大産地だったというこの根を収穫するためには、根を太くするために花が咲いて栄養を取られないようにする。そう、あえて花を蕾のうちに切り落とすのである。
 将門は愛妾の桔梗前に対して次のような歌を贈っている「桔梗あれども花咲くな」これには、桔梗前が将門を裏切って秀郷に情報を流したから、「生かしておかじ」と言う意味が込められているというが、これは江戸時代に流行った物語の脚本だという。
 本当は、桔梗の花のように花を摘まれないようにしてほしいという想いが込められていた可能性もあるという。そうであれば、妻を想う良い夫であるなぁ、将門、と思われる。

p260 明智光秀の嫁
 光秀の妻の辞世の句「はかなきを 誰か惜しまん 朝顔の 盛りを見せし 花もひと時」タタル曰く、ここに出る朝顔は桔梗の代替だろうという。そう解釈すると、明智の転嫁も本当に一瞬で終わったなぁという意味の歌になる。これは…説得力あるなぁ。
 桔梗と言う花はいわくがあるなぁ。

p275 オハコ
 得意と言う意味のオハコという言葉は、歌舞伎から来ている。7代目市川団十郎が団十郎代々の得意技の中から18種を選択し、その台本を大事に箱にしまっていたということから来ているらしい。オハコものの得意演目、ということだろう。

p298 墓荒し
 呪いを受けるのは誰かという問題。例えばエジプトのファラオの呪いを受けるのは誰かと言うと、ピラミッドから宝を盗む墓荒しと言うのがお決まりである。
 日本の将門の首塚に関わる呪いもこのようなのかと言うと、そうでもない。大正12年(1923)に大隈喜邦という工学博士が将門の墓を発掘して存在が判明した。しかし、実質墓荒しと同じことをした大熊博士は75歳まで長命を全うした。墓荒しへの呪いはどこ行った。
 しかし大正15年九月から次々に大蔵省から死人が出た。国会議事堂の建設に関わった人間である。この死は首塚の側にある大蔵省のビルの影響ではないかと戦慄させた。
 呪いの論理とは関係のない人間が死んでいる。これは呪いを悪用した他殺ではないのか!? 昭和の闇だなー。

p313 成田山
 成田山新勝寺は将門の調伏の急先鋒を務めたと言われる。だから江戸っ子は成田山にお参りにはいかないという噂があった。

p336 不動明王
 不動明王は平安末期に片目を瞑った様式の作品がたくさん作られた。天地眼といって、右目は見開いて天を睨み、左目は細めて地を睨む。それはつまり、将門が…不動明王!?
 成田山新勝寺の本尊は不動明王である。新勝寺は、やはり将門を崇拝しているということなのかな。新勝寺で豆まきは「福は内」だけである。鬼を蔑ろにすることはしないのである。将門のおひざ元で、調伏の筆頭に立ったけれど、心根では将門を慕っていたんだなー。

p346 午(馬)と申(猿)
 厩とかによく猿の彫刻があったり、馬と猿がセットになることは多い。陰陽五行で言えば、馬は火、猿は金である。前に火と水の組み合わせで、家事を防ごうとしているとかいう間違いを聞いたことがあるが、そうじゃないということ。むむ(ーー;)
 庚申様という神様が居るが、タタラ場の神として祀られていたという。庚は金を表し、申も金を表す。それだけ猿は金なのである。

 火と金の組み合わせ。…タタラ場かな??そう、馬と猿がセットになっているのは製鉄民族の何かが関わっているのであるという。稲荷(鋳成り)の例祭は午のつく日に行われることが多いのも、無関係ではないだろう。


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 Ventusは次なる作品のつなぎ、前説のための巻だから、そんなに面白くなかった。

 でも、歴史薀蓄は相変わらず。平将門は、みんな名前は知っているけれど詳しくは知らない。だからなんとなく悪いもの扱いされる。当時の朝廷の思うつぼヤワ。

 情報の印象操作は昔からあるっていう、事例だね。

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Posted by ブクログ 2015年06月20日

平将門にゆかりのある神社を巡ることが話の中心とした構成で個人的には読むのはなかなかつらかった。取材や文献での調べがしっかりしているのは分かるが事前の情報があまりわかっていないし登場人物の関係もこの本だけでは見えてこない部分があるのでシリーズの最初から読む方が良いかもしれない。

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Posted by ブクログ 2013年07月24日

再読。将門公の真の姿は意外というより安心。それよりも怨霊としていいように利用する後世の人間の思惑に驚いた。情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考えて真実を見ないとと改めて思う。
禮子さんの災難にはハラハラ。レギュラー入りかな。

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