伊藤邦武のレビュー一覧
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ネタバレ個人的にはラスキンの経済学の考え方より、「ポリティカル・エコノミーの歴史」が興味深く読めた。元々オイコノミアは家政術のことであり、「ポリティカル」がつくことにより、家政としての「オイコノミア」が社会全体に適用されるならば、どうなるか、というのが今で言う「経済学」の発想であることを学んだ。
ラスキンそれ自体は、あの「ユートピアだより」を書いたウィリアム・モリスの師匠であるのだが、彼の考え方自体、当時の経済学の潮流とは激しく異なる。彼はまず「人間」を主体に経済学の理を考える。彼は古代ギリシアの富の考え方を援用し、「自らのため」ではなく「共同体のため」の富を提唱した。これは古代ギリシアのクセノフォンやプラトン(これの発想は共産主義の端緒とみなすこともできる)の考え方とつうづる。
とあれ、彼の考え方に至るには古代ギリシアからアダム・スミスまでの思想を統括し、彼らを「抽象度が高い空論」であるとし、ラスキン自身は「生の学問」であるとした。ただし当時はほとんど注目されなかった。この批判はマルクスにもいえるだろうし、古代ギリシアからの援用はサンデルもしている。批判をする人は、つねに抽象から実践への揺り戻しなのかもしれない。 -
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『世界哲学史7
近代Ⅱ自由と歴史的発展』
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留さん達の本を読みました。
西欧ではようやくキリスト教から解放され、哲学の時代は終わり科学の時代となって行く事が記述されています。
フランスはナポレオンからの王政復古後の混乱から教育制度を変えて個人のレベルアップ。クザンは文学、科学を重視する教授資格試験アグレガシオンを設置、非宗教的な教育は面白いです。
アメリカでプラグマティズムが起こり、発展するのはゼロから価値創造を新世界ではぴったりの哲学です。欧州の哲学の父デカルトの懐疑論を真っ向から批判、個別テーマを実験でも確証、個別効率を高め、それらを多元的に集合して新しい価値が拡大される哲学は非常に面白いです。
ネオプラグマティズム、ニュープラグマティズムは初めて知りました。
このプラグマティズムは今のザッカーバーグ、イーロンマスク、ベゾスに繋がるのでしょうね。
日本は鎖国から文明開花の時代で西欧化に進む中で、薄ペラな開花を福澤諭吉は行ないます。日本的な発展に繋げてべきとの動きもあり、当時の日本の潜在的文化能力の高さを感じます。
おそらく日本は中国からの文化技術の導入の基盤と鎖国時代の自国の文化への熟成の基礎が非常に重要だったのだと思います。
習慣の哲学は最近の習慣ブームの基礎が分かります。
能動的なアクションの繰り返しで思想化出来る実用的な成果です。
インド哲学は植民地からの解放後に独自のルーツを再度研究して行く神秘哲学からの取り組みをしていて発展する国の将来性を感じます。
多くの哲学者が各章を分担しているので出来のバラツキがあります。
『数学と論理学の革命』の章は未だ著者ご自身でも分かっているのか怪しい説明で改善して欲しいです。 -
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『世界哲学史6
近代Ⅰ 啓蒙と人間感情論』
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留さん達の本を読みました。
西洋史はキリスト教から社会契約説でまとまるのは理解していました。
アメリカの哲学は面白いです。フランクリン、ジェファーソンの実用主義と石工組合のフリーメイソンのカソリック教会との対抗、アメリカ独立革命はフリーメイソンが無かったら成立しなかったようです。
イスラム、中国、日本の哲学の記述は新鮮でした。
イスラムは宗教が優先して考えがちですが自然、習慣と宗教を分離した分析は驚きました。西洋思想、技術の侵略に対抗しているのは面白いです。
中国の孟子の情を優先する思想は非常に興味深いです。人間が色々と経験して材料をこね回して育成される説明は面白いです。
失敗、過ちも許容されて成長する考えは人間的で温かい思想です。
孟子を読んでみたいと思います。
日本の伊藤仁斎、荻生徂徠の情の思想は、日本人を理解する時に新たな切り口になります。
実用本意の朱子学を批判して通、粋に達する時の他者を思う共感、相手の思いの分かる経験を詩経から学ぶ重要性を主張され面白いです。
他者への共感には賄賂、忖度も含まれるので負の特性でもあり完成形でないことも興味を持ちました。
西洋一辺倒でない世界哲学のアプローチは新鮮です。
ありがとうございます。 -
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デカルトに端を発した「我」あるなし論争は、ヘーゲルの他者による精神発展論(1)、キルケゴールのシーソー論(2)、ラカンの鏡像段階理論(3)など多くの哲学者の主題の一つであり続けた。また、「認識」については、カントを乗り越えたフッサールの対象確信論(4)が現象学の扉を開いた。
