あらすじ
「善悪と超越」をテーマに、主に善悪の規範となった宗教的思索の起源と、超越的なものへのまなざしについて、文化的諸伝統を横断しつつ考察。キリスト教を古代哲学の文脈で正面から論じ、仏教や儒教を「思想史」ではなく哲学史の観点から検討する。さらに従来は哲学として扱われてこなかったゾロアスター教やマニ教、古代末の東方教父・ラテン教父哲学までを含め、宗教の形でこれまで扱われてきた超越的思考を、哲学史として、各地域の諸伝統を有機的連関において論じていく。
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Posted by ブクログ
古代Ⅱ
紀元前1世紀から紀元後6世紀までの古代を俯瞰するのが本巻です。
わかりにくい、行ったり来たりしたり、章の中でも段落間の関係が不明瞭
気になった言葉は次です。
・西洋の古代は、西ローマ帝国の滅亡までであるが、中国、インドには、明瞭な歴史区分はない。
・学園アカデメイヤをつくったのは、プラトンから始まる。
・一民族、一地域を超えた広まった宗教を世界宗教とよぶ。それはどちらかというと、教義に普遍性というよりも、経典の翻訳といった観点から考えるのが望ましい。
・ローマの哲学者の初期の、中核はキケロである、キケロは懐疑派の一員として、ギリシア哲学かラテン語化を促進した
・ローマ哲学者の代表は、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスである。
・新約聖書は、初期はすべてギリシア語でかかれていた。
・イエスは、キリスト教の創始者としてではなく、メシアとして旧約における律法や、予言を完成しようとした最後のユダヤ教の予言者であったために、イエスの教えである新約聖書とともに、旧約聖書がともになければならなかった。
・コンスタンティヌス大帝は教会の一致を図ろうと、ニカイヤ公会議を主催し、テオドシウス帝も同じくコンスタンティノープル公会議を開催した。
・キリスト論論争とは、キリストが神であり同時に人であることをどう理解すればいいのかを争った論争であり、西ローマ帝国が滅亡するまで結論がでなかった。
・大乗仏教は、空思想、唯識思想、如来蔵思想をかがげていて、初期仏教とどこで、上座部仏教と分かれたが長年議論となっていた。大乗仏教教団については、初期段階ではそのような教団は存在することなく、大乗仏教のテキストのみが存在していたことが判明した。その後は、5百年の空白ののち、ようやく大乗仏教教団が現れるのである。
・ヘーゲルらは、中国を漢を出発とする連綿と続く、儒教国家とみなしていて、古典中国とよび、その停滞性を論じている。
・中国の統一を、大一統とよび、中国を支配する皇帝のもつ権力は、天命を受けた聖なる天子の統治という権威が正当化した。
・中国の統一は、韓非を中心とする法家によって、秦の時代の準備された。その後前漢の時代に董仲舒により、五経をもとに儒教が国教化されて中国王朝の基礎になっていく。
・王莽の新の混乱から、光武帝の後漢、三国志の時代に、儒教が受け継がれていくことを書は語っています。
・後漢の末に中国に伝来した仏教は道教とぶつかっていく。道教も後漢の末に端を発していて、荘子、老子、易をテキストとしている。魏晋後に、中国は南北に分かれて、華北と、江南にそれぞれの文化圏が形成されると伝来した仏教も、独自に発展を遂げていく。華北の仏教が鳩摩羅什(旧訳)、玄奘(新訳)にて膨大な訳経作業が始まった。一方江南では、儒教とぶつかることになる神滅不滅論争が起きている。
・キリスト教は、3~6世紀に、ペルシアに伝わりゾロアスター教と、マニ教となる。それぞれの特徴は、二元論である。本書は、マニ教を厭世的二元論といい、ゾロアスター教を楽観的二元論といっている。
・プラトン主義:プラトンが設立した学校アカデメイヤについてプラトン主義の特徴とする。プラトン哲学を受け継いだプラトン主義者たちは、ローマでキリスト教が国教化されると、異教となり
哲学者たちの命も危険にさらされるようになる。プラトン主義者は、プラトンの著書を9つの4部作としてまとめ後世に伝えた。
・キリスト教の東方伝播のプロセスを東方教父という形でかたっている。東方教父とは、東ローマ帝国で活躍したギリシア・ヘレニズム文化に精通した学者をいう。東方教父は、ギリシアの修辞学や哲学の豊かな教養を三位一体論争において縦横に駆使して枢要な哲学概念にも新しい命を吹き込んでいく。
