伊藤邦武のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
デカルトに端を発した「我」あるなし論争は、ヘーゲルの他者による精神発展論(1)、キルケゴールのシーソー論(2)、ラカンの鏡像段階理論(3)など多くの哲学者の主題の一つであり続けた。また、「認識」については、カントを乗り越えたフッサールの対象確信論(4)が現象学の扉を開いた。
プラグマティズムもまた、概ねこれらの問題を主題としたものであることがこのほど明らかになったのである。
パース曰く、先入観が払拭できない以上、普遍的懐疑は不可能である。(5)そして、人間の認識とは、人々による記号による学び合い(議論)の過程に参加することである。(5)認識なるものの概念の根底が覆ったとき、「真理」をどう位置 -
Posted by ブクログ
ローティの『100分de名著』をきっかけに興味を持ち、読み始めた。
プラグマティズムは、絶対的な知識の存在を前提とせず、改訂可能性をもつ可謬的な知識から出発し、探究を通じて新たな知識を獲得していく立場だと理解した。その際の「客観性」への考え方には思想家ごとに幅があり、科学的な手続きを通じて客観性を担保しようとする立場もあれば、真理や客観性そのものを措定せず、知識をコミュニティ内の合意として捉える立場もある。
特に「科学的手続きによる調停」という考え方には、ビジネスにおける意思決定のプロセスとの共通点を感じた。パースが述べるように、科学的探究は複数の異なる推論を行き来しながら、より確からしいも -
Posted by ブクログ
中世Ⅰ
古代で3つの枢軸であった3つの文化がついにユーラシア大陸の両端に達するのが中世である
冒頭に世界哲学史として、中世の特徴を俯瞰する
①民族の大規模な移動と侵入が世界を動かした時代(旅人の時代といっている)
②古典を形成するのではなく、古典を継承し、それに対する註解を蓄積する時代。
③思想の伝達と交換をする時代
④神と人間の対立⇒神の人間からの超越
ギリシア文化⇒ローマへ⇒(アカデミア→修道院、学校へ)西欧へ
⇒東方(ビサンチン)へ:コンスタンチノープル、東欧へ
⇒イスラム世界へ(シリア語→アラビア語)⇒再びヨーロッパへ
インド文化(仏教)⇒中国⇒日本へ -
Posted by ブクログ
哲学=西欧哲学という常識を塗り替え、アジアやアフリカなどを含めた世界哲学の体系化を試みるという壮大な理念を掲げたシリーズである。
一巻ではメソポタミア文明からヘレニズム時代を扱う。メソポタミア文明を哲学史に組み入れること自体がすでに世界哲学への第一歩であり、その内容も大変興味深かった。
一点気になったのが、9章と10章の内容の矛盾である。9章ではヘレニズム時代にギリシャ人とインド人が出会ったエピソードを世界哲学の導入にはならないと切り捨てているが、10章ではそのエピソードを丸々取り扱っている。章ごとに作者が異なることに起因した矛盾であろう。
世界哲学を体系化しようという試みの中でこのような齟齬 -
Posted by ブクログ
第四巻は13世紀を舞台とした思想群が紹介されている。歴史の流れとして12世紀は成長の時代(騎士道精神、大恋愛)、13世紀は西洋中世の最盛である。本書の目的は哲学の流れはそこに呼応しているのか解明するところにある。際して、都市の発達、商業の成長、教育と大学の発達、托鉢修道会の成功などが論じられ、日本においての大思想家の誕生などまで様々なことが論じられている。中でも「存在と本質」、「普遍論争」に関してはとても興味深かった。
そこで簡単にまとめてみようと思う。
存在と本質
存在はesseとexsistentiaの二つがありそれは明確に区別されている。本質は形相としてそれをそれたらしめているものであり -
Posted by ブクログ
第一巻目がとても面白かったので、楽しみにして読んだ。結果、第二巻もとても面白く読めた。
第二巻目は古代から古代末までの世界の哲学を取り上げている。今から2000年も前の世界だ。特に、ギリシアの哲学者やその世界観、アウグスティヌスの自由意志、内的超越の話は印象に残っている。仏教や中国哲学、ペルシア哲学(ゾロアスター教、マニ教)の話は、とても難しかった。というのも、それらの章は本の中盤に位置しているのだが、それらの考え方に対して慣れ親しんでいない上にそれらの話がすごいスピードでスイッチするためである。とても頭が疲れたが、マニ教の話はあとの章のアウグスティヌスの話に繋がってくるし、仏教世界が綺麗に -
Posted by ブクログ
ちくま新書の世界哲学史シリーズ第2巻。古代哲学の後半を扱う本書では、キリスト教、仏教、儒教等、後に世界宗教へと発展していく各宗教の展開が扱われる。新書だからと侮るなかれ。いずれの論考も高度な内容で、読みこなすのはなかなかに骨が折れる。でもそれだけに知的刺激をビリビリと受けることができる。
本書を読みつつ、先日読み終えた『天才・富永仲基』(釈徹宗・著)を何度か思い出した。思想や言説は、先行する思想を足がかりに、それを超克しようとする。その際には新たな要素が加えられるとする加上説を仲基は説いた。さらに、時代や言語が異なれば、説かれる考えも変わるということも指摘している。本書を読むと、プラトン然り