プラグマティズムもまた、概ねこれらの問題を主題としたものであることがこのほど明らかになったのである。
パース曰く、先入観が払拭できない以上、普遍的懐疑は不可能である。(5)そして、人間の認識とは、人々による記号による学び合い(議論)の過程に参加することである。(5)認識なるものの概念の根底が覆ったとき、「真理」をどう位置付けるかという問題が浮かび上がる。
パースはこれを無限の探求の末の収束点と位置付けた。(6)
ジェームズは、ある結果をみて別の結果を経験せずとも統括できる時のそのためのツールと評した。(7)「行為」を前面に押し出す、プラグマティズムの真髄である。
デューイは、探求の元になる記号が、特定の言語や文化を前提としたものである以上、真に普遍ではないとして、「真理」は保証つきの言明可能性に過ぎないとした。(8)
これはラカンの「言語世界」(3)に通ずる。
クワインは、真理か否かではなく、「信念」のネットワークシステムの訂正の歩みが「真理」的なもののあり方であるとした。(9)フッサール的転回である。
ローティは、特定の言語や文化を「連帯」と称し、客観性は「連帯」の別名でしかないと言い切った。(10)
無論、上記に述べたプラグマティズム読解は、入門書をさらにまとめた、暴論に近いものである。とはいえ、概略を掴むことができたという意味では、本書はその役割を果たしたと言えよう。
さて、初めて哲学書に触れてから3年、ようやっと哲学の道が眼前に開かれた。つまり、これはスタート地点に立ったに過ぎない。そして、競技に挑む準備が整ったことを意味している。
一つだけ、確かなこととして、ここに至るまでの道のりは、険しく、困難でハードルの高いものであった。
にも関わらず、もしかしたら、私は3年かけて哲学の良好な入門書1冊分の知識しか身につけていないのかもしれない。
しかしながら、回り道、葛藤しながら、時に投げ出しながら(特にヘーゲル)歩んだこの経験には偉大な意味がある。哲学は、偉大な暇つぶしである。
最後に、これまでの哲学書の全てに感謝を込めて始まりの挨拶とさせていただく。
・木澤佐登志(2019)「ニック・ランドと新反動主義」星海社
・東浩紀(2023)「観光客の哲学:増補版」ゲンロン
・宇波彰(2017)「ラカン的思考」作品社
・ヒューム(2010)(訳: 土岐邦夫)「人性論」中央公論新社
・プラトン(2013)(訳:中澤務)「饗宴」光文社
・ルソー(1974) (訳:小林善彦)「人間不平等起源論」中央公論社
・石川文康(1995)「カント入門」筑摩書房
・カール・シュミット(2022)(訳:権左武志)「政治的なものの概念」岩波書店
・江藤淳(1993)「成熟と喪失」講談社
・佐伯啓思(1997)「現代民主主義の病理」日本放送出版協会
・竹田青嗣(2010)「超解読!はじめてのヘーゲル「精神現象学」」講談社
・宇野常寛(2017)「母性のディストピア」集英社
・キルケゴール(1996)(訳:柳田啓三郎)「死にいたる病」筑摩書房
・竹田青嗣(2012)「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」講談社
・東浩紀(2019) 「テーマパーク化する地球」ゲンロン
・ヘーゲル(2016)「哲学史講義I」(訳:長谷川宏)河出書房新社
・ビチェ=ベンヴェヌート(1994)「ラカンの仕事」青土社
・アンソニー・ギデンズ(2021)「自己アイデンティティとモダニティ」(訳:秋吉美都、安藤太郎、筒井淳也)筑摩書房
・オルテガ・イ・ガセット(2020)(訳:佐々木孝)「大衆の反逆」岩波書店
(1) ヘーゲル(2016)「哲学史講義I」(訳:長谷川宏)河出書房新社p53
(2) キルケゴール(1996)(訳:柳田啓三郎)「死にいたる病」筑摩書房p264
(3)宇波彰(2017)「ラカン的思考」作品社p22
(4)竹田青嗣(2012)「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」講談社p253
(5)伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p47
(6) 伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p63
(7) 伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p29
(8) 伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p106
(9) 伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p134
(10) 伊藤邦武(2016)「プラグマティズム入門」筑摩書房p155 -