・一方、西のラテン教父は、新約聖書などのギリシア語から、ラテン語への翻訳らを通じてキリスト教神学を主導していく。ラテン教父の活躍は、イタリア、シチリアと北アフリアである。
目次は、以下の通りです。
はじめに
第1章 哲学の世界化と制度・伝統
1 古代とは何か
2 哲学と非哲学
3 学校と学派
第2章 ローマに入った哲学
1 トガを着た哲学
2 ローマ哲学事始
3 ラテン語による哲学
4 生の技法としての哲学
第3章 キリスト教の成立
1 哲学史の中の古代キリスト教
2 キリスト教のギリシア化 グノーシス主義と護教家
3 キリスト教の教義の歴史 小史
4 哲学としてのキリスト教
第4章 大乗仏教の成立
1 本章の問題系 歴史哲学としての問い
2 大乗教団の不在とテクストとしての大乗仏教
3 大乗経典研究と歴史研究
第5章 古典中国の成立
1 古典中国とは何か
2 法家から儒家へ
3 儒教国教化の完成
第6章 仏教と儒教の論争
1 仏教伝来
2 魏晋玄学
3 華北と江南の仏教
4 神滅不滅論争
第7章 ゾロアスター教とマニ教
1 世界哲学史と3~6世紀のペルシア
2 ザラスシュトラの一神教的二元論
3 マニ教の厭世的二元論
4 ゾロアスター教の楽観的二元論
第8章 プラトン主義の伝統
1 前一世紀から後六世紀までのプラトン主義
2 注釈の伝統
3 プラトン主義の基本思想
4 プラトン主義を生きる
第9章 東方教父の伝統
1 教父以前
2 東方教父におけるキリストの神性をめぐる論争
3 神に似ることと神化
第10章 ラテン教父とアウグスティヌス
1 はじめに アウグスティヌスの神の探求
2 内的超越
3 善悪二元論と、自由意志
4 原罪・根源悪と人類の絆
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第1章 哲学の世界化と制度・伝統 第2章 ローマに入った哲学 第3章 キリスト教の成立 第4章 大乗仏教の成立 第5章 古典中国の成立 第6章 仏教と儒教の論争 第7章 ゾロアスター教とマニ教 第8章 プラトン主義の伝統 第9章 東方教父の伝統 第10章 ラテン教父とアウグスティヌス
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本巻ではローマに入った哲学からキリスト教父たちの登場を扱う。西洋哲学の他には仏教、ゾロアスター教やマニ教が取り上げられた。
章ごとに筆者が異なることから内容の質に差があるが、マニ教と東方教父の章が大変参考になった。
マニ教では筆者がユーモアを交えながら解説するためスッと頭に入ってくる。中でも教祖のマーニーを「ストーリーテラーとしては優秀」と評したのは笑みがこぼれた。
東方教父の章では日本人には理解しにくい三位一体説についてわかりやすく解説されている。なぜ神とイエスと聖霊が同一視されるに至ったのか。そもそもそれはどういう意味か。それを知りたい方にこの章だけでも読む価値がある。
Posted by ブクログ
第一巻目がとても面白かったので、楽しみにして読んだ。結果、第二巻もとても面白く読めた。
第二巻目は古代から古代末までの世界の哲学を取り上げている。今から2000年も前の世界だ。特に、ギリシアの哲学者やその世界観、アウグスティヌスの自由意志、内的超越の話は印象に残っている。仏教や中国哲学、ペルシア哲学(ゾロアスター教、マニ教)の話は、とても難しかった。というのも、それらの章は本の中盤に位置しているのだが、それらの考え方に対して慣れ親しんでいない上にそれらの話がすごいスピードでスイッチするためである。とても頭が疲れたが、マニ教の話はあとの章のアウグスティヌスの話に繋がってくるし、仏教世界が綺麗に二分されているが故の”歴史”に対しての捉え方、そして”起源”、テクストとしての大乗仏教などはとても奥深く、面白く、別個でまた別の機会に探求してみたいと思った。
P.S 第三巻が楽しみだ。
Posted by ブクログ
ちくま新書の世界哲学史シリーズ第2巻。古代哲学の後半を扱う本書では、キリスト教、仏教、儒教等、後に世界宗教へと発展していく各宗教の展開が扱われる。新書だからと侮るなかれ。いずれの論考も高度な内容で、読みこなすのはなかなかに骨が折れる。でもそれだけに知的刺激をビリビリと受けることができる。
本書を読みつつ、先日読み終えた『天才・富永仲基』(釈徹宗・著)を何度か思い出した。思想や言説は、先行する思想を足がかりに、それを超克しようとする。その際には新たな要素が加えられるとする加上説を仲基は説いた。さらに、時代や言語が異なれば、説かれる考えも変わるということも指摘している。本書を読むと、プラトン然り、仏説然り、キリスト教然り、仲基の説が如何に的を射ていたかがよくわかる。そして、その変容こそが、思想をより豊饒なものとし、世界哲学へのステップであると感じる。
本書で興味深かったのは、大乗仏教の成立過程に関する論考。この逆転の発想はなかった。古典中国の成立の章も、頭の中が非常に整理された。ゾロアスター教とマニ教の章は、今までほとんど触れたことがなく面白かった。
今のような科学技術もない中、人類がいかに己の知恵と理性の腕を伸ばし、真理をつかみ取ろうとしたか。とても興奮を覚える。
Posted by ブクログ
「古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開」の副題をもつ第2巻はローマ哲学、キリスト教の成立、大乗仏教の成立、古典中国の成立、仏教と儒教の論争、ゾロアスター教とマニ教、プラトン主義の伝統、東方教父の伝統、ラテン教父とアウグスティヌスの各章が並ぶのをみてわかるように「宗教と哲学」、そしてその世界的な広がりを捉えようとする。
後半はほぼ知らないことばかり。ゾロアスター教って何? マニ教?聞いたことはあるけど重要なの? といった感じ。ニーチェの「ツァラストラはかく語りき」は読んだことあっても、そのペルシャ語読みがザラスシュトラというのははじめて知った。
そんなド素人が読んだ第2巻全体の印象は、善悪二元論と超越とは何か?という観点から宗教を哲学として捉え、その洞察のありようを世界哲学史に位置付けようとしているんだなということ。三位一体論や最終章で語られたアウグスティヌスの哲学についてはとくに面白かった。
第4章の「大乗仏教の成立」はそうした観点から言えば、やや異質な印象だが、テクストとしての大乗経典と歴史研究という視点は非常に面白く読んだ。
Posted by ブクログ
西欧中心の「哲学史」を世界的な「哲学史」に再構成しようというチャレンジの2巻目。
1巻目では、ギリシア、インド、中国などの文明において、ほぼ時を同じくして立ち上がってきた「哲学」が並列的に(といってもやっぱギリシャ〜ヘレニズムの記述が多いが)紹介された。
この同時性に驚くところはありつつ、最後の方ではギリシャ思想とインド思想のコミュニケーションの話はでてくるものの、各地域における哲学は基本独立した動きであった。
まあ、こんなものかなと思って、第2巻にはいると、途端に「世界哲学」な議論が増えて、とてもスリリング。
それは、文明間の交流が盛んになったということなのだが、
・ギリシア哲学がローマでどう受容されていったか
・キリスト教がギリシャ哲学とどう対峙しつつ、その知恵を受け入れていったか
・キリスト教がマニ教などにどう影響したか
・仏教と中国思想との対立と受容
・さまざまな思想があるなかで、なぜ儒教が中国思想の支配的イデオロギーになったか などなど
なるほどな議論が盛りだくさん。
こうした文明間の対話という視点に加えて、面白かったのは、現代哲学という視点からの哲学的な対話の部分。1章の「哲学の世界化と制度・伝統」は、2巻全体の議論へのイントロなのだが、そこには、フーコーやデリダの議論が下敷きになっていて、古代・古典とポストモダーン思想との対話が展開される。
そういう流れを踏まえつつ、具体論で面白かったのは、第4章の「大乗仏教の成立」。われわれは、なんとなく、大乗仏教の教団が上座仏教とは別に存在していたのだろうと想定してしまうのだが、そうしたものは存在しない。大乗仏教とは、まずは経典を書くという活動であったということ。
う〜ん、デリダっぽい。面白いね〜。
各章は、それぞれのテーマに詳しい人が分担して執筆していて、本当にたくさんの人がこの「世界哲学史」に参加しているわけなのだが、各著者が、全体としてのプロジェクトの主旨と全体の議論の構成をよく理解したうえで書いていることが伝わってくる。
日本の悪いところばかりが目につく今日この頃だが、こうして、この「世界哲学」プロジェクトを進めることができるということは、世界のいろいろな哲学を研究してきた日本らしいことで、ちょっとすごいじゃないかと元気がでてきた。