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ローティの『100分de名著』をきっかけに興味を持ち、読み始めた。
プラグマティズムは、絶対的な知識の存在を前提とせず、改訂可能性をもつ可謬的な知識から出発し、探究を通じて新たな知識を獲得していく立場だと理解した。その際の「客観性」への考え方には思想家ごとに幅があり、科学的な手続きを通じて客観性を担保しようとする立場もあれば、真理や客観性そのものを措定せず、知識をコミュニティ内の合意として捉える立場もある。
特に「科学的手続きによる調停」という考え方には、ビジネスにおける意思決定のプロセスとの共通点を感じた。パースが述べるように、科学的探究は複数の異なる推論を行き来しながら、より確からしいものを模索する営みである。しかし現実のビジネスでは、こうした調停がうまく機能せず、無難な結論に落ち着くか、破綻するか、最終的に誰か一人が決断するという形に収束してしまうことが多い。その結果、状況としてはローティ的な相対主義に近い(実際にはローティ自身は相対主義ではないのだが)印象を受け、どこか腑に落ちない感覚も残った。
一方で、哲学史の流れそのものは、まさにプラグマティズム的に、さまざまな推論や立場の往復を通じて「真理」を目指す試みとして見える。この二つの違いは、想定している時間のスケールにあるように思う。ビジネスが短期的な決着を求めるのに対し、哲学は長い時間をかけて探究を続ける。その意味でプラグマティズムは理想的で確からしいように思うが、実生活(=行動を伴う場面)においてどれほど有用なのかには、なお疑問が残る。
一般に哲学は、実生活から離れた抽象的な営みとして捉えられがちである。しかし、プラグマティズムではむしろ「有用性」という言葉が頻出し、現実との接続を積極的に志向している。だからこそ、哲学がここまで「実用」を語ることの意味について、あらためて考えさせられた。
多数のコミュニティが乱立する現代社会の中で、それぞれが内側に閉じこもらずに、異なる立場同士でどのように合意や連帯を築いていけるのか。
プラグマティズムを読んだはずなのに、むしろその問いがいっそう分からなくなった。 -
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中世Ⅰ
古代で3つの枢軸であった3つの文化がついにユーラシア大陸の両端に達するのが中世である
冒頭に世界哲学史として、中世の特徴を俯瞰する
①民族の大規模な移動と侵入が世界を動かした時代(旅人の時代といっている)
②古典を形成するのではなく、古典を継承し、それに対する註解を蓄積する時代。
③思想の伝達と交換をする時代
④神と人間の対立⇒神の人間からの超越
ギリシア文化⇒ローマへ⇒(アカデミア→修道院、学校へ)西欧へ
⇒東方(ビサンチン)へ:コンスタンチノープル、東欧へ
⇒イスラム世界へ(シリア語→アラビア語)⇒再びヨーロッパへ
インド文化(仏教)⇒中国⇒日本へ
西洋思想というものは、とっつきがわるい、イメージがわかない、仏教や儒教はそれよりはまし。
気になったことは以下です。
・文化の伝播は民族や習慣ではなく、翻訳である。
・西欧における哲学とはアリストテレスが中心であり、ギリシア語からシリア語、アラビア語に訳されて、再びスペインのトレドで、ラテン語に翻訳されたものが西欧全体にひろがった。
・アリストテレスの著書に膨大な註解がつけられて、伝播していく。
・ビサンツに伝わった、キリスト教、ビサンツ正教が東方正教の中で、母体となって、ロシア、ルーマニア、ギリシアなどの伝播していく
・東欧は、制度としては、ローマ帝国を継承したのだが、文化としては、古代ギリシア、キリスト教を基盤として作られた
・受肉した神、イエス 前者では、血を滴るようにして苦しむイエスが、後者では栄光のイエスとして描写される
・ビサンツ正教が生んだ、特異な書物「フィロカリア」 修道生活の指南書がヨーロッパ全体に広がっていく。
・中世の2つの論理学、アリストテレスの古代ローマから継承されたものと、アラビア経由で再輸入されたもの、旧論理学(カテゴリー論)と新論理学(分析)とあるが、その明確な差異はよんでもわかりませんでした。
・ローマ法:ユスティニアヌス法典:は、スコラ学が援用されて、現在もヨーロッパ法の原点となっている。ゲルマン部族の侵入においても、異民族はローマ法を守ったのである。
・リベラルアーツ(自由学芸)がでてくるが、単なる教養ではなさそうだ。正しく話すこと、文法学の再構築などの言があるも、イメージがつかめなかった。
・イスラームの思想史、12イマーム派、シーア派、スンナ派。イスラームの宗教的な特徴は、宗教的な権威を一手に握る個人や組織が存在しないことである。時間が経るにつれて、イスラームにも、異端と正統が問題となる。啓典クルアーンの他に啓典の母というテクストがある。
・イスラームのペルシア派がギリシア哲学をイスラーム世界に取り込んだ。
・ギリシア哲学の伝統と継承では、註解書のスタイルを論ずる。註解書がもたらしたものは、既存概念の説明とともに、新しい概念を生み出す場でもあった。
・儒教には、仏教のいう、輪廻転生という概念がなく、死後の世界をめぐって、神滅不滅論争を引き起こしてしまう。仏教は、一切衆生悉有仏という生けとし、生けるものは、仏性をもつという如来蔵思想により不滅とする。
・仏教は、中華思想のように、1つの世界に固執しない。仏教の世界感を三千世界という
・インドにおける仏教、バラモン教、存在論の話があったが、各章、各段落の結論がわからなかった。残念
・日本の密教について、空海を中心に展開する。
・平安初期は、実力があれば、官僚にもなれ、遣唐使にも参加できた。空海の時代とはそのような空気の時代であった。
・空海の登場は、律令制=儒教が中心であった朝廷を、東アジアでもっともはやく仏教中心になるまでのインパクトがあった。
・空海の知られざる業績、それは、「文鏡秘府論」という音韻論、修辞法などのあらゆる詩論を網羅した漢文のテキストを残したことだ。松尾芭蕉も愛用したとある。
・空海は、さまざまな業績を残したもかかわらず、世俗を捨て、山野での修行をえらんだ。「家もなく国もなし、郷属を離れたり、子にあらず、臣にあらず」。これには官吏には理解されなかったようだ。
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 普遍と超越への知
1 中世という時代
2 超越ということ
3 普遍という視座
第2章 東方神学の系譜
1 ビサンツ帝国における哲学と神学の位置づけ
2 グレゴリオス・パラマスにおける身体へのまなざし
3 ビザンツ正教のその後と『フィロカリア』
第3章 教父哲学と修道院
1 教父たちと修道生活
2 アンセルムスの神学と哲学
3 11世紀から12世紀へ
第4章 存在の問題と中世論理学
1 はじめに
2 中世論理学のラフ・スケッチ
3 ボエティウス カモメの皮を被ったタカ?
4 アベラール 中世哲学の狼
第5章 自由学芸と文法学
1 複数の自由学芸(リベラルアーツ)
2 文法学と註解の伝統
第6章 イスラームにおける正義と異端
1 はじめに
2 イスマーイール派の起源
3 極端派と創世神話
4 10~11世紀における教義修正
5 おわりに
第7章 ギリシア哲学の伝統と継承
1 註解書というスタイル
2 ギリシア哲学の伝統と継承
3 おわりに 註解の営みの意義
第8章 仏教・道教・儒教
1 言語
2 精神、霊魂
3 孝
第9章 インドの形而上学
1 認識論的回転以後の論争史
2 実在をめぐる問い
3 認識論
第10章日本密教の世界観
1 はじめに 寓話から哲学史へ
2 空海の生きた時代と社会
3 文章経国的「正名」の理論と空海の密教的世界観
4 空海の密教的言語論の世界
5 まとめ 天皇の王権と真言化する
あとがき
編・執筆者紹介
年表
人名索引
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哲学=西欧哲学という常識を塗り替え、アジアやアフリカなどを含めた世界哲学の体系化を試みるという壮大な理念を掲げたシリーズである。
一巻ではメソポタミア文明からヘレニズム時代を扱う。メソポタミア文明を哲学史に組み入れること自体がすでに世界哲学への第一歩であり、その内容も大変興味深かった。
一点気になったのが、9章と10章の内容の矛盾である。9章ではヘレニズム時代にギリシャ人とインド人が出会ったエピソードを世界哲学の導入にはならないと切り捨てているが、10章ではそのエピソードを丸々取り扱っている。章ごとに作者が異なることに起因した矛盾であろう。
世界哲学を体系化しようという試みの中でこのような齟齬が生じるのは本末転倒に思える。 -
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ちくま新書の世界哲学史シリーズ第2巻。古代哲学の後半を扱う本書では、キリスト教、仏教、儒教等、後に世界宗教へと発展していく各宗教の展開が扱われる。新書だからと侮るなかれ。いずれの論考も高度な内容で、読みこなすのはなかなかに骨が折れる。でもそれだけに知的刺激をビリビリと受けることができる。
本書を読みつつ、先日読み終えた『天才・富永仲基』(釈徹宗・著)を何度か思い出した。思想や言説は、先行する思想を足がかりに、それを超克しようとする。その際には新たな要素が加えられるとする加上説を仲基は説いた。さらに、時代や言語が異なれば、説かれる考えも変わるということも指摘している。本書を読むと、プラトン然り、仏説然り、キリスト教然り、仲基の説が如何に的を射ていたかがよくわかる。そして、その変容こそが、思想をより豊饒なものとし、世界哲学へのステップであると感じる。
本書で興味深かったのは、大乗仏教の成立過程に関する論考。この逆転の発想はなかった。古典中国の成立の章も、頭の中が非常に整理された。ゾロアスター教とマニ教の章は、今までほとんど触れたことがなく面白かった。
今のような科学技術もない中、人類がいかに己の知恵と理性の腕を伸ばし、真理をつかみ取ろうとしたか。とても興奮を覚